主張

正月の「食」で、「一緒に食べる」世界を伝え継ぐ

 目次
◆村びとにとっての正月
◆年取りと正月の料理にこめた願い
◆わが家の顔「うちの雑煮」
◆時空を超えて一緒に食べる
◆人間が人間であるための食を考える

 去る10月15日、厚生労働省は、新型コロナウイルスの流行により、今年2月以降は全国で制限を求めてきた高齢者施設での面会について、施設ごとの判断で再開してもよいように方針を緩和した。面会できないことで認知症の利用者の身体機能や認知機能が低下し、家族からも面会の要望があったという。面会ができるようになれば一歩前進だが、これから冬へ向かうタイミングで、懸念されている新型コロナとインフルエンザの同時流行のような事態が起きたら、また制限が強化されるだろう。正月の帰省も見合わせなければならないのかと迷っている人も多いようだ。今年は例年とは違う年越しになるのかもしれない。そんな〝新しい生活様式〞の中で、失ってはならない大事なことを、正月の「食」をめぐって考えてみよう。

村びとにとっての正月

 群馬県と東京都で2地域居住をする哲学者の内山節さんは、村びとになっていく過程で実感した村の正月をこう描いた。

歳神としがみさまは、柳田國男によれば、一年を守る神と農業の神、祖霊が一体化したもので、村の無事を守ってくれる神である。

 元旦には新しい年がはじまる。とともにその日は、新しく生まれ変わるときでもあった。日本には、すべての生き物はたえず生まれ変わっていくという考え方がある。(中略)だから家のなかも大掃除をして去年の汚れを払い、歳神さまを迎えて新しい自分を誕生させる。この再生がうまくいかなければいろいろな支障が出てくると思われていたから、伝統社会では年末からの正月の準備は欠かすことのできないものだった」(『うかたま』53号連載「上野村の山暮らし 第5回 村の神様」)

 正月を始めとしたこれらの行事は毎年繰り返される。その繰り返しの中にこそ村びとにとっての「無事」があった。

「上野村で畑を耕すようになって二、三年がたった頃、私は少し不思議な気持ちになった。毎年同じことをしているのが心地よいのである」

「私の生まれた東京では、変化しないことは停滞でしかなかった。そこではつねに進歩、発展が求められていた。都市では変化の速さが力だったのである。

 ところが上野村では、くり返される営みのなかに村の力が保存されている。東京とはまるで違う世界だ。そして、その世界に身をおいてみると、この保存された営みの世界は心地いい。くり返される世界に居場所があれば、その居場所は永遠を感じさせてくれる。昔の世界とも、未来の世界ともつながっている、とでもいうような。

 そういうことを感じとれるのが共同体だから、共同体の人々は自分たちの社会は、自然と生者と死者の社会だととらえた。村の永遠を支えているのは自然だ。そして多くの死者たち、つまり村のご先祖様と変わらない営みをつづけるなかに、共同体の基盤はつくられている」(『うかたま』57号連載「上野村の山暮らし 最終回 永遠の無事」)

 内山さんが描き出す村の無事を願う感覚は、多くの農家にとって共感できるものだろう。熊本県山都町でイネや茶をつくる下田美鈴さんは、内山さんの本を読んで次のように書く。

「朝、私はお仏壇にご飯とお茶をお供えし、お参りをします。わが家から見下ろせる小高い丘の上には幹回り七mのとても大きな銀杏の木があります。その古木にも手を合わせます。無事に朝を迎えることができたことに感謝し、今日の無事を祈って一日が始まります」

「毎日、仏様や大木に手を合わせて祈る意味が、彼の本をひもとくたびに確信できます。自然やご先祖様と共に生き、生かされていることを実感できると、穏やかさや嬉しさを心が取り戻してくれます」

「自然の中に生き、村の中に生きること。人は『つながり』の中で生きているということ。こんな当たり前のことに、彼の本によって気付くことができました」(本誌2014年9月号「農家の嫁が内山節の本に惹かれるわけ」)

 こうした日々の無事の繰り返しの中でも、もっとも重要とされてきた節目が正月である。

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年取りと正月の料理にこめた願い

 正月を迎える準備はたくさんある。大掃除をし、松飾りを整え、家の中にも外にもいる神様へのお供えも欠かせない。そして何より、正月だからこその料理の準備。全国の家々でつくられてきた正月料理を集めた『伝え継ぐ 日本の家庭料理 年取りと正月の料理』が本誌と同時に発売された(*1)。

