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Ruralnet・農文協食農教育2001年 1月号

食農教育 No.11 2001年1月号より

県レベルで食と農による
  総合的学習の情報を交換

 「とくしま総合的な学習研究会」が設立記念フォーラム

編集部

「総合的な学習の時間」の本格実施が迫るなかで、県レベルで食と農の教材開発を図る試みがスタートした。徳島県では自主的な研究会「とくしま総合的な学習研究会」(会長村田勝夫鳴戸教育大学教授)が設立され、設立記念フォーラムには県内の教職員を中心に約130名の参加者が集まり、奈須正裕氏の問題提起と小中学校3校の実践報告をうけて熱心な議論を展開した。このような動きは、岩手、長野でも起こっており、全国に広まりそうな気配である。(2000年10月8日徳島市の「アスティとくしま特別会議室」で全国食文化交流プラザ2000参加・公開研究集会として開催)

総合的な学習の時間は「生き方」の学習

問題提起
 奈須正裕
  国立教育研究所教育方法研究室長

 きょうは食と農、地域をキーワードに、平成14年度から創設される「総合的な学習の時間」をめぐり、学校での取り組みの事例と、食と農にかかわる行政や団体とのネットワークのありかたについて話し合ってみたい。

まず、「総合的な学習の時間」(以下「総合」と略)とは一体何だろうか。「総合」を形態や表面的な特質でとらえようとすると誤解が生まれる。

 「合科」「体験」「子ども中心」「地域」「チームティーチング」などは、いずれも「総合」をすすめる上で大切なキーワードであり、結果的にこれらを満たしていくことになるが、これらをやれば「総合」ということではない。学習指導要領のなかには、「総合」について、2つのねらいが述べられている。

そのひとつは「学び方」にかかわるもので、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる」ということ。これは大変大切なことであるが「総合」だけでなく、教科や道徳、特別活動などすべての教育活動において取り組むべきことだ。

「総合」ならではの内容、趣旨とはもうひとつのいわゆる「生き方」にかかわる部分で「学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする」というところ。子どもが生活者の1人として生き方や社会や地域のありかたを考えていくことだ。

もちろん、教科学習を通して生き方を学ぶということはある。生き方について教科と「総合」ではどのように違うのだろうか。教科には親学問があって、日常的な事物・現象に対して、あえて非日常的な見方でとらえなおしていく。その背後にあるのは、学問・科学・芸術といった文化遺産であり、子どもたちは授業を通して時空をこえて文化遺産と出会い、文化創造のできる力を培っていく。教師はそのような出会いをつくる役割を果たす専門家である。

これに対して、「総合」には親学問はなく、身近な事物事象を生活者の観点で改めて自覚し直し、それを日々新たに更新していくような仕組みをつくる学習の場である。教科の学習の目的が文化創造の担い手になることであるのに対して、「総合」は、生活創造の担い手となっていく学びの場なのである。

文化創造としての学びと生活創造としての学びは両方必要だ。学問だけしていても生活現実と出会うことがなければその学問の価値はわからない。これまでの教育は文化創造として教育に少し偏りすぎていた。「総合」を通してそのバランスを回復することが求められている。「総合」をやればやるほど、教科学習が好きになるし、学力もあがる。

それではなぜ食と農か。近代になってどんどん失われてきた暮らしの変化を考えたとき衣食住の生活のうちで食が一番まだ回復できる。また子どもたちが消費を中心とした生活につかっているなかで、生活を見つめ直す鍵は第一次生産、とくに農にある。それをやれる場所は地域ということになる。生活者の感覚で担い手をつくる教育として「総合」をとらえなおすとき、そこには食・農・地域というキーワードが浮かび上がってくる。

子どもとともに地域教材を発見する

実践報告1
 藤本勇二
  徳島県上勝町立上勝小学校

穴吹町立初草小学校で3年勤務したあと、この4月に上勝町立上勝小学校に赴任した。まず、上勝小でのこの半年の地域教材の開発について述べたあと、前任校である初草小での3年の実践を振り返りたい。

担任することになった4年生23人を前に「先生は上勝町にきたばっかりで町のことがようわからん。上勝らしいもの、これがとっておきの上勝と思うものをカメラで撮ってきて」と話して使い切りカメラを渡した。教室の後ろに町の地図を貼って、そのまわりに子どもたちが取材してきたものを貼っていく。この「上勝紹介」では棚田のことを調べてきた子どもが3人いた。私は図書館の本やインターネットで棚田について調べ、ウエッビングマップを描いて、先人の努力とか、森林の保水力、ビオトープ、農業の抱える今日的な問題などにつながるのではないかと見通しを立てた。

