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2014年4月号
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地域でつくる 学びあう介護・福祉 目次 人の一生を考えてみると、ほとんどの人生には「生・老・病・死」がある。言い換えると、「病」だけではなく、「老」や「死」も含めて人生のはずだが、皆さんは生活の場面から「老」や「死」を遠ざけすぎてはいないだろうか。人生には、「老」や「死」に対して目を背けることができない場面が多々あるが、決してこれらは辛いこと、悲しいことばかりではないと思う。裏を返せば、老いや病を抱えた人々が一生懸命に「生きている」という場面でもある。 本誌の連載「住み慣れた家で最期を迎えるために」で、滋賀県永源寺診療所の花戸貴司医師が先月号に記した一文である。花戸さんはさらにこう語る。 「そのような機会を在宅で過ごすこと、それは人々が『生きる』ということを、同じ地域、同じ家庭に住む若い世代に伝えていく場面でもある。……人々の『生』を支えるために必要なこと、それは『死』をタブーにしないこと。つまり『看取りの文化』を人々の心や地域に根付かせることだと感じている」。 くしくもこの2、3月、農文協から、『いのちつぐ「みとりびと」』(全8巻)、『DVDでよくわかる 家庭でできるラクラク介助法』、『昭和の暮らしで 写真回想法』(全3巻)という、介護や福祉の書籍、DVDが発行される。 2月号の主張「続・家族農業の大義」では、「家族農業とむらの共同という『変わらない』ことを未来にむけて伝承していく、元気な1年としたい」と記したが、今月号では、だれもが避けては通れない「老」や「死」、家族や地域の医療や介護に焦点をあて、未来にむけて伝承すべきものについて考えてみたい。 看取りは「いのちのバトンリレー」「老」や「死」を家庭や地域に取り戻す 花戸さんの連載のきっかけは、写真絵本シリーズ『いのちつぐ「みとりびと」第1集』(写真・文 國森康弘)の発行である。その第3巻「白衣をぬいだドクター花戸」に登場するのが永源寺診療所の花戸さんだ。この写真絵本は、琵琶湖の東に位置し、高齢化率30%を超える山間農村で、在宅医療を支え続ける花戸医師と地域の人々、医療・介護関係者などのすがたと取り組みを活写したもので、教育・医療をはじめとする各方面で注目され、全国の地域医療や地域づくりの関係者からも大きな関心が寄せられている。第2集では、東日本大震災の被災地で、いのちをつなぐ人たち、寄り添う医師たちの挑戦などが描かれる。 この写真絵本シリーズの特徴は、看取りや死を日常のなかにある次代に「いのちつぐ」ものとしてとらえ、「いのちのバトンリレー」(いのちの有限性と継承性)を臨場感あふれる写真と文でつぶさに描いている点にある。 看取りは、いのちのバトンリレー。 それは、亡くなる人が代々受けつぎ、 自身の人生でもたくわえてきた、 あふれんばかりの生命力と愛情を私たちが受けとること。 そして、いつか自分が「旅立ち」を迎えたときに、 愛する人に手渡していくこと。 大切な人たちに囲まれたあたたかな看取りによって、 いのちのバトンはずっと受けつがれていきます。 写真絵本のすべての巻に記されている、この文章にこめた思いについて、著者の國森康弘さんは、次のように語る。 「おじいちゃん・おばあちゃんは年を取り、できることが少なくなって、最後は弱り果てて死んでいくわけではありません。年を重ねるごとに生命力を蓄え、内なるエネルギーは高まっている。だからこそ看取りの場では、悲しみの中にも充足感というか、温かさ・生命力をすごく感じられるんですね。……いのちのバトンを渡すのには、誕生と死、2つの舞台があるんです。母親からまさにいのちのバトンを授かる『誕生』。