主張

「人新世」という時代をどう生きるか
アメリカ農村、SDGs、人新世をめぐる3新刊から

 目次
◆アメリカ農村の苦悩は対岸の火事ではない
◆地域版SDGsの実践で「グローカル」な世界を
◆「人新世」の時代の農業・地域の生き方

 TPPと東日本大震災・原発事故で幕を開けた2010年代は、激動の10年であった。この間、規制改革会議や安倍官邸農政のもと、家族農業軽視や農協攻撃が強まり、一方では、昭和一桁世代のリタイアが進み、また気候変動による農業、農村の被害も頻発した。そんな激動の中で、農家は持ち前の自給力・自治力を発揮し、田園回帰の流れも生かして農家とむらを守ってきた。

 これまでの10年を激動期とすれば、スタートした2020年代を「転換期」にしたいと思う。世界も日本も地域も、人類史的な課題を動因に転換へのベクトルを強める。そんな人類史的な課題を地球的・世界的な目と地域の目をもって浮き彫りにし、転換への道を指し示すスケールの大きい単行本がこの2〜3月に3点、農文協から発行される。

アメリカ農村の苦悩は対岸の火事ではない

 1冊目は出来たての新刊、『アメリカ農業と農村の苦悩ーー「トランプ劇場」に観たその実像と日本への警鐘』。JA全中ワシントン連絡事務所長、FAO日本事務所次長、日本農業新聞常務取締役、JC総研理事長などを務め、米国農業を40年余りにわたって調査・研究してきた薄井寛さんの渾身の書き下ろしだ。

 ■極端な二極分解と農民の生活苦

 薄井さんは「終章」でこう記している。

「(本書では)トランプ大統領の誕生をもたらしたアメリカにおける地方と都市の分断に焦点を当て、その背景にあったとされる、輸出志向型の大規模農業の促進による家族経営農家の衰退と、それに起因する地方経済の空洞化の問題について多くのページを割いた。そこでは、“ワシントン”や都市のエリートたちから忘れられてきた農家や地方の人びと、そして白人工場労働者たちに対し、ドナルド・トランプが積極的に接近し、アメリカ中央部の多くの州で接戦を制した実態について詳しく述べた。トランプ当選に大きく貢献したのは、“ワシントンのおごり”とそれに対する“忘れられた人びと”の反発と憤りだったのだ」。

 本書によると、アメリカの家族経営農家数は1959年の371万戸から2017年の204万戸へと45%減。米国農業の中核とも象徴的存在ともいわれる中規模農家=経営規模180〜500エーカー(約72〜200ha)も減り続け、この10年間でも約43万戸から37万戸へ。その結果、戸数では農業経営体全体の3.8%(約7万7000)にすぎない企業的大規模農場(年間販売金額100万ドル以上)の農業生産額が全体の69%を占めるに至っている。

 この極端な二極分解のなかで、さらにいわゆるラストベルト地帯(さびついた工業地帯)の出現で兼業所得を得る機会が減ったことも重なって、地方の中小農家の多くが離農・離村せざるをえない状況が続いた。本書では、こうして進む農村の過疎化、空洞化、地域社会の崩壊の状況をリアルに追っている。

 商店も次々つぶれてしまい、衣類や日用品はもとより、農業州でありながら食料ですら100kmも150kmも離れた大きな町へ車で片道1時間以上かけて1週間分まとめ買いしてこなければならない人々。幼稚園から高校、病院、図書館など公共施設もなくなり、地域の人びとの心のよりどころでコミュニティセンターの役割も果たしていた教会さえなくなってしまった村も少なくない。

 深刻なのは、農民の自殺率が極端に高くなってきていること。全米の自殺死亡率は年々増加しているが、その中でも農民の自殺率は人口10万当たり84.5人。16歳以上の平均は16.1人なので、じつに5.2倍もの高水準だ。

 ■アメリカの今と日本の今、共通の過ち

 拡大する格差から生じる分断と、人種差別主義によって政治的に深められた亀裂に苦悩するアメリカ。しかしこれは対岸の火事ではない。

 トランプ大統領の誕生で未曾有の混乱と危機に直面するアメリカの今と日本の今には共通の過ちがあると薄井さんはいう。それは、国家と社会にとって不可欠な要素、すなわち、各セクターの均衡と調和の実現という長期ビジョンのもとに農業・地域政策を推進することを、してこなかったことだ。

