「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2005年5月号
 

食農教育 No.41 2005年5月号より

子どものつぶやきから発想して「おやき」の学習の種をまく

▼長野・伊那市立伊那小学校 春日 さおり

焦らなくていいんだよ

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 初任者として1年目。私は2年生の担任となりました。1学年4学級ずつの伊那小学校は、どの学年でも総合的な学習に取り組む教育課程が組まれています。総合的な学習に何の素地もない私は、ほかの先生方は、みんなすごい活動をしているように見え、焦りと不安でいっぱいでした。「何とかしなければ。でもどうしたらいいんだろう」と、気持ちだけが空回りしている毎日でした。

 そんなとき、先輩の先生が「焦らなくていいんだよ。子どものつぶやきをよく聞いてごらん。何か見えてくるよ」と言ってくれました。それまで私は、「どんな活動をしていけばいいのか。自分にできそうな総合は何か」と、自分と活動の間でしか総合を考えていけなくて、子どもの姿を見る余裕などまったくなかったのです。

 しかし、先輩の先生方からアドバイスをいただき、さっそく、できるだけ子どもたちのつぶやきに耳を傾けるように努力してみようと思いました。

子どものつぶやきが聞こえる

 2年生の1学期、学級に分けられた畑に、自分たちが育てたい野菜を育ててみました。夏の収穫が終わったとき、「大根なら秋に種をまけば育つよ」と直也さんが提案しました。この提案を受けて、畑の利用についての話合いをし、さっそく、大根を育てることになりました。

 冬、収穫されたたくさんの大根を前に、子どもたちは、一度に食べきれないことに気づき、とれた大根の保存方法を考えはじめました。「穴の中に入れる」「漬物にする」「切り干し大根にする」などのさまざまな方法が出されて、実際に子どもたちの出した方法を一つひとつ試してみることになりました。

切り干し大根にして保存しよう
切り干し大根にして保存しよう

 なかでも子どもたちが着目したのは、切り干し大根つくりとその利用についてでした。

 切り干し大根つくりでは、子どもたちが家で家族に聞いたり、家族と調べたりしてきたので、さまざまな方法が出され、自分なりの切り干し大根つくりや、それを使った煮物に挑戦しました。そのときに、子どもたちから、「切り干し大根の煮物っておやきの具にもなるよね」「おやきっておばあちゃんとつくったことあるよ。おいしいよ」「つくってみたいね」と話していたのが、耳に入ってきました(今振り返れば、この子どもたちの何気ない会話こそ、先輩の先生がおっしゃった「子どものつぶやきから何かが見える」に当てはまっているように思います)。

調べて、つくって、地域を歩く

 なるほど、「おやき」とはおもしろそうだな、子どもたちはそんなことを考えているのかと思いました。子どもたちは、自分たちがつくった野菜などを料理するのが大好きだったので、食に関係する「おやき」なら来年の活動につながっていくかもしれないな、と思いました。また伝統食である「おやき」を通して、つくる人の思いや食べ物を大切にする気持ちなどに触れ、広く食について見直してくれたらという願いもわいてきました。

 そこで、とりあえず「おやき」について素材研究をしてみることにしました。

 まずは、いろいろなおやきを本などで調べました。一口におやきと言っても、小麦粉でつくる物、米の粉でつくる物、焼くつくり方、蒸すつくり方、膨張剤を入れる物など、さまざまであることがわかりました。

 また、同じ長野県のおやきでも、地理的条件などによって(雪が多く、米がとれない地方では小麦粉を使うなど)使う粉が違うこと、入れる具は、残り物を無駄にしないための工夫だったり、地元でとれる旬の野菜を使ったりすること、さらに、お盆にはご先祖様が石の戸におやきをぶつけて帰ってこられるように、おやきをお供えするなど、それぞれの土地によっていろいろな意味がおやきにはあるということがわかってきました。

 さらに、地元の伊那では、恵比寿講の日に、お供えする米の粉にあんこを入れたおやきがあることもわかり、地域にも出ていける素材だなと思いました。

 それでも、いろいろな活動や学びが期待できると思う半面、子どもたちがあのつぶやきを生かして「おやき」の活動を本当にはじめるのかなあと、不安にも思うなかでの教材研究でした。