亡くなっていく人が蓄えてきた生命力と愛情といういのちのバトンを、看取る者に手渡して旅立っていく『死』。今では赤ちゃんも病院で生まれるし、人生の最期は病院で迎えるケースが多い。でも、生と死といういのちの循環を、家族の元に、地域の中に取り戻さなければいけないと思うのです」(「comcom」No.543)。 ここでは、看取りや死をタブーにしたり冷たい終末としたりするのではなく、日常のなかにある、あたたかく次代にいのちつぐもの(生命力や愛情を受け渡す機会)としてとらえ返されている。同時に、看取りが、「看取る人」が「看取られる人(旅立つ人)」を介護したり寄り添ったりする営みとしてだけでなく、「看取る人(残される人)」が「看取られる人(旅立つ人)」から生命力や愛情を受けとり、いのちをつないでいく機会としてもとらえ返されている。この双方のとらえ返しが、「老」や「死」を「生」の大切な一環として、家族や地域のなかに取り戻していくことに結びついていく。 このことは、これまで人類が経験したことがないスピードと規模で進み、手本はどこにもないとされる、日本の超高齢社会の安心や元気、展望にもつながるにちがいない。 「介護する人」と「介護される人」の相互作用、共同作業でラクラク介助介護の現場でも、「介護する人」と「介護される人」のとらえ返しはみられ、画期的な介助法も生まれている。 歳をとっていくほど、住みなれた家、暮らしなれた地域で過ごしたいと思うのはごく自然なこと。しかも、家族の誰かに負担を押しつけることなく在宅を続けたい。そのために、特別な器具や施設がなくても素人がムリなくできる介助法がほしい??そんな願いをかなえてくれると、静かに広がっているのが、本誌で紹介してきた「介護操体」だ。 その基本の技術をわかりやすく学ぶことができる『DVDでよくわかる 家庭でできるラクラク介助法〜介護操体のすすめ』が発行される。指導・監修は看護師で日本介護操体協会代表の坂本洋子さん。もう四半世紀近く、在宅介護の介助技術の研究と講習会を続けている。 この介護操体、介助の経験がある人なら、DVDを見て「え? これでできるの?」と思うかもしれない。そのくらい無理な力のいらない介助法なのだ。たとえば、 「ヒザ付けダンゴ虫法」 引っぱりあげるのではなく、ヒザとヒザをつきあわせて自然に立ち上がる。 「ヒジ当てお尻浮かし法」 ヒジ一本で相手の腰が浮くので、オムツ替えがラクラク。 ほかにも寝返りを打つ、起きる、立つ、座る、車イスに移る……といった基本の日常動作を優しくサポートする技術が網羅されている。坂本さんはいう。 「広くて設備が整った介護施設で行なう方法が、限られたスペースや用具で行なう家庭にそのまま適用できるとは限りません」「元気な職員が交代で行なっている方法と、中高年の女性が一人で行なう方法が、同じでいいわけがありません。環境が変われば当然、介護のやり方も変わります」 たとえ相手が小柄なお年寄りでも、いざ体を動かそうとすると非常に重い。しかも介助するほうも腰痛やヒザ・肩の痛みを抱えていたりする。そんな状況に苦労を重ねてきた女性たちの「少しでもラクにできる介助法はないか」という切実な想いが産んだ技術なのだ。 この介助法を「介護操体」と呼ぶのは、「ラクな方へ動かす」「体の動きの自然な連動を誘導しサポートする」ことが基本原理になっているからだ。坂本さんが「力のない人ほど早く覚えます」というように、介助される人の「動きたい思い」「動く力」を引きだす視点を大切にし、相手をモノ扱いして見て動かしやすい型を追求するのではない点に大きな特徴がある。 だから介護操体で介助されると、「自分で動けた」ような感覚があり、「また元気になれる」と気持ちも前向きになる。しかも、体全体が自然に連動するので筋肉が固まらず(拘縮せず)リハビリ効果もある。じつは、介助している人も自然な身のこなしが身に付くので腰痛や五十肩が改善していく??。 