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農文協トップ主張 1985年12月

「知らなきゃ損する」から「だんだんよくなる」へ
農業経営の変革が始まりつつある

目次

◆爆発的売行き 井原さんの「ここまで知らなきゃ農家は損する」
◆知らないから損している
◆農家に大損させる農業指導
◆指導者の肩書きを離れ資材減らしの指導を
◆新しい時代のうねり減農薬、減肥料
◆作物、家畜、そして土が「だんだんよくなる」道
◆すべての農業がよくなっていく道

爆発的売れ行き 井原さんの『ここまで知らなきゃ農家は損する』

 読者にはおなじみの井原豊さんが書いた『ここまで知らなきゃ 農家は損する』(農文協刊、定価一三〇〇円)という本が猛烈な勢いで売れている。農業書では久々の超ベストセラーである。

 農業書というものは、農家がもうかっていないと売れないのである。豚の景気がよいと豚の本がとぶように売れ、ハウスの景気がよいとハウス栽培の本がとぶように売れる。ここのところずっと、農業全般が景気がわるい。だから農業書は売れない。あたりまえのことである。ところが、農業書出版史上初めて、不況のさなかに、農業書の超ベストセラーが出現した。なぜなのだろう。そこのとろこをじっくり考えてみたい。

「笛吹けど踊らず」農業指導者たちは農家が燃えないことをぼやき、この不況では燃えないのもあたりまえとあきらめ、しかしそれではならじと懸命の努力をし、それでも農民は燃えないことにイライラしている。老兵は昔を懐かしむばかり、若手はもともと農家が燃えることを知らない。

 無料サービスの「指導」に見向きもしない農家が、一三〇〇円也を払って、わざわざ「本屋」に出向いて、『ここまで知らなきゃ 農家は損する』の本を買っている。それはなぜなのか。そこをじっくり考えることと、「農家を燃えさす」こととはどこかで重なっているにちがいない。

知らないから損している

 近頃の農家は、自分の田や畑について、自分の作物や家畜について、あるいは自分の家族の一人ひとりについて、充分知らない。そのくせ、国の政治や経済についてはよく知っている。これからの農業は国際的な競争力のある生産性の高い農業でなければならない、とか。小さい農家は成り立たない、とか。農政が悪いから農業の先行きは暗い、とか。なかなかの判断力である。

 ところが、自分の田や畑については、よく知っていない。自分の田畑と他人の田畑との違いも知らない。自分の田んぼに一株何本の苗が植わっているかも知らない。肥料がやりすぎであるのかないのかも知らない。農薬がムダになっているのかいないのかも知らない。決められたように育苗器で苗をつくり、田植機で苗を植える。決められたように肥料をふり、農薬をかける。それで農業がおもしろいはずがない。

 井原豊さんの『ここまで知らなきゃ 農家は損する』はその点をついているのである。本の構成は五つにわかれている。第一部は「機材で損しないために」、第二部は「肥料で損しないために」、第三部は「農薬で損しないために」、第四部は「品種で損しないために」、第五部は「私の経営論―ケチは楽しさに通ず」、の五部構成である。

 井原豊さんの施肥は、農協の施肥基準に合わせるのではなく、自分の田畑に合わせる。この本ではこう書いている。

 農協パンフによる土つくり指導書には、「生ワラは全量田にもどす。そのうえに石灰チッソ一袋、アヅミン二袋、リンスター二袋、ケイカル一〇袋を散布。土壌養分を富化して、調和のとれた土つくり運動をすすめています。一戸残らずこの運動に参加するよう……」このパンフのようにやると一反当たり一万五八三〇円の肥料代がかかる。ケイカル、ヨウリンなど自分の田でテストしたが、何の効果もあらわれない。「三、四年先に必ず効く」と指導者がいうが売り込みのための詭弁《きべん》だ。

 井原さんは効くか効かないかを指導者に尋ねはしない。自分のイネに聞くのでる。農協や普及所の基準に合わせて肥料を使うのではない。自分の田畑に合わせて肥料を使うのだ。農協基準に合わせれば一万五八三〇円の肥料代が、自分の田に合わせると三四〇〇円ですむ。

 そのなかみは本を読んで頂くことにして、一事が万事、自分でみて、自分で確かめたやり方を書きつらねているのである。

農家に大損させる農業指導

 考えてみれば、そもそも一戸残らず同じ基準というのもおかしな話だし、確かめもせず基準に合わせるのもおかしな話なのである。

「一戸残らず」方式は、農業指導では、どこでも、いつでもつきまとっている。農業指導の害毒の最たるものである。本誌十月号で鳥取大学の津野幸人教授が病虫害防除を指導する普及員の話を紹介している。

「自分が農家に対して病虫害防除を指導するときは、最も高価な農薬を、あらゆる可能性を考慮したうえで、最もひんぱんに散布するようにすすめる。そうしなけけば、万が一にも病虫害をくい止めることができなかった場合は、自分がもろに責任をかぶらなければならない。ただし、自分の家では最も安価な薬剤を最少回数しかやらない」(十月号二二八ページ)。何によらずそうだが、一戸残らず同じ基準というのは、大部分の農家にとっては高くつくのである。

