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農文協トップ主張 2002年9月号

青年帰農
「若者たちの新しい生き方」を生かす

目次
◆農村に「生き方」「居場所」を探す学生たち
◆農業もお産も同じ自然の営み
◆若者の農的暮らしを応援する農家
◆「自己能力の開発」を楽しむ感覚

 

農業や農的暮らしを志す若者が増えている。年間10万人にものぼるようになった「定年帰農」にくらべるとその数はまだ少ないが、40歳前に就農する人は年間1万2000人と、10年前の2倍強に達する。うち20歳代は6600人で、非農家出身の就農者も、10年前の7倍強となっている(2000年実績、農水省調べ)。

 しかもこれは、都府県50アール以上、北海道3ヘクタール以上の農地を借りるか取得して「農業者」と認定された人たちの合計であり、それ以下の面積で認定を受けずに農業・農的暮らしをはじめる若者を入れると、この数字はさらに大きなものになると推測される。

 このような動きの底流には何があるのだろうか? 不況による就職難や雇用悪化がその一因であることはたしかだろう。しかし、その一言だけで片づけてしまえば、彼らや、彼らを応援する農家や地域が切り拓いている新しい時代や新しい生き方は見えてこない。このほど農文協が発行した『青年帰農 若者たちの新しい生きかた』(現代農業2002年8月増刊)から、その動きを探ってみよう。

農村に「生き方」「居場所」を探す学生たち

 若者の農業・農的暮らしへの関心の高まりを示すもののひとつに、首都圏の農学部のない大学にまで広がっている学生たちのゼミやサークルでの農業への取り組みがある。

 たとえば横浜市戸塚区の明治学院大学国際学部の辻信一助教授(50歳)のゼミでは、昨年から大学に隣接する舞岡公園の田んぼを借り、有志で1年を通した田んぼの作業に従事している。舞岡公園は総面積30ヘクタールの自然公園で、一般の公園施設のほかに野生動植物のための5つの保護区域と市民による田園体験区域があり、ここでもともと家族と一緒に田んぼの作業に参加していた辻さんがゼミ生に声をかけたところ、しだいに学生たちが自主的に参加するようになった。

 ゼミ生のひとりで、この活動の世話役を務めている二上剛士さんは、宮城県仙台市出身の4年生だが、いまも就職活動はしていない。大学に入るまで農業に関心をもったことはなく、むしろ都会的な生活にあこがれていた。だが、2年生の後期、「南米エクアドルでの校外実習」に惹かれて辻ゼミを選択し、ゼミのテーマである「エコロジーと文化」研究のために千葉県や長野県の農家で援農体験を重ねるうちに「農のある暮らし」への思いを深め、3年生のときのエクアドルでの実習で、その思いを決定的に強めた。

 「豊かな自然の中で、自分たちの文化を大事にしながら暮らしている姿にすごく刺激を受けた。でも、その一方で、日本企業による鉱山開発で自然が破壊されている。ふだん何も考えずに物を買いますよね。その裏にはこんな現実がある。見てしまったからには、責任があると思った」

 二上さんは、日本にいて自分にできることは何かと考えた。そして今、夢見ているのは、故郷の宮城県で、宿泊者が山の行事や田畑の作業に一緒に参加できるような、「農のある暮らし」を提案する民宿だ。

 「エクアドルで、自然が豊かな地域に行ったとき、都会育ちの女子学生は感動して騒いでいたけど、僕はそれほどでもなかった。故郷で当たり前の光景として見てるから。むしろ、うちらのところの農村風景も、ちゃんと見せればすごいことができると思った」

 もちろんその夢はすぐには実現できない。だが、二上さんはあせらず、「今はできることをやっておきたい。戦前、戦後を生き抜いてきた人たち、お百姓さん、いろんな人に会って、生活の知恵を教わり、人とのつながりをつくっておきたい」と言う。父親である高校教師の久芳さん(49歳)は、その夢のよき理解者だ。「いつか一緒に民宿をやろう」と、語り合うこともある。

