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農文協トップ主張 2002年2月号

自然とともに平和をつくる

文明の衝突から文化の共生へ

目次
◆「報復攻撃」の陰にかくれた大干ばつ
◆地球温暖化の最初の犠牲
◆アフガンの「日本の米」「日本の水」
◆自然とともに資源を生み出し 自然とともに平和をつくる

 今、各地で、地域の資源と文化を生かした暮らしと地域づくりの動きが大きく広がっている。自給、身土不二、地産地消という言葉が、不況を克服し、新しい地域の元気をつくるキーワードとして、多くの人々によって語られるようになった。

 また、「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」の「地元学」が、地域の個性を把握し新しいコミュニティをつくる住民自治の運動として各地で始まっている。

 これらの新しい動きは、「世界の平和」を実現するためにも大きく育てなければならないものだ。

「報復攻撃」の陰にかくれた大干ばつ

 アフガニスタンには、「お金がなくても生きていけるが、雪がなくては生きていけない」という諺があるという。典型的な砂漠気候で、年間降水量は日本のわずか200分の1。そんなきびしい気候の中、人口の95%を占める農民が自給自足の農業と遊牧で生きてこられたのは、ヒンズークシ山脈を中心とする山岳地帯に降り積もった雪や氷河からの雪どけ水を、カレーズと呼ばれる地下用水路や井戸を掘って利用してきたからだった。

 いま、テレビなどを通して流れる荒涼たる風景からは想像もできないが、山の雪がとけ出して川となる夏に棚田や川沿いの水田で米をつくり、冬は小麦をつくる。田畑を耕すのは牛で、その糞は肥料となる。かつての日本と同じような循環型の農業や、半農半牧、あるいは遊牧の農業で、約2000万人が食べてきた。

 その、アフガニスタンはいま、大干ばつに見舞われている。2000年春からユーラシア大陸が未曾有の干ばつにさらされ、パキスタン西部、アフガニスタン全土、イラン・イラク北部、インド北部、中央アジア諸国、中国西部などで6000万人が被災した。なかでもアフガニスタンでは人口の大半の1200万人が影響を受け、飢餓に直面する人が400万人、餓死線上にある人は100万人と、WHO(世界保健機構)は警告を発し続けたが、世界の先進諸国はそれを無視した。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンのペシャワールに拠点を置き、パキスタン・アフガニスタンに1病院と10診療所を設立して年間20万人の患者診療を行なってきた「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師は語る。

 「水がなくなると衛生状態が悪くなり、各地で赤痢が大流行しました。「餓死」というのは空腹でばったり倒れるのではなく、栄養失調で体力が弱ったところに感染症などの病気に罹り、死んでしまうのです。真っ先に犠牲になるのは子どもやお年寄りです。この大干ばつのためアフガニスタンでは2000年夏からの1年間に100万人が亡くなったと言っても、けっして誇張した数字ではありません。治療する以前に、いのちをつなぐ水と食べものがない。『とにかく生きておりなさい! 病気は後で治すから』と言わざるを得ないような、悲惨きわまりない状況でした」

 1本の井戸があれば何千人ものいのちが救える。中村さんたちは、「1年間で1000本の井戸を掘ろう」と目標を立て、2000年6月、アフガニスタン全域での井戸掘りを始めた。日本人の若者たちがアフガニスタン人スタッフ約700人の陣頭に立ち、村人を総動員して全力で井戸を掘り、既存の井戸の修復やカレーズの復旧も手掛けた。

 「水が出ると、村の人たちは『これで安心して村にいられる!』と心の底から喜んでくれます。人々の喜ぶ顔に励まされて私たちは作業地を拡大してきました。2000年7月から2001年10月までに626カ所で井戸を掘り、このうち550カ所で飲み水を確保できました。地下の水源そのものが枯渇の危機にあり、水位はどんどん下がっているので「掘っては枯れ掘っては枯れ」という状況ですが、それでも25万〜30万人の難民化を阻止してきました。東部の渓谷地帯では36カ所のカレーズの復旧に取り組み、このうち30カ所前後に水が戻りました。いったんは難民化して村を離れた1万5000人以上の農民たちが再び村に戻り、大干ばつで砂漠化した農地にカレーズから用水を引いて麦やトウモロコシを植え、以前と同じ自給自足の生活を営めるようになったのです。これは奇跡的なことでした」

