主張

ほんとうの「地方創生」とはなにか
地域の総力で田園回帰時代をひらく

 目次
◆アベノミクスと「地方創生」は相いれない
◆「地方創生」は「田園回帰」で
◆「田園回帰」を本流にする地域での仕事づくり
◆飼料米の拡大・定着で、新「みずほの国」構想を
◆「多面的機能支払」を活用して協同活動の回復を
◆「国際家族農業年」に続き2015年は「国際土壌年」

アベノミクスと「地方創生」は相いれない

 2015年は、どんな年になるのだろう。

「地方創生法」が成立し、安倍政権は「地方創生」と「女性の活躍」に全力を挙げると表明、これを実現するために「大胆な規制改革のさらなる実行により成長戦略の成功を目指す」という。

 しかし、そもそも「地方創生」や「女性の活躍」は、成長戦略やそれに向けての規制改革とは全く相いれないテーマだ。経済成長至上主義と新自由主義こそが地方と女性に大きな苦難を与え、今日のいびつな人口減少社会をつくってきたことは、だれの目にも明らかになっている。

 米の直接支払いの半減・5年後廃止の決定、そして、農協改革をはじめ、農業生産法人、農業委員会への規制改革会議の攻撃が強まるなかで、平成26年産米価の大暴落が農業農村を襲った。この一連の流れは、近隣のイネつくりを託された大きな農家や集落営農等農業生産法人はもとより、稲作所得の減少は地域全体の経済を縮小させ、「地方創生」に打撃を与えるものである。

 さまざまな策を弄した金融緩和による円安と株高も海外に軸足を移した大企業を潤すだけで、地方にとっては資材高騰による収支悪化・経済の縮小に拍車をかけるだけである。国全体のGDPの拡大をはかる経済成長政策・円安株高が地方に恩恵をもたらすことはなく、かえって市町村経済を疲弊させる。市町村合併によって旧市町村がさらなる過疎化を強いられたこれまでの経験に学べば、このことは明らかである。結果として、国家と市町村自治体、企業と国民間の利害対立はますます深まるであろう。

 これ以上の「地方衰退」「地域破壊」から免れるには、「お金のモノサシ」で物事を考えることをやめなければならない。グローバル経済志向の国の尺度からものを考えるのではなく、そこに暮らす人の立場、等身大の「暮らしのモノサシ」から「地方創生」を考えるのでなければならない。

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「地方創生」は「田園回帰」で

 2015年は、「地方創生」「人口減少社会」問題がさまざまな施策の重点課題として大きくクローズアップされる。その発端は、2014年5月、「日本創生会議・人口減少問題検討分科会」が、2040年には若年女性(20~39歳)人口が半減する自治体数が全国の半数896自治体に及び、これらの自治体について「消滅可能性が高い」としたことである。

 この「市町村消滅論」を背景に設立された「まち・ひと・しごと創生本部」第1回会合で安倍首相は「景気回復の波を全国隅々にまで届け、人口減少を克服していく」と挨拶した。このように国がすすめる「地方創生」は明らかに「成長戦略」の一環であり、「選択と集中」という、新たな市町村合併(小中学校の統廃合も)を準備するものにほかならない。

「暮らしのモノサシ」で考えるほんとうの「地方創生」とは何かを考えてみたい。

 第一の問題は、人口減少社会の元凶とされる少子高齢化の原因は何なのかである。人生50年時代から80年時代の長寿社会を実現した高齢化とは、それが生涯現役の健康長寿であれば人類の長年の願いがかなえられた喜ばしいことである。それに対して少子化とは、子育てに見通しをもちにくい現代都市型社会特有のまったく意味がちがう現象なのである。

 つまり、自然から徹底して乖離することによって獲得した利便社会がもたらした、共同性の支えなしの個人主義的ライフスタイルが問題なのである。高齢者はコスト高、そして若者も女性も生産と消費の担い手としてしかみないという、経済合理主義的なモノサシによる人間の扱いがライフスタイルを狂わしている。