 辻さんによると、いま、ゼミの学生の中で1番人気のあるテーマは「食」なのだという。
 「たとえば塩とか、スローフード、菜食主義とは何かを取り上げる学生もいます。とくに女性が多い。農まで行く人も何人かいますが、去年の卒業論文でも『食』が主流でした。こうした現象は、食に学問的な興味をもったからというよりも、自分の生き方に直結したテーマだから出てきたのです。生まれてこのかた、コンビニ食しか知らないように言われ、食の乱れをさかんに指摘されていますが、若者自身もそれでいいとは思っていません。彼らだって生きものですからね。生きる、食うということはこの程度のことではないぞ、というくらいは本能的に分かるんです」

 4年生の岸愛子さんも「食」をテーマに選んだひとり。さいたま市に住んでいるが、祖父母の畑の1部を借り、野菜をつくっていて、畑でとれる大豆で味噌づくりを楽しむこともある。

 「食べることは生きること。だから売れればいい、安ければいいって……そんなふうに扱っちゃいけないと思うんです。昔から伝わる料理を、日々の食生活のなかに取り入れることで、文化を守りたい」

 エクアドルでの校外実習時には有機無農薬でコーヒーを栽培する地域を訪ね、そのコーヒーをアルバイト中の自然食品店で扱うよう働きかけた。卒業後しばらくはその自然食品店で仕事をつづけ、やはり「将来は田舎に移り住みたい」というのが夢だ。

農業もお産も同じ自然の営み

 学生ばかりではない。若い女性たちのあいだでも農業・農的暮らしへの関心は高まっていて、なかには「ひとりで」その一歩を踏み出す女性たちもいる。

 たとえば「有機農業を志す女性の会」という集まりが、毎年開かれている。メンバーの大半は若い独身女性。埼玉県鶴ケ島市の中山マサ子さん宅で開かれた、今年で4回目の集まりには全国から16名が参加した。中山さんは、「アレルギーやOA機器を扱うオフィスワークによるホルモンバランスの乱れなどを自らの身体に体験し、環境に関心をもった女性たちが、自然とともに暮らすライフスタイルを選択しようとする中で、『農』が浮かび上がってきている」と言う。

 メンバーのひとり砂川裕美さん(32歳)は、三重県鈴鹿市で農業を始めるかたわら、自然分娩の助産師の勉強をつづけて今年で4年目。横浜市出身の砂川さんは、東京の医療技術短期大学を卒業して助産師になり、病院に3年勤務した後、自分のやるべきことを探すためにカナダに旅に出た。そこで知ったのがWWOOF(ウーフ)の旅。WWOOFとは、Willing Working on Organic Farm「有機農場で働きたい人たち」というような意味だ。北米やオセアニア、ヨーロッパにネットワークがあり、有機農業を体験したい若者や安上がりに旅行したい若者たちが『ウーファーガイドブック』というリストに掲載された農家で1日4、5時間働くかわりに食事と寝場所を無料で提供してもらう。ウーファーの中には日本人や韓国人なども多く、農場を移動しながら英語を覚えたり、「生き方」「自分の居場所」を探しているという。

 砂川さんがカナダで滞在したのは、ドイツからの移民の農家で、穀物以外の食べものはすべて自給し、家も家族で一からつくりあげていた。それまで農業にはとりたてて関心はなかったが、「今までの自分はただ消費するだけで、自分では何もつくりだせない生活をしていた」ことに気づいてショックを受け、これが第1の転機になった。

 砂川さんは1年半のカナダ滞在後、いったん帰国し、ハーブを扱う園芸店でアルバイトをした後、再びWWOOFの旅に出る。カナダでハーブを使った園芸療法の農場や、コミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャー(CSA、消費者グループが農家グループと直接契約して先払いで農産物を買い取る産消提携の仕組み)の農場などにそれぞれ2、3週間ずつ滞在し、自給的な有機農業への関心を深めていく。

 「有機野菜は庶民的な価格ではないと思っていたけれど、中には野菜の値段に儲けを上乗せしない農家もありました。生活費は、本を書いたり、農業技術を教えて稼ぐのです。その人たちに出会ってみて、有機農業はお金ではなく、生き方の表現だと思いました」

