主張

「農の手仕事」から見えてくる、「食」だけではない農村の自給力

 目次
◆ベトナム、フィリピンからも輸入される しめ飾り
◆1人でワラ細工用イネ5品種、栽植密度や施肥も変える
◆その土地のしめ飾りを一番よく知るのは農家
◆「衣の農業」の復活を!
◆藍染めも農業、東北でも育つアイがある
◆「農の手仕事」で田園回帰
◆ワラ細工体験教室も大人気

ベトナム、フィリピンからも輸入される しめ飾り

 少し気の早い話だが、読者の皆さんの家では、正月のしめ飾りはどうしているだろうか。稲作農家でイネは栽培していても、そのワラでしめ飾りを自分でつくるという人は少数派かもしれない。

 年の瀬になると、街の量販店にもしめ飾りがたくさん並ぶ。正月、家の玄関などにしめ飾りを飾るのは日本独自の風習のはずだが、最近は海外製が幅を利かせているらしい。中国、韓国、台湾はもちろん、ベトナムやフィリピンでつくられたものまで売られているそうだ。

 しめ飾りに限らず、かつての農村では、田んぼや畑でとれる作物を素材にいろいろな工芸品がつくられていた。それが次々と輸入品に置き換わって久しい。しかし周囲を見渡せば、それらを取り戻すのにピッタリの遊んでいる土地がいくらでもある。

 本誌と同時発売の姉妹誌『季刊地域』35号では、「転作・遊休地・山で小さく稼ぐ 農の手仕事」と題した特集を掲載した。取り組む当人たちにとっては、稼ぎにとどまらない喜び、楽しみもありそうだ。編集にかかわった身としては「農村が自給できるのは食べものだけじゃない」という思いを新たにしている。

 以下、その内容の一部を紹介しながら、いま「農の手仕事」を取り戻す意味を考えてみたいと思う。

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1人でワラ細工用イネ5品種、栽植密度や施肥も変える

 新潟県南魚沼市――。高級ブランド米の魚沼産コシヒカリが育つ同じ土地で、イナワラを育て、ワラ細工を出荷する集団がいる。イネではなくてイナワラ、正確にいえば青刈りイネなのだが、JA魚沼みなみワラ工芸部会という農協の部会組織までできている。

 部会員は現在34人。最高齢の91歳を筆頭に、主力は80代70代で、年間で2000万円弱を売り上げる。ワラ細工というと冬の仕事のイメージがあるが、部会の面々は、3~10月は東京の酉の市で販売される飾り熊手用のしめ縄を、11月からは地元Aコープで売る正月用のしめ飾りをつくって販売。ほぼ一年中ワラ細工で稼いでいるのだ。

 部会ができたのは34年前にさかのぼる。日本一高い価格で取引されるといわれてきた米どころでも減反はしなければならない。だが、野菜などの畑作物は田んぼではうまくつくれない……。そんななかで、酉の市の熊手用しめ縄業者との取引が農協を通じて始まった。みんなが得意なイネを転作作物としてつくり、それを加工して付加価値を得るという魅力的な転作だ。

 ワラ細工が「農の手仕事」たるゆえんは、米の副産物を利用するということもあるが、しめ縄用のワラは米をとらない青刈りイネ。だがその栽培法には、食用米とはひと味違う農家の技術が詰まっている。記事から少し引用してみよう。

「品種は、しめ縄専用種として有名な『ミトラズ』をつくる人が多いが、他にもそれぞれ勝手に各方面から種モミを入手し、自家採種しながら多品種を栽培している。部会長の中俣正広さん(73歳)は、ミトラズより丈が長くやや硬い『伊勢錦』、穂先が細くて神棚用の横締めをつくるのに向く『石白』、茎が硬く丈夫で直線美を表現するのに向く『合川1号』、そして硬さや長さが正月のしめ飾り(棒じめ、大根じめ)にじつはちょうどいい『コシヒカリ』と、合わせて合計5品種の青刈りイネをつくっている。『そんなにこまごまつくるのは大変じゃないですか?』と聞いてみると、『んー、宝船の帆は、やっぱりこれ(合川1号)じゃないと、いいようにできないから』」

 品種だけでなく、栽植密度や施肥にもしめ縄イネ用の流儀がある。

「いいワラとは『緑色がきれいなワラ』のこと。(中略)栽植密度は坪60株植えと食用イネより10株ほど増やすが、元肥は10aにチッソ3kg弱とし、分けつが増えすぎないようにして株元まで光を当てる。その後は、葉色を見ながら背負い動散で尿素追肥を4~5回(チッソで計10kg/10a)。チッソが効いたほうがイネの葉は青々とする」からだ。それに、「長さがバラバラのワラだと加工しづらく、背丈がそろうことも大事で、肥料むらにも気を遣う」。