 第二に、地方の過疎と東京を中心とした大都市圏の過密の問題。そこには、大都市での地域と暮らしの崩壊がある。つまり、巨大な金融経済の集積地・大都市東京こそが人口減少の諸悪の根源で、そこでの地域の崩壊が待機児童、介護の待機老人、若者女性の不正規労働、家族の極小世帯化と晩婚未婚率の上昇など、非人間的な場所に転化してしまっている。そこに暮らす人々の人間性回復、農山漁村地域との結びつきこそがいま求められている。

 第三に、経済合理主義的モノサシに加え、科学的な装いで語られる人口予測などに身をゆだねて事柄を判断する態度を、問題にしなければならない。

 実はたいした根拠もない「予測」がいつの間にか人々の豊かな思考や連帯への想像力を封じ込める。

 そこに住み続けようとする人間の意思・欲求を大事にする姿勢がいま求められている。市町村の歳入減少、企業や個人の所得など経済の縮小で、かりに、市町村財政が滅ぶことがあっても農家・農村が滅ぶことはありえない。そうした事態に耐えうる最も強い存在が「自給の思想」に支えられた農家である。

 科学的にかつ経済合理的に正しいとされる、規模拡大による経済成長という工業的論理は、人びとの生産と生活の徹底的分離を前提に成立している。その論理がグローバル時代のいま、人間の際限のない消費者化(GDP拡大)をすすめ、コミュニティと地域自然を破壊することで「規模の不経済」に転化する。21世紀に入って、とりわけ3・11東日本大震災・福島原発事故を契機に、生産?流通?消費、そして廃棄のすべての段階でその綻びが誰にもわかる形で見えてきた。そうした流れを超えて生まれているのが「田園回帰」の新しい潮流である。

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「田園回帰」を本流にする地域での仕事づくり

 平成のバブル崩壊後の1990年代、「定年帰農 6万人の人生二毛作」(現代農業1998年2月増刊)という田園回帰の大きな流れを農村は経験した。その帰農・帰村の新しい流れを実現したのは人生80年時代という長寿社会であり、それは生涯現役の生き方を農村というフィールドで全うするライフスタイル革命でもあった。そして、そのライフスタイルを現実に可能にしたのは、小力技術を開発し、地域社会とつながりながら所得にもなる直売農業を広めた昭和ひと桁世代の農家である。

 それからおよそ20年後の2015年、戦後生まれの団塊とその前後の世代がすべて年金を背負って地域に帰り、地域に役立つ仕事を生きがいにしたい人たちでにぎやかになる。さらに3・11東日本大震災後、地域おこし協力隊に見られるように、若者が農村での暮らし・仕事に魅力を見い出し、それを後押しする自治体も増えてきた。新しい仕事起こしは、地域での暮らしがバラバラになった都会にではなく地方・農村に大きなフロンティアが拓けている。それは高度経済成長時代にはなかった暮らしの場としての農山漁村地域への注目であり、「地域の再生」という仕事とそこでの暮らしに自己実現的な生きがいを見つけようとする若者世代の出現である。

 日常生活を支える生活関連産業(ライフライン)は、かつてそのほとんどが家族経営として営まれていた。製造業から小売業に至るまで撤退がすすむ中山間地はそのライフラインの再構築とともに、田畑だけでなく山・川・海からの恵み・地域資源を生かしたコミュニティビジネスの最先端にいる。

 一般に、「コミュニティビジネスとは、地域が抱える課題を、地域資源を生かしながら地域住民が主体的に、ビジネスの手法を用いて解決する取り組み」と捉えられ、特に都市部では、行政コストの削減のための行政の民営化パートナーや行政の手の届かないきめの細かいサービス提供の担い手の役割、シニア・主婦・学生等による社会企業化の輩出などが期待されている。