 カナダの後、イスラエルに渡り、「モシャブ」という集団農場で働いていた砂川さんは、そこで「第2の転機」ともいうべき出会いをする。自然分娩による自宅出産に立ち会うことになったのだ。勤めていた日本の病院では見たこともないような産婦の喜びの表情に感動し、「農的な生活をしながら、自然分娩の助産師として生きていこう」と決心。帰国後、自然分娩の産婦人科や産院を調べ、91歳の安保ゆきのさんが自然分娩を教えている鈴鹿市の助産所を探し当てた。

 1年目は上野市の農場で有機農業の研修をしながら、2年目は愛農学園の果樹部で学びながら、3年目は農家に田んぼを貸してもらって自ら米づくりをしながら、週末、助産所に通って自然分娩の勉強をつづけている。4年目の今年は、亀山市の自然食レストランのオーナーが、自分の祖母が10数年放置していた畑を共同で使うことを申し出てくれ、ツルハシで開墾しながら野菜や雑穀をつくっている。田植えや開墾は、WWOOFの旅で知り合った心強い仲間が10数名、東京や京都から手伝いに来てくれる。

 「農業にふれるようになって、いのちの大切さを考えるようになりました。人間のつごうにあわせた経済効率優先の農業は、残留農薬や環境ホルモンなどの問題を生み出しました。農も医も、人間のつごうのいいように曲げられていると思うんです。お産だって、そうです。お産をする産婦さんと赤ちゃんの時間にあわせるのが自然なんです」

 来年の「有機農業を志す女性の会」は、砂川さんのコーディネートによって、三重県で開かれる。

若者の農的暮らしを応援する農家

 すでに日本でも、若者たちが、あせらず、急がずに、農村で自分の居場所や生き方を探すためのWWOOFのようなシステムが動きだしている。

 たとえば「ボラバイト」。ボランティアとアルバイトを合わせた造語で、交通費や都市並みの時給が保証される大規模農家でのアルバイトではなく、中小零細規模の農家と都市の若者を結ぶシステム。交通費自己負担、時給500〜700円で、食事、宿泊費は受入先の負担。「若者たちは本当の心の充実を感じて生きているのだろうか」という疑問を感じた男性2人、女性1人の仲間で始めた「サンカネットワーク」という会社が仲介している(電話03-5464-3636)。また今年から、WWOOFのシステムを取り入れた「ウーフ日本」という団体も立ち上げられた(電話011-780-4907。現在登録農家は17戸)。

 そうした組織的な動きとともに、個人や地域で「農的な生き方」を模索する若者を受け入れる動きも始まっている。

 たとえば愛媛県重信町の牧英宣さん(50歳)。50ヘクタールを受託耕作しているが(米麦を裏表で栽培しているので延べ耕作面積は約100ヘクタール)、愛媛大学で講師を務めたときに、農学部でも実際に農作業をしたことのない学生があまりにも多いことに疑問を感じ、学生アルバイトを受け入れるようになった。一方、ゆるやかな棚田の農地の大半は基盤整備されておらず、最小の田んぼは7〜8アールで、全部で約1000枚はある。借りている面積は広大だが、すみずみまで管理するのは大変だ。かといって預かった以上は荒らすことはできない。そこで、機械が入らない小さな田畑には学生1人ひとりに責任をもたせ、自由に作付けさせるようにした。

 「彼らに払う人件費分は正直言って赤字だけど、人を育てるのは時間もお金もかかります。それに、彼らが来てくれることで、地域のじいちゃん、ばあちゃんが喜んでくれ、野菜つくりや畑のことをあれこれ親切に教えてくれるんです。作業が終わると、あれ持ってけ、これ持ってけって野菜を持たせてくれる。それを山ほど自転車に括りつけて嬉しそうに帰ってくる女子学生の姿なんて、いいもんですよ。こんなすばらしい子がたくさんいるのに、何が後継者不足だって言いたいね」

 そうした学生たちの中から、卒業後も農業・農的暮らしを選択する若者たちが現れ始めた。ほとんど毎日のように農場に通っていた中村智昭さんは、この3月に大学を卒業、出身地の兵庫県の農業法人に就職した。また来春卒業予定の藤井多起さんは、修士課程を終えて大学の演習林で「山仕事の修業」をしている牧野耕輔さんら数人と、愛媛県内の中山間地の廃校を拠点に「山仕事(森林部門)」と「むらづくり(地域部門)」の有限会社を立ち上げようとしている。藤井さんも牧野さんも農家の出身ではないが、どちらの両親にも「初志貫徹」「若いからこそ出来ることがある。頑張れ」と励まされているという。