世の介護ビジネスでは、力まかせの機械まかせという流れもあるが、この介護操体は、「介護される人」のもつ力にも着目して、「介護する人」と「介護される人」の相互作用、共同作業で家庭でのラクラク介助を可能にしてくれる。 「昭和の暮らし」を伝える写真回想法の魅力とダイナミズム介護操体のように、ともによくなる介護や暮らしを創っていくうえで、きわめて興味深い方法に「回想法」がある。農文協ではこの2月、『昭和の暮らしで 写真回想法』(監修・鈴木正典、助言・萩原裕子、写真解説・須藤功)を発行した。全3巻((1)子どもと遊び (2)家事と娯楽 (3)農・山・漁の仕事)のDVD付作品である。 回想法は、「高齢者の過去の人生の歴史に焦点をあて、過去、現在、未来へと連なるライフヒストリーを傾聴することを通じ、その心を支えることを目的とする技法」(『認知症と回想法』)とされている。もともとは1960年代にアメリカの精神科医によって提唱され、世界各地で工夫が重ねられ、今も進化を続けている。 その大きな意義は、それまで高齢者の回想は、「後悔」「現実からの逃避」「老化のサイン」などとして否定的にみなされがちだったのに対して、回想を積極的に促し、傾聴することが高齢者の心身のケアにとって重要であることを提唱・実践してきた点にある。 本書の著者であり、「祖母の昔語りを聴くのが大好きな子どもでした」という臨床心理士の萩原裕子さんは、「自分を語り、それを聴いてもらうことで、高齢者は懐かしさとともにほっとした気持ちになり、頑張ってきた自分を再認識して、人生に折り合いをつけることができるようになります。過去を振り返っただけではなく、高齢者はさらに現在を、そして未来に向かって生きる力を蓄えることができるのです」と回想法の意義を記している。 この回想法は、病院や老人ホームなどの施設を中心に行なわれてきたが、最近は、日常のケア(認知症予防)として地域の公民館などでも行なわれるようになっている。なかには、古民家など地域の歴史を語る建物での取り組みもあり、その「場」の力も加わり、豊かな思いが語られている。専門的プログラムや評価法なども開発されているが、聴き手と語り手の関係の中で自在に展開できる点も回想法の魅力だ。監修者の鈴木先生は、回想法に取り組む場合、大事にしたいことの一つが「笑い、頓知、落ち」だという。 回想法における聴き手は、介護関係者やボランティアなどの第三者と家族などで、誰でも取り組める。家族の場合、ともすれば話の内容が過去の事実と合っているかどうかで、語り手の話をさえぎったり否定したりしがちだが、まず話をしっかりと受けとめることが大切だという。 回想(思い出)を引き出すきっかけとして、歌や音楽、食べ物、昔の道具、写真などが用いられるが、本書は回想法をだれもが、どこでも、よりよい形で行なえるよう、とくに若い世代に役立つように、高齢者の若い日(おもに昭和20〜40年代)の貴重な写真が選ばれている。 それらは、子どもたちのやんちゃな笑顔、人々の生き生きとした表情など、その声や息遣いまで感じられるようなものばかりで、遊び、家事、仕事など「昭和の暮らし」の総体がおさめられている。おもな写真は付属のDVDにも収録されており、テレビなどに写して家族やグループで楽しむこともできる。さらに宮本常一に師事した民俗学写真家・須藤功氏の写真解説は、単なる知識の羅列ではなく、高齢者が生きてきたリアルな世界を描き出している。
