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Ruralnet・農文協食農教育2003年9月号

食農教育 No.29 2003年9月号より
[特集]江戸が教える食と環境の未来

江戸前の食の循環

江戸の食文化を生み出した江戸前の海と黒潮の食サイクル

◆東京・正則高等学校 鈴木博美・近津経史

 

 私たちの学校(高校)は、東京の芝公園、東京タワーの近くにある。私立なので通学エリアは一都三県に及ぶ。しかし、東京の下町から通ってくる生徒も結構多い。そこで、二年生の「生活文化」(二単位)で、東京下町の食文化を取り上げた。その学習は、環境学習を目指すものではなかったが、江戸の食文化から、江戸前の海や三番瀬に触れることとなり、結果的に、環境と文化の関係について考えることとなった。

てんぷらの屋台
図1 てんぷらの屋台

二八そばの振り売り(行商の屋台)
図2 二八そばの振り売り(行商の屋台)

日本を代表する食文化は江戸の庶民がつくった

 授業第一時で、「外国から友だちやお客さまが来たら、日本を代表する食べ物として、どんなものを食べに連れて行く?」と問いかけた。返ってきた生徒の答えは、そば、にぎり寿司、てんぷら、うなぎの蒲焼き、もんじゃ焼き、佃煮……。

 この答えを受けて、(1)これらの食べ物は江戸の庶民がいろいろと工夫し、考案してつくりだした庶民の食べ物であること、(2)そして、にぎり寿司やてんぷらは道ばたの屋台で食べる立ち食いであったこと、おそばやうなぎの蒲焼きも天秤棒で屋台をかついで来て、その場でゆでたり焼いたりして食べさせたこと(図1、2参照)、(3)これらの食べ物は、当時の武士や裕福な町人たちは下賤の者の食べ物として見下していたこと、(4)しかし、それがいまは、当時の武士や裕福な町人が食べていた懐石料理(お茶席の料理から発達し、江戸時代に完成した)や会席料理(酒をともなう日本料理の定番、江戸時代にほぼ完成)と並んで、日本を代表する料理となったことなどを学習した。

文化を守ることは環境を守ること

 第二時では、「江戸前のにぎりというときの『江戸前』ってどういうこと?」と切り出した。生徒からは、「江戸の海」「東京湾のこと」などの答えがかえってきた。

 「江戸前の海」というのは、江戸のすぐ前の海という意味で、羽田沖から深川沖を結んだ半円形の海域をさしていた(図3参照)。地図でその海域を確認するとともに、現在はそのほとんどが埋め立てられていることを、直線でくぎられた海岸線で確認する。それだけではない。いまは東京湾の海岸域のほとんどが埋め立てられている。

江戸前の海と三番瀬の位置
図3 江戸前の海と三番瀬の位置

日の出を迎える三番瀬の干潟
図4 日の出を迎える三番瀬の干潟

干潟は小動物の宝庫
図5 干潟は小動物の宝庫

 江戸前の海には、この狭い海域に多摩川や隅田川、荒川、江戸川などの大きな河川が流れ込んでいて、そういう海域は魚介類の種類が豊富で、味もよい。江戸の屋台で売られたにぎり寿司やてんぷらはそれらの魚介類を種にした。これらの食べ物は、江戸前の海があったからこそ生まれたともいえる。江戸の庶民たちは、これらの食べ物を「江戸前の○○」と呼び、たいへん誇りにしていた。さらには海でとれるものでなくても、うなぎや野菜も江戸前と呼ぶようになった。

 東京湾の奥に、唯一、江戸前の海が現在でも残っているところがある。江戸川沖の三番瀬という干潟である(図3、4、5参照)。干潟とは、潮が引いたときに海底があらわれるところをいう。ここには小さな魚介類が住み、渡り鳥もやってくる。のりの養殖も行なわれ、アサリもとれる。三番瀬で育った稚魚は東京湾に出て、江戸前の成魚に成長する。現在も船橋漁港を基地に、三組の巻き網船団が出漁している。

 その三番瀬の埋め立てを千葉県が計画したが、多くの市民が反対し、埋め立て中止の公約を掲げて当選した堂本県知事は、中止を決定した。

 この時間の授業は、多くの生徒の印象に残ったようだ。後にある生徒は、「文化を守ることは自然(環境)を守ることにつながっている」と書く。

「すし」の庶民化の歴史にぎり寿司の誕生

 第三時は、にぎり寿司が誕生するまでのすしの歴史をテーマにした。人間はさまざまな工夫をこらして、その地域にふさわしい食文化を育て上げてきた。

 すしは、魚の保存法として、稲作のはじまった弥生時代からつくられていた。それは、魚を塩に漬けたあと、魚を米の飯と一緒にカメやタルに長い間、漬け込んで発酵させた「なれずし」だった。しかし、「すし」は都の一部の貴族の食べ物で、一般庶民には縁遠い食べ物であった。

 中世(室町時代)になると、すしは、魚を塩と飯に一〜二週間漬けただけで、「生なれ」の状態で食べるようになった。農業生産力が高まり、庶民もハレの日などに、すしをつくって食べるようになった。

 江戸時代になると、庶民は生なれのすしをもっと早く食べる方法を工夫する。その一つに、魚や飯を発酵させないで、かわりに魚や飯に酢を加えて食べる方法が考えられた。こうしたすしを人びとは「早ずし」と呼んだ。この早ずしから江戸前のにぎり寿司が誕生する。

