主張

農地を守るとはどういうことか
―農地をめぐるよこしまな動きを排する、家族農業と農地法の大義

 目次
◆農地をめぐる危険な動向=農地の一般商品化
◆「オレのものであってオレのものでない」 ―農家と農地、そして、むら
◆「むらに返す」と思ってはいても……
◆集落営農という器で生まれる新しい「共同体」
◆農地を、むらと農家から再び切り離そうとする「平成の農地改革」を農家農村の歴史力で撃退しよう!

農地をめぐる危険な動向=農地の一般商品化

 農地は誰でも自由に買えるものではなく、一定の要件を満たす者だけにその取得が許されている。農地法がそのような「制約」をかけているのには、それ相応の理由と歴史があり、日本人の農地に対する数百年の経験の積み重ねがあるからだ。

 ところが今、農家や農業関係者には当たり前のこの歴史や経験を知らない、あるいは学ぼうとしない財界など農外の勢力が、農地を農家とむらから切り離そうとするよこしまな動きを強めている。規制改革会議や産業競争力会議、それらの「ご注進」を得て国家戦略特区における一般事業法人(株式会社)の農地所有権取得を突破口に、いずれはそれを全国的に全面解禁しようとする安倍晋三政権の動きだ。

 株式会社とは、譲渡自由の株式を基に成り立ち、あるいはまた、より安い労働力や税金の安い国をもとめて必要とあらばいつでも地域を捨て国を捨て他に移れる移動の自由をもっている。このような株式会社に農地所有権の取得を解禁するということは、とりもなおさず農地を、他の一般商品と同じく、所有した以上は煮て食おうが焼いて食おうが勝手、転用を含む売買自由の世界に置くということにほかならない。それは移動不能な大地の上で営まれ、むらに定住しその共同性の中で育まれてきた農業の世界とその大義や道理に真っ向から反する、時代逆行のもくろみだ。

 農文協は、TPPともども農家経営と農村社会の営みを圧迫し、ひいては国民経済や日本社会全体の安寧を土台から破壊しかねないこのような邪悪なもくろみに抗し、農家とむらと農地制度の来し方行く末を考え、新規就農者などをも含む将来世代にどのような農村社会を引き継ぐべきかを考察、展望した本を出版した。題して『農地を守るとはどういうことか―家族農業と農地制度 その過去・現在・未来』。農業法を専門とする早稲田大学教授・楜澤くるみさわ能生よしき氏の著になる本だ。今月は、この楜澤さんの著書のエッセンスを紹介しながら“家族農業と農地法の大義”を考えてみたいが、その前提としてひとつの興味深いエピソードを紹介したい。

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「オレのものであってオレのものでない」
 ―農家と農地、そして、むら

 エピソードとは、先月号の本欄「『小農の世界』が新しい力を得て蘇る」でも引用、ご登場いただいた農学者の故守田志郎さんが福島県会津地方の農家Aさんと囲炉裏を囲んで話し合ったときのことだ。1977年(昭和52年)、今から40年ほども前のことである(以下、守田志郎『文化の転回―暮らしの中からの思索』農文協・人間選書より)。

「おれの家の田んぼはな、おれが耕している間だけおれのうちの田んぼなんだなあ、きっと」

「ふーん?」

「息子の代になっても同じだな、それは」

「耕すのやめるときは?」

「耕すのやめないもん。だけど、やめるとすれば、そんときは返すんだな」

「売って金にすればいいじゃない」

「預かっているものを勝手に売るわけにはいかない。おれの品物っていうわけじゃあないからな」

「どこに返すの?」

「どこに返したらいいかわからん」

「……」

「部落かもしれないな。ここは部落の土地だからな」

 こうAさんとの対話を紹介したあと、守田さんは言う。

「Aさんが『部落に返すのかな』と言うとき、それは、畑や田に関する限りなのだが、それにしても、所有という概念を根底から否定してみせている。『オレのものだがオレのものじゃない』、そういった感じかもしれない。もう少し形を整えて言えば、土地というものについては、私的所有はその私的所有と対立する何かと併存しているのではないか、ということになろうか。その何かがあるために、商品一般と同様の百パーセントの処分権を行使できない、という事情が土地にはある、ということのように感じられるのである」

