主張

歴史と現場から新しい「明日の農協」を展望する

 目次
◆農家の味方を装った異常な農協攻撃―農家と農協の分断を許すな
◆今、そもそも論が大切だ
◆空想から現実世界での実践目標へ―協同組合の先駆者たち
◆「おらが農協」と「世界の希望の星」を生み出した組合員農家の奮闘
◆農協自己改革の歴史 三つのエポック
◆「制度としての農協」から、真の農家の協同事業体へ

農家の味方を装った異常な農協攻撃―農家と農協の分断を許すな

「自由」という名の下に「協同」を潰そうという政治の嵐が吹きまくり、農協攻撃が日に日に激しさを増している。その本質は、農家と農協の分断だ。

 単協と連合会を分断し、もって単協を個々ばらばらにして市場や大資本と直接対峙させる。販売にしろ購買にしろ、自らの手足の延長である連合会を失った単協の市場対応力や交渉力は、弱まること必定だ。行き着く先は信用・共済事業も含めた農家と農協の関係の弱体化であり、農家が市場や大資本と直接対峙しなければならなくなるという、明治期の産業組合発足以前の状態への逆戻りの道である。

 規制改革推進会議が2016年11月に発表した「農協改革に関する意見」は、このような事態を想起させるに十分な、時代錯誤の代物だった。そのあまりに乱暴かつ荒唐無稽さに関係各界の強い批判を浴びたが、結局は基本線は踏襲されるかたちで「農業競争力強化プログラム」が閣議決定された。自民党政調会や総務会は無視され、お手盛り諮問会議と官邸独裁で決定されたこの「意見」≒「プログラム」は、一見、農業所得の増大など農家の味方を装いながら、その実、農業の何たるかも、協同のなんたるかも知らない、知ろうともしない人びとによる農家・農協への宣戦布告のようなものである。

 農文協ではこのたび、『新 明日の農協―歴史と現場から―』という本を発行した。農家と農協の分断攻撃を許さず、農家と農協・連合会の正しい関係と発展の途はいかなるものであるかを考察した本で、著者は北海道大学名誉教授の太田原高昭氏。太田原さんは、激しい農業・農協バッシングの嵐が吹き荒れていた30年前の1986年、『明日の農協』を農文協から出版し、農家・農協人の熱い支持を得て、専門書としては異例の2万6000部を超えるベストセラーになった。

 今回の新刊は、「歴史と現場から」という副題にも表されているように、いま直面する農協の課題と展望を「農協そのものの歩みを総括する中から見出」し、もって「自己改革を確かな基盤に置く」(「まえがき」より)ことを主眼としている。規制改革推進会議のお歴々のように、歴史も知らず協同のなんたるかも知らず、ただただ市場原理を農業にコピーするだけの机上の「論」とは違う、農家と農協の苦節に寄り添った力作だ(本号348ページの太田原さんの論考「こんなものいらない 外国人投資家の代弁者にすぎない『規制改革推進会議』」も参照されたい)。

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今、そもそも論が大切だ

 市場原理のみを至上の価値とする人びとには、「そもそも論」がないのである。そもそも論がないということは即ち歴史に対して無知であり不遜だということだ。そもそも資本主義の世の中に、なぜ協同組合が必要なのか――。太田原さんは議論の出発点をまず確認すべく次のように言う(引用は一部省略。以下同)。

「資本主義経済は本質的に弱肉強食の経済体制であって、自由競争に任せておけば大資本が小資本を駆逐・吸収し、大資本だけが市場を支配することになる。その弊害を様々なかたちで経験した先進資本主義国では、協同組合の発達を援助、奨励することによって大資本の一人勝ちを防ぎ、自営業や中小企業の活動を支えて奥行きの深い国民経済を構築することが経済政策の重要な目標とされてきた」

