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農文協トップ主張 2007年7月号

あなたの地域でも、「米プロジェクト」を!

目次
◆農地の流動化にむけた「経済財政諮問会議」の提案
◆「EPAの加速、農業改革の強化」
◆大規模水田農家の危惧
◆農家、地域住民、行政が一緒に「鳴子の米プロジェクト」
◆あきらめてはいけないことがあり、失ってはいけないことがある
◆特殊な作物だからこそ、強力な「半商品」になる

農地の流動化にむけた「経済財政諮問会議」の提案

 「農地改革以来の戦後最大の農政改革」とされる「品目横断的経営安定対策」の実施からわずか1カ月後の5月8日、経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)の4人(伊藤隆敏、丹羽宇一郎、御手洗冨士夫、八代尚宏氏)の有識者議員が、「戦後レジームからの脱却のために最も重要な課題は農地改革である」「農地改革なくして強い農業なし」とする提案(「『所有』から『利用』への具体策」)を発表した。

 その内容は、以下の4項目。

(1)5年程度を目途に耕作放棄地ゼロを目指すという目標を設定し、その工程を明らかにする。

(2)農地について定期借地権制度を創設する。

(3)農地利用料は農地の需給を反映したものとし、農地の借り手が経営上、不利にならないような仕組みとする。現行の標準小作料制は一定期間後廃止する。

(4)高齢、相続等により農地を手放すことを希望する人が所有権を移転しやすくするため、農地を株式会社に現物出資して株式を取得する仕組み等を創設する。

 この提案を、6月にまとめられる政府の経済財政運営の基本方針(骨太方針2007)に反映させ、秋の臨時国会で農地法など関連法の改正をめざすという。

 それに対しマスコミは、たとえば「朝日新聞」が「農業改革 民間議員の提案を生かせ」という社説(5月10日付)を掲げ、「とくにコメなど土地利用型の農業では、細切れの農地を意欲と能力がある担い手に集めれば、生産コストが下がって競争力が高まる」「高関税と競争制限で農産物の価格を高く保ち、消費者の負担で農業を保護してきた。それをやめ、代わりに財政資金で農業者の生活安定を図るのが、国際的にも認められる新しい農政だ。値下がりで消費者が受ける利益を具体的に示すなら、財政負担に理解を得やすい」などと、この提案が「意欲と能力がある担い手」と「消費者」のためのものであるかのような持ち上げ方をしている。

「EPAの加速、農業改革の強化」

 実は、この提案のもとになった報告書も同日に発表されている。経済財政諮問会議・グローバル化改革専門調査会第一次報告「グローバル化の活力を成長へ」のうち、EPA・農業ワーキンググループによる「EPAの加速、農業改革の強化」だ。そこでは「自由化からのメリットを獲得するために世界各国は積極的にFTAを展開しているが、FTA交渉・締結に遅れをとった我が国に拠点を置く日本企業は世界各地で競争上不利な状況を強いられている」「EPAと(農業の)構造改革を同時に実施することで競争力のある農業を実現させることができれば、EPAを梃子に相手国の農産物市場を開放することで、我が国からの農産物輸出の拡大につなげていくことも可能となる」としているのである。

 EPAとは、二国間または複数国間でルールを定め経済交流を緊密化する経済連携協定。関税撤廃による貿易自由化を中心とするFTA(自由貿易協定)より踏み込んだ内容で、サービス分野、投資における自由化、知的財産権保護など、幅広い分野の連携強化も含む。

 なんのことはない。多国間交渉の複雑さと全世界市民の広範な抵抗運動で行きづまったWTO交渉の代わりに、二国間、または少数の複数国間の交渉で締結できるFTA、EPAを推進するための「農業改革の強化」なのである。端的に言えば「オーストラリアやアメリカなどの大農産物輸出国とのEPA、FTA締結のために、農産物の国境措置を可能なかぎり撤廃しろ」ということなのだ。

 そんなことをすれば食料自給率はさらに低下するし、国内農地はどんどん耕作放棄がすすむ。あからさまにそうは言えないから「農業の大規模化や株式会社の農業参入でコストの削減」「所有と利用の分離で耕作放棄地ゼロをめざす」などと粉飾しているにすぎない。

大規模水田農家の危惧

 EPA・農業ワーキンググループの第3回会議(2月20日)にゲストスピーカーとして招かれた「株式会社ぶった農産」(石川県)社長の佛田利弘さんが、国境措置撤廃についてこんな意見を述べている。ほかならぬ株式会社で大規模(24ヘクタール)に稲作を営む経営者の意見である。

 「政府が目標としている500万円なり700万円の(所得を得ようとする)場合、コメのコスト(労賃を含む生産費)はどうなるかというと、15ヘクタール以上でも(1俵当たり)1万5000円ぐらいになる。現に私のところは1万5500円かかっている。そのときに、(略)直接所得補償を、国境措置をなくしたときにどれだけできるのか。多分、6000円ぐらいの米価になるのではないかと推察しているが、そのとき1万円近い直接支払いが限りなくできるのかどうか」

