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Ruralnet・農文協食農教育2000年秋 10号

食農教育 No.10 2000年秋号より

失敗・アクシデントを生かす総合的学習

体験はじっくり、計画はゆっくり
三年かかって形が見えてきた
「よろんごタイム」

新潟・柏崎市立比角小学校の試み――編集部


新潟県柏崎市立比角小学校
柏崎市の宅地化の進んだ地域にあり、各学年三クラス、児童数614名(四月一日現在)。学校教育目標は「いのちを大切にし、やりぬ く子」、永倉弌校長の教育理念は「人として生きる」。「総合的な学習の時間」は三年目で今年は年間六〇時間を予定している。新潟県の教育課程研究の指定校でもある。

 比角小学校の児童玄関に「よろんご」という大きな木の幹が飾ってある。「よろんご」というのはこの地方の方言で榎のこと。移転前の校庭には「よろんご」の大木があって、移植を希望する声もあったのだが、老齢のためにかなわなかった。そこで幹だけが運ばれ、校舎のあちこちに「よろんご」を切ってつくった台座が置かれることになったという。「よろんご」は時代が変わっても比角小のシンボルなのだ。そんなわけで比角小の「総合的な学習の時間」の名前も「よろんごタイム」という。

まずはダイナミックな体験をさせること

 比角小で「総合的な学習の時間」の試行がはじまったのは平成十年度のこと。年間二六時間からのスタートだった。去年は「よろんごタイム」という名前も決まり、年間六〇時間(「よろんごタイム」四〇時間、教科から二〇時間)。三年目の今年も六〇時間。時間割にも去年から明記されている。こういうとすごく取り組みが進んでいるようだが、つい二年ちょっと前まではまったく手探りの状態だった。

 手探りのなかでまず考えたのは、それまでPTAの親子活動として行なわれてきた「体験活動」を教科ともかかわらせながらふくらませることである。ものを育てる。地域に飛び出す。人とふれあう。

 「それもちょっとした体験ではなくて、子どもたちが存分にひたれるようなダイナミックな体験がいい。そうした体験があれば、それが核となって子どもたちが自分で課題を発見し、人とかかわりながら、課題を自分で解決する力が身についていくのではないかと考えたのです」と研究主任の嶋岡久美子先生はいう。

 この年、平成十年度の六年生は豚を飼った。比角小で豚を飼ったのはこれが初めてのことだった。なぜ豚なのか。この学年は五年生のときに、PTAの親子活動で稲を育てることで社会科の学習をふくらませることができた。それで、農業体験を中核にすえた教育活動が有効なことを確認した学年の先生方は、今度は同じ生産活動でも植物ではなく動物による生産活動を子どもたちに体験させてみたいと考えたのだ。

 「動物を飼うと考えたときに、ニワトリとか、ヒツジ、豚と思い浮かべてみると、豚が一番大変だというイメージが子どもたちのなかにあったわけ。でも残飯を食べて自分の肉になっていく豚は『食の循環』を学ぶ上では一番ふさわしいのではないか、と私たちは思ったのです」と、当時の六年を担任した大倉とし子先生はいう。

 実際、豚を飼うのは大変だった。飼う場所がないからまず小屋つくりから始めなければならない。大工さんや上下水道の業者さがしも、子どもたちが動いた。町内会の一部からの反対の声もあがったが、校長先生、教頭先生の「子どもたちの願いをかなえてほしい」をいう訴えを町内会長さんが受けとめてくれて、悪臭やハエが発生したら即撤退という念書を子どもたちが書くことで、決着した。

 いよいよオス二頭、メス一頭の子豚が到着。豚を届けてくれた渡辺牧場の牧場長さんは子どもたちに向かって、「みなさんこの豚を最後は一番いいステージにしてくださいね。それはおいしいお肉にして、みなさんが食べてあげることですよ」という話をしてくれた。自らボランティアで豚糞発酵堆肥をつくって普及している牧場長の話の迫力は、先生方の想像をはるかに超えるものだった。子どもたちはその日から家畜としての豚を意識し、出荷の日まで「食べるべきか、食べざるべきか」を議論しつづけることになる。「総合」での人とのかかわりの大切さを思いしらされた。

教師が知らないからこそ子どもが動く

 この年、六年担任の先生方は(またたぶん、他の学年の先生も)、年間を通して子どもたちにこんな力を身に付けさせたいというはっきりした青写 真をもっていたわけではなかった。はじめに豚という素材ありき、という活動だったのだ。豚が生きるか死ぬ かに振り回された一年であったともいえる。しかし、先生方には大きな収穫があった。それは「総合」では教師が教えるのではなく、子どもとともに学んでいく、という学習観の転換に否応なく気づかされたということである。もちろん先生方も必死に勉強した。『養豚便覧』のような本をどっさり買い込んだ。しかし、すべてを教師があらかじめ知っているわけにはいかなかった。豚が病気になれば、いまにも死ぬ のではないかと教師も子どももいっしょになっておろおろ心配した。教科の授業では教師が学習内容をあらかじめ理解していないわけにはいかない。しかし「総合」ではそれが許される。いや、むしろ教師が知らない部分があるということが大切ではないか、と大倉先生はいうのである。