 そして、実際におやきをつくってみることにしました。それまでおやきなどつくったことのない私は、見よう見まねでいくつもおやきつくりに挑戦してみました。

 もともと不器用な私は、具がうまく包めなかったり、皮と具のバランスが悪かったりと、出来栄えはいまいちだったのですが、つくる過程は案外おもしろく、子どもたちにとっても、こねたり包んだりすることは楽しいだろう、と思いました。また、粉やつくり方によって味が違い、皮も具も好みによっていろいろ変えていけるのもおもしろいなと実感しました。

 次に、地元のおやき屋さんを探してみました。まず学区内にあるおやき屋「きょう庵」さんを尋ねました。店の中に入ると、奥さんが柔和な顔で迎えてくださいました。「まだ、どうなるかわからないのですが、子どもたちとおやきの活動ができればいいと思ってるんです」と話しかけると、奥さんは、「もし、お手伝いできることがあったら何でも言ってね。いつでも来てね」と優しくおっしゃいました。私は、奥さんのこの一言で、安心してうれしくなってしまいました。何か困ったことがあったら、この奥さんに相談すれば大丈夫だと思いました。この方との出会いは、後に子どもたちにも大きな出会いになったのです。

 自分で実際につくって試したり、自分の足で地域を歩いてみたりすると、大事な出会いが生まれたり、何か活動へのヒントになることが見つかったりするのだなと実感しました。

活動の種をまく

 子どもたちは3年生になりました。頭の中では、今年はおやきの活動になるといいなあと思っていながらも、子どもたちが、どう活動の糸口をつかみ、広げていくのか……待っていてよいのか、こちらから声をかけてよいのか迷う毎日でした。何日か経ったある日、迷っている私に、先輩の先生はこう言いました。「春日さん、活動の種まきをしてごらんよ。その後は子どもに任せてみればいい。それでも活動が生まれなければ仕方ないよ、この素材では活動できない」と。「そうか、駄目だったら、また子どもたちと一緒に考えていけばいいんだな」と思い、気持ちが少し楽になりました。

 いよいよ「活動の種まき」です。

 私から、昨年度末に、おやきをつくりたいと言っていた夏子さんに、「2年生のときおやきをつくりたいって言っていたけど覚えている?」と、声をかけてみました。夏子さんは、一緒におやきをつくりたいと話していた友だちに声をかけ、相談をはじめました。そして、その日の午後、クラスの友だちにこう話しました。「おやきのことなんですけど、去年切り干し大根をつくって、切り干し大根でおやきをつくりたいと思っていたんですけど、つくるときがなかったので、みんなも一緒につくりませんか」。この投げかけに、「いいよ」と元気に応える子どもたち。この時点では、子どもたちはおやきというものが何かわからないけれど、なんだかおもしろそうだなと思い、気軽に賛成したのだと思います。

 提案のあった次の日。さっそく、お家の人におやきのつくり方を聞いたり調べたりしてきた子どもが二人いました。私は「昨日の種まきは成功した」とうれしくなり、すぐに子どもたちにそれを紹介しました。すると、「おやきつくるんだったらつくり方、調べないとね」と和也君が言い、全員でおやきのつくり方を調べることになりました。さっそく、おやきの本を見つけ出し、黙々と書き写す子どももいれば、「おやきってどんな形だっけ」「おやきって食べたことないんだよね」と、おやきのイメージがつかめないまま調べている子どもたちの姿もありました。

おやきづくり
小麦粉をねちょねちょこねておやきづくり

 4月下旬、切り干し大根の煮物を具にして、初めてのおやきつくりに取り組みました。小麦粉にだんだん水を入れて生地を練っていきました。「ねずみほいほいみたいにねちょねちょする。まとまらないよ」「切り干しがはみでちゃう。どうしよう」「まだ柔らかい。だめだよね、どのくらいやれば(蒸せば)いいんだ」など、生地が柔らかくなりすぎたり、具がうまく包めなかったり、蒸し加減や焼き加減がわからなかったりしている様子が見られた反面、「これ、ほとんどガムと同じだ」「こねると気持ちいいね」など、こねていく生地の感触を楽しみながらつくっていく姿も見られました。