「歴史的に確立している協同組合の市場経済における役割は、個々の存在だけでは市場から脱落せざるを得ない中小企業や自営業、消費者という小さな経済主体が横に結びついてより大きな経済単位を形成し、大企業と対等な取引を行うことによって自らを守る『経済的弱者の自己防衛組織』である。しかし新自由主義にはこのような考え方はない」

 大だけが勝ち、中小が没落する社会は健全な社会ではない。不健全な社会を防ぎ、「奥行きの深い」国民経済をつくっていく。そのために「小さな経済主体が、横に結びついてより大きな経済単位を形成し、大企業と対等な取引を行うことによって自らを守る」。これが協同組合やその連合会、協同運動の歴史的、社会的存在理由なのである。

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空想から現実世界での実践目標へ―協同組合の先駆者たち

 太田原さんはそもそもの前提を以上のように確認しつつ、協同組合の先駆者たちをめぐるロマン溢れる文章で本書を始めている。

「現世の苦界からの解放を願い、至福・至善の生活にあこがれる人間の心は洋の東西、歴史の古今を問わず普遍的なものであり、それを満たしてくれる理想郷が神話や伝説にしばしば現れている。それは『あの世』にあるとされる天国や極楽とはまた違っていて、『この世』のどこかにあるかもしれない、またはあるべきものとして待望されていた」

「ユートピア思想家のように理想郷を空想の中に求めるのではなく、また後の社会主義者のように資本主義社会の次の段階に求めるのでもなく、今ある社会の中の現実としてつくりだそうとしたのがロバート・オウエンであった。…『どこにもない国』ユートピアは、オウエンによって空想から解放され現実世界での実践目標となったのである」

「彼ら(前期的商人資本)は労働者の貧しさにつけ込んで食料などの生活必需品を掛け売り(貸し売り)し、工場主と結託してツケを賃金から天引きした。しかもそれには法外な利子がついていた。天引きされたなけなしの賃金しか得られない労働者はますます掛け売りに依存せざるをえない。店舗を選択できない客の弱みにさらにつけ込んで、彼らはとんでもない商品、石灰入りの小麦粉などのまがいものを売りつけていた。さらに天秤はかりなどには仕掛けがあり、計量はつねにでたらめだったという」

「そしてツケの回収の見込みがなくなると掛け売りも断られ、労働者は文字どおり路頭に迷わなければならなかった。商店が売ってくれないなら自分たちの店をつくろうという動きが出てくるのは当然である。意識的なオウエン主義者の働きかけや自然発生的なものも含めて、イギリスの工業地帯には数多くの消費組合店舗が生まれていった」

 この消費組合に始まり、資本家などさまざまな妨害と闘いながら、自分たちで組織と事業をつくり当事者となって発展させていった協同組合のドラマは、私たちに大きな励ましを与えてくれる。ここが実際の事業をもたない政治運動や社会運動と違う協同組合運動の特質なのである。

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「おらが農協」と「世界の希望の星」を生み出した組合員農家の奮闘

 つづいて太田原さんは日本における協同の先駆けとして大原幽学や二宮尊徳の活動を紹介した後、産業組合から戦後新生農協誕生に至る歴史とその日本的特質を詳述し、その後ドッヂデフレのもとでの再建整備促進体制下(1951年~)の農協が組合員農家の力によって再建されたことを高く評価し、次のように述べている。

「単位農協の再建整備は、組合員の出資金増強によってかなりの成果を挙げた。この増資は集落組織を動員した集落座談会や戸別訪問などあらゆる方法を使って推進され、多くは均等割りや反別割りなどで一律に決められたようだ。こうした負担によって5カ年計画の最終年には欠損金総額123億円に対して174億円の増資を達成している。これに対して国の奨励金の総額は30億円であったから、増資の83%は組合員農民が負担したことになる」

「再建整備は国の財政で農協を救ったもののように誤解されているが、救ったのは組合員の増資であった。このことが組合員の中にようやく『おらが農協』という担い手意識と責任感を育てたと言えないだろうか。そうだとすれば再建整備は農協への官僚支配だけでなく、農民の組合員としての自覚と主体性をも生み出したということになる」