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その土地のしめ飾りを一番よく知るのは農家

 だが、ここでも輸入品との競合はある。

「一番注文の多い『3寸』とよばれるサイズのしめ縄が1本100円ほど、『尺5』とよばれる最大サイズでも1本550円ほどで、手間賃を考えると赤字のような気もする。低価格で大量に入ってくる輸入品とは差別化して、『手づくり』『緑色』『草の香り』を売りにはするが、『これ以上の価格はムリ』と業者には言われてしまう」のだ。

 しかし、正月用のしめ飾りのほうは事情が異なる。地元Aコープで販売する地元の人たち用の正月飾りだが、簡易版から豪華版まで12~13種類も規格があって、納入価格は400~2000円ほど。飾りにつけるミカンやマツなどの仕入れも必要なので、実際はそれほど儲からないというが、やはり日本人、しめ飾りの需要は底堅いものがある。

 グラフィックデザイナーであり「しめ飾り研究家」を名乗る森須磨子さんは、毎年、年末年始に、「しめ飾り探訪」と称して全国のしめ飾りを見て歩く。森さんによると、しめ飾りのかたちは土地によって異なり、一つの県の中でも、山や川を越えるとかたちが変わることもある。「人の数だけしめ飾りがある」ほどだという。

 はたして輸入しめ飾りが、土地ごとのかたちの違いにどこまで応えているのかわからないが、その土地のしめ飾りを一番よく知るのは農家だろう。昔は、各家の家長がつくったものだそうだ。輸入品にまかせてしまうのはもったいない。

 しめ飾りのかたちやイネの生育にもよるだろうが、10a分の青刈りイネからできるしめ飾りは約1500個だそうだ。仮に、日本の全5800万世帯、全590万事業所が1個ずつしめ飾りをつけるとすると6390万個。必要な水田面積は4260ha。日本の水田面積が241万8000haなので、そのわずか0.18%。転作のごくごく一部でしめ飾り用のイネをつくるだけでまかなえる。しめ飾りの単価を仮に400円としても売り上げの総額は256億円にもなる。実際、年末に販売されるしめ縄の総額がいくらになるのか不明だが、その多くを輸入品にまかせているとしたらやはりもったいない。

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の農業」の復活を!

『季刊地域』35号の特集には「衣」に関わる「農の手仕事」もいくつか登場する。昔は日本でも多く生産されていた綿花の国内自給率は、国の統計で見ると0%である。衣類全体の自給率でもわずか2.4%というのが実状だ(日本海事センター「日本の海運SHIPPING NOW 2018―2019」より)。

 このように統計には表われない程度の面積だが、日本の各地で少量ずつワタを栽培し、自分で糸や布にしたり、タオルやトートバッグなどに加工している例が多数ある。

 たとえば、兵庫県篠山市の森田耕司さん(45歳)は、耕作放棄地2.35haを利用して和綿を中心に無農薬で栽培し、昨年は848kgを収穫、アパレルメーカーに販売している。今年からは自身のブランドを立ち上げ製品化する予定だ。森田さんは、個人のワタ栽培としては面積が大きく、しかも除草剤を使わない。そこでマルチを張るのだが、マルチの植え穴の雑草対策として、播種直後にモミガラで穴を覆う方法を考案した。しかも、腰を曲げての作業はきついので、立ったままモミガラをまける道具をペットボトルと塩ビ管で自作している。

 長野県高山村の山本友子さん(58歳)は遊休地を借りて和綿・洋綿を80aほど低農薬栽培。香り袋、綿入りマフラー、座布団、ねこ半纏などを手づくりするほか、ストール・ハンカチは委託加工で、自身のホームページ(綿花畑MIRAI)、旅館の売店、イベントなどで販売する。山本さんの目標の一つは、国産のワタ栽培者を増やすことだという。

「石油が採掘できるのはあと50年ほどといいます。石油が原料の化学繊維がつくれなくなると、天然繊維の綿が貴重品になります。遊休地・荒廃地を利用して、今のうちから『衣の農業』の普及と産業化に取り組んでいきたい」というのだ。

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藍染めも農業、東北でも育つアイがある

「衣の農業」には染料作物の栽培も入るだろうか。藍染めに使うタデアイ(タデ科)は、江戸時代まで阿波(徳島県)をはじめ日本各地で広く栽培されていたが、明治時代になりインドアイ(マメ科)の藍玉が輸入されて激減し、その後は人工藍(人工インディゴ)に取って代わられた。

 栃木県高根沢町の桑窪藍花会は、「農地・水・環境向上対策」(現在の多面的機能支払)事業がきっかけでできた「タネ播きから始める藍染め」のグループだ。メンバー7人は、収穫したタデアイの葉を「干し葉藍」にして染料メーカーに販売して活動費を捻出しながら、自分たちも藍染めを楽しむ。唯一の男性メンバー、鈴木一郎さん(78歳)はこう話す。