上勝小は昨年統合して1町1校となった学校で、子どもたちはお互いの地域のことを意外に知らない。そこで全国棚田百選にも選ばれた棚田を見に行き、全国棚田百選に選ばれた全国の自治体に資料を送っていただくようにお願いの手紙を出した。この活動がきっかけで、上勝の棚田を紹介するパンフレットをつくる活動がはじまった。

上勝にはまた茶葉を発酵させてつくる珍しいお茶がある。斜面の畑に植えっぱなし、無農薬の茶をまるごと収穫して漬物のようにしてつくる。これもぜひ教材化したいと教材研究をはじめている。

前任校初草小での3年の1年目は教科の学習のなかでできるだけ地域の教材を使いたいと考えた。子どもたちと一緒に取材をし、地域で出会ったモノ、ヒト、コトを「教えてカード」や「初草の知恵袋」という名のノートにまとめていった。こうしてはじめて出会ったのがコンニャクだ。「コンニャクを固めるにはソバの茎の灰にかぎる」という話を聞いたのである。学校農園の1坪あまりの土地でソバを育て、6年の理科の授業でソバの茎を灰にしてpHを調べてみた。実際ソバの灰は稲藁の灰などと比べてもpHがきわだって高く、「おばあちゃんの知恵ってすごい」と子どもたちは驚いた。

1年目のソバも石臼でひいて食べたが、2年目はソバを全校で栽培した。地域の知恵ということではカタクリからデンプンをとったり、サツマイモの煮汁にダイコンおろしを入れてイモ飴をつくるなど、デンプンにこだわってみた。また、地元を流れる四国一の清流穴吹川のカジカガエルが減ってきたことから、過疎化や森林の変化について調べた。

3年目は「カジカの見てきた穴吹川」を継続しながらダイズの学習を展開した。ダイズを育てて、納豆・黄粉・豆腐・味噌をつくった。さらに卒業を前にした先生とのお別れ会に向けて、1人1品のダイズ料理を調べてつくる「調理の鉄人」を企画し、納豆やインドネシアのテンペなどをつくった。

こうしたなかで、農文協の「日本の食生活全集」や「現代農業」などのデータベースの全国情報と地域情報をあわせて、オンデマンドブック「私たちのダイズ」を製作した。これは教材研究の成果と地域・学校で引きついでいく試みである。

子どもの夢・願いの実現に徹底的にこだわることから

実践報告2
 筒井淳子・小川礼子
  岡山・寄島町立寄島小学校

平成4年度に東西の学校が統合し、オープンスペースを持つ新しい学校として開校し、平成9年度からは総合的な学習の実践に取り組んでいる。総合的な学習のねらいは学習指導要領に記されているが、目標と内容は各学校で考えることになっている。本校では「わくわくタイム」と呼ぶ総合的な学習の目標を「生活科で培ってきた自立への基礎を基盤に、人、社会、自然に関わる体験的な学習や問題解決的な学習を通して、自らの学ぶ力や態度を育て、自己の生き方を考えることができる」としている。また、総合的な学習を通して育てたい力や内容を国際理解、情報、環境、福祉、生命・健康、職業・進路、自己、学校生活、地域の9つのスコープに整理した。

1番大切にしているのは子どもたちが「自分たちの夢や願いを持つ」段階。子どもたちに「どんなことをやりたい?」と投げかけながら、日常の会話や暮らしのなかから子どもたちがやりたいことを見出していく。それが総合的な学習になりうるかどうかは教材研究の段階で教師がウエッビングを書きながら活動の広がりの可能性を検討する。今年からはスコープによってどのような内容が学べるかも見ている。題材が決まれば、その年の総合的な学習は7割は成功したと考えている。子どもたちと教師で相談をして、立ち上がりまでにはじっくり時間をかけている。6月の末とか7月のはじめまでかかることもある。

昨年の4年生は「究極の岡山ずし」つくりに挑戦した。岡山ずしの材料のうち、カンピョウ、ゴマ、シイタケ、ショウガ、レンコン、ゴボウ、ニンジン、コメの9種類の材料をつくる。校庭にレンコン用とコメ用のふたつの田んぼをつくるところからはじめたのだが、子どもの手作業だけでは間に合わず、PTA会長さんに頼んでユンボを借りるなど、問題が次々に出てきた。問題解決学習をしながら、自分の活動を振り返り、自己評価したり、友達との関わりで相互評価をしたりする。そこではポートフォリオを活用しているが、時々は家に持ち帰ってうちの人にも意見を書いてもらう。教師と家の人と本人のみなが振り返ることのできる資料となっている。

