主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1993年09月

「ミズガキ」のテリトリーで村の将来を語ろう
学校区の広さの大切さ

目次

◆ミズガキが消えた川
◆ヤマガキもまた……
◆ミズガキ、ヤマガキのテリトリー
◆過疎地帯で小学生が増えた
◆いろんな人が住める村に
◆学校区単位でものごとを考えてみよう

ミズガキが消えた川

 ミズガキという生物をご存じだろうか。淡水魚類研究家の君塚芳輝氏によると、それば次のようなものである。

[ミズガキ]水生生物の一種の標準和名。北海道から沖縄までひろく日本の農山村の河川に分布し、とくに夏によく発生する。最近は、ミズガキとよく似ているがプールのみに生息するプールガキが多くなり、ミズガキは絶滅の危機に瀕している。

 そう、ミズガキとは水餓鬼、つまり水辺で遊ぶ地元の子どものこと。飛び込み、水泳はもちろん、潜水、魚すくい、投網、釣りと子どもたちの夏の水辺の遊びはさまざまだった。おおかたの読者も昔、立派なミズガキだったのではなかろうか。

 さてその分類法だが、厳密にいうと、水泳をするだけの子どもはミズガキとは呼ばないのだそうだ。川で泳ぐのであれば広義にはミズガキに含めるが、ただ泳ぐだけで川への好奇心が稀薄だから、亜種スイエイガキとして区別される。また自然が失われた都会からたまにやってくる、よそいきの格好をした子ども(ニワカミズガキ)も含めない。ミズガキの生息範囲は徒歩かせいぜい、自転車で行ける範囲の川に限られるというのが、君塚さんたちの定義である。

 ミズガキはなぜ激減してしまったか。これも君塚さんによって見ていこう。コンクリート二面張、三面張に代表される、水を一刻も早く下流に流すという発想に立った河川改修がミズガキや魚を棲みにくくさせたことは、つとに指摘されてきた。その反省に立って作られたはずの親水公園などの施設も、コンクリート張りの水路を引き込んだだけで、流れるプールの変形にすぎなかったりする。現に正しいミズガキはこのような人工的な施設には見向きもしない。ミズガキは水生生物が豊かに生息し、一年中遊べる川にしか寄り付かない。ミズガキは水辺の自然度をはかる「指標生物」でもある。

 もともと日本の川には平瀬と早瀬と淵とがあった。浅くて水面に波が立たない箇所が平瀬、流れが早く水面に波が立つのが早瀬、深くて流れが穏やかな所が淵である。蛇行にしたがって瀬と淵が交互に現れるのが日本の川の特徴であり、そこに魚もミズガキも棲んだのである。そのような複雑な川の表情が消え、川が水路に近付くにつれてミズガキは村から姿を消していったのである。

 ここでいう川には農業用水路も含まれる。ナマズやドジョウなどは水田を産卵場所とした。水田に生まれ水路を通じて成長しながら本流にでていく魚もあった。しかし、近年の大規模な圃場整備では用排水路をなくしてパイプライン化することが多い。農業施設の合理化もミズガキの減少に一役買っていたわけだ(注1)。

ヤマガキもまた……

 いなくなったのはミズガキだけではない。

 山口県の須佐町弥富《やどみ》地区で森林組合の理事をなさっている今田源一さんは、最近の子どもの山離れが気になっている。目の前に山はあるのに、木の名前を知っているのはせいぜいスギ、ヒノキくらいで(この区別もあやしいものだが)、実のなる木を知らないし知ろうともしない。そもそも山に入って遊ぼうとする子が少ない。山餓鬼もめっきり少なくなった。

 今田さんは考える。なにが変わったのだろうと。

 自分が小さい頃はこうではなかった。昔は小学校にあがる前から、曲げの弁当をもってヤケノ(採草地)にシタキ(刈敷)を取りに行く父母についていったものだ。手伝いはそこそこに、木の実を取ったりして遊んだ。ヤマモモ、クワノミ、ノイチゴ……そうやって食べられるものを覚えていった。そんなふうに遊んでばかりいても、手ぶり(手ぶら)で帰るということはなく、子どもでもちゃんとシタキの二把くらいは背負って帰ったものだが。

 学校に上がっても、どこにどんな木があるか、上級生が覚えていて、学校の帰り道、下級生と連れ立って、寄り道しては木のぼりをしたり木の実をとった。

 洋服店を経営しながら、少しずつ山を増やし手入れしてきた今田さんの山好きの始まりは子ども時代にあった。そのはじまりは、かならずしも、楽しみばかりではなく、子どももまた貴重な労働力としてあてにされたから否応なく連れていかれたのかもしれないが。