「私の曽祖父はクヌギ林で山マユを育てて生糸をとり、藍染めした着物を着ていたといいます。そのころは染物屋が集落に1軒ずつあったようなんです。農家は食べものだけでなく、衣服も自給できるんですね。そう考えると、藍染めも農業だと思うんです」

 一方、宮城県気仙沼市には、東日本大震災後に東京から嫁いだ藤村さやかさんが起業した藍染め工房「インディゴ気仙沼」がある。メンバーは、小さい子供のいるママたち12人。藤村さん自身が子育てをするようになった経験から、子供がいても働ける仕事場を、ということで生まれた工房だ。当初はインドアイの染料を購入して染めていたが、地元の農家から遊休農地を借りてアイの栽培を始めた。ただし寒冷地の気仙沼では、温暖な気候を好むタデアイでは収穫量が少なかったため、ヨーロッパで栽培されてきたウォードアイ(アブラナ科)の一種「パステル」のタネをフランスから入手。栽培に成功している。2019年春からは、アパレルメーカー2社からパステル染めを請け負うことになったそうだ。

 ちなみに、北海道でアイヌが藍染めに使っていた「ハマタイセイ」という植物も、ウォードアイやパステルの仲間らしい。

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「農の手仕事」で田園回帰

 よくいわれるとおり、日本の食料自給率(カロリーベース)は38%。50年余り前は70%を超えていたのが、平成になるころには50%を切り、その後もなだらかな下降曲線を描いてきた。だが、それ以前から「衣の農業」の自給率は低下しており、そして今や正月飾りまで輸入するようになってしまった。このままTPPや日欧EPAが発効したら、「食」も「衣」と同じ道をたどることになるのだろうか?

 そのゆくえはとても心配だが、ここまで紹介したような「農の手仕事」に反転攻勢のチャンスがあるといったら言いすぎだろうか。農地が余っている、国産品が少ないということは、輸入に置き換えられたものをもう一度取り戻す条件が揃っているということだ。それに世の中には、「畑でタネや苗から育った」という物語つきの商品を求める人が増えている。

 同じ『季刊地域』35号の長寿連載「町村長インタビュー」のなかで、宮崎県日之ひのかげ町の町長・佐藤貢さんがこんな話をしてくれている。日之影町は、特定非営利活動法人・地球緑化センターが過疎の農山村に都市部の若者を1年間派遣する「緑のふるさと協力隊」を1994年度の第1期から受け入れ続け、今年で25年目。そのOBのみなさんは、任期終了後もさまざまな形で町を支える力となってくれているのだが、地元に定住して起業する若者もいる。

「22期(2015年度)の山木博文君は神奈川県横浜市出身。大学院出身で、任期終了後は横浜に帰って公務員試験の勉強をしていると思っていたら、その年の夏に『日之影でワラ細工職人になります』と戻ってきました。協力隊の活動の中でワラ細工がよほど彼の感性に合ったのでしょう。

 彼の師匠の甲斐陽一郎さんは30代ですが、Uターンで『わら細工たくぼ』を立ち上げた。『たくぼ』の作品のランプシェード『HINOKAGE』がトヨタのレクサスのプロジェクトに採用されたり、注文がさばききれないほど来ていて、売り上げも順調に伸びているそうです。ワラはみんな地元の田んぼでつくり、つくり手も地元の人を雇用しています」

「小さく稼ぐ」だけでなく、こんな少し大きめに稼ぐ事例も出てきている。とはいえ、稼ぎ以上に、田んぼや畑で育つ作物から工芸品までもつくれる生産の喜びが一番なのではないか。栽培と収穫だけで終わらない楽しみ、その先にも続く農の広がりといったらいいだろうか。それが田園回帰を志す若者も惹きつけている。

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ワラ細工体験教室も大人気

 さて、冒頭で取り上げたJA魚沼みなみワラ工芸部会。部会の中でも「ワラ細工名人」として特に有名なのが、青木喜義さん(85歳)だ。水田面積1haほどの稲作農家だが、大型注文が次々入ってワラ細工で200万円ほど稼ぐ年もある。その青木さんも「若い人たち」に人気だ。

「今年も東京の子供たちが300人も、草履や鍋敷き、一輪挿しなどのワラ細工体験をしにやってくる。大人からは、一目惚れしたワラ靴を2日コースでつくりたいという要望も来ており、『こいつは上級編なのに、素人が2日でできるかなぁ』と心配したりしているところだ」そうだ。ワラ細工は、農家以外の人にむしろ人気があるのかもしれない。

「農の手仕事」特集では他に、カヤやスゲ、コリヤナギ、ホウキモロコシ、竹、柿渋、ウルシなども取り上げている。水はけのよくない転作田に向くスゲやコリヤナギ、畑でウルシを育て、自分で漆塗りを始めた事例など、発想を広げる話題が盛りだくさんだ。きっと、周囲の遊休地や転作田が輝いて見えてくるのではないかと思う。

(農文協論説委員会)

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