子どもたちは問題を解決しながら前へ前へと進んでいく。「総合」での教師の支援とは「子どもたちがすんなりと解決できるような状況をつくらないでいかに困らせるか」を学年PTAで考えること。困るところから学びが生まれ、生きる力が育っていく。校庭に田んぼをつくりたいとなれば「どうぞ」とはいわず「校長先生に聞いておいで」という。校長先生には「私はいいけど、他の学年の人が使うかもしれんで」といわれ、各学年に交渉にいくことになる。実際の生活では利害を調整しなければ生きていけない。生活と同じ場を学校のなかにつくるのである。

寄島小の総合にはボランティアティーチャーがおおぜいきてくれる。教師がリストをつくって、期日を決めて招くのではない。子ども自身が話を聞きたいとき、その人と交渉して連れてくる。自分で連れてきたゲストティーチャーだから1生懸命話を聞く。子どもたちが学校を開いていく。こうした活動を実現するためには、職員の間でなんでも話せるオープンマインドの環境が必要だ。

炭焼き・植林から循環型社会を構想する

実践報告3
 神谷輝幸
  愛知・安城市立安城西中学校

教科ごとに担任が別れ、受験を控え、生徒指導もある中学校で「総合」を実践するのは大変だといわれる。本校では昨年4月から、「先生たちも自ら学ぼう」とスタートした。

本校では環境を学校全体のテーマにした。学年ごとのテーマを1年は「流域社会を考える」、2年は「環境問題を考える」、3年は「地球人としての生き方を考える」とし、学年の前半はこれらの共通テーマを追究するテーマユニット、後半は生徒個々が自由に追究課題を選ぶフリーユニットを展開している。

安城市は明治用水が開通してから水田が開かれ、日本のデンマークと呼ばれるほどになった。これを取り上げようというと先生方は小学校の「既習事項」だという。では本当に生徒たちが明治用水や農業のことを深く知っているだろうか。明治用水は一時、工業用水や生活廃水などの影響で白く濁った時期があり、住民の粘り強い運動で回復してきた歴史もある。

明治用水を取水する矢作川の源流の長野県根羽村には、安城市の茶臼山野外センターがあり、1年生はそこで4泊5日の自然教室を行なう。このときは矢作川を遡って、その源流域にあるキャンプ場まで歩いていく。子どもたちは自然教室に出かける日、剪定枝を1本もっていって、炭焼き伝道師の杉浦銀治先生のご指導で炭焼きをする。そしてできた炭を植穴に入れてブナの苗木を植林する。山を守ることが水を守ることであることを体で学んでいく。

こうした体験をした生徒たちは学校にドラム缶の窯をつくった。七夕祭りで使用ずみになった竹や剪定枝を集めて炭を焼き、水質浄化や農園の土壌改良に役立てるほか、Aコープの産直コーナーでも販売している。本校には無農薬・無化学肥料で野菜を栽培する自然農法農園があり、炭はそこにも入れられる。学校給食の生ゴミもぼかし肥とまぜて堆肥化して利用している。生徒たちは早起きして、始業前に穫れた野菜を出荷する。アンケートをつくってお客さんの要望を調べたりしながら、現実の経済にもかかわっていく。

こうした活動のなかでさまざまな探究が生まれている。1年生のEさんは水源の地で炭焼きをしている斎藤さんの話から、針葉樹と広葉樹の保水力の違いにこだわった。広葉樹のほうが優れているという斎藤さんや、違いはないという森林組合の人の意見の違いに着目して、実験によってそれをたしかめた。さらになぜ保水力のある広葉樹ではなく、針葉樹を植林するのか、山で暮らす人の事情を聞き取っている。そして、「水を使う者が水、森をつくる」という立場から水源の森での植林活動を後輩が続けることを願っているのである。

フロアディスカッション コーディネーター奈須正裕

地域の人とどうかかわるか

奈須 まず、それぞれの報告を聞いた感想や疑問点から。

――地域の人材のつきあいかたは?