 いま、今田さんはひとつの夢をもっている。それは、小学校の裏にある自分の持ち山を子どもたちの見学林というか自由に入れる遊び場にすることだ。立派な作業道がつけられたスギ、ヒノキの林。その道のそばには点々と、ヤマモモ、ウメ、クリ、ケヤキ、カエデなどの苗木が植えられている。今田さんが山で見付けたり、買い求めたものを移植したものである。スギ、ヒノキだけの林では子どもを引き付ける力が弱い。やがてこれらの木々が成長すれば、子どもたちが実を取ったり、拾ったりして遊べるだろう。そんな願いをこめてのことである(注2)

ミズガキ、ヤマガキのテリトリー

 ミズガキやヤマガキたちは、何度も何度も川や山に通い続けるなかでだんだんにその微細な特徴を覚えていく。そういったことは、たまに訪ねてくる都会の子どもでは太刀打ちできない。けれども、そういった記憶はなかなか薄れない。試しに長く故郷を離れお盆に帰省した兄弟、親戚、友人たちにその手の話をしかけてみるとよい。どこどこの淵ではナマズが釣れた、とか、あの岩の先は急に深くなって溺れそうになったことがある、とか、あの沢はカニがよくとれた、とか、アケビが下がるのはあそこの木だとか、そのような思い出話がとめどなく出てくることだろう。つまり、故郷への愛着のベースとはそのような体験の積み重ねなのである(それはまた、やがて大人になってその地域に定住し自然とかかわりながら農林業を営む上でのベースであることはいうまでもない)。

 ミズガキやヤマガキが減るということは、それだけ子どもたちが村の山や川とこまやかに付き合うことがなくなるということである。それは村そのものへの愛着が薄れることであり、ゆくゆくは村の「凝集力」を弱めることになる。

 ミズガキやヤマガキのテリトリーは、せいぜい小学校の学校区くらいだった(もちろん学校の統廃合が行われた地域なら、それ以前の学校区である)。だいたいこの程度の広さなら微地形も含めて皆の頭に入っていたものだ。特徴的な場所には○○岩とか××ガ淵とか、村の人にだけ通じる呼び名もついていた。そしてこのテリトリーが実は、大人たちにとっても生活の単位になっているのだ。この範囲には役場や農協の支所がある。郵便局がある。産物や微気象、土質などにも共通性があるはずである。町村合併から始まって、学校の統廃合、そして農協の広域合併と、学校区の凝集力は弱まってきた。しかし農林業を基本にした農山村の暮らしにとって、基本単位がこの範囲であることは今も昔も変わりがない。

 子どもの遊びや教育から老人問題まで、一度、(旧)小学校区の単位で洗い直してみたらどうだろうか。

過疎地帯で小学生が増えた

 山口県錦町に向峠という集落がある。中国縦貫道の六日市インターチェンジの近く、島根、広島との県境にある戸数六九戸(うち農家戸数五一戸)、人口二五五人の集落である。標高四〇〇mという条件の厳しいところで、稲作に酪農、シイタケ、コンニャク、タバコ、ワサビなどを組み合わせた農業が営まれている。

 向峠にはこの集落だけが学校区の小学校がある。全校児童二〇人(平成四年度)の小さな小学校だが、ちゃんと町の予算で改築もしている。それにこの小学校はここ数年、児童数が増えているのだ。昭和六十一年が一四人、六十二年と六十三年が一三人。ここから増加に転じて、平成元年一四人、二年一五人、三年一七人、そして平成四年が二〇人。

 児童数が増えた原因は一概にはいえないようだが、この集落の向峠生活改善実行グループのお母さんたちの活躍が一役買ったのは間違いない。

 そのきっかけは「集落点検活動」だった。グループのお母さんたちは一戸一戸の家族の現状を調査し、十年後の姿を予測してみた。その結果、このまま放っておくと、向峠には大多数の家が空き家や高齢夫婦家族(おじいちゃん、おばあちゃんだけの家)になってしまうことがわかった。危機感をもったお母さんたちは行動を開始する。合い言葉は「一軒にひとりは後継者を残そう」。

