主張

昭和の町村合併前の住民自治組織が未来を切り拓く
――『季刊地域』編集部「人口減少に立ち向かう市町村」の最前線を行く

 目次
◆自治会、公民館単位の夢づくりプランへ――島根県邑南町
◆「役所はなにもやってくれない」から「役所はなにもやらせてくれない」へ――島根県雲南市
◆地域の総力をあげて農業の再生を図る――山形県川西町

 農文協がこの6月から刊行を開始した『シリーズ田園回帰』(全8巻)の第1巻、藤山浩著『田園回帰1%戦略――地元に人と仕事を取り戻す』が大きな反響を呼んでいる。

「過疎対策のバイブル的存在になるかもしれない」(7月5日、読売新聞、濱田武士氏)、「『消滅論』で意気消沈した自治体にぜひ、本書で次の一歩を踏み出すきっかけを得てほしい」(8月16日、朝日新聞、諸富徹氏)

 こうした反響を受けて第1巻『1%戦略』は早くも増刷を決定したが、9月中旬にはその第2巻が発行される。農文協『季刊地域』編集部編『総力取材 人口減少に立ち向かう市町村』だ。8人の編集部員が全国15の市町村にでかけ、行政の政策のみならず、小学校区・公民館区レベルにまで分け入って取材。そこで見えてきたのは、「昭和の大合併」以前の住民自治の動きであり、また、これまで社会教育に限定されてきた公民館活動の、住民自治、地域づくり活動への大きな転換である。

自治会、公民館単位の夢づくりプランへ

――島根県邑南町

 まずは島根県邑南おおなん町(人口1万1397人)の布施地区公民館(3集落、90世帯、210人、昭和の合併までは布施村、平成の合併までは瑞穂町)。ここでは平成の合併に先立つ2002年に地区独自の「夢づくりプラン」について話し合い、「農事組合法人ファーム布施」と「農事組合法人赤馬の里」の二つの集落営農組織を立ち上げた。

 本誌6月号「主張」では、ファーム布施は田植えやイネ刈りなどを「春を惜しむ会」「収穫祭」など集落出身者も呼び戻すイベントとして行ない、3戸がUターンしたこと、赤馬の里ではIターンの新規就農者を募集し、2013年に大阪から30代の夫妻が就農、集落待望の第1子も誕生したことを紹介したが、今回の取材ではファーム布施へのUターンはさらに2戸増えていた。一方、赤馬の里では、Iターン就農による定住者募集にむけ、地区の中心部に町営の住宅2棟を建設している。

「夢づくりプランの発端はある『反省』にありました」と語るのは、赤馬の里理事の坂本敬三さんだ。

「島根県では、1999~01年にかけて『集落100万円事業』がありました。活性化プランを策定すると100万円出るというので、布施地区でも話し合いをしましたが、みんな好き勝手なことを言い合うだけ。結局、機械の倉庫づくりに使いましたが、どう地域づくりに役立ったかと聞かれるとなんとも言えないような倉庫でした。ところが他の地区を見てみると、すでに自分たちの地区のプランをもっていたところは、さっと手を挙げてうまく活用している。布施地区でもそんなプランがあれば、いざ補助制度ができたときにすぐに手を挙げることができるのではないかと考えて、『夢づくりプラン』の話し合いを始めたのです」

 話し合いの内容は、道路・交通・情報、生活環境、健康福祉など多岐にわたり、坂本さんは「そのころから公民館活動の様相が異なってきた」とふり返る。

「布施地区の公民館活動は非常に熱心で、1998年には優良公民館として文部科学大臣表彰も受けた実績があります。ところがそれは社会教育に限定された範囲。当時は社会教育の枠を外れると、『公民館活動ではないからできない』というようなことを言っていました。夢づくりプランでは公民館の名前を使ったような気もしますが、公民館活動そのものではない。話し合いでは、どこそこの道が悪いとか、バスの便が悪いとか、不満や要望が先に出ました。不満、要望は行政にぶつけてそれで終わりですが、何か自分たちでも解決できる道はないかと話し始めると、『減っていく人口をなんとかしなきゃいけない』とか、『農業をこのまま個人がやっていてもええんかいな』と、だんだん前向きな意見が出始めた。そういうものをまとめたのが夢づくりプランでした」