「それじゃ勝手に処分できないってことか?」と後日疑問を呈したのは、守田さんの学者仲間の友人。守田さんは答える。

「そうなんだよ。そりゃあ事情もいろいろだから、農家は田や畑を売りもすれば買いもする。だが、それも何らかの形で部落の中の承認のもとに行われているのだと思う。昔からそうだったし、今だってそうなんだ」。――それでなければ、この小農世界における農業的な生活と生産は続かないはずである。そう述べて、守田さんは続ける。

「土地を商品として扱ってはばからない連中が多くなったのには寒心のほかない」

「原始をはずして考えるならば、共同体はその長い歴史の中で、常に私的所有をその内部に発生させていた。したがって、共同体的所有と私的所有との矛盾を常に内包しているのである。そういう矛盾を内包しているものを共同体というのかもしれない。田畑における共同体的所有に対する私的所有は、社会構成の変化などの歴史の推移のなかでいろいろに変わる。しかし、どのような推移があっても共同体的所有のほうは変わらず、これがベースになり続けるのだと思う」

「共同体の土地、部落の田、その関係を基礎にということだが、さしあたり今の日本では、それを尊重する理念を少しでも多くの人が持つことが、荒廃を防ぐ幾分の手立てにもなろうか。そして、都市の土地も同じことだ、とも思うのである」

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「むらに返す」と思ってはいても……

 右に紹介した守田さんとAさんとの会話には、じつはもうふたこと三言、続きがある。

 耕せなくなったとき田を返すのは「部落かもしれないな」とAさんが言ったあとの会話である。

「どうやって返すの?」と質問する守田さんに、Aさんは言う。

「今は、部落じゃ返すったって、そういうふうにはなってないな」

「むずかしいねぇ」

「むずかしくはねえ。結局耕すのやめなきゃいいわけだからな」

 こう締めくくったAさんの言葉を受けて守田さんは思う。所有という概念を根底から否定してみせたAさんだが、「耕すのをやめたとき(やめざるを得なくなったとき)、では実際にどこに持っていったらよいのかとなったときのとまどいを、『耕し続ける』のひとことで払拭しようとする。何しろすべて私的所有で取り巻かれているそういう世界でこのことを考えなくてはならないのだから、そこは彼としてもつらいところである」

 耕せなくなったら部落(むら)に返すと言ったってそれは土地についての思想上の話であって、法人格のないむらに返すというのはAさんも先刻承知のように現実には机上の観念論に過ぎない話ではある。

 個別相対の請負耕作とか機械の共同利用など部分的な受委託や共同はあっても、こんにちのような集落営農などない時代である。思想と現実の落差、壁に歯がゆい思いをしたのはAさんだけではなかっただろう。

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集落営農という器で生まれる新しい「共同体」

 しかしこんにち、Aさんに象徴的に体現されている“共同体的所有をベースに据えた私的所有”という農家的農地所有観は脈々と引き継がれ、2000年代後半以降、集落営農というきわめて日本的な形で、その思いを形にすることができてきた。集落営農という、いわばむらの中のむらができたからAさんのいう「むらに返す」ことが可能になってきたのである。その数、今や1万5000弱。本誌先月号で大分県宇佐市の仲延旨さんが「集落内の農地継承をうまくやるために」と題して報告してくださっている集落営農法人もその典型の一つだ。