 このシリーズは(一社)日本調理科学会に所属する研究者が、全都道府県ごとに昭和35〜45年頃までに地域に定着していた料理について聞き書き調査をし、未来に伝え継ぎたい家庭料理を厳選したもの。その由来やいわれ、そして実際につくれるレシピをまとめ、「すし」「炊きこみご飯・おにぎり」「漬物・佃煮・なめ味噌」といったテーマごとに刊行している。全16冊の第13回配本が「年取りと正月の料理」になった。

 ここに収められた料理には、土地の自然を生かす工夫と、一年の感謝と新しい年の無事を願う気持ちがこめられている。正月のためになれずしを仕込んだり、昆布巻きでなくあらめ巻きをつくったり、黒豆でなく落花生の煮豆で祝ったりと、テレビや通販でよく見かける全国一律のおせち料理とはまったく違う風景が広がっている。

 たとえば福島県は会津地方の只見町だけに伝わるという「おひら」。大晦日の年取りの祝いの膳につける煮物椀だ。大ぶりに切ったにんじんやごぼう、油揚げに、結び昆布に魚など、具材は土で育つものと海のもの・川のものをそろえて一椀で自然と人との営みを表しているのだという。

 魚は川魚のうぐい(はや)を春にとって焼き干しにした「串魚くしょ」を戻して煮こむ。だしにも具材にもなる使い方だ。春はうぐいの産卵期で、腹が赤くなるのでアカハラとも呼ぶという。寒さ厳しい大晦日に、新年もまた無事に春を迎えられるようにと願う気持ちが伝わってくる。

 ちなみに、本書の巻末解説「調理科学の目」によると、子持ちの魚を年取りの魚とする地域は多いらしい。あなたの地域ではどうだろうか。

*1 『伝え継ぐ 日本の家庭料理 年取りと正月の料理』(別冊うかたま)は11月5日発売。

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わが家の顔「うちの雑煮」

 本書には50種類以上の雑煮が紹介されている。もちが丸もちだったり角もちだったり、それを煮るか焼くか、味つけは味噌か醤油か、入る具材は……と見ていくときわめて多彩だ。伝承料理研究家・奥村彪生さんが作成した「雑煮文化圏マップ」もあり、それによると石川県の金沢から岐阜県の関ヶ原、和歌山県の新宮あたりを結ぶ線を境に、東は角もち、西は丸もちと大まかには分かれるという。だが、角もちエリアでも新潟県の佐渡や山形県の酒田は丸もちだったり、丸もちエリアでも高知県では角もちだったりと、歴史的な人やモノの流れ・交流によって、地域で親しまれてきた雑煮のタイプも変わってくるようだ。現代では夫婦の出身地が遠く離れていることも珍しくないので、それぞれの流儀が影響しあい、家庭の数だけ「うちの雑煮」があるといってもいいのかもしれない。

 そんな雑煮に入れる具材には、縁起をかつぐさまざまないわれがある。たとえば次のようなものだ。

・年の始めに食べれば一年中はばが利く縁起物、はばのり(海藻)(千葉県)

・小松菜は名(菜)をあげ、八つ頭は子孫繁栄(東京都)

・菜っ葉は「名を切る」といって一切使わない(三重県)

・汁を飲み終えたときにお椀に真菜が貼りついていると「名(菜)を残す」と縁起をかつぐ(和歌山県)

・根がついたねぎは白髪が生えるまでの長寿を願い、昆布はよろこぶにちなむ(富山県)

・丸く切った大根や里芋などは和(輪)を大事に、丸く収まるようにとの思いがこめられ、きな粉は黄金色が豊作を意味する。豆腐は白壁の蔵が立つようにと蔵に見立てて切る(奈良県)

・口を開ける(年が明ける)と縁起がよく、日持ちのいいはまぐりで雑煮をつくる(広島県)

・栗の枝でつくった正月用の「栗はい箸」は形が不規則だが、うまく使いこなすと「やりくりがうまくなる」と縁起をかつぐ(福岡県)

 まさに雑煮の数だけさまざまないわれがある。この一年を無事で過ごせるようにと願う気持ちをこめて、繰り返しつくり続けてきた味だ。もしも今年は帰省できないという家族がいるなら、雑煮でも煮しめでもいい。ぜひ「わが家の正月料理」のつくり方といわれを伝えて、離れていても同じ願いを共有して新しい年を迎えてはどうだろうか。