 「水田というのは水系社会だから、みんなで水路や農地基盤を莫大なボランタリーなエネルギーで管理している。それはお金に換算するととんでもない力で農地や水路を管理しているわけである。そういう人たちがいなくなったときに、我々のような専業経営だけでその莫大な面積を管理できるか。そうすると、またコストにはね返ってくる。それは、基本的には1万5000円の中に含まれていない。それも含めて直接所得補償ができるのかどうかということだと思う。それがずっと続けてできるのであれば、やって頂ければ構わないが、私は、多分、財政上、非常に無理がある問題で、ある一定の国境措置は絶対に必要だと思う」

 「(少しずつ米価を下げて、少しずつ「小さな農家」の退出を促し、その農地を買ったらどうかという意見に対し)経済学的に見ればそういうことかもしれない。しかし、現在において、今おっしゃった考えで誰が退出しなければならないかというと、それは私であるとか駒谷さんであろう。兼業経営が日本の稲作の大宗を占めている、もしくは人件費を無視した生産を行っている、もしくはコストを無視した生産を行っているという実態がある。(中略)だから、おっしゃるとおりにやれば、我々が先に退出してしまうことに対して、逆にご質問させてもらうが、どういうふうにしたらよいのか。手だてがないというのが実態だと思う」(駒谷さんとは、同じくゲストスピーカとして招かれた、北海道長沼町で100ヘクタールの農場で米のほか、ジャガイモ、カボチャなどを栽培する駒谷農場の駒谷信幸さん)

 これまで「細切れの農地を集めて」大規模化してきた「意欲と能力のある」佛田さんが、これ以上米価が下がり、さらに国境措置が撤廃されるようなことになれば兼業農家より先に退出しなければならない事態になることを危惧し、「どういうふうにしたらよいのか」と、逆質問しているのである。

農家、地域住民、行政が一緒に「鳴子の米プロジェクト」

 国境措置の全廃→米価が下がり農家の所得が減る→「大きな農家」に絞って所得補填する→「小さい農家」が苦しくなり稲作をあきらめる→大きな農家や企業に土地が集まる、このグローバル化のシナリオのなかでは、佛田さんがいうように、所得補填を受けるとしても大規模農家の稲作経営は不安定になり、もちろん小さい農家も苦しくなる。

 今のところ、農水省は「国境措置の全廃」には抵抗している。しかし一方、「米政策大綱」(米政策改革推進対策)では、「効率的かつ安定的な経営体が、市場を通して消費者ニーズを起点とした需要を鋭敏に感じ取り、様々な需要に即応した生産を行う消費者重視・市場重視の姿」を「米づくりの本来あるべき姿」とし、「品目横断的経営安定対策」でも、特定の要件をクリアする「担い手」のみを施策の対象にしようとしている。

 「小さい農家」の米づくりは邪魔だといわんばかりの風潮が強まるなかで、一つの、新しい動きを紹介したい。

 昨年から宮城県大崎市旧鳴子町ではじまった、題して「鳴子の米プロジェクト」のことである。

 旧鳴子町では、水田面積四ヘクタール以上の「担い手農家」は620軒の農家のうちわずか5軒。鳴子は年間85万人もが訪れる温泉の町でもあるが、このまま耕す人がいなくなれば、温泉街をとりまく農村風景も荒廃すると、農家、JA、加工・直売所グループだけでなく、観光協会、旅館の経営者まで当事者となってはじまったプロジェクトである。そのメッセージはこう呼びかける。

「鳴子の米」とは主に鳴子の山間地で作られる米の総称です。そして「東北181号」(宮城県奨励品種決定調査に基づき試験中の米)を、このプロジェクトのシンボルとしました。東北181号は山間地の作付けに適した米(耐冷性に優れ、いもち病に強く、低アミロースで冷めてもおいしい特性があります)です。平成18年度は宮城県奨励品種決定調査の一環で、鳴子で最も上流に位置する鬼首地区の中川原、寒湯、岩入の実験圃場で合わせて30アールを栽培し、19俵のおいしいお米ができました。この米を山間地で作ってもらうために、それを支えていく仕組みをつくります。「鳴子の米」の価値を高めながら、作る人と食べる人との信頼関係を大切に培っていくことが大切です。そして、食と農を中心にして様々な鳴子の資源を結び合わせながら鳴子の新しい魅力をつくります。例えばロクロや漆という伝統の技で器をつくり、それと鳴子の食の融合をはかり、地域に「小さな仕事」をたくさんつくります。それらを通じて「鳴子の米」の食文化を地域にひろげていきます。また温泉の町鳴子は近郷近在の農家の湯治で栄えてきた歴史があります。もう一度、農業、農村との結びつきを取り戻し、食と農を基本にした鳴子温泉の「もてなしのカタチ」「湯治のカタチ」をつくりあげていきます

(「プロジェクトがめざすもの」より)

 プロジェクトは国の交付金(水田農業ビジョン・産地づくり交付金)を活用し、農家の上野健夫さんを会長に、結城登美雄さん(仙台市在住・民俗研究家)を総合プロデューサーとして、行政と住民の協働ですすめることになった(事務局は市役所の農業振興係)。