わくわくした「紙芝居」による写真回想法の実際各巻におさめられているテーマ・写真は、遊びを例にとると「メンコ」「かごめ」「おはじき」「コマまわし」「原っぱ野球」「紙芝居」など、だれもが夢中になったり、わくわくしたりした経験のあるものだ(各巻とも全体では約70テーマ、写真約140枚を収録)。 医師として自ら医療・介護と民俗学をつないで民俗学的回想法を提唱され、本書に掲載されている「紙芝居」の写真(左上)を実際に使って写真回想法を行なっている鈴木先生は、そのようすを次のように紹介している。 子どもの一人一人の表情が生き生きしている。そこに癒しがあり、また紙芝居の思い出をかき立てる、水飴、ふれ太鼓……「あなたの街の紙芝居の思い出を語ってください」となります。 回想の実例 大阪・男性56歳 もう50年前のことを思い出して胸が熱くなりました。私の子供の頃親から5円玉をもらって急いで友達と紙芝居を見に行ったこと、水飴を割り箸に付けて白くなるまでぐるぐる回したことがつい最近のように思い出されます。 福井・男性62歳 太鼓、拍子木で紙芝居のふれ廻り、これを子供がすると飴を貰えたのでその役が取り合いだったね! 思い出すのは紙芝居よりも飴のことばかり。……(「病体生理」Vol.44) 暮らし、農の技術を伝える場「未来へのともしび」となる写真回想法 本書の第3巻には、多くが手作業で循環的だった頃の農作業や農家の営みが貴重な写真と文で刻まれている。そこには「保温折衷苗代」というテーマもあり、その記述は次のようだ。 長野県軽井沢町の荻野豊次が考案した保温折衷苗代は、まわりにまだ雪があるうちに種籾を蒔き、稲苗を育てることができるので、戦後、まず北海道と東北地方で普及し、寒冷地での米作りを進展させました。……保温折衷苗代は水を溜めない短冊型の苗床に種籾を蒔き、籾殻くん炭を上にのせてから、初めのころは油紙で覆いました。その後、油紙からビニールフィルムに変わりました。発芽して苗がおおきくなったらビニールを取り、水を溜めて保温しました。 そして、写真を見ながらの問いかけ例は、次のようだ。 ・保温折衷苗代の覆いを、油紙からこのようなビニールにいつごろからしましたか。……現在の箱苗育苗の苗と、それ以前の苗とくらべてどんな違いがありますか。 ・秋、脱穀が終わるころになると、農家の庭にすえた筒状の煙突から籾殻を焼く(いぶす)煙が一日中漂っていました。保温折衷苗代に使うくん炭です。苗代の大きさによるでしょうが、どのくらいの量を用意したものでしょうか。 この「保温折衷苗代」をテーマとした写真回想法は、日本の稲作に革命をおこしたといわれる「農家が考案した画期的な技術」の伝承の場ともいえるものだ。同時に、その技術は長野の寒冷地で生まれた、その土地ならではの技術(風土技術)でもあった。こうしたテーマによる写真回想法の可能性について、萩原さんは第3巻収録の「人・土地そして未来へのつながり」の中で次のように期待をこめる。 「……その土地ならではの回想が、その土地の方言で紡ぎだされることは、高齢者だけでなく、聴き手の私たちにとっても貴重な体験となります。……さまざまな『つながり』とともに、それぞれの地域で脈々と受け継がれてきた深い精神性は、これからの時代を生きる私たちにとって、『未来へのつながり』を感じさせるともしびとなるはずです」 この『昭和の暮らしで 写真回想法』を案内役とした回想法では、聴き手「介護する人」と語り「介護される人」という関係が逆転することが少なくないにちがいない。それは、本誌2月号の主張で紹介した「昭和(初期)」を生きたおばあちゃんに「聞き書き」し、農とともにあった四季の食生活や伝承される味覚などを記録した『日本の食生活全集』の世界と通底するものがあるようにも思える。 語り手は聴き手が知らない世界や知恵などを教えてくれる「先生」となり、それは語り手の励みや自信の回復につながる、生きる喜びを感じることにもなる。同時に聴き手は語り手の経験や知恵、存在感などに接することで、日々の暮らしや地域について新たな発見をしたり、より深く学んだり、生き抜く力を受けとったりすることができる。 こうした学びあう介護、福祉は地域の支えがあってこそ可能になる。そして、そのダイナミズムが地域をつくる。 (農文協論説委員会)
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