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農文協トップ主張 2007年8月号

経済財政諮問会議
「EPAの加速、農業改革の強化」を国民的・世界的に批判する

目次
◆「グローバリズムに立ち遅れるな」という財界の焦り
◆「農業改革の強化」は、つけたしにすぎない
◆「高齢化・耕作放棄地の増加」で危機感を煽る
◆各所にでてくる「国民・消費者の利益」とは何か
◆小さい農家に土地を手離してもらうための妙案
◆グローバリズムを進める農業国・タイでは
◆世界の民衆は「グローバリズム」を追い詰めている

 今年5月8日、経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)のグローバル化改革専門調査会による「第一次報告 グローバル化の活力を成長へ」が発表された。その第T部はEPA・農業ワーキンググループがまとめた「EPAの加速、農業改革の強化」(以下、単に報告書とする)。

 農家や農業団体、農林系議員などの反発もあり、この報告書がそのまま、政府の方針になるわけではないだろう。だが、この報告書は確実にその後にだされた政府の「骨太方針2007」に強く影響を与えているし、報告書が謳いあげるグローバリズム加速化の潮流は一層強まることが予想される。そこで、報告書の内容に沿って、批判することにした。

「グローバリズムに立ち遅れるな」という財界の焦り

 報告書は「はじめに」で、こう宣言する。

 「これまでのEPAは農業への影響が比較的小さいものにとどまっていたが、今後は、日豪EPA交渉をはじめ本格的な交渉が必要になる。グローバル化を恐れる農業ではなく、グローバル化を梃子として強い農業を目指すことが、我が国の農業経営者にとっても、消費者にとっても重要である」

 EPAとは、二国間または複数国間で経済交流を緊密化する経済連携協定である。関税撤廃による貿易自由化を中心とするFTA(自由貿易協定)より踏み込んだ内容で、サービス分野、投資における自由化、知的財産権保護など、幅広い分野の連携強化も含んでいる。

 では今、なぜ、「EPAの加速」が必要なのか。

 「例えば、メキシコについては、NAFTA(北米自由貿易協定)、EUとのFTA締結により、我が国からの輸出や現地進出企業の活動に負の影響が及んだことが、日メキシコEPA締結の契機となった。また、チリとのEPAは韓国が先行したため、チリの対日輸入が伸び悩むなかで、対韓輸入が急増したという事例もある」

 「今後、世界各地でFTA/EPAのネットワークが急速に形成されると見込まれるなかで、我が国が取り残された場合、国際的に不利な立場に陥ることについて直視すべきである」

 要するに、グローバリズムに立ち遅れると工業を中心とする輸出産業に不利益が生ずるという財界の焦りが、この報告書の出発点なのである。

「農業改革の強化」は、つけたしにすぎない

 輸出産業の利益確保のために国境措置を撤廃し、輸入品にかけている関税をゼロないしゼロに近づける。その結果、日本の農業はどうなるのか、農水省はワーキンググループにつぎのような試算を提出している。

○国内農業生産の減少 ▲約3兆6000億円

(農業総産出額の約42%に相当。とくに米は現在2兆

 円程度の産出額のうち、1兆8200億円が外国産に置き換わってしまう)

○国内総生産(GDP)の減少 ▲約9兆円

○就業機会の喪失 ▲約375万人

○食料自給率の低下 40%から12%へ

○耕地面積の減少 272万ha(約6割)の減

 この農水省試算について、報告書では「時間をかけて国境措置の削減、撤廃を行っていけば、産業調整の影響は、一時点に突然撤廃される場合と比較すると、大きくはない」と、進め方の問題としてかわしつつ、こう述べる。

 「国境措置を撤廃あるいは削減した場合の国内農業生産額の減少に対して、産業調整政策を講じる必要があるが、これに伴う財政負担については、農業構造改革を進めていくことにより、いかに少なくするかが重要である」

 国境措置の撤廃による国内農業への打撃は認めるが、これに対する国の財政支援は極力少なくしたい。そのために、「(国の施策の)対象農家については、所得の大宗を農業に依存している農業経営者(体)を基本とすべきである」と報告書は述べる。

 本当は、国内農業に金は出したくないが、そうもいかないだろうから、対象をしぼり込んで、というわけである。

 「EPAの加速、農業改革の強化」と題する報告書だが、主眼はあくまで「EPAの加速」であり、「農業改革の強化」はそのための手段、つけたしにすぎないのである。

「高齢化・耕作放棄地の増加」で危機感を煽る

 「農業改革の強化」の必要性を浮き彫りにするには、国内農業のダメさかげんを強調するのが得策だと考えたのであろう。報告書は次のように述べる。

 「耕作放棄地の増大、農業従事者の急速な高齢化が進展し、農業総産出額が長期にわたり低落するなど我が国農業は負のスパイラルから抜け出せず、我が国農業・農村は危機的状況にあると認識すべきである」