 子ども世代は、実家に帰れば地元の味をつくってもらえるので、自分では正月料理をつくったことがないという人も多い。習っておかないと、と思うことはあっても、まだ親が元気だからと甘えているうちに、機会を失ってしまう人もいる。コロナ禍で「今年は帰省できない、正月料理をつくらないといけないかも」と思っている人のために、本誌の姉妹紙『うかたま』の冬号(12月5日発売)でも「自分でつくるふるさとの正月料理」を特集する。『伝え継ぐ 日本の家庭料理 年取りと正月の料理』と併せて参考にしてほしい。

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時空を超えて一緒に食べる

 現在発売中の『うかたま』秋号で、法政大学教授の湯澤規子さん(歴史地理学、農業史)が「〝新しい生活様式〞の食事の仕方、どう考えればいい?」という記事を寄稿している。湯澤さんが運営に関わっている子ども食堂がコロナ禍で休止せざるを得なくなり、「一緒に食べられないという難局」をどう乗り越えるかを仲間と考えた。それで急遽始めたのがフードパントリー(食べものを必要としている人に、無償で直接食品を配布する活動)だ。しかもただ配布するのではなく、案内のチラシの裏には子どもが自分でつくれるレシピや、食べものが胃袋に届くまでの物語などを、なぞなぞやイラストで説明した。子どもが食べものと「対話する」きっかけになることを願って書いたという。

「(近著の中で)私達は人間だけの世界に閉じているのではなく、食を通して様々な生きもの、ものごとと共に在る、『共在世界』を生きていると書きました。たとえ1人で食べていたとしても、食べものの神様を感じたり、食べものの来し方行く末を想像したり、食べものを手渡してくれた誰かと共に在ると感じられるとするならば、それは寂しい食の風景ではなくなります。

 世界観の分岐点に立つ今だからこそ、時空を超えて誰かと何かと『一緒に食べる』世界へと、私達の感性をひらいた『みらいのカタチ』に一歩ふみ出しつつ、そこでまた、賑やかに食卓を囲める日が始まることを待ち続けたいと思っています」(『うかたま』60号「食べるんだから知っときたい」)

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人間が人間であるための食を考える

 食には時空を超えて人をつなげる力がある。人間の食は共食を基本としており、そのことが人をつなげる力の根源になっている。

 先月号の「主張―地方からコロナの壁に風穴を開ける」で、京都大学総長(当時)の山極寿一さん(人類学・霊長類学)の話を紹介した。誰かと一緒に同じものを見る、聞く、食べる、共同で作業をする、といった五感を使った身体的な共感や、同じ経験の共有をしてこそ、強い信頼を互いの間に築き上げることができるという指摘である。その山極さんが「食とコミュニケーションの進化」と題する論文をまとめていて、これは年明けの1月に刊行される『フォーラム 人間の食』第1巻「食の文明論 ホモ・サピエンス史から探る」(*2)に収録される。その論旨の一部を紹介すると次のようだ。

 山極さんによると、集まって食べるという人間の食事はサルやゴリラには見られない、とてもユニークなものだという。家族や仲間のために食料を持って帰り、仲間もその食料を安心して食べるという共食が成り立つには、集団間の信頼が必要で、共食がそういう信頼を強化してもいく。こうした食事の形態は、人間が熱帯雨林を出て草原で暮らすようになった進化の過程で獲得した直立二足歩行や、出産間隔が短く育児期間が長いための共同の子育てといった人間の形質そのものに由来しているという。

 こんな話もある。ゴリラの脳の容量は500cc以下で10頭前後の集団に対応し、人間の脳は1400cc前後で、これは150人規模の集団に対応しているのだそうだ。オンラインで世界中の人とつながることができるようになっても、この脳の容量は変わらない。言葉を発達させることで脳を大きくする必要がなくなったのではないかとも考えられるが、人間にとってはこの、喜怒哀楽をともにして身体で同調した信頼関係で結ばれた150人規模の集団がとても大切で、その間柄を維持するのに共食が大事な役割を果たしてきたのだ。

*2 学際的なフォーラムでの議論をもとに執筆される『フォーラム 人間の食』は(公財)味の素食の文化センター企画で全3巻、その第1巻が「食の文明論 ホモ・サピエンス史から探る」で編者は池谷和信・国立民族学博物館教授

「世界観の分岐点」にあって、人間を人間たらしめている「食」のこれまでとこれからを改めてみつめ直し、コロナ禍やIT化で生活様式が大きく変わる中でも変えてはいけないことを見失わないようにしたい。たとえ離れていても「一緒に食べる」ことはできる。私たち自身も、雑煮や煮しめをつくり続けてきた数多くの先人たちと共に食べてきたのだから、そのバトンを次の世代に渡したい。

(農文協論説委員会)

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