 出発したばかりの戦後新生農協は、「農業会の看板塗り替え」と揶揄されたように、強権供出や資材不足などで農民の怨嗟の的とされる状況が続いていたが、雨降って地固まる、農家の力でピンチをチャンスに変え、組合員が主人公の本当の意味での農業協同組合がここに誕生した。

 その後の農家の生産力と日本型総合農協の発展には目を見張るものがある。

 日本の農業は、すでに明治維新後にいわゆる明治農法で単位面積当たり収量を倍加させていたが、戦後は新生農協の誕生と前後して行われた農地改革によってそれをさらに倍加させた。そして、昭和30年代や農基法農政下では、イネの増収や本書でも紹介している茨城県玉川農協、岩手県志和農協の取り組みに象徴される複合経営などによって下からの近代化を進め、1970年代以降は、減反政策にもかかわらず転作対応や産地づくりで生産力を高め、84年には農業総産出額を史上最高にまで引き上げた。

 このような歴史を国連の世界食料安全保障委員会の報告書は、「日本は、小規模家族経営が小規模のままで近代化に成功し、生産力を高めた唯一の国であり、この経験を世界に提供できる存在である」と高く評価した(『家族農業が世界の未来を拓く』2014年、農文協)。日本の農業は世界の希望の星となっているのである。

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農協自己改革の歴史 三つのエポック

 日本の農協はしかし、右に見てきたように食管や強権供出、農基法農政、減反政策等々、国の「制度」に取り込まれ、農政の補助ないしは下請け機関としての機能をもたされてきた。それは飢餓や統制経済の存続など「戦後日本が抱え込んだ多くの困難を乗り越えるための公共的な役割でもあったが、協同組合としてはやはり異常なことであったと言わなければならない」。

 このような「制度としての農協」は、確立してからおよそ50年、90年代後半の食管法と農業基本法の廃止、および来年にさし迫った減反制度廃止によって、その存在理由を失うことになった。より正確に言えば、国の側から絶縁状を突きつけられたのである。

 逆に言えば現在の農協は、「『制度』の縛りから解放され、自主・自立の協同組合として立つべき歴史的時点に差しかかっていると見なければならない」。

 そして、この農協の自己改革は、政府の要請に対応してこれから始まるようなものではなく、すでに70年近く前から始まっていると、太田原さんは戦後の農協改革の歴史を振り返る。規制改革推進会議や官邸、その尻馬に乗ったマスコミなどは、今まで農協は何の改革もしてこなかったように非難しているが、そうではない。

 ここで農協自己改革の連続の歴史を三つの大きなエポックで素描してみると、

 最初は前述した再建整備のときである。これは国の法律が出発点になっているので自主改革と言えるか議論の余地はあるが、しかしその内実は、農家が皆貧しい中、みずからの出資で農協を再建させたことで「おらが農協」になったという意味で、大変重要な転換点であった。

 二番目が、1960年代から70年代にかけて、総合農協と専門農協の合併を進めた時期である。「それまで、食管依存の米麦農協と言われた総合農協が、専門農協の施設、人材を引き継ぐことで営農指導やマーケティングの力をつけ、農業の総合的発展に寄与するようになった。私はこれ以降の農協を新総合農協と言ってよいと思っている」

 三番目が1991年の第19回全国農協大会で決定された組織・事業改革だ。これは、今に連なる画期的改革方針だった。

「それまでの農協の組織は、行政組織に対応した1町村1農協、そして全国、都道府県、市町村という3段階であったが、それを広域農協と2段階組織に改める。即ち、それまで農協がもっていた農政の下請け機関という一面から脱却した新しい農協づくりの起点となる改革であった。これは四半世紀前に出た方針でいまだ未完の、改革途上の課題だが、今出されているJA自己改革要綱もこの線上に位置づけられているものである」