 井戸を掘りつづけながら、村人や中村さんたちは、「これだけの大干ばつが世界で話題にならないはずはない。世界中から支援の手が伸べられるだろう」と思っていたという。だが、アフガニスタンを「テロ支援国家」と見なすアメリカの主導権によって、2001年1月、国連は救援ではなく経済制裁を決定し、干ばつにあえぐ国民に大打撃を与えた。首都カブールは干ばつを逃れてきた農民で「1大避難民キャンプ」となったが、制裁によって各国の援助団体が引き揚げ、無医地区になってしまった。そこでペシャワール会では同年3月、市内5カ所に診療所を開設し、そこでは「報復攻撃」による空爆開始後も、現地スタッフによって診療がつづけられた。

 またカブールに住む約100万人のうち餓死線上にあると推定される10万人前後の人びとに対して、ペシャワール会は「アフガンいのちの基金」として募金を集め、同年10月、ナン(パンの一種)を焼くための小麦粉と食用油を配る緊急食料支援を始めた。日本円で2000円あれば、一家族(10人)の1カ月分が賄えるのだ。寄せられた基金は、1月あまりで2億5000万円を超えた。

地球温暖化の最初の犠牲

 世界中の非難を浴びた2000年3月のタリバンによる「世界遺産」バーミヤンの石仏破壊。だが、アフガニスタンの実情を知る人のなかには「あれは「雨乞いの儀式」という要素もあった」という見方もある。これほど戒律をまもっているのに、まだ災害に苦しめられるのは、自分たちの信仰が足りないのではないか、あるいは信仰のなかに不純なものが混じっていて、それが神の怒りを買っているのではないかと思いつめた若者たちが、「偶像破壊」に走ったというのである。物悲しくなるほど彼らを思いつめさせた干ばつは何によるものか?

 「私がアフガンに来た18年前と比べると、この地を東西に横切るヒンズークシ山脈に降る雪の量が目に見えて減っています。それで雪どけ水の量も激減しています」

 と、中村さん。アフガニスタンは「地球温暖化の最初の犠牲」というのだ。

 「温暖化が炭酸ガスによるものかどうか私は知りませんが、いまの全世界的な工業化・産業化がつづく限り、起きうる現象でしょう。いま、直接的にはアフガニスタンや中央アジアの人びとがその被害者ですが、やがてツケは他の地域にも回ってくる。それはテロというツケであったり、難民が押し寄せてくるというツケであったり、いろいろだと思います」

 GDP世界第1位の経済・軍事超大国による、GDP世界第189位の最貧国への攻撃。それは直接には9月1日の事件に対する「報復」かもしれないが、世界1壮大な資源浪費超大国から、「資源消費」という点ではほとんど統計数字上にあらわれない国への攻撃でもある。

 世界のエネルギー消費量と人口分布を大陸ごとにみると、ヨーロッパ大陸は世界12%の人口で34%のエネルギーを消費、北米大陸は5%の人口で27%のエネルギーを消費しており、欧米諸国は合計17%の人口で61%のエネルギーを消費している。一方アジアは、日本、中国、韓国といった比較的消費量の多い国を抱えているにもかかわらず、60%の人口で29%しか消費していない。さらに1日あたりの国別石油消費量をみると、アメリカが1位で1874・5バレル、ついで日本(552・5バレル)、中国(484バレル)、ドイツ(276バレル)、ロシア(247・5バレル)で、アメリカの石油消費量は世界に突出している。

 アメリカは自らがサウジアラビアに次ぐ3億2000万トンを生産する世界第2の産油国でありながら、サウジをはじめ中東の国などから4億トン以上を輸入する世界第一の原油輸入国である。アメリカは、石油消費に支えられた経済を維持するために、聖地メッカを擁するサウジに軍隊を駐留させ、全世界のイスラム教徒の反発を買っているのである。