 仲さんが理事を務める「(農)よりもの郷」は、組合に加入していなかった認定農業者Nさんの農地5.6haすべてを組合に利用権を設定してもらうことにした。Nさんが病気のため離農することになり、かつ後継者だった長男も米価下落などで経営が悪化し、兼業先の勤めに専念することになったからだ。農地の管理料や転作奨励金の配分、経営転換助成金の受給手続き、農機具ローンの返済計画など種々の手立てを講じ、Nさんに安心して離農し、病気療養に専念できるよう支援した。その思いを仲さんは次のように述べている。

「農家の離農は、計画的にやめる場合はまれで、病気等をきっかけに突然やってきます。その場合は農地(小作農地、本人の自作農地)を誰に頼むか、残った機械をどう処分するかなどの問題が発生します。この時に農地の利用権設定による継承がうまくいかないと、他地区からの入り作が増え、集落のブロックローテーション(転作等の農地の利用調整)がうまくいかなくなることがよくあります。

 今回、Nさんの場合も予想はしていましたが、突然離農するという相談が後継者である息子さんからありました。組合としては、これまで一緒に地域で農業をやってきた仲間でもあるので、できるだけの支援をし、農地の経営継承を行ないたいと協議しました。それで24年度は、次のような条件(右に述べた農地の管理料や転作奨励金の配分等々)でNさんのすべての農地(5.6ha)を組合が管理することにしました」

 組合の経営面積が増え経費が大幅に増大したことによってその後組合の資金繰りが一時悪化したことや、それを乗り越えて改善した経緯など、詳細は先月号の本記事をお読みいただきたいが、本「主張」のテーマに即して注目したいポイントは、

 ①集落の中では誰かが病気等になり突然離農せざるを得ない事態がいつ起こっても不思議ではないこと、

 ②その農地を集落内で継承しないとブロックローテーションなど農地の利用調整がうまくいかなくなること、

 ③たとえ集落営農組合に参加していなかった人でも、地域でともに農業をやってきた仲間であることに変わりはないという姿勢で臨んだこと、などだろう。

 かくして「耕せなくなったら部落に返す」という先のAさんの思想、日本の農家の農家的農地所有・利用観が現代的に見事に実現した。

 むらに行くとよく聞く話だが、役場や農協の職員が集落座談会を開き、「当集落の農地流動化を進めるためにいかなる方策があるか、知恵を出してほしい」と言われても、集まった農家の人たちはしーんとして何も話は出てこない。まるでお通夜のようになるという。しかし、部落会長なり農家組合長なりが「あそこのじいちゃんとこの田んぼ、足腰がだいぶ弱ってきたから何とかしてあげなきゃならんなぁ、そろそろ」などと話を切り出すと、一同「そうだそうだ、なんとかするべ」となって話は一気に盛り上がり、様々な知恵が出てくる。

 あらかじめ何haという目標を示された、規模拡大先にありきの「農地の流動化」という類の話には農家は乗らない。人のサイフに手を突っ込むようなことはしないのである。そうではなくて、むらの農地をどうやってみんなで守っていくか、高齢の農家も病気がちの農家もどうやってむらで一緒に暮らし続けていけるか、そのための農地所有権の移転や利用権の設定なのであり、あるいは畦畔管理や水管理など比較的重くない作業の再委託をして完全脱農化を避ける工夫なのである。共同体的所有をベースに据えた私的所有、日本の農家は日々この思想を具体化している。

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農地を、むらと農家から再び切り離そうとする「平成の農地改革」を農家農村の歴史力で撃退しよう!