 一方、福岡県黒木町では、2000年4月に大学を卒業した小森耕太さん(26歳)が、農村体験交流組織「山村塾」の専属スタッフとして働いている。山村塾は、同町で有機農業を営む椿原寿之さん(50歳)が代表を務める組織。椿原さんがスーパーL資金を借り、97年に建設した「四季菜館」を拠点に、都市住民と農村住民が一緒に中山間地の農林業や里山を守るための活動を行なってきた。

 小森さんが、はじめて四季菜館を知ったのは大学生のとき。昼は農作業や山仕事を手伝い、夜はみんなで囲炉裏を囲む。そんな生活の魅力にとりつかれ、暇を見つけては四季菜館に通うようになった。

 「都会ではお金を稼ぐことは出来ても、自分の力で生きているという実感が希薄になっているような気がする。ここで生活していると、生きているという実感が味わえる」と感じた小森さんは、しだいに「ひとりでも多くの子どもたちに、こうした農村でのすばらしい体験をさせてあげたい」と考えるようになった。

 山村の小さな任意組織のスタッフとなることに、小森さん自身にも迷いがあり、当初家族も反対していたが、家族の「ただ行くだけなら、やめなさい。自分の計画があって新しい仕事をつくろうとしているのなら、行きなさい」という思いもよらぬ言葉に後押しされた。

 その小森さんが「山村塾」や「四季菜館」を自らの仕事の場として選択できたのは、椿原さんと、もうひとりの山村塾の主宰者である宮園福男さんが、小森さんの給与を「中山間地の直接支払い制度」を活用して支払うことにしたからだ。椿原さんはこう考えた。

 「この制度で支払われるお金は、中山間地の農業を守るためにはあまりに少なすぎる。それを有効活用するには、これをもとにスタッフを確保し、山村塾の活動を充実させ、中山間地域を守ることにつなげられないか」
 小森さんは、現在、山村塾行事の企画・運営を中心になって行ない、空いた時間には椿原農園や宮園農園の農作業や山仕事を手伝うほか、山村塾の活動を紹介するリーフレットや活動助成を申請する書類を作成するなどの日々を送っている。しかし、将来を考えた場合、いつまでも椿原さんと宮園さんからの給与に頼っていてはいけないとも考えている。「環境教育コンサルタントのようなかたちで独立し、山村塾ともよい関係を保っていけないか」――小森さんが描いているビジョンである。

「自己能力の開発」を楽しむ感覚

 自然分娩の助産師をめざす砂川さんや、環境教育コンサルタントをめざす小森さんのように、『青年帰農』に登場する現代の若者の多くは、農業を専業的にやってそれを稼ぎの手段とするより、自給的な農を暮らしのベースとし、そのうえで自分がやりたい、やるべき仕事を追求するというタイプが多い。そんな若者たちの生き方について、20数年前に農的暮らしをめざし、現在は農事組合法人・鴨川自然王国の代表理事を務める藤本敏夫さんは、次のように述べている。

 「食べものとエネルギーというのは人間の生活において決定的なものでしょう。もしも半分自給出来たらすごいことですし、安心感もすごいと思うんです。こういう自己能力の開発や、そのことを楽しむ感覚というのは、いまの若い人たちにはかなり浸透している気がしますね」

 「それに対して『商品』というのは、いわば『自己能力の外部化』です。そう考えると、自己能力の開発の場が喪失しているのが現代という『商品帝国』であって、同時に自信も喪失していってることが分かる」

 この藤本さんの言葉は、砂川さんの「今までの自分はただ消費するだけで、自分では何もつくりだせない生活をしていた」、小森さんの「都会ではお金を稼ぐことは出来ても、自分の力で生きているという実感が希薄になっているような気がする」という言葉と重なってくる。若者たちがめざすのは、自給の中に生きる実感を感じることのできる農的暮らしなのだ。

 「後継者不足をどうするか」「嫁不足をどうするか」という視点からではなく、こうした若者の意識の変化を新しいむらづくりに生かしたい。

(農文協論説委員会)

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