 江戸の町では酢をうった飯をにぎり、その上に酢でしめた魚の切り身や醤油につけた切り身などをのせ、箱にならべて板をのせ、二〜三時間押しただけの早ずしが、屋台で売られるようになった。

 やがて、あらかじめ酢をうった飯をつくっておいて、客の注文を聞いてからにぎり、客の注文する魚の切り身を乗せて出すというにぎり寿司が生まれた。魚は江戸前の海でとれた新鮮な魚、しかも江戸前の海の魚は種類が豊富なので、客の注文に応じてにぎることができた。

深川飯とそばうちの調理実習で江戸の食文化を実体験

 以上の学習のあと、深川の漁師たちの料理からはじまった深川飯、江戸前のそばにちなんだそば切り、そのそばを使ったかけそば、高野豆腐とほうれん草の卵とじの調理実習を行なった。

【ここまでの授業の生徒たちの感想】

調理実習でそば打ちに挑戦する生徒たち
図6 調理実習でそば打ちに挑戦する生徒たち

◆……江戸前の食べ物も自然環境がすごく関わっているんだと思った。……自然を壊すことは、江戸前という日本の食文化そのものがなくなってしまうのではないか。だから食文化を大事にするということは、自然を大事にするということと同じだと思った。

◆私たちが普段、何気なく食べている寿司やそばにも、長い歴史があるなんて知りませんでした。昔のそばの食べ方(そばがゆなど)を食べてみたいと思った。あと、文化を守ることは環境を守ることにもつながるんだなと感じた。唯一残っている三番瀬を、いまは埋め立て地にしようという計画が出ているが、三番瀬が埋め立てられたら美味しいあさりやはまぐりが採れなくなって、いままで受け継がれてきた味がなくなってしまう。それはとても淋しいことだと思う。

◆授業を受けて考えたことは、私たちがいまこうして生活しているのも、いままでの生活の文化があったからで、急にいまの生活がはじまったわけではないんだということを改めて思った。私たちが何気なく過ごしているいまの生活も、何百年、何千年後かの生活の土台になるのかなと思うと、なんだか不思議な感じがしたけれど、生活の文化というものはそういうものなんだと思った。

濃口醤油の誕生から学ぶ個性的な食文化の成立

いまも東京下町の月島にある佃煮屋
図7 いまも東京下町の月島にある佃煮屋

 実際の授業では、このあと中国の雲南省・ブータン・ミャンマーをテーマにした。生徒は、それらの地域にもなれずしや納豆があることを知って、驚きの声をあげる。そして、私たちの祖先は互いに文化を伝えあい受け継ぎながら、それぞれの地域にふさわしい個性的な文化を育ててきたことについて考える。

 だが、ここでは、その前に、江戸の食文化が成立するもう一つの条件について記しておくことにする。それは江戸の周辺地域における濃口醤油の開発である。江戸前のにぎり寿司も、そば切りのタレも、うなぎの蒲焼きも、佃煮も、濃口醤油が存在してはじめて江戸前の味となる。この濃口醤油は、いつどんな人びとが開発したのだろうか。

 江戸時代、大坂の近郊農村で木綿の栽培がはじまると、その肥料としてイワシからつくった干鰯が使われるようになったことは広く知られている。紀州の漁民たちは、黒潮にのって北上するイワシの群れを追って九十九里の浜辺に至り、イワシの地引網をはじめる。そして、やがて大量の干鰯を生産するようになる。干鰯は三浦半島の浦賀に集められて大坂に向けて出荷されたが、銚子にも集められて江戸周辺地域に出荷された。その干鰯を肥料として、現在の茨城県で大豆が、神奈川県で小麦が栽培されるようになった。

 やがて、この干鰯の商売で資本を得た銚子の商人に、紀州から醤油の醸造技術が伝わり、銚子で醤油の醸造業がはじまった。さらに、資本と醤油の醸造技術は利根川をさかのぼって野田に至り、そこでも醤油の醸造業がはじまった。原料となった大豆は茨城産、麦は神奈川産であった。塩は赤穂の塩が使われた。

 こうして生産された醤油は、利根川や江戸川を経て江戸に運ばれ、江戸の庶民の人気を博した。それは京風の薄口の醤油に対して、味の濃い醤油で、にぎり寿司の味をいっそう引き立たせ、またウナギのタレ、そば切りのタレには最適であった。佃煮も塩で煮たものから醤油で煮しめた佃煮となった。こうして、江戸周辺で栽培された大豆や小麦の原料を使い、これも江戸周辺で生産された醤油を使った江戸前の食品が生まれたのである。それは、京都・大坂の上方経済から自立した、江戸の地回り経済の成立でもあった。

 こうして、濃口醤油の誕生によって、独自な江戸前の食文化が成立する過程を学ぶことで、同じ大豆を原料にしながら、東南アジアの諸地域で、それぞれ個性的な食文化が成立したことへの学びが、いっそう深まるのではないだろうか。

〈参考文献〉

日比野光敏『すしの歴史を訪ねる』(岩波新書)

長崎福三『江戸前の味』成山堂書店

中尾佐助『料理の起源』NHK出版

佐々木高明『日本文化の多重構造』小学館

『江戸時代人づくり風土記一二 千葉』『江戸時代人づくり風土記 大江戸万華鏡』いずれも農文協


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