 ファーム布施は、当時旧瑞穂町産業振興課に勤務していた坂本さんが、職員として最初に手がけた集落営農でもあった。その布施地区の夢づくりプランが、2004年の合併後、邑南町全体の自治会、公民館単位の夢づくりプランにつながっていく。

「合併後の私の最初の仕事は教育委員会の『生涯学習課地域づくり係』。生涯学習で地域づくりという発想はありませんでしたから当惑しました。(略)しかし合併前に自分たちが布施地区でやった夢づくりプランを思い出し、『これしかない』と思い、地域づくり係の大きな柱にしたのです」

 一方、旧石見町では、「過疎化のなかで、いかにして人々が活気ある暮らしや仕事をとりもどせるか」を基本に、1972年から80年にかけて、79の集落が21の自治会に集約されていた。旧瑞穂町と旧羽須美村については、平成の合併を契機に自治会が組織化され、2014年3月末までに邑南町全体の216の集落に39の自治会が組織化された。公民館は昭和の合併前の町村単位の12館。

 町教育委員会生涯学習課(社会教育係兼地域づくり係)の大橋覚さんは、公民館と自治会の役割をこう解説する。

「瑞穂地域は島根県下でも『公民館は瑞穂にあり』と言われるほど社会教育の先端を走っていました。教育の場を通して多少時間はかかるが住民の『気づき』による動きを促すという、本来の社会教育のあるべき姿の実践ですね。まずは地域課題に気づいて、講座などの学びを通して動きだす。これに対し、自治会組織はどちらかというと『明日どうするか』の速効性が求められる。速効性か、時間をかけるのか、どちらがいい悪いではなく、足並みをそろえる意味でも、夢づくりプランは必要だったのです」

 合併前の瑞穂町の公民館には主事として役場職員が常駐していたが、石見町は教育委員会の事務局内に公民館担当を置き、公民館の常駐職員はいなかった。合併後は全公民館が非常勤の館長、行政職員の主事、臨時職員各1名の3人体制で運営されるようになっている。

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「役所はなにもやってくれない」から「役所はなにもやらせてくれない」へ

――島根県雲南市

 2004年に6町村が合併して誕生した島根県雲南市(人口3万9132人)。ここにも昭和の合併前の町村を単位とする30の住民自治組織(雲南市では「地域自主組織」と呼ばれる)があり、自治会、町内会、消防団、営農組織、女性グループ、老人会、PTA、趣味の文化サークルなど、その地域で活動するあらゆるグループが参加する。

 組織の拠点はかつて公民館だった交流センター。各自主組織はこの交流センターの管理を市から受託、利用料収入のほか、市から指定管理料が入る。その他に人件費を含む活動資金として「地域づくり活動等交付金」も交付され、この二つを主な財源とし、会費収入や寄付も足して年間の予算を立て、必要な施策を自分たちで考え、実行する。

 そのうち旧大東町海潮うしお地区振興会は、2005年、雲南市で一番に「地域自主組織」として登録された。定年退職後、すぐに地区振興会の立ち上げにかかわった現会長の加本恂二さんが、まずやらねばと思った地域課題が「人口対策」。振興会でグリーンツーリズムに取り組む例がなかったころ、町の人を呼んで田舎暮らし体験ツアー、そば打ち体験、ホタルや夜神楽観賞などを行なった。それは町の人に海潮のことを知ってもらう目的の活動だったが、海潮の人に海潮のよさが自覚されたことの意義が大きかったという。海潮に住む若い勤め人世代やよそから嫁いで来た女性たち、子どもたちにも海潮のよさが伝わった。加本さんは「これも立派な人口対策、いやこちらのほうが本筋の人口対策ではないか」と言う。

 海潮地区の取り組みで、もっとも注目されているのが子育て支援。これもまた「人口対策」ではある。若い人が「子育てしやすい地域」だと思えば定着しやすいからだ。また外からの子育て世代の移住も増えるはず。