 そのアメリカは、世界人口の4・5%で炭酸ガスを世界全体の24%も排出しているにもかかわらず、ブッシュ政権誕生以来、地球温暖化防止のための「京都議定書」に同意せず、「資源浪費大国」ぶりを改めようとしていない。また94年から5年間に世界で輸出された武器は総額1122億ドルだが、その48%はアメリカである。マネー経済では「市場万能論」を掲げ「グローバルスタンダード」と称して他国の文化や慣習をも「非関税障壁」として撤廃させ、環境や武器輸出問題ではあからさまな自国利益最優先。それは「原理主義」ならぬカネさえ儲ければの「人間不在の市場原理主義」である。

 つまり昨年10月以来の「新しい戦争」は、9月1日の「事件」への報復という側面を別にすれば、世界1武器を売って紛争の火種をまきちらし、世界1石油を浪費して温暖化の最大の原因をつくり、自然と人間の最大の矛盾を引き起こしている国が、ある意味では現在の地球上でもっとも自然と人間が調和した関係の中で生きてきた国の人びとにしかけた戦争だと言える。

アフガンの「日本の米」「日本の水」

 10月13日、衆議院のテロ対策特別委員会に参考人として呼ばれた中村さんは、自衛隊の派遣に対して自らの体験から「有害無益」と断じ、与党議員の「発言取り消しを」という求めにも頑として応じず、こう言った。

 「いますべきはですね、せっかく築かれた、これは私だけではなくて、日本が営々と百数十年かけて築いた一つの信頼感というのが現地で根づいておる。これをまず、崩さない。私たちの先輩の残してくれたものを大切にしながら、そして、抽象的になりますけれども、平和を待ち、その上でなにか建設的な事業をする、こうやって大きな国際的貢献、それもほかの国にできないような貢献ができるというふうに私は信じております」

 かつてアフガニスタンを植民地支配したり、武力介入した欧米諸国やロシア(旧ソ連)とちがい、日本や日本人には、事件と報復戦争以前からの、独自に築きあげたアフガニスタンの人びととの関係があった。

 10月14日に日本経済新聞に掲載された「アフガンと日本・交流の系譜」という記事によると、旧ソ連が侵攻する前の1970年代、首都カブールの市場には「イグチ」と呼ばれる農作物があったという。それは、日本のササニシキ系の米の品種。73年から79年まで、国際協力事業団(JICA)の専門員としてアフガニスタンで稲作の普及指導にあたっていた井口直樹さん(68歳)にちなんだ呼称だった。井口さんが日本から持って行った品種は収量が多く、低温に強くて二期作ができるようになったという。

 「もうひとつの日本」は「オーベ・ジャポン」(現地の言葉で「日本の水」)。カブールは乾燥した高原の都市。日本がまだ貧しかった60年代、日本から来た水道技術者が、その町の上水道を整備した。皮袋に水を入れて運ぶしかなかった人たちは、当時それほど豊かでもなかった同じ東洋の国の人からの厚意を忘れないためか、つねに飲む水に「ジャポン」の名を冠することを忘れなかったという。

自然とともに資源を生み出し 自然とともに平和をつくる

 だが残念ながら、日本は、中村さんの主張を無視し、「イグチ」やオーベ・ジャポンによって築かれた信頼感を裏切り、憲法を踏みにじってアメリカへの軍事協力を決めた。しかし世界には、日本とちがって非武装中立の憲法をまもり、石油依存の20世紀型文明こそが戦争の根本原因であるとして、「自然から資源を奪う」のではなく「自然とともに資源を生み出す」生物資源立国をめざす国がある。

 その国は、中米・コスタリカ。9州と4国を合わせたくらいの面積で、人口353万人の小国だが、日本国憲法施行から2年後の1949年、常備軍を廃止する新憲法を公布。83年には「永世・積極的・非武装中立宣言」を行なう。スイスは「消極的・武装中立」だが、コスタリカは国際政治から身を引くのではなく、積極的に国外の紛争の火を消す「国際火消し」の役割を自らに課している。

 82年に大統領になったモンヘ氏は「経済援助のかわりに軍事基地の提供を」というアメリカに対して、再度世界に中立宣言を発してその返答とした。86年の大統領選挙では、積極中立外交の維持を掲げるアリアス氏と、経済援助を期待してアメリカに追従する右派候補とがたたかったが、アリアス氏が大差で当選。当時の中米諸国は内戦だらけだったが、アリアス大統領は「トラクターは戦車より役立つ」と政府側、反政府側の双方に説いて、ニカラグア、グアテマラ、エルサルバドルの内戦を終わらせることに成功した。そして国境を接するニカラグアの8万人の軍隊は1万3000人に減り、パナマの軍隊は廃止され、その功績でアリアス氏は87年にノーベル平和賞を受賞したのである。

