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農文協トップ主張 2014年9月号

農協の大義
規制改革会議の「農協解体=小農排除」という愚行

 目次
◆「岩盤」を壊すラストチャンス
◆農協ほど誤解と偏見の下にあるものはない
◆総合農協の大義―小さな農家を守る
◆むらの農協を生んだ相互扶助の精神
◆日本農業は人類史的な大実験をしている
◆「移動できない小さい産業」への攻撃
◆農村社会をルーツにもつ日本の社会のかたちの一掃

 大切なことは、日本の経験が小規模家族農業の可能性を事実をもって示していることである。その意味では、日本農業は人類史的な大実験をしてきたのだといってよい。その大事な実験を中途で断ち切り、企業農業に切り替えようとする愚行を、世界はいま糾弾しているのである。(後掲『農協の大義』より)

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「岩盤」を壊すラストチャンス

 政府の審議会・規制改革会議が5月22日に発表した「農業改革に関する意見」(以下「意見」とする)が、農業界に大きな衝撃を与えている。簡単にいうと、農協中央会を廃止し、全農は株式会社化する。単協は業務から信用・共済事業をはずして専門農協化を進める。農業委員会は市町村長による選任制度に転換して弾力的な農地転用が可能となる体制にし、農地を所有できる農業生産法人の役員要件も緩和し、一般企業の農地所有を行ないやすくする。

 戦後の日本農業を支えてきた農協・農業委員会等の制度を「岩盤」とみてこれを壊す。そのねらいについて「意見」の冒頭文章は、「競争力ある農業」「農業の成長産業化を実現する」と謳い、「今回の農業改革は農業政策上の大転換をするラストチャンスである。このような基本認識の下、規制改革会議として、以下のとおり非連続な農業改革を断行することを提言する」と威勢よく締めくくっている。

 成長戦略を進める安倍晋三首相はこの「意見」を大いに歓迎し、紆余曲折はあろうが、安倍政権はこの「意見」に沿って農業改革を進めようとするだろう。

 これに対し農文協では、二つのブックレットをこの8月、緊急出版する。太田原高昭さん(北大名誉教授)の『農協の大義』、そして『シリーズ地域の再生』(農文協刊)の著者たちによる『規制改革会議の「農業改革」 20氏の意見―地域と共同を再生するとはどういうことか』である。

 単に農協擁護論や政治的批判をしようというわけではない。大マスコミが扱おうとしない規制改革会議の「意見」の本質、その危険性を明らかにし、「地域と共同を再生する」ために何が大切かを、農家、農協人、地域に暮らす人々、さらに広く国民とともに考え、議論を深めることに寄与したいという願いをもってこのブックレットは企画された。

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農協ほど誤解と偏見の下にあるものはない

農協の大義』の「まえがき」で太田原さんはこう記している。

「本書は、この『農業改革に関する意見』を取り上げ、それを逐条的に検討・批判したものであるが、それを通じて、農協や農業委員会が、農村の現場において実際にどのような役割を果たしているのかを伝えることに力点を置いた。

 また農協が今日のようなかたちと機能をもつに至った歴史的経緯や、世界の農協と比較した場合の日本的特質などについても考察した。そして日本型農協とその土台となっているわが国の家族農業が、国際的にはどのような評価と期待を受けているかを述べている」

 農協の存在意味を歴史的に、そして世界的視点に立って明らかにしようということである。かたや、「意見」には歴史も世界もない。「不連続」な改革には、農協運動の歴史も世界の農業・農家の実情、課題も関係ないのである。

 著者の太田原さんは30年前、農産物貿易自由化論と農協バッシングが激しさを増すなか、『明日の農協』(武内哲夫さんとの共著)を執筆、大変大きな反響を呼んだ。このブックレットは、そんなわが国農協論の第一人者による渾身の書き下ろしである。「まえがき」はこう続く。

「ある意味では、この国において農協ほど誤解と偏見の下にあるものはないと言えるのではないか。それにはさまざまの要因があるのだが、そうした誤解や偏見を払拭するためにどれだけ努力してきたかという研究者としての反省が、私にこの本を書かせた」

 現状の農協にさまざまな問題・課題があり「自己改革」が必要としても、その土台に「大義」がすわってなければならない。農協人や組合員である農家が「大義」をもって、課題に立ち向かっていってほしい。本書にはそんな願いが込められている。

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総合農協の大義―小さな農家を守る

「意見」は明確に「総合農協」、つまり地域の農協を解体しようという宣言である。単に中央会や全農攻撃ではない。「単協が地域の多様な実情に即して独自性を発揮し、自主的に地域農業の発展に取り組むことができるよう、中央会主導から単協中心へ」などと「意見」は述べているが、これがまやかしであることを本書は余すことなく明快に論じている。

 それでは「総合農協」の大義はどこにあるか。一言でいえば、農協が「小さい農家」を守ってきたことにある。その歴史的な取り組みとして、太田原さんは高度成長期における二つの農協の先駆的な取り組みを紹介している。