 なぜそうなったかの分析もない。というか、構造改革を進めず旧態依然とした農業をしているから、といいたいのだろう。日本農業を暗く描き、危機感を煽って「国民的コンセンサス」を得ようとする。高齢化しても元気に農業を続ける農家や、地産地商など「小さい農家」の元気を徹底的に無視するのが、この報告書の特徴である。

各所にでてくる「国民・消費者の利益」とは何か

 この報告書のもう一つの特徴は、各所に「国民・消費者の利益」なるものが登場することである。

 「国境措置に伴う国民が負担している見えないコストを、国民が認識できるよう、具体的に示していくべきである。個別品目の関税率を国民が日常生活の中で知る機会を増やすことが必要ではないか」

 「農畜産物に関する国境措置により消費者が負担しているコストは、少なくとも毎年2兆円強と試算される」

 国境措置によって農家は保護されているが、消費者は損をしている、そのことを消費者に知らしめよ! こうして報告書は、農家と消費者の利益を対立的に描く。 

 国民の圧倒的多数は、これ以上食料自給率が下がることに不安をいだいているが、報告書では自給率向上は眼中になく、逆にだからこそ「EPAの加速」が必要だという。

 「我が国の食料自給率の引き上げには限度がある一方で、中国における食料需要の増加等、国際的な食料事情において構造変化が生じている。このようななかで、輸入による安定的な食料供給をどのように確保していくかは、我が国にとって喫緊の課題であり、EPAはその有力な手段と考えられる」

 さて、報告書がいう「国民・消費者の利益」とは、どのようなものなのか。経済財政諮問会議は一方では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」(勤務時間を一定程度自由化し残業代をゼロにする制度)など、労働分野の規制改革を強力に提案している。国民を不安定で安い労働市場にさらし、そこで発生する経済的苦痛を「安い輸入農産物」でやわらげる、それが報告書の「国民・消費者の利益」なのだ。ワーキンググループの浦田主査がワーキングプアを例に挙げて「食料品の価格が下がればメリットを受ける人はかなり多い」などと言っている。そこがホンネなのだろう。彼らは「食べもの」を「エサ」としか見ていない。

 報告書の路線は、格差社会を固定化し、国民の食文化を育み享受する権利を根本から破壊する。農家だけの問題ではない。

小さい農家に土地を手離してもらうための妙案

 「国民的コンセンサスを得るためにも、(国の施策の対象を)所得の大宗を農業に依存している農業経営者(体)を基本とすべきである」と、報告書は、ここでも「国民」を持ち出す。現状では、農家所得の過半を農業所得以外の所得に依存している準主業農家や、65歳未満の農業就業者がいない副業的農家が、日本の農家の「大宗」(80%弱)を占めている。

 こうした農家は、もともと「農業収入」をあてにしていないのだから、国がめんどうをみることはないだろう、という一見「国民うけ」しやすい理屈だが、今回の報告書はこれらの農家を施策の対象からはずすだけでは満足しない。土地を手離してもらわなくてはならないのである。

 かくして、報告書は「農地法」の改定を射程においた農地の流動化のための妙案を提案する。

 「所有と利用を分離し、(a)利用についての経営形態は原則自由、(b)利用を妨げない限り、所有権の移動は自由、とする」

 「高齢、相続等により農地を手放すことを希望する人が所有権を移転しやすい仕組みもオプションとして用意する」

 その仕組みとして「農地を株式会社に現物出資して株式を取得する仕組みを創設する。その際、例えば株式の相続税を一定程度優遇することなどにより、小規模農地所有者を中心に所有権の移転を促進し、担い手への面的集積を加速する」

 「所有と利用を分離」といいながらも、主眼は所有権の移転である。小さい農家の土地を大規模経営や株式会社に集める。「高齢化」「耕作放棄」を強調しながら、土地を手離さない農家を「自分の都合で土地にしがみついている」理不尽な存在として描きだし、「国民・消費者の利益」なるもので、周りから攻め立てる。 

 農家にとって土地は「先祖からの預りもの」であるとともに、生産と暮らしの場であり、そして次代に引き継ぐかけがえのない所有物である。その「所有」はお金を超えた農家の思いによって維持されている。農家は、先祖代々の土地として田畑を守り、地力の維持に努め、むらうちで大きい農家も小さい農家も協力しながら、暮らしをつくってきた。

 認定農家など「担い手」といわれる農家も、むらの一員であることに変わりはない。そんな「認定農家」では、生ぬるいと考えたのであろう。報告書では「持続的農業経営体」なる概念を持ち出し、さらには、「公正、公平の観点から、系統(農協)を一つの経営体と位置づけた上で、それと『持続的農業経営体』が同じ条件のもとで競争できるよう、各種施策の対象となるための要件を見直すなど、公正な競争環境を整備すべきである」と述べている。