 海潮には公立幼稚園が1か所あるが、3~5歳しか通えないし、毎日14時までで終わり。そこで振興会が始めたのが、幼稚園放課後の預かり保育「うしおっ子ランド」(認可外保育所)。市に幼稚園の一室を提供してもらい、14時になると、子どもたちはいったん幼稚園の門を出、横のもう一つの入り口からこの一室に集まる。18時までの4時間、1日600円で子どもを預けることができ、春休みや夏休みは終日預かりで1日1500円だ(3歳未満児の預かりも、来年度から予定されている幼稚園の認定こども園化の際に実現できないかと市に働きかけている)。

 そのほかの活動も、デマンド型乗り合いタクシーの運行、空き家への移住促進(2013年と14年は3家族ずつ移住)、観光ルートマップづくり、温浴施設の運営など多岐にわたる。年度はじめには「リーダー研修」も必ず実行。15の自治会長やそのほかの構成団体の代表者など40人くらいが参加して、地域づくりの先進地の視察に行く。

「行政に頼まれるのではなく、自ら発想して、こんなことをやりたい、ということをやる。それでできないことは行政に応援を頼む。たとえ結果が出なくても、次々やっていくうちに地域は元気になってきました」(加本さん)

 雲南市政策企画部地域振興課の板持周治さんは、「個人的感想ですが」と前置きして、地域自主組織には「地域による温度差がある」と言う。

「農村部のほうが『自分たちでなんとかしないと、なんともならない』ということを経験的に知っています。それに農業をやっていくには、どうしてもみんなで力を合わせる必要がある。水路掃除や草刈りなどの共同活動や相互扶助の精神が身についているぶん、農村部のほうが自治についての意識が高いのです」

 さらに地域自主組織とはいえ「役所がやるべきことを地域に丸投げしているのでは?」という質問にこう答える。

「最初はそういう声もありましたが、最近はほとんどなくなりました。それどころか当初『役所はなにもやってくれない』だった不平が、最近は『役所はなにもやらせてくれない』という不満に変わってきました。『もっといろいろ権限を委譲しろ』というわけです」

 雲南市の交流センターの職員は、市の職員ではなくセンターの直接雇用。行政機関の一員、あるいは下請ではなく、自分たちで進める自治。そのほうが、全体の町づくり、地域づくりのレベルも高まるという。

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地域の総力をあげて農業の再生を図る

――山形県川西町

 山形県最南部の川西町(人口1万6246人)。平成の大合併を選択しなかった川西町では、7つの行政区の公民館区単位で地区経営母体である地区振興協議会が形成され、それぞれが独自のビジョンを立案し、活動を展開している(うち6つが昭和30年の合併までの町村)。

 なかでも人口630人、4集落、世帯数176戸ともっとも小さい東沢地区は、昭和の合併まで旧玉庭村の一部だったが自主自立の気風が強く、昭和40年代から玉庭地区とは別の行政区として認められてきた。

 東沢地区では、6月号「主張」でも紹介したように、1988年に全戸加入の「山村留学協力会」を結成。91年に夏休み期間中の短期留学、翌92年に1年間を基本とする長期留学の「やんちゃ留学」を開始。留学受け入れは双方向の交流を目的として東京都町田市に限定し、2004年には町田市の保護者が「相互交流のためには町田にも組織が必要」と、「まちだ夢里の会」を結成。その夢里の会の縁で、首都圏で「おむすび権米衛」約60店舗を展開する株式会社イワイとの米の取引が始まった。現在は町田、北千住、汐留、霞が関の4店舗に特別栽培米を周年供給し、青山、四ッ谷の2店舗に季節供給。イワイ社員が田植え、イネ刈りに訪れ、農家に民泊する交流も続いている。

 東沢地区では1996年から10か年の「地域整備計画」を策定、都市農村交流を中心とする地域づくりに取り組んできた。2006年には5か年を目標とする「東沢地区計画」を策定し、同年に地区のシンクタンク「東沢夢里創造研究所」を設立、イワイに米を納入する株式会社東沢米翔や東沢夢工房(農産加工)、農事組合法人、農産物直売所などを立ち上げた。2011年には町の第4次総合計画と連動した第2期地区計画「夢の里づくり物語」を策定し、さらに5か年の地域づくりに取り組んでいる。