 また、やっていくうちに、粉を手につけてからこねたり、弱火で何度もはしでおやきをひっくり返しながら、慎重に焼いたりするなど、工夫する姿も見られるようになっていきました。おやきができ上がると、ちょっとずつ、味を確かめながら大切そうに食べる姿も見られました。

 その後、「こねるのが楽しかったし、おいしくできたよ。またつくりたいな」と、おやきつくりが楽しく、またつくりたいと言っている子どもたちが多くいました。一方で、「へんな味になってしまったので、今度つくるときはちゃんと調べてつくりたい」と振り返りカードに書くなど、おやきつくりに対する新たな願いをもつ子どもたちもいました。

 このような子どもたちの、生地をこねる感触を体いっぱいで楽しむ、ぐちゃぐちゃの生地になりながらも自分で考えて工夫する、友だちと相談しながら粉を足すなどして試していく、もっとこうしたいという新たな願いをもっておやきつくりに挑戦する、などの姿を見て、子どもたちは今後きっと、自分の納得のいくおやきつくりを追究していくだろうという、確信のようなものを私の内に感じました。

 また、おやきつくりの楽しさを感じながら、子どもたちが、自分の願うおやきに向かって困難を乗り越えた喜び、何より自分で追究しつくった喜びを味わってほしいと思いました。

 さらに、おやきつくり追究の過程で、地域のおやきつくりや伝統の食材に触れることにつながるだろうし、伊那地方だけでなく長野県に昔から伝わるおやきにも目を向けたり、そこでおやきにまつわる歴史を知ったり、先人の暮らしや知恵に学ぶことに広がっていくだろうと考えました。

 この時点で、学習が成立すると考えられるようになりました。

地域の人との出会いでふくらむ学び

 その後、子どもたちは「もっとおいしいおやきをつくりたい」とさらに何度かおやきつくりをしました。7月になると、「今までつくってきたおやきを、お客さんに食べてほしい」と、校内バザーに出しました。この時期、子どもたちも私も、一つの大きな壁に突き当たっていました。それは、子どもが自分たちのつくった生地やできあがったおやきに満足してしまい、くり返しくり返しおやきつくりをしても、そこに「学び」が見えてこなくなったのです。確かにおやきつくりには慣れてきたけれど、そこに工夫や新たな発見や驚きが出てこないのです。私は、こんな子どもたちの姿を見て、何か子どもたちがハッとするような発見や体験が必要だと考えました。きっとそれがあれば、新たな課題が生まれ、さらに追究が深まるだろうと考えたのです。

きょう庵さんの生地って柔らかくて気持ちがいいな
きょう庵さんの生地って柔らかくて気持ちがいいな

 私は、このことを、おやき屋「きょう庵さん」との出会いに求めました。

 きょう庵さんのおやきつくりは、一気に思い切って粉に水を入れることや手早くこねること、できた生地はべたべたなことなど、自分たちのいままでのおやきつくりでは想像もしなかったつくり方であり、まさに驚きの連続でした。子どもたちは、きょう庵さんのおやきつくりの方法に、自分たちの手で苦労しながら追究してきたおやきつくりを重ね合わせ、さらに違いに気づき、本物のおやきつくりに迫っていったのです。

 この時期のきょう庵さんとの出会いは、今振り返っても本当に「確かな学び」があったと考えます。

 その後、伊那(地元)のおやきにも目を向けていきました。子どもたちは、地域に出て行き、商店街や近所のお家に伊那のおやきの聞き取り調査にでかけました。そのなかで、おやきは恵比須講の日に、恵比寿様にお供えすることを知り、恵比寿神社を見つけ、実際にそこへおやきをお供えしました。

ゼロからのスタートだから楽しい

 このように「おやき」を学習材にして、多くの方向へ学習を広げたり、深めたりしていきました。

 私自身、最初は本当に不安だった「おやき」の活動でした。それは教科書もなければ、活動の実践事例もない、子どもと私が向き合ったところを出発点にしたゼロからのスタートだからです。しかし、ゼロからのスタートだからこそ、「子どものつぶやきに耳を傾ける」ことができ、さらに教師と子どもが自分たちの歩む道をともにつくることができ、そこに楽しさが見出せたと思います。