 食料自給率が下げ止まらないなか(18年、37%)、農産物の輸出に農業の生き残りの可能性があるかのように喧伝しながら、規模拡大・企業化を軸とする農業政策や、農村の過疎化と地方経済の空洞化に抜本的な歯止めをかけられない都市優先の地域政策が、何らの代替案も検討されることなく進められている。一部の輸出産業やIT企業の発展を優先するような政策が今後も推進されていくなら、“ルーラル・ジャパン”もまた今のアメリカの地方のように“忘れられた存在”という事態へ追い込まれるとして、薄井さんはこう述べる。

「日本の政治・行政、そして国家を構成する各セクターの指導者たちこそ、国家と社会のバランスをこれ以上崩すことのないよう、アメリカの今を他山の石とし、数十年先を見越して農業・地域政策の抜本的変革に着手すべきである」

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地域版SDGsの実践で「グローカル」な世界を

 2冊目はまもなく発行される『食・農・環境とSDGsーー持続可能な社会のトータルビジョン』。著者は、本号の「意見・異見」(308ページ)にも執筆している國學院大學教授の古沢広祐さんである。

 ■環境問題と食・農をめぐる課題の同時解決を

 研究者としての立場を超えて地球市民的なNGO活動に長年携わってきた古沢さん。かつて、ガット体制のもと日本で米の市場開放問題がとりざたされた1988年に「食糧自立国際シンポジウム」の企画の中心となった。このシンポでは、韓国、台湾、タイ、セネガルの農民、さらには輸出一辺倒の農業政策のもとで窮乏するアメリカの家族農業農民までが一堂に会し、食料自立をめざす世界的な連帯を決議した。

 このシンポは、米の市場開放問題を日本一国の視点からではなく、グローバル化による世界食料システムがもたらす家族農業の衰退と格差拡大という視点からとらえ直す運動であった(『現代農業増刊 食糧自立国際シンポ』に収録されている)。

 その運動の中心にいた古沢さんはその後、1990年代から今日までの長きにわたって、環境や食料・農業問題にかかわる国際会議に参加し、今日のSDGsに至るまでの国際的な議論をつぶさに見てきた。

 国連が2015年の総会で全会一致で採択した「持続可能な開発目標」(SDGs・エスディジーズ)では、社会、経済、環境などにかかわる17の目標が掲げられている。

 17の目標は①貧困撲滅 ②飢餓撲滅 ③健康・福祉 ④教育 ⑤ジェンダー平等 ⑥水と衛生 ⑦エネルギー ⑧雇用 ⑨技術革新 ⑩不平等是正 ⑪まちづくり ⑫持続可能な生産と消費 ⑬気候変動対策 ⑭海洋資源 ⑮陸上資源 ⑯平和と公正 ⑰パートナーシップ、にかかわるものである。

 このSDGsを成長戦略の一環として活かそうという、わが国政府や企業の態度への懸念を表明しつつ、古沢さんは、SDGsの17の目標をばらばらにとらえていては、けっして持続可能な社会への転換は実現しないと主張する。SDGsの目標を貫く理念は誰も置き去りにしない」であり、社会的に弱い立場の人々が排除されない社会の仕組みづくりこそが、持続可能な社会への道ととらえているのである。

 求められるのは、環境問題の解決と食・農を含めた生産・消費、社会の格差を同時解決するような社会経済の「パラダイム」(枠組み)の転換。本書を読むと、SDGs実現のためにパラダイムをどう転換したらよいか、それと食・農の変革がどうかかわっていくかがすっきりわかる。

 ■地域が主体となって世界とつながる

 古沢さんは今日の世界状況を次のようにとらえている。

「国際分業と大競争が地域性と自然の循環を切断して大地の離反を促進していくのに対し、地球環境問題の深刻化をくい止めるエコロジー運動の隆盛、地域コミュニティ・地域循環(調和)型社会を形成する動きが、二極対抗的な傾向のなかで展開している」(同書「はじめに」より)。

 そして本書では「地域コミュニティ・地域循環(調和)型社会を形成する動き」の一例として、庄内FEC自給ネットワークの実践を紹介している。

 山形県北部の2市3町(総人口26万5000人)からなる庄内地域において、生活クラブと提携関係にある生産者諸団体は、食をめぐる提携をベースに共同出資よる太陽光発電事業を2016年から開始した。さらには就農支援や労働参画の延長で、移住を視野に入れた「産地の空き家活用検討合同プロジェクト」が生まれ、高齢者が安心して暮らせる「庄内の福祉コミュニティ構想」も検討されている。F(Food =食)E(Energy =エネルギー)C(Care =医療・介護)自給圏であり、地域版SDGsの取り組みである。