藤本 ○○会の会長さんや委員さんというような方は話はお上手だが、学習としてはおもしろくない。行事のような改まった形ではなく、隣のおばあちゃんがのそのそっと学校へきてくださって、のそのそっと帰っていく、という感じで付き合わせていただいている。

奈須 同じ人でも○○会の会長さんという肩書できてもらうときと、畑のことできてもらうときでは顔が全然違う。そこがポイントかなと思う。

発達段階、系統性をどう考慮するか

――学校の近くに吉野川の干潟があって、総合が1年目ということがあり、すべての学年でこれを地域の宝として取り上げている。このようなやりかたでよいのか、子どもたちが自由に追究できる課題と2本立てにしたほうがいいのか、それとも各学年の発達段階や系統性、教科との関連を考えて題材を変えたほうがいいのか、悩んでいる。

小川 「野菜を育ててパーティーをする」という同じ活動でも、6年生の総合と2年生の生活科では違ってくるはず。学年に応じた追究ができるので、題材についてさほど神経質に考える必要はないのではないか。先に示したスコープのうち、国際理解、情報は全学年で系統性をもたせて取り入れる、環境から福祉、生命・健康は3、4年で、職業・進路、自己は5、6年、学校生活、地域はどの学年にもからんでくるとか、2学年くらいの大きな幅でシークエンスをつくれるかなとは考えている。

神谷 学校のテーマである環境について、1年では流域社会、2年ではゴミの問題、3年では地球環境というように決めている。ただ、子どもは見ているものは同じでも、学年がかわれば深く、広い学びができている。

本当のところ、農は難しいのでは

――食と農というとき、食のほうは放っておいても、課題がどんどん広がっていくが、農は実際的なところでつまずいて、先生のほうが挫折する。体験的にいって、コメにしろ、野菜にしろ自然農法でやるのは難しいのではないか?

藤本 たしかに食に比べて、農は子どもたちや教師の能力を超えたところがある。だからこそ、ハウツーをもっている地域の人との人間関係をつくっていくことが決め手になる。

小川 教師もコメつくりの経験はない。初めて田植えをした人もいた。「先生たちはしらんで」と最初に子どもにいっている。失敗からもそこに学びが生まれるから、それを信じて子どもに任せている。学校田は校庭にある。休耕田を貸してくれるという人もあるが子どもが見に行けないし、水が難しい。7mと10mの田んぼに水道水を入れてやっている。水がなくなったら子どもが水道をひねって水を入れる。

夏休みも子どもにまかせる。陰で手伝ったりはしない。4年生はローテーションを組んで水を入れにきたし、小さな「マイ田んぼ」をつくった2年生のうち、あるグループは毎日来ていた。農は難しいというが、労働を通してしか食べられないということは意識させなければならない。

奈須 農家を育てようとして農を学んでいるのではないというのが、教育の問題と農の問題との違いだ。ただ、寄島小の田んぼは本物の田んぼとちがうこともはっきりした。これをどう見るか。本当の農と教育としての農との関係性をどう見るかは大事な問題だ。

食農教育を応援する団体からのメッセージ

――高知の農協中央会からきた。農協は学校の農業体験学習の援助しているのだが、稲刈りにしたり、何か料理をつくったりして、体験をしたといってもプログラムが農協の側にあるのでは、学習にはならない。あくまで学校に主体があって、そこに農協がどんなときに、どういう姿勢で援助できるかをよく考えなければいけない、と痛感した。

――高松食糧事務所徳島事務所からきた。食糧事務所はコメやムギさまざまな農産物の生産から流通、消費について専門的な知識をもっている職員を出前授業という形で派遣している。また、お米をはじめとした食品についてのパンフレットや各種データをまとめているのでぜひ活用してほしい。

――中国四国農政局徳島統計事務所からきた。農林水産省に勤めながら、農業の将来については悲観的にとらえていたが、今日のような先生方と子どもたちの実践が全国で行なわれていると思うと、悲観論は早計だったと反省している。統計事務所も農林水産業にかかわる出前授業を行なっている。また農林水産業にかかわる膨大な情報・データをもっているので、教育現場との交流を図りたい。

奈須 総合ではいままでの授業とちがって、専門家の方とつながっていくことも大切だ。

神谷 Aコープの店長は、産直市に中学生が参加することで地域が生き生きしてくることが消費者の声からもわかるという。地域との連携を深めて、開かれた学校をめざしたい。

奈須 総合的な学習を核としたいまの教育の動向は、上意下達、縦割りをやめることだという人がいる。下から上、横につながる教育ということになると地域と地域の知恵が核となるだろう。それを確認して、ディスカッションを終わりたい。

(文責・編集部)


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