『ここまで知らなきゃ 農家は損する』の本が売れているのは、農業資材についての画一的利用指導方式に農家は疑いをもっているからである。そして、自分の方式を打ち出すキッカケとしてこの本は極めて刺激的だからである。何分、国や団体の指導にそって農業をやってきてそれが破綻しているのだから、画一的基準方式への批判から始めないと、農家は納得しないのである。ここが農業指導にとって第一に大事なところである。画一的指導では農業はおもしろくならない。

 しかし、永年、指導されることに馴れすぎた農家、施肥基準、防除基準に馴れすぎた農家に、いきなり画一方式ではなく自分方式をつくれといっても無理な話。そこにゆく手前の農業指導上のポイントがある。それは農業資材を減らす指導である。

 農家経営にとって、今いちばん大事なことは、もうかる作目を導入することでもなければ、規模を拡大することでもない。増収を狙うことでも、省力を工夫することでもない。資材の使いすぎで「農家が損をしている」ことを知ることである。「知らなきゃ損する」のである。

指導者の肩書きを離れ資材減らしの指導を

 いつの頃からか、農業の指導というものはひたすら「もうけ」を追い求める指導になった。それも「収入」をふやして、もうけることだけに集中した指導であった。いまだかつて、「支出」を減らすことを眼目にする農業指導はなかった。

 井原豊さんはこの本の「まえがき」で書いている。「日本農業は壊滅の危機にひんしている。コストを下げる以外に生きる道はない。コストを下げるためのあれこれ、歯に衣を着せずに本音をいわせてもらう。私には肩書きがないから誰に遠慮することもない。誰に文句をいわれる筋合いもない」

 つまり、職業的農業指導者には肩書きがある。肩書きというのは名刺の上にのっかっているだけのものではない。○○農業協同組合と肩書きについている人は、農協がマイナスになることはいいにくい。肥料や農薬がたくさん売れる農業指導なら遠慮はいらないが、肥料や農薬が売れなくなる農業指導には尻ごみせざるをえないだろう。

「省」とか「庁」とか「所」とかの肩書きをぶらさげていれば、大メーカーや大商社にマイナスになる言動は慎んだほうが無難である。国の政策では大メーカー・大商社が困るような政策は立てられないのだから。

 しかし、もしも国だとか、農協だとか、を離れて、農家だけの利害得失を重視した農業指導をするということになると、指導の内容はまるで違ったものになるだろう。

 全国の営農指導員二万六〇〇〇人、農業改良普及委員一万二〇〇〇人、合わせて三万八〇〇〇人。およそ農家一〇〇戸に一人当たりの職業的農業指導者がいる。この職業的農業指導者たち、農家から浮いているとはいっても、一番農家の近くにいる農業指導者である。これらの人々が肩書きから離れて、井原豊さんと同じ立場で、『ここまで知らなきゃ 農家は損する』を自分の担当している農家の実状に即して明らかにすることをすれば、「危機にひんした日本農業」が救われることは明らかである。国の立場=行政の立場も、団体の立場=農協経営の立場も離れて、ひたすら、今、現実に農家が、機械・肥料・農薬・品種で損している事がらを明らかにして、農家に伝える。このことこそが「地域農業振興方策」(第一七回全国農協大会決議)の第一歩であろう。

 今日の社会環境の中で農家の不況を克服してゆくためには、「収入マイナス支出イコールもうけ」の公式に従って、「収入」をふやすことによって「もうけ」の増加をねらうのは、きわめて困難である。「支出」を減らすことにこそ経営改善の可能性がある。支出を減らすポイントは、機械・肥料・農薬・品種の四大購入資材に対しての支出を減らすことだ。そこから、経費節減効果だけでなく、結果として増収による「収入増」ももたらされる。

 井原豊さんの今度の本が爆発的に売れている理由はそこにある。農業資材を減らした結果、経費節約効果があがっただけでなく、増収効果もあがっているのだ。

新しい時代のうねり減農薬・減肥料

「もうけ、もうけ」と「もうけ」を追求してきた結果、大部分の農家は農業資材代に払う金額が大きなものになった。この支払いを減らすことができればかなり経営は楽になる。大部分の農家がそのことに気がつきはじめている。いや、何をやってももうからない、支出を減らす以外に経営改善の道はない、というところに多くの農家がおいつめられているのである。そこに、この本の爆発的な売れゆきの原因がある。

 減資材の農業指導は、今、全国的に静かに、あまり目につかぬ形で広がっている。たとえば、今年度の「山崎農業賞」を受賞した福岡県の農業改良普及員の宇根豊さん。「虫見板」で害虫の発生予察をして的確な農薬散布による減農薬稲作の普及活動で表彰された。

 昨年度文部大臣賞(農水大臣賞ではない)を受賞した農文協スライド『安定イネつくりシリーズ』は一五〇〇以上の農協で営農指導に利用され、うすまき・小苗植えの稲づくりが広がり、結果として減肥料・減農薬が広がっている。