 それに対して、農村部のコミュニティビジネスは、「集落営農」の活動などに見られるように、「地域環境の維持保全の協同活動」「生産の協同活動」「暮らしの協同活動」が三位一体的に結合し、地域の公益を目的に拠出・蓄積された「社会的共通資本」によって運営される自治的組織として進化している。

 人間がその土地で暮らしていくうえで最も基礎的な食べものとエネルギー。その食べものを生産する基礎的なインフラである田畑と水利施設、そして肥料や家畜の飼料の給源としての里山・入会地、それらを持続させる協同活動の仕組みは、数千年の歴史のなかで営々と築かれてきたものである。エネルギー源も同様に山から薪炭で賄い水力や家畜力も十全に使った。これら地域資源のまるごと活用が近代化とともに化石資源利用に変わったことで地域の人口扶養力を縮小させてきた。

 地域資源の現代的活用と協同活動の取り戻しこそが、「地方創生」の道である。

 そして2015年、国民的課題になる「地方創生」を、農家の暮らしが成り立つほんとうの田園回帰時代にするために、特別に取り組みたい3つのことがある。

 ①飼料米・水田のフル活用を地域資源活用の立場から、②日本型直接支払・多面的機能支払の活用をむらの共同回復の立場から、③家族農業年に次ぐ国際土壌年という国連決議を農業の国民的理解を広げる機会に、の3つである。

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飼料米の拡大・定着で、新「みずほの国」構想を

 2015年は、飼料米・飼料イネの拡大定着が大きな課題になる年である。

 飼料米を核とした「水田のフル活用」は、純国産飼料自給率30%に満たない畜産農家の経営を助ける。近年の穀類の国際相場の値上がりやここにきて急激な円安等による飼料高は、畜産農家に一層の規模拡大を迫っている。しかし、自営草地はいうに及ばず地域への糞尿処理・堆肥還元は限度を超え、それに加えてシステム化された飼養様式の経営継承がすすまないことなど、「規模の論理」の破綻が農家を苦しめている。

 そうしたなかで、飼料米・飼料イネの耕畜連携によって地域自給型の畜産への取り組みが本格的に始まり、新規需要米等による水田のフル活用で荒廃地の活用がすすんでいる。この流れを大きく確かなものにすることは、地域に仕事とお金の新しい循環を興す重要なテーマである。

 最大10万5000円の数量払いに変わった飼料用米・米粉用米、そして、WCS、酒米や中食・外食用の業務用米、さらにマコモタケなど水田を活かした地域の特産・野菜なども含め「水田フル活用ビジョン」を描くことから始めたい。稲作と水田活用の展望を拓くことの意味は大変大きい。

 20数年前に発行され話題を呼んだ角田重三郎氏(東北大学名誉教授)の『新『みずほの国』構想』(農文協刊、1991年)に再び耳を傾けてみよう。

「結局のところ、一部の経済学者も指摘しているように、農産物、特に穀物を『貿易財』としてみる見方(ガットなどの観点)では、現在の農業政策についての対立は解けないのではなかろうか。農産物とくに穀物を『公共財』としてみる見方(国連の食糧理事会などの観点)をもっと重視する必要があると考えられる」

 穀物を「公共財」としてみる考え方から角田氏は、「米は基本的に食用であるが、需給に応じて加工用にも飼料用にも、場合によっては燃料用にも回す」と述べ、この「主穀の稲に十二分に働いてもらうために割り当て減反政策から脱却できれば、農家の自主性が回復され風土が素直に生かされるので、米価などを総合調整すれば生産者・消費者・納税者の三方一両得にもなる」と、米価暴落の現在を予見していたような提案をしている。

 そして、「日本が稲作の役割を一段高めて、アジア独自の成熟近代社会『新みずほの国』を創造する」ということは、地域のアイデンティティを取り戻すことだとして次のように指摘している。