「夢の里づくり物語」は、次のように述べている。

「米価の低迷によって農業所得は大幅に落ち込み、地域の活力低下に陥っています。このような状況を打開するためには、地域にある資源を見直し、生産された物を売ってもらうのではなく、売れる物を生産するとともに、自らが企画者、営業者となり、栽培のみの担当者から脱却する必要があります。そのためにシンクタンク機能を持つ夢里創造研究所の活動を強化し、地域の総力をあげて農業の再生を図ります」

 研究所は地区内外の10名で構成され、米などの農産物、加工品のブランド化、企画販売、インターネットの管理等を行なってきた。その活動を通して、漬物の製造を行なう「東沢夢工房」が設立され、その漬物を東京・銀座の山形県のアンテナショップで販売したり、地域資源のリストアップのなかから「寒中野菜」(キャベツ)が商品化されるなど、さまざまな成果をあげてきた。さらに地区ブランド「夢里」を商標登録、米とその加工品に使用している。

 こうした活動の結果、山村留学とその同窓会、夢里の会、イワイ社員の研修、教育旅行の受け入れなどで交流人口は拡大し、権米衛への米の納入、漬物、惣菜、寒中野菜、山菜、キノコなど農産物の販売拡大にも成功。農事組合法人夢里、東沢米翔、夢工房の3団体の売り上げは地区計画策定の2006年以降大きく伸び、現在9000万円を超え、まもなく1億円の大台に乗ると見込まれている。

「東沢地区協働のまちづくり推進会議」の広報担当であり、東沢米翔の代表取締役でもある佐々木賢一さんは「決めたことを地区計画に書くことによって、実行の素地ができる。実行しないことをいくら決めても意味はありません。逆に言えば、地区計画では実行できることを決めていくということが大事です」と言う。また社会教育中心の公民館活動から、地域づくり全般、地区経営、自治にまで踏み出したことについて、「社会教育は大事なことですが、それだけでは地域づくりは無理。社会教育も一分野として地域づくり全体に活動を広げようとしたのが96年からの『東沢地域整備計画』です。そしてシンクタンクを立ち上げ、地域全体で生産と販売までかかわっていこうとしたのが2006年からの『東沢地区計画』です」と語る。

 川西町で東沢地区のライバルと目される吉島地区(2744人、22集落、730戸)では、2007年に防犯協会や社会福祉協議会など5つの団体の会計、体制を統合、全戸出資で設立したNPO法人「きらりよしじまネットワーク」が地区経営母体となり、地区の児童50人が通う学童保育や高齢者向け再チャレンジ塾、スポーツクラブ、女性起業支援、ごみ回収事業などを経営し、年間収入は助成金も含め約6200万円。法人の事務局や学童保育指導員として8人の地域住民が働いている。

 町議でもある佐々木さんは、こう語る。

「みんなプライドのかたまり。それがいい意味で切磋琢磨につながる。川西町でも地方創生の地方版人口ビジョン、地方版総合戦略をつくらなければいけませんが、来年度からスタートする第5次総合計画も連動して同時策定しているところです。併せて、これまで各地区バラバラだった地区計画のスタート年次を2016年度に統一することになりました。町の考えを受けて、7つの地区がいっせいに地区版総合戦略と人口ビジョンを策定しているところです」

「まるで昭和の合併以前の町村にもどったようですね」と聞くと、佐々木さんは「もう1回コミュニティに回帰しているんですね。合併で大きくなっただけじゃない。小さくもなっているんです」と、答えた。

「人口減少に立ち向かう市町村」の最前線は、「昭和の合併前の町村」を単位とする住民自治活動にあるようだ。こうした全国同時多発的な動きについて、国も「小さな拠点」(国交省)、「集落ネットワーク圏」(総務省)、「集落間ネットワーク」(農水省)など、呼称は異なるものの注目し、支援し始めた。一方、雲南市が、三重県伊賀市、名張市、兵庫県朝来市とともに今年2月に呼びかけた「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」には、全国から168もの自治体が参加を表明(8月17日現在)。住民自治組織の活動が加速している。

(農文協論説委員会)

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