 軍隊を廃止したコスタリカは、「兵士の数だけ教師を育てよう」を合言葉に国家予算の24%を教育費にあてている。それは、教育こそが非武装平和の有効な手段であり、紛争を解決するための外交能力も、貧困や難民への援助や災害救助による国際貢献も、教育によって養われるという考えからだ。

 コスタリカの「生物資源立国」について同国政府観光局日本総代表の五十嵐義明氏は、つぎのように述べている。

 「18世紀後半にイギリスに起こった産業革命の波は急速に世界中へ広がり、19世紀から20世紀にかけて『経済至上主義』『工業生産重視』の時代が続いていました。工業先進国はこぞって原料となる資源の確保に力を注ぎ、石油や鉱物などの天然資源を有する国が資源大国とされてきたのです。たしかに産業の充実は、人類に安全で快適な生活をもたらしてくれましたが、一方で地球規模での環境汚染や天然資源の枯渇といった深刻な問題を生み出してきたことも事実です。このままやみくもに資源の開拓や開発を進めれば、地球環境が破綻していくのは誰の目から見ても明らかでしょう。21世紀を迎えた今、これからは『自然から資源を奪う』という従来の考え方ではなく、『自然と共に資源を生み出す』という発想をしていく必要があるのです」

 あらゆる生物の資源化のために89年に設立された生物多様性研究所(INBiO)は、(1)コスタリカ全土の全生物種の台帳づくり(2)有益な天然産物の科学的選抜(3)生物資源情報のコンピュータによるデータベース化などを目的としており、その一環である「全生物群生物多様性インベントリー(目録)」プロジェクトでは、体験的に自然をよく知る地元の主婦や農家、漁師から募集された「パラ・タキソノミスト」(補助的な・分類学者)が生物採集や標本作り、写真撮影、コンピュータ入力などを行なっている。

 またコスタリカは「エコツーリズム」を、世界に向かって初めて提言した国でもある。「何も持ち込まない、何も持ち出さない」ということを基本に、熱帯林の自然や野生生物のすばらしさ、環境を保護することの大切さを世界に広めるツアーへの観光客を世界中からつのり、年間100万人が訪れている。

 本誌昨年4月号の主張「足元の、当たり前の豊かさに気づく地元学」では、宮城県仙台市や熊本県水俣市から始まり、いま全国に広がっている「あるもの探しの地元学」についてふれ、「それは、グローバリゼーション(世界市場化)の中で、『生活の場』としての地域を守り、自ら豊かな地域をつくる新しい地方自治形成への取組み」と述べた。まさにコスタリカは、国をあげての「地元学」によって、化石資源依存の近代文明からの卒業をめざす国なのだ。

 アメリカは自国基準を「グローバルスタンダード」というけれど、世界のあらゆる国や地域が足元にあるものを生かすのではなく、アメリカのような資源浪費型文明をめざすならば、石油をめぐる争いと環境破壊、そして憎悪は再生産され、惨劇と愚行は際限なく繰り返されるだろう。

 石油という普遍的資源に依存した画一的大量生産・大量消費・大量投棄の反自然的文明と、その価値観を全世界に押しつけるグローバリズムではなく、地域固有の歴史、技術を含む人的資源と、動物力、植物力、昆虫力、微生物力などの自然資源を生かした多品目少量生産の多様な文化が共生し、相互に尊重しあう「グローカリズム」への転換が、農村から、地方都市から、世界の「辺境」から始まっている。「食のグローバルスタンダード」に対抗する「スローフード」運動(食の地元学)もイタリアの山村に始まり、世界に広がっている。21世紀は「文明の衝突」ではなく「文化の共生」の世紀でなければならない。その「文化」の根底にあるのは、各地域における「自然と人間の調和」であり、その導き手は農林漁家なのだ。

 「現代農業2月増刊」(2001年12月末発行)は、その名も『自然とともに平和をつくる』である。

(農文協論説委員会)


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