あきらめてはいけないことがあり、失ってはいけないことがある

 活動は昨年9月15日の第1回プロジェクト会議にはじまり、「鳴子の米通信」の発行(月1回)、3通りの水加減での米炊き実験、食の勉強会I・おむすび試食、食・資源聞き取り調査(三地区)、食の勉強会II・米粉菓子試食を重ね、今年3月4日にはその集大成である「鳴子の米発表会・春の鄙の祭り」が開催された。

 鳴子スポーツセンターで開催された発表会には、450人もが参加。地元中心だが、約100人は秋田、山形、福島など県外からの参加で、遠く北海道や九州、東京からかけつけた人もいる。会場のテーブルに並べられた100種類1000食のおむすびが圧巻だったが、「ごはん1膳分の値段で買える身近な食べもの」の展示が話題を呼んだ。

 1膳のごはんと一緒に、笹かまぼこ半切れ、イチゴ1個、グリコのポッキー4本が並ぶ。「鳴子の米」がめざす1俵2万4000円(玄米)はごはん1膳(米約60g)なら24円となるが、その24円で買える食べものの現物展示だ。日常の食べものと目の前で比べてみると、米の値段を実感させられる。

 プロジェクトでは鳴子の米を2万4000円で買う応援団をつくり、農家には手取り1万8000円を保証する。そして差額6000円は、諸経費のほか、研修生の受け入れや、「鳴子の器」づくり、くず米をつかったパンやお菓子の開発、酒の試作、「鳴子の米通信」の発行など、米にまつわるたくさんの「小さな仕事」の開発に充てていく。

 「東北181号」は鳴子の近く、宮城県古川農業試験場で育成されたものの、減反政策の中で奨励品種に至らず眠っていた品種だ。「今の米は食味重視で寒さに弱く、条件のよい平場向きの品種ばかりで鬼首のような中山間地向きの品種がない。しかし探せば、中山間地でも育つ味のよい米がきっとあるはずだ。プロジェクトはそれを探して栽培することから始めよう」との結城さんの提案でみつかった。

 昨年の試験栽培では、天候不順にもかかわらず、7俵が収穫できた。鬼首はスキー場があるくらい積雪量の多い地域で、雪どけ水が直接流れ込む田んぼは青立ちに悩まされてきたが、試験栽培した3軒の農家は「この米は冷たい雪解け水でも苗の育ちがよく、水管理にもあまり手がかからずよく稔った。強い米だなあ」と喜びを語り、育成者の永野邦明総括研究員は「山間高冷地で生きる方々の希望につながれば、育成者冥利に尽きます」と語った。

 「東北181号」のもうひとつの特徴は、低アミロースで、「おにぎりにしても、冷めても、おいしい」こと。また味がしみ込みやすいため、混ぜごはん、炊き込みごはんにも向いている。年間85万人の旅館の宿泊客が朝、出発する際、「お昼にどうぞ」と1人2個のおにぎりを差し出すだけで、140ヘクタールの田んぼの作付けが必要になる。

 この10年で鳴子の農家は100軒減り、耕作放棄地も70ヘクタールに及んでいる。しかし、プロジェクトに参加した農家からは、耕作放棄地の復活どころか「このままいけば、昔のように新田開発をしなくてはなんねえな」と、冗談話も飛び出すようになった。「国が見捨てたからといって、私たちにはあきらめてはいけないことがあり、失ってはいけないことがある」と、結城さん。

特殊な作物だからこそ、強力な「半商品」になる

 哲学者の内山節さんが、10年ほど前、東北地方の農家の勉強会でこんなことを語っている。

 「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」(人間選書『農の営みから』に「半商品の思想」として収録)

 内山さんは、その「半商品」の概念を、1992年に92歳で亡くなった明治生まれの経済社会学者・渡植彦太郎氏に教えられたという。「彼は私と会うと、よくこう言っておりました。『明治の人間は、町に半商品がたくさんあった時代を知っている。それが明治の人間の強みだ』と」

 「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係には、経済合理主義が必ずしも貫徹していない商品のこと。買い手が値段と品質とを比較して選ぶのではなく、「この農家の米なら」「この地域の米なら」と買う場合も「半商品」である。

 米は、農家にとって極めて特殊な作物である。先祖代々の田んぼでイネをつくり、その米を家族で食べ、町にでた子や親戚にも送る。田んぼを荒らしたくないし、米だけは自分でつくったものを食べたい。何より、米をつくることは農家として、あるいは村人として生きる証のようなものでもある。だから、先の佛田さんがいうような「コストを無視した生産」もなくならないのである。

 とはいっても、米は商品でもあるから、赤字ではきびしい。そこで、「1膳24円」の価値を食べる人と共有しながら、再生産できる仕組みを地域でつくっていく。農家にとっても食べ手にとっても米は強力な「半商品」である。そこにはたしかに「商品を半商品に変えていく面白さ、市場経済を内部から空洞化させる可能性」がある。あなたの地域でも楽しく元気な「米プロジェクト」を!

(農文協論説委員会)

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