食農教育 No.61 2008年4月増刊号より
福寿草の里・信州沢底発
むらの再生は地域の子育ての再生から
沢底福寿草の里景観保全委員会事務局 有賀茂人
長野県のほぼ中央に位置する辰野町は、諏訪湖から流れ出る天竜川が中央を流れ、山地面積が七割を超える人口二万三〇〇〇余の町で、蛍が群生し、乱舞することで有名なところです。
町の東側、戸数一二〇戸ほどの小さな山間の集落が、私たちの住む沢底です。集落の奥まったところにたたずむ双体像は、永正二年(一五〇五年)の銘が刻まれ、日本最古の道祖神と言われています。集落も、その頃にはすでに存在していたのでしょう。
沢底は「福寿草の里」としても広く知られ、町内外から春の花を求めて人びとが訪れます。この「福寿草の里」の名をとって、集落の三八人の農家が「沢底福寿草の里景観保全委員会(以下委員会)」をつくり、農業の活性化と生活文化の見直しをとおして、景観保全に取り組んできました。
むらの子どもたちを〈畦〉に立たせたい
子どもたちの笑い声が田んぼの畦から消えて、何年経つのでしょうか。農作業の機械化は、子どもたちを田んぼから切り離し、農繁期の風景は、大人、それも老夫婦だけの寂しい田植え、稲刈りとなってしまいました。
沢底は、辰野町立東小学校の校区になります。校区は農村部ですが、実際に田植えをしたことがある子は、各クラスに数人もいません。子どもたちに、農業の大切さ、大変さを実際の農作業をとおして感じてもらいたい、子どもたちの声を、もう一度田や畑で聞きたい、そう考えた委員会は、数年前から、子どもたちに農作業体験や生活文化体験の機会を提供してきました。その一端を、二〇〇七年度の委員会の活動から紹介しましょう。
〈ひまわり畑で油を搾ろう! プロジェクト〉
町の「協働のまちづくり支援金事業」の助成を受け、ひまわり、菜の花、大豆、酒米の美山錦を栽培しました(美山錦からは麹をつくる予定です)。
ひまわりと大豆の種まきには、保育園と小学校の子どもたちが一〇〇人ほど参加し、にぎやかな種まきとなりました。ひまわりは夏休みにきれいに咲いてくれました。ひまわりの後作として種をまいた菜の花が、今年の五月中旬には田んぼを一面の黄色に染めるでしょう。この秋には菜種油搾りも予定しています。
大豆は八aほどの面積で、一八〇kgを超える収量があり、七月には味噌づくり、年が明けた二月には豆腐づくりを、地域の住民と子どもたちとで行ないました。味噌づくりでは、給食帽にエプロン姿の子どもたちが、豆すり機から出てくる大豆を嬉々として玉に丸め、麹をつけていました。それは見ていても微笑ましい姿でした。
〈焼酎で乾杯! プロジェクト〉
二〇〇七年度で二年目を迎えたこのプロジェクトでは、遊休農地を活用して、地域のお年寄りと、東小学校と保育園の子どもたちとが、さつまいも(黄金千貫)の苗を植え付け、収穫しました。この収穫したいもを酒造会社に委託して、本格いも焼酎をつくり、販売までするのがこのプロジェクトです。
小学一年生が六四人、保育園の年長さん一八人が、さつまいもの苗の植付けをしました。まず農業普及センターの職員から苗の植付けの仕方を聞いた後で、苗を一〇本くらいずつわけてもらい、マルチ張りした畝に、棒でいっせいに穴を開けて苗を挿します。根元を押さえて、一時間ほどで作業終了。子どもたちが帰った後、お年寄りがそっと植え直している姿が印象的でした。
十月に収穫された八〇〇kgほどのさつまいもに、辰野産のさつまいもを加えて、本格いも焼酎をつくり、辰野ブランド「龍ryu:」として売り出すことができました。
41年ぶりの五穀豊穣祈願の収穫祭「蚕玉様」。集落の老若男女が一堂に会した (長野日報社提供)〈五穀豊穣祈願の収穫祭・蚕玉様の復活〉
辰野町には「蚕玉様」と呼ばれる収穫祭がありました。これは養蚕が主要な産業だった明治時代半ばごろから、毎年、集落の各家庭持ち回りでとり行なわれていたもので、その年の豊作を感謝し、来年の五穀豊穣と家内安全、地域繁栄を祈願したものでした。
養蚕が下火になるとともに、一九六六(昭和四十一)年を最後に途絶えていた蚕玉様を、委員会が四一年ぶりに復活させました。
十一月三日、文化の日。委員会が中心になって二〇升分のもち米を使ってもちをつき、近くの神社に供えました。
地区のふれあいセンターで開いた収穫祭の会場には、子どもからお年寄りまで約四〇人が集まり、約一〇〇人分用意されたあんころもちと豚汁を食べながら、豊作を祝いました。疎遠になりがちな地域のつながりを、蚕玉様がもう一度しっかりと結びつけてくれたのです。
農業を通じた子どもたちの育成を─地元小学校と協定を結ぶ
こうした委員会の活動を背景に、二〇〇七年十一月二十一日、委員会と東小学校との間に「協定」が結ばれました。この協定は、地域と学校が連携して農業体験や生活文化を子どもたちに伝えるとともに、学校給食での地産地消の促進をめざすもので、委員会が伝統行事を子どもたちに教えることや、学校行事に地域住民が参加できるようにするなどの項目も入れられました。
協定の調印式では、辰野町教育長立会いのもと、委員会の花岡委員長と東小学校校長が協定書に署名、押印しました。
協定締結後の最初の取組みは、例年行なっている凍りもちづくりへの五年生の参加でした。信州の寒さを利用した凍りもちは、食生活の変化によりつくられなくなり、食べられなくなった郷土食のひとつです。凍りもちを食べたことがあるかと聞くと、五年生のうちで五人ほどしか手が挙がらなかったので、凍りもちができあがる五月には、試食会を開くことになっています。
学校給食への地元食材の提供では、今年は初年度でもあるので、沢底産のお米の供給を、まずは一ヵ月分を目標に計画しています。今日は○○さんちのコシヒカリ、明日は△△さんちのミルキークイーンといった具合に、子どもたちに食べてもらえるよう、全体で六〇〇kgを目標に、委員会の方がたに作付けをお願いしています。
子どもたちは地域の宝であり、地域が子どもたちを育てる。協定の根底には、この理念があります。委員会では、今後もこの理念を貫いていこうと考えています。
お年寄りの手ほどきで凍りもちを編む (たつの新聞社提供)地域での子育ての延長線上に都会の子どもたちの受入れを
二〇〇七年夏には、辰野町でも、千葉市の小学生四十数人を受け入れました。私の理想とする受入れ方は、こちらが、都会の子どもたちに合わせた農山漁村体験を提供することではありません。
宿泊先のおじいちゃんおばあちゃんのことばがわからず、一生懸命に話さないと気持ちが通じない。裏の畑に行って野菜をとってこなければ、ご飯が食べられない。テレビもない。汗して畑仕事をする。
そのなかで、子どもたちが本来持っている潜在能力が引き出される。そんな環境を提供したいと考えています。
地域活性化の妙薬はなかなか見あたりませんが、戦後の高度経済成長期に日本人が忘れてしまったもの、失ってしまったものを少しずつ取り戻しながら、地に足をつけた活動を進めていくつもりです。
そのことと呼応して、地域での子育ての再生があり、そしてその延長線上に、都会の子どもたちの受入れがあると考えています。
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