 時代は、「公害反対」の減農薬・減肥料の時代から、農家経営安定のための主体的な減資材の時代に移っていっているのである。井原豊さんの『ここまで知らなきゃ 農家は損する』の爆発的売れゆきは新しい時代の表徴である。かつて昭和四十年前後の空前の稲作ブームの表徴が、片倉権次郎さんの『誰でもできる五石どり』の爆発的売れゆきであったように。

作物・家畜、そして土が「だんだんよくなる」道

 「知らなきゃ損する」という見方で、農業資材減らしに一歩ふみ出せば明るい展望はきりひらかれる。作物の生育相が変わってくるのである。農家が作物にしっかり目をむけるようになる。そして、「知らなきゃ損する」から、作物が、家畜が、土が、「たんだんよくなる」方向へ農家の姿勢がかわる。それはどうしてか。

「もうけ」の追求の結果、農家が得たものは何だったか。それは、一時的にもうけを得る一方で、「だんだんわるくなる」ことであった。

 土もだんだんわるくなった。作物も家畜も、だんだん品質がわるくなったし、病気がふえた。「もうけ」だけに気をとられた結果である。きわめてあたりまえのことだが、農業というものは工業と違って、農耕を年々営むにつれて「だんだんよくなる」ものなのである。工場の機械は使いふるせば「だんだんにわるくなる」。農業では土は使えばつかうほど、「だんだんよくなる」ものであった。作物でも家畜でも、そうである。育てつづければ育てつづけるほど、「だんだんよくなる」ものなのである。

 ところが、いつの頃からか、農業を工業と同じく、ただ「もうけ」だけを目的として営むようになってきた。その結果、なんとも悲しいことではあるが、「作物をつくること」と「土つくりをすること」を別々にやらなければならなくなったのである。もうけるほどに土がわるくなってゆくのである。これでは、コストが上がるばかりではないか。「知らなきゃ損する」というスローガンで資材の使い方を減らすと、「だんだんよくなる」方向がみえてくる。資材を減らすと、作物の生育の相が変わり、また土はよくなってくるのである。

 農業でもうけるには収入をふやす道と支出を減らす道とがある。それにもう一つ、「だんだんわるくなる」もうけ方と、「だんだんよくなる」もうけ方の二つがあるのだ。

 たとえば、千葉県北総台地のカンショ産地での事実はこうだ。この地域では昭和三十年頃にカンショ単品産地として栄えた。ところが、金時の収量・品質の低下がやがて始まった。連作障害である。そこで、A出荷組合は、これまでつくってきた金時を守ることを基本に、施肥や堆肥の質を見直し、ゴボウやムギなどを組み入れた輪作へと経営を転換した。カンショの面積は三割減ったが、反収は向上し、販売金額は大きく伸びた。

 一方、B出荷組合は、カンショの単作を守るために、金時にかえてチッソに鈍感な千葉紅を導入した。カンショの面積は減らなかったが販売金額は若干減り、A出荷組合に比べると収益はぐっと下がった。(木村伸男『だんだんよくなる野菜農家の稼ぎ方』農文協刊一、二〇〇円から)

 農業技術には「だんだんよくなる」技術と「だんだんわるくなる」技術の二つがある。基本的には資材に頼る技術は「だんだんわるくなる」技術であり、資材を減らせる技術は、「だんだんよくなる」技術である。

すべての農家がよくなっていく道

 「知らなきゃ損する」で減資材の方向へ一歩あゆみ出せば、次には「だんだんよくなる」技術への道が開かれるのである。「収入マイナス支出イコールもうけ」の公式で収入をふやすことばかり追い求めた結果、資材がどんどんふえて日本の農業はゆきづまっている。「収入マイナス支出イコールもうけ」の公式はそのままにしておいて、支出を減らすことでもうけをふやす経営に転換すると、新しい経営の公式が生まれてくる。「土地プラス家族労働力イコール地力の増」の公式である。

 年ごとに土がよくなっていく経営の公式である。資材を減らすことにより、作物が健全に育ち土がよくなっていく経営のコースを示す公式だ。資材に頼りきって生産するのではなく、老若・男女、個性を持つ家族の能力を生かす生産だ。年寄りの長い経験の中での見方や技法、若者の科学的知識と行動力、婦人の健康的生活への感性などが、それぞれ生き生きと働きあって、作物が、家畜が健康に育ち、土がよくなる技術をつくり出していく、家族経営の力を示す公式である。もちろん、その結果としてもうかる。この公式こそが、工業と異なる農業の公式なのである。

 ◇

 井原豊さんは、機械・肥料・農薬を拒んでいるのではない。資材を使いこなすことによって、きわめて近代的で合理的な農法を編み出しつつある。交通警察官一八年。会社勤め一七年、当年五六歳。第二種兼農家であった井原豊さんは今はレッキとした専業農家。水田一haに畑少々。兼業とか専業とか、大きいとか小さいとか、老とか若とか、そんなことが問題なのではない。三〇町歩の請負い大規模経営農家さえ、教えをうけるために井原豊さん宅をおとずれた。

(農文協論説委員会)

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