 かくして91年改革は、貿易自由化にむけたガット・ウルグアイラウンドの農業合意まであと2年、食管制度に依存してきた「制度としての農協」が終焉間近になってきたことへの、農協みずからの手による早期の診断と対策方針だったのである。

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「制度としての農協」から、真の農家の協同事業体へ

 太田原さんは以上のように農協自己改革の歴史をふり返り、その延長線上としての今後を展望する。自己改革の努力にもかかわらず、一方では「制度としての農協」を引きずり、また大型合併のもと、農家や地域とのつながりを弱めてきた農協に何が求められるか、そのエッセンスを紹介しよう。

 ①広域合併と適正規模 広域化と大規模化が安定の決め手であるとは言えなくなり、「農協の適正規模」が真剣に検討されなければならないとして、「農業生産の拡大」「組合員所得の増大」という農協自己改革の目標に即しながら適正規模について考察している。

 ②支店協同活動と集落営農の意義 農協の範囲が横に広がるなかで、縦方向の協同活動の視点を「支店」からさらに「集落」へと深化させることが重要。集落が歴史的に蓄積してきた生産と生活についての自治能力を、現代によみがえらせることこそ農協本来の役割ではないか。

 ③都市農協 「農協問題の中でも最大の難問」である都市農協のありようについて、農協合併の事例の中にヒントを求め、地方の都市農協と大都市の農協別に提案。

 ④准組合員制度 なぜこの制度が必要かつ必然だったのかを歴史をひもときながら明らかにし、准組合員の事業利用制限は地方住民の生存権の侵害に当たることを解明。作家で農協の准組合員でもあった藤沢周平氏のエピソードも紹介しながら、准組合員が単なる不特定多数の?顧客?ではないこと、「農協利用を通じて農業を応援したい」という気持ちに寄り添うことの大切さを訴える。

 ⑤協同組合教育 改革で最も重要なのは「意識改革」であり、その意味では教育文化活動こそ自主改革の中心になるべき。国際協同組合原則においても、「教育原則」はロッチデール以来、不動の地位を占めてきたが、その理由は教育を怠れば、協同組合はたちまち一般企業活動の中に埋没して、そのアイデンティティを失うからだ。

 ⑥系統農協としての農業政策の確立 いま存亡の淵にあるのは農協ではなくて農水省である。国内農業を犠牲にしてはばからない政策、経産省と見まがうばかりの「農政」に対抗して、自らの旗と政策を高く掲げることこそ自主・自立の協同組合の政策活動でなければならない。

 ⑦協同組合の政治的中立と系統農協 EU先進諸国の農協や農業団体は、組織としては二大勢力の中で中立を貫きながら、自らの農業政策を明示しつつその観点からそれぞれの勢力の政策評価を行なっている。二大勢力が拮抗すればするほど、農業票の獲得のために農業側の政策に接近することになるから、その繰り返しの中で現在の農業保護政策が国民的合意を伴って実現してきたことを紹介。政治的中立のスタンスを守る(組合として特定政党を支持することをしない)ことが、現実政治のダイナミクスのなかで政治的利益を得ることにつながる途であることを力説。

 いずれも歴史と現場からの貴重な提言だ。ぜひ本書をごらんいただきたい。

 かつての農協を支えてきた食管制度と集落、このうち食管制度はなくなったが、集落は生き続けている。集落があって「おらが農協」があることに変わりはない。しかしこの関係は弱まり、政府はこれを完全に分断しようとしている。そうなると、集落も農協も風前の灯火ともしびになる。農協自己改革の要は、これを再び結ぶこと。そのとき「協同組合教育」と「政治的中立」が重要になる。協同組合教育は、単に農協人の課題ではなく、むらの共同性を回復する力にもするべきものだ。「新 明日の農協」は、「新 明日の集落と農家」の話でもある。

(農文協論説委員会)

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