 「あてにしていたパン屋さんがつぶれて、豚のエサに困ったことがありました。豚当番が出てきてもエサがない。配合飼料ばかりやっていては『食循環』に反するのではないか、という議論をする。そうすると子どもたちがこれじゃいけないと思って、自分たちでバケツをもってエサをさがしてくるのです。ほんの少しずつでもね。『総合』では、教師は困っていればいい。むしろいつ、どのようにして教師が子どもたちに助けを求めるかというのがポイントだと思うのです」

テーマと対象をどう決めるか

 二年目である平成十一年度は、体験活動からもう一歩踏み込んで、テーマ性をもった活動を展開しようとした。

 さらに、こうした活動を通して、今年度(平成十二年度)の「総合」のテーマを仮に次のように設定してみた。

このテーマ設定の視点は、

によっている。これらを考慮するとおのずからテーマも定まってくるというわけだ。ただし、今後もこのテーマをずっと固定していくかどうかはわからないと嶋岡先生はいう。実際、平成十二年度もこのテーマを各学年でアレンジして実践している。

 比角小の「総合」では学年単位で三クラスが同じテーマ、素材を追究する。テーマは学校全体で決めるものの、具体的な対象(素材)は各学年にまかされる。今年のばあい、四年生は同じ身近な環境をテーマとしながらも、昨年のように対象をごみではなく、川に設定している。そこには二年生の遠足に行ったダムと近くの川をつなげば、環境をより身近なものとして意識できるのではないか、また、去年の四年生に比べて活発な子どもたちには、ごみよりも体を動かせる川のほうが向いているのでは、という学年の先生方の判断がある。

 年間活動計画は三学期末にその年度の活動をふりかえりながら翌年度の分が立てられるが、もちろんそれがそのまま実施されるわけではない。それを参考にしながらも、四月に担任が決まったところで、あらためて子どもたちにふさわしい対象を定め、五月上旬までに計画を立てることになる。その計画もつねに修正され、また三学期末に完成することになる。それがまた翌年の年間活動計画になっていくのである。

人との出会いこそが総合の真価

 一昨年六年生を送り出し、五年を担任した大倉先生は去年、今年と持ち上がりで五年、六年を担任している。今年の六年のテーマは「人間探究」だが、昨年のようにボランティア活動に収斂 するのではなく、「ようこそ先輩 比角小学校へ」と「訪ねよう 人生の師匠」のふたつの柱で人とかかわりながら自分自身を見つめていくことを目指している。名付けて「たいが人間熟――出かけよう 自分さがしの旅」(「たいが」はこの学年持ち上がりのニックネーム。熟は人間として熟していくという意味)。

 「たいが」の子どもたちは四年でダイズを育て、五年で稲と豚を育てながら環境問題を考えてきた。その追究が真摯であればあるほど、「人間がいなければ地球はよくなる」というような思いを持つ子どももでてくる。食物連鎖の頂点に立ち、稲や豚のいのちを自由にできる人間だからこそできること、しなければいけないことがあるはずだ。「豚として生きるとは」「稲として生きるとは」ということではイメージがわくのに、永倉校長の教育理念である「人間として生きる」ということについて何も書けない子どもの姿がある。そんなわけで福祉やボランティアに限定せず、広く人とのかかわりあいをめざすことになったのである(次頁の図参照)。

 その試みはまだはじまったばかりだが、子どもたちは「人生の師匠」でもどんどん人との出会いをひろげている。比角小学校では地域の七〇歳以上のお年寄りに運動会の案内状を出しているが、ひとりのおばあさんがその案内に対し丁寧な御礼状をよこした。これをみたある男の子が「自分は人間について勉強しているのだけれど、ぜひおばあちゃんのところへ行って話を聞きたい」と手紙を出した。一人でそのおばあちゃんを訪ねた男の子は、自分が「人生の師匠」だと思ったそのおばあちゃんから、じつはそのおばあちゃんの師匠がいるという話を聞かされ、「自慢大会」で披露した。

 この夏休みは「訪ねよう人生の師匠」の活動が広がる季節、九月に子どもたちがどんな話をもってくるか、いまから大倉先生は楽しみにしているのである。


〔編集部注〕比角小学校では今秋公開研究会を予定しています。情報アンテナ(一五〇ページ)をご参照ください。

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