 さらに「行政手法」として「横並び・集落等による同調圧力を排除し、透明性と情報開示の徹底を前提とした政策執行手法を開発すべきである」という。

 むらのことはむらの話し合いで決めるというやり方は、農業改革を妨げる「横並び・集落等による同調圧力」として排除する。農協も「むらの農協」であってはならないらしい。

グローバリズムを進める農業国・タイでは

 グローバリズムとは結局、世界を徹底した市場原理主義に巻き込むものである。その推進にとって、家(小農型家族経営)もむらも農協も障害物でしかない。

 その結果、なにがもたらされるか。

 農業ジャーナリストの大野和興さんが、先月号(7月号)で、農業国・タイの状況を報告している。

 タイ政府は2003年10月1日、中国とのあいだでFTAを発効させ、果物と野菜関税をゼロとした。その結果、9カ月後には、中国からタイへの野菜流入量は 180%増加。ニンニクの価格が35%下落、タマネギ価格は80%下落した。2005年にはタイ豪FTAが加わり、営々と酪農を育ててきた15万人の酪農家がいま危機に瀕している。

 一方、タイはブラジルに次ぐ世界第二位の砂糖輸出国だが、そのタイの砂糖がフィリピンに輸出されて、フィリピンの砂糖産業を構造不況業種に追い込み、フィリピンからは安いココナツがタイに入り、タイ産ココナツを半値に暴落させた。タイの砂糖はカンボジアにも入り、カンボジア農民の伝統的な現金収入の道であるサトウヤシから作る砂糖を衰退に導いている。東北タイのサトウキビ農民は、国際競争に巻き込まれて製糖資本から原料買い上げ価格の引き下げを強いられ、年収の何倍もの借金を抱えて苦しんでいる。

 これに対し、タイAOP(貧困者連合=農民運動組織)は「これ以上、多国籍企業に市場を支配され、『民営化』されたら、タイの豊かな資源は枯渇してしまう」と、消費者組織や学者・研究者組織などに呼びかけ、幅広い国民連合をつくって反撃、その過程で「地域の智恵を取り戻す」運動が広がっている。市場化と開発に対抗して、生産、生活、交換に関して、地域を舞台に自分たちが主役になれる仕組みをつくりだそうというものだ。その一環として、ドブロク運動も広がっている。

世界の民衆は「グローバリズム」を追い詰めている

 一方、アメリカとのFTA交渉を進めるお隣韓国。激しい抗議行動が起きているが、その韓国で、今年五月「村づくり全国大会」が開かれた。日本からは地元学や「食の文化祭」を推進している結城登美雄さんが参加、400人以上が集まり、「農村なくしてどんな未来が描けるのか」と、熱気に包まれたという。韓国は家族・血族社会で「村はない」という見方もあるが、これは、日本軍が侵略した際に、むらの団結を恐れて、村うちでの相談や話し合いを徹底的に抑圧したためだと結城さんはいう。その韓国で、FTA交渉を前に「むらづくり」の動きが急速に盛り上がっているのである。

 さらにこの数年、ラテンアメリカ諸国がアメリカ離れを進めている。アメリカは1980年代末から、中南米諸国に「民営化」「経済自由化」を押し付け、金融、通信、交通、農産物などの市場をアメリカ企業に開放させて利益を得てきた。これに対し、ブラジル、ベネズエラ、ボリビアなど各国でアメリカからの自立を求める政権が誕生し、新自由主義により壊滅した後の国家・経済再生を進め、世界から注目されている。

 EPA、FTAの加速化は、新しい攻勢というより、さまざまな反対運動によって物理的にも開催できなくなったWTO多国間交渉の次善の策とみたほうが正確である。

 大国・多国籍企業本位のグローバリゼーションを主導するWTOは、世界の農業と食糧をめぐる困難、貧困の拡大の元凶として世界の民衆と発展途上国の強い反撃を受けてきた。一九九九年シアトルでWTOが最初の敗北を喫し、2003年にメキシコ・カンクンで開かれた第4回閣僚会議も劇的に決裂し、2005年12月、香港で開かれた第五回閣僚会議も「挫折」して、「多角的貿易交渉の機能不全を露呈」したと評される事態になっている。

 追い詰めているのは世界の民衆であり、追い詰められているのは超大国と多国籍企業なのである。

 今大事なのは、「高齢化」「耕作放棄地の増大」といった危機感のふりまきに惑わされないこと、農家とむらが持つ自立的、自律的な思考を放棄しないことである。

 「高齢化」おおいにけっこう。農家は、歳をとっても農業をやれる条件をつくってきたのだし、定年帰農など「人生八〇年時代」の農業のやり方も創造的に始まっている。

 「耕作放棄地」も、子供を育てるために使いすぎた耕地を休ませている、ぐらいに考えてはどうか。あるいは、地域住民や都市民に農業の楽しさを感じてもらう空間を用意するゆとりが生まれてきた、といえるかもしれない。遊休地を地域住民と一緒になって活用する動きも広がっている。「担い手」を絞り込めば耕作放棄地が減るわけではない。

 小さい農家(家族経営)が小さいままで暮らしていける条件をつくり出していこう。それこそが国民的であり、世界的である。

 あきらめる必要もないのに、あきらめることはない。「あきらめ」こそ、報告書の最大のねらいなのだから。

(農文協論説委員会)

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