春日先生の実践を振り返って

伊那小学校 安積 順子

 新卒の教師が「教科書のない総合的な学習」に取り組むことは、本当に大変だったことでしょう。しかし、「“総合的な学習の教師は子どもである”ということに気づき、子どものつぶやきに耳を傾け、そこに学習の芽を求めよう」と、総合的な学習の主体を子どもにすえたとき、「教える・教わる」という教師と子どもとの関係から、「子どもの姿に学ぶ」という学習の姿勢に変わるのです(これは総合的な学習だけのことではなく、本来どの教科もそうであるべきでしょう)。

 私は、総合的な学習の立ち上げに関わって、春日先生の実践から、次のようなことを学ばせていただきました。

1 子どものつぶやきをつぶさに拾う

 春日先生の焦りからの脱却は、先輩の先生からの「子どものつぶやきを聞いてごらん……」という一言からはじまりました。この日から、春日先生は子どもの様子をつぶさにメモし、「今日はどんな友だちとどんな活動をしていたのか」「担任がとった記録と子どもの振り返りカードの記録との合致点はどこか、またずれはどこからきたのか」などを、子どもが下校した教室で丹念に洗い出していくことからはじめたのです。こうして春日先生にしかわからない暗号のような印を使った記録や、走り書きのメモがためられていきました。同時に、活動の後、子どもにもその日の振り返りの記録をさせました。春日先生は、子どもの書いた振り返りカードに、次時までに必ず目を通し、コメントを入れて子どもに返していくことを丹念に行ないました。このように「子どもの事実に学ぶ」という姿勢が、子どもの思いや願いに寄り添う活動を生んでいく基本であると考えます。

2 学習の成立まで(活動の醸成期)を大事にする

 春日先生は、夏子さんの「おやきをつくろう」という提案に、級友が「いいよ、やろう」と応え、おやきつくりが決まった時点や、次の日、おやきに関わって調べ学習をしてきた時点で、活動への手応えを感じました。それでもまだ学習が成立するとは考えず、おやきつくりをして、子どもたちの様子を見たり、つぶやきを聞いたりしてから、活動が成立すると確信しました。私たちは、ややもすると、学級全体で「やろう、やろう」と声が上がったときに学習が成立すると考え、予想される活動の流れを組んでしまいがちです。

 しかし春日先生は、「求めて学ぶ」子ども本来の姿を、時間をかけて先生自身の目で見極め、その間に、子どもの内にどんな学びが生まれてくるのかを、目の前の子どもの姿から見出していこうとしていました。より息の長い活動や確かな学びのために、どんな学習が成立するのか、時間をかけて見極める構えは、大切であると考えます。

3 徹底的な素材研究をする

 「はじめに子どもありき」ということばが一人歩きし、「子どもに任せる」ことが総合的な学習の基本だという早まった考えもあるなか、子どもがおやきつくりを言い出した頃から、春日先生は、自分の足で地域を歩きおやき屋さんを見つけたり、実際に自分で試作したり、おやきの歴史や地域に根づくおやきへのこだわりをお年寄りに聞いたり、徹底的な素材研究をしました。さらに、そこから学級の子どもに学ばせたいことを探しだしたり、活動の展開案をいくつも書いてみたりして、おやきを学習材としてどう生かせるかを考えました。

 子どもの出番を待ちながらも、同時に「おやき」そのものを研究し、「この素材がどう学習材として成立するのか」「素材のなかから子どもの学びを見出せるか」を考えていく春日先生の真摯な姿勢に、改めて「はじめに子どもありき」の真の意義を学びました。

4 活動を支える学級づくり

 春日先生の学級は、総合的な学習を学級の中核にすえて、学級づくりをしています。そして、子どもの教室での様子を、学級通信にしておうちの方に定期的に知らせて、そこに春日先生のとらえた子どもの学びについて書いています。総合に限らず、学級の様子だけでなく、学習の細かな様子を、おうちの方へ伝えることで、春日先生の子どもや教育への思いも、同時に伝わっていくのです。学校・家庭・子ども、この三者のがっちりとした土台こそ、学級を支え、総合的な学習を支えるものとなっているのです。

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