「日本にとって特に大切なのは縄文の自然―『海』と『森』と『川』、そしてこれらに抱かれて成立している『水田稲作』ではなかろうか。国土の三分の二もの森(山林)が残されており、水田稲作は川を拡大した形でつくられ森の恵みを受けている。森・川・田をめぐる水は適度の養分を含んで沿海に帰り、魚介を育てている。このようにして、緑と水の豊かな景観、木の文化、稲作の文化、魚食の文化など繊細で健康な文化、日本のアイデンティティにかかわる景観や文化が作られたのである」

 これからの人口減少社会を食用米の需要予測屋になって考えるのではなく、コメづくりと水田活用に思い切り腕をふるえる場を用意する。こうして地域のアイデンティティを取り戻す。地域で「水田フル活用ビジョン」をつくり実践することは「新みずほの国」構想に向けた大きな一歩になる協同活動なのである。

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「多面的機能支払」を活用して協同活動の回復を

 そして、「日本型直接支払」の活用が地域の協同活動を一層強める。2015年4月から施行されるいわゆる「日本型直接支払」(農業の有する多面的機能の発揮の促進に関する法律)では、従来の中山間地直接支払、環境保全型農業直接支払とあわせ、新たに多面的機能支払が加えられた。

 この農業・農村の多面的機能は、「国土の保全、水源の涵養(かんよう)、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承等、農村で農業生産活動が行われることにより生ずる、食料その他の農産物の供給の機能以外の多面にわたる機能」と定義されており、個々の農家が行なう「法面の草刈り」や「水路の泥上げ」などが「農地維持支払」として新設され、また、資源向上支払(共同活動)には水路、農道の補修保全に加えて、遊休農地の活用、防災・減災力の強化、農村文化の伝承を通じた農村コミュニティの強化なども「多面的機能の増進を図る活動」として新たに追加された。

 農業の多面的機能は家族農業が成り立つことで維持される。新設された「多面的機能支払」の大きな特徴は、近代化によって失われつつある伝統的な農村の協同活動や、直接的な稼ぎにはならない農耕と暮らしを成り立たせる仕事などが盛り込まれたところにある。もともと農村は、地域ごとに異なる風土という自然力と、共同に支えられた農家力(暮らしを創る力、自給力)によって成り立ってきた。その協同活動を回復させることがグローバリズムに負けない地域経済の基礎をつくる。

 先月12月号の「主張」で述べたように、「日本型直接支払」は農家、地域の裁量が大きい。もっとめいっぱい使いたい。

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「国際家族農業年」に続き2015年は「国際土壌年」

 2013年12月、国連食糧農業機関(FAO)は、2015年を「国際土壌年」とすると宣言した。

 FAOは、世界的に深刻さを増す砂漠化、水不足、土壌劣化に警告を発し、「優良な土壌管理を含めた土地管理がとくに経済成長、生物多様性、持続可能な農業と食糧の安全保障、貧困撲滅、女性の地位向上、気候変動への対応及び水利用の改善への貢献を含む経済的、社会的な重要性を認識し」、全加盟国が土壌の大切さへの国民的理解と土壌保全にむけた活動を進めるよう、求めている。

 土壌と土地は地球上の生命を維持する要であり自然と人間の関係の根源をなす。そして、この土壌を育て守っているのがほかならぬ家族農業である。家族農業を軽視し、海外への食料依存を強めることは、日本が、海外の土壌の劣化や水資源の枯渇などに加担する道である。

 2014年の「国際家族農業年」に続く「国際土壌年」。世界から貧困と飢餓をなくす国際的潮流に日本が貢献する道は、水田を守り、食料自給を強めることにあることを読者とともに広く国民にアピールする機会としたい。

 農文協では2015年新春、「シリーズ地域の再生・田園回帰編」(全5巻)をスタートさせ、「DVD つくるぞ、使うぞ 飼料米・飼料イネ」(全2巻)、「別冊現代農業 飼料米・飼料イネ」、「多面的機能支払」の重要な仕事である雑草管理にむけたDVD「雑草の管理の基本技術と実際」(全4巻)、さらに国際土壌年記念ブックレットを発行する。

 2015年を、ともに元気な、明るい年にしよう。

(農文協論説委員会)

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