 以上、農家と農地とむら(集落)の、切っても切れない強い絆をエピソードもまじえ縷々るる述べてきたのはほかでもない。冒頭に述べたように財界や安倍官邸農政によるTPP対応、農業の成長産業化なるかけ声の下、農地を、むらと農家から再び切り離そうとする危険な動きが強まっているからだ。先に紹介した『農地を守るとはどういうことか―家族農業と農地制度 その過去・現在・未来』の中で著者の楜澤さんは次のように述べている。

「農地法制の歴史は、いったん農家やむらから離陸させられた農地(地主的土地所有権)を再び農家やむらに着陸させる(農民的農地所有権確立の)歴史だった。ところがその農地所有権を否定してこれを所有権一般に戻そう、農地を商品一般に解消しよう、農地所有権を一般法人に開放しようという『平成の農地改革』断行がますます声高になっている。戦前の法原則へ回帰し、農村の自然と社会に組み込まれた農地を、またしてもそこから切り離し、離陸させようという主張である」

 ここで楜澤さんが批判する「離陸させようとする主張」の眼目は、内容的には現行農地法のかなめをなす「耕作者主義」という概念を廃棄せよということである。いささか長くなるが、歴史の経緯も簡単にふり返りながら、守るべき「耕作者主義」というものの意味を紹介しよう。

「明治政府が、農地を他の商品一般と同様に自由な取引、自由な所有権の対象物とした結果、小作人の労働の成果を横取りする地主制が確立した。労働の成果を自ら手にしたいという小作人の切実な思いと、むらの土地はむら人の手に、というむらの願いに応えようとした先人たちは、農地を自由に売り飛ばす権限としての所有権に法的制約をかける農地制度の確立を展望した」

 戦後農地改革とその成果を保持することを目的とした農地法は、このような歴史の教訓から学び、農地を実際に耕作する者に帰属させ、非耕作者の手に渡らない仕組み(=耕作者主義)をつくり上げた。ここでいう「耕作者主義」とは以下のようなことである。

「52年農地法で北海道12ha、都府県平均3haと決められていた保有限度面積は、機械化の進展などによる経営規模拡大に資するため70年改正で撤廃された。

 そうなると農家によっては人を雇って農作業をやらせ農地をどんどん集積し、自分は左団扇うちわという羽織百姓が出てくるとも限らない。これは農地改革と農地法がつくりだした農村経済秩序〈働く者に労働の成果を〉を崩すことになる。このような事態を想定してこれを回避するため、面積上限を撤廃する代わりに、権利取得者又はその世帯員が耕作又は養畜の事業に必要な農作業に常時従事すると認められることを農地移動の許可要件として導入した」

「農作業に常時従事するには、農地の近傍に居住しなければならない。生産に従事する場が同時に生活の場であるという、生産と生活の一体性が求められたといってもよい。

農作業常時従事要件を明記したことによって農地法は、自ら農作業に常時従事する生活を営む地元農家を、農地に対する権利主体として保護することを明らかにしたのである。この生活スタイルには、事実上村落社会の構成員として地域社会を担う活動も含まれる。農地の権利主体は、水資源その他、里山、山林の自然資源や、祭り等の文化資源の共同的維持管理にも従事する担い手であることが暗黙の前提とされているといってよい。農地の権利をもつためには、農村社会の一員でなければなら」ず、農外の「投資家が農地を買って第三者にでも農業をやらせればいい」というものではないのである。

「土壌は、生きものの間の内在的な関係を形成する微生物の世界であり、農業にとって本源的な意味をもつ(中島紀一『有機農業の技術とは何か』農文協、2013年)。豊かな微生物の棲息空間としての土壌は、長い時間をかけて醸成されるものである。これを再興し維持する農業の担い手となることができるのは、その土地で生きる生活者、すなわち地域社会・文化の担い手として、農地を含む自然との総体的関係を共同で形成しつつ、世代を越えてこれを継承する農業者をおいてほかにない。

 この生活スタイルの保持を要求する『耕作者主義』と、地域農業・社会を共同で構築するシステムとしての『農地の自主管理』は、持続可能な農業を展望する上で不可欠の法原則といわなければならない」

 譲渡自由の株式を力の源泉とし、自由な移動性を旨とする農外大企業の株式会社には持続可能な農業農村を創る意志も力もない。農家と農村の歴史力を発揮し、安心、安寧な地域社会づくりに邁進したい。

(農文協論説委員会)

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