 お母さんたちの活動は自分の家だけにとどまらない。ほかの家にもおせっかいをする。なにしろお母さんたちは、「集落点検活動」によって、向峠の六九戸の家族がどこに住んで何をして暮らしているか、しっかり頭に入っている。そうすると、「あそこの家の子どもは息子二人、娘二人。みんな結婚して、他所に出ている。一番見込みがありそうなのは次女夫婦だな。次女の旦那はいま自衛隊に勤めているが、家の手伝いもよくするし、農業も好きそうだ。あの人なら家を継いでくれるかもしれない」とか目星をつけて、お盆や正月など、故郷に家族が集まる季節になると、それとなく圧力をかけるのである。跡継ぎ候補は長男に限らない。この例のように、家の後継者、農業の後継者にいちばんふさわしいペアを想定する。もちろん、娘しかいなくて婿取りが必要なときはその応援活動をするわけである(注3)。

 別に規約を決めているわけでも、いちいち作戦会議を開いているわけでもないが、かあちゃんたちが団結すると、それだけでなんだか村の雰囲気が変わってくるのだから不思議なものだ。おせっかいといえば、まさしくおせっかいだが、もともと村というのはおせっかいなものだったではないか。

 一戸一戸の家の問題も学校区くらいの単位で考えて行動すると意外に展望が開けてくる。一戸一戸の「凝集力」を学校区くらいの広さで支え合う。

いろんな人が住める村に

 ひとたび村の凝集力が強まれば、村はかつてとは違った強みを発揮することになろう。

 いま日本じゅうに、あなたの住む学校区と縁のある子どもから老人まで、さまざまな人が人生を送っている。平均寿命が伸びた社会とは三世代、四世代が同時に生きる年月が長い時代だ(かつて孫の顔を見られればその老人は幸福と思わねばならなかった。いまや、孫の結婚式に出席し、ひ孫の顔を拝むなど、すっかり当たり前のことになってしまった)。それに過疎化しているとは、それだけ村の出身者が多く他所の市町村で暮らしているということだ。

 向峠集落のような運動が実を結び、ひとりでもふたりでも他所に暮らしていた人が帰ってくる−それは、村の外でいろんな職業につき、蓄積した経験を持ち帰るということだ。それを凝集させたら、すごい力になる。また、そうした人びとが故郷をもっと住みよくすることに力を発揮していけば、そこが故郷ではない他所の人まで村に引き寄せることだっておおいに考えられる。

 向峠集落には意外に養子が多い。また小学校の児童が増えている原因のひとつは、来住者の増加もあるという。

 ひるがえって考えれば、いま農村で巻き起こっている動き−学校の統廃合反対運動、学校給食への地元産品の活用運動、ゴルフ場や巨大リゾートに抗して手づくりのリゾートを創る運動、減農薬や産直運動などは、学校区くらいの範囲を足場にし、その自然を共通感覚としてもつ人びとが、潜在する資源を掘り起こし、都市中心の価値観を改変しようとする静かなうねりとなっている。それは、農政運動や農協運動より根源的な農村自治運動として、経済更生運動以来、農村に伏流する思想的営為の発露ともいえよう。それが故郷に新たな活力を生み出しているのである。

学校区単位でものごとを考えてみよう

 ことしもお盆がくる。村の川と山はいっとき都会から故郷に帰ってきた息子・娘や兄弟、親戚の子どもたちの天下になる。だがこのニワカミズガキ、ニワカヤマガキどもの相手をするのも無意味ではない。そのなかから、未来の故郷を背負って立つ人物が育つかもしれない。すくなくとも、日本農業に理解のある消費者になってくれることは期待できる。

 そしてお盆は村の凝集力強化のチャンスである。他所に出ている人間も含めて村の十年後を語り合おう。その範囲は合併した市町村や農協の範囲では広すぎる。小学校の学校区くらいがちょうどいい。あるいは昔、ミズガキやヤマガキが集まっていた川筋や山筋の範囲が。

(農文協論説委員会)

(注1)ここまでのミズガキ論は君塚さんの次の文献の受け売りです。

君塚芳輝「良い水辺を知って楽しむ−ミズガキ養成講座(上)−」、『私たちの自然』一九九一年十一月号、(財)日本鳥類保護連盟

「ミズガキ養成講座」は『私たちの自然』九一年十一月号〜九二年一月号に連載されました。興味のある方はぜひお読みください。地域でミズガキの棲むような川を創る運動も紹介されています。

(注2)『農村文化運動』一二九号「特集 高齢者と婦人が地域社会の未来を拓く」(農文協、一九九三年七月)より。この冊子は今年農文協文化部が山口県須佐町と埼玉県加須市で行なった調査の報告です。

(注3)『農村文化運動』一二七号「特集 生活農業論へのアプローチ」(農文協、一九九三年一月)より。

前月の主張を読む 次月の主張を読む