 このようなローカル化(自然への回帰)の動きはグローバル化(自然からの離別)との対抗関係にあるばかりでなく、グローバル化の進行のなかでローカル性の内容が洗練・進化する局面もあるという。たとえば、海外から日本への観光客が増加し、地方を訪れるようになれば、地域の伝統文化や食生活などの再評価と洗練化が進んでいくと古沢さん。庄内地方の中心都市鶴岡市が「世界創造都市ネットワーク食文化部門」の認定を受けていることも、グローバル化の進行のなかでのローカル性の洗練・進化の一環ととらえることができる。そしてそのような「グローカル」化は、地域版SDGsの実践のなかから生まれていく。地域が主体となって世界とつながるとき、「持続可能な社会のトータルビジョン」が見えてくる。

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「人新世」の時代の農業・地域の生き方

 3冊目は、3月発行の『人新世アントロポセンの地球環境と農業』。著者は石坂匡身(元環境事務次官)、大串和紀(元九州農政局長)、中道宏(元農水省構造改善局次長)の3氏。長らく環境・農業行政に携わってきた方々である。

 ■地質学的な変化を人類が地球に刻んでいる

人新世ひとしんせい」(アントロポセン・Anthropocen)とは、かつてない気候変動の時代を新たな地質時代区分として、つまり人類史どころか地球史的な時代区分としてとらえるべきだと、海外の地球システム科学の研究者が提唱している概念。これをめぐり海外では活発な議論が行なわれている。

 46億年前に誕生した地球は、現在、地質時代区分では顕生代のなかの新生代、その第四紀のなかの完新世(1万1700年前)にあるが、人類の活動が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった1950年(70年前)前後以降を「人新世」とし、人類が、かつての小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような地質学的な変化を地球に刻み込んでいるとして提唱されている概念である。

 現生人類の祖、ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけておもにアフリカで現生人類へ進化したのち、6万年前にアフリカを離れ長い歳月を経て世界各地へ広がったとされる。それは遊動しながらの狩猟(漁労)採集活動生活であったが、やがて完新世となって気候が安定化したことにより、大きな川の流域などでの定住農耕牧畜生活に大きく転換していった。こうして人類が文明を築き始め、現代に至るまで続いてきた完新世の時代が終わり、地球温暖化に特徴づけられる不安定な地質年代の「人新世」に突入ーー人類を人類たらしめた完新世の時代は、ほかならぬ人類の活動によって終わろうとしているというのだ。ちなみに、昨年大ヒットした新海誠監督のアニメ映画『天気の子』のテーマも、この「人新世」の気候変動だった。

 本書では、「人新世」の気候変動、オゾン層破壊、酸性雨、水質汚染、海洋汚染、森林減少、砂漠化、生物種の急激な減少などの地球環境の悪化が農業に与える影響を整理し、そして人類に豊かな文明をもたらした農業も、現在は地球環境に大きな影響を与えており、その対応が課題となっているとして、「物質と生命の循環」の視角から農業・農村の課題を整理し、具体的な試みとして、本来の畜産に可能な限り回帰する、木質バイオマスを健全に循環させる、気候変動に備え水利システムを恒常的に見直すことを提案している。

 ■「人新世」の生き方は定住者・地域にあり

 その際、著者たちが重視しているのが、持続的な農業農村を創るためのビジョンを地域で共有し、各種施策を地域で総合化すること。これにむけ市町村の役割とともに期待を寄せるのは、集落、あるいは明治の合併以前の旧村単位の地域である。

「大事なことは、ビジョンの策定に自らかかわることである。『自ら人生ドラマを演じる劇場』を創り、題目を決め、脚本を書く。そのためには地域固有の課題を直視し、具体的に実行する術を練る。ビジョンは、単なる補助金獲得等のために作られる形骸化した計画であってはならない」

 完新世が終わり不安定な「人新世」に向かうとすれば、その不安定さを克服する道は、完新世のもと築かれた農耕を基礎に地域に生きる定住者のなかに見出されるということだろう。

 本書では、本誌昨年1月号「主張」でも紹介し、また『奇跡の集落ーー廃村寸前「限界集落」からの再生』(多田朋孔他著、農文協)の舞台でもある新潟県十日町市池谷・入山集落で活躍しているNPO法人「十日町市地域おこし実行委員会」の設立趣旨の一部を紹介している。

 これを引用して、新刊3点紹介のしめくくりとしたい。

「人類が持続可能に存続し、安心した日々を過ごすためには、顔の見えるローカルな範囲で食料やエネルギー等生活に必要なものが自給できるような地域が世の中に数多く存在する事が重要です。そのためには石油など化石燃料に代わる代替エネルギー資源が豊富な地方において、まずはその地域内で生活に必要なエネルギーや食糧の自給を実現し、都会からの移住希望者が少ない所得でも地方に住む事が出来るような仕組みを構築する事が必要であると考えています」

(農文協論説委員会)

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