 一つは、茨城県の玉川農協。野菜や畜産などを加えることで、規模が小さくても農家所得を増やすイネプラスアルファ方式が、大きな反響を呼んだ。次いで全国的に影響を与えたのは岩手県志和農協の「志和型複合経営」である。出稼ぎ依存から脱却するために複合部門として畜産、果樹、野菜、シイタケなどをメニュー方式にし、これを農協の営農指導と販売体制が支えた。

 この取り組みの指針となった「志和地区農業近代化計画」(1964年)はこう述べている。

「農業に精進しようとする意欲的な農民は(略)、強者が生き残って平面的な農業の規模拡大を行うというような方法をとらずに、畜産、青果を振興し、農民が協力団結して、農村が平和と秩序を保ちながら、立体的な農業規模の拡大を成就する方法を選んでおり、この計画の遂行によって、農協精神の神髄と農協運動の本領を遺憾なく発揮しようとするものであります」

 これを受けて太田原さんはこう記している。

「この文章は今読んでも、まるで規制改革会議の農業・農協論への反論であるかのように新鮮であり、協同組合としての農協の在り方を見事に示している。志和農協はその後周辺の農協と合併して『いわて中央農協』となり、集落営農法人化の実績で農水大臣賞を受賞するなど優良農協として知られている」

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むらの農協を生んだ相互扶助の精神

 選択的規模拡大を軸とする近代化農政に対し、農家はイネの増収を意欲的に進めながらプラスアルファ・複合経営で所得を確保し、一方ではイネプラス兼業という形で伝来の田畑を守り、むらの農協はこれを支えた。出稼ぎでなく地元で仕事をという切実な要望に、役場と一緒になって工場誘致その他、兼業先の確保に奔走したのも農協である。専業、兼業問わず、むらで暮らし続けるための協同活動が、経済成長は小農の大量離脱を伴うという世界の常識とはちがった日本的な特質をもたらしたのである。

 日本型農協の形成の土台にはむらの相互扶助精神があった。「意見」が農協から奪おうとする「信用事業」も相互扶助の精神から生まれたものであり、それは「二宮尊徳によってその基礎が築かれた」と太田原さんは述べている。

「二宮は幕末の荒廃した農村の再建に大きな功績を挙げた人であり、その事業の中心となっていたのが村人の相互扶助のための金融機関である報徳社であった。(略)。報徳社は、二宮の門人たちによって明治になっても各地にひろがり、貨幣経済の浸透による農民の窮乏化に歯止めをかける役割を果たした。産業組合法による信用組合も、この報徳社に起源をもつものが多かったのである」

 共済事業も同様だ。一般の保険の掛け金が高く、貧しい農民は加入できないとして組合保険の必要性は早くから説かれていたが、この動きは保険業界によって抑え込まれ、戦後の農協法においてようやく認められたものだという。

 Aコープやガソリンスタンドなどの農協生活関連事業も、もともとは商業施設のない農村地域の切実な要求に応えて生まれたものであり、厚生事業も「戦前の昭和恐慌期から取り組まれた無医村解消の運動が実を結んだもので、ヒューマニズムに彩られた長い歴史をもっている」

 厚生病院の特徴は予防医学を重視することで、「若月俊一医師を先頭とした長野県佐久総合病院の取り組みは長野県全体の医療にひろがり、長野県を全国きっての長寿県にした」。そして今、「過疎地だけでなく、地方の医療事情が深刻化し、現代の無医村が各地に生まれているなかで、厚生病院を中心とする農協厚生事業の果たす役割はますます重要になっているのではないか。その解消を提言することは時代の要請に逆行しているといわなければならない」とし、「全体を通じて、『意見』には地方や弱者についての配慮が全く欠けている」と批判している。

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日本農業は人類史的な大実験をしている

「意見」には相互扶助で支え合う農村の姿は見えず、農業は成長すべき産業の一種でしかない。小さい農家、兼業農家とこれを支える農協が邪魔者に見えるのも当然だ。

 それは、必ずや歴史から反撃されるであろう。太田原さんはこう記している。

「農業基本法いらい、農政はこうした農業集落の論理に気づかず、または無視して構造改革を追求してきた。農基法の産みの親とされる東畑精一博士が『自立経営をつくろうとする政策に対して、農家が総兼業化という方法で抵抗するとは思わなかった』と慨嘆し、『構造改革は失敗だった』と述べたことは有名である。これからも兼業農家の存在を否定するような政策に対しては、農家も農協も強い抵抗を続けるであろう」

「小さい農家」を守ってきた日本の農協を、「欧米の専門農協にくらべて遅れた存在であり、取り残された『ガラパゴス農協』だという人がいる」がとんでもない話だと、太田原さんは、日本の農協への高い国際的評価を紹介している。

 1980年のICA(国際協同組合同盟・組合員10億人に達するという世界最大のNGO組織)の世界大会では、レイドロウ会長が「総合農協がなければ、農民の生活や地域社会全体は、まったく異なったものとなろう」と報告、日本型総合農協は、世界の協同組合の危機を打開する方向性を示すものとして紹介している。

 このICAは規制改革会議の「意見」に対し6月1日、「国連の国際家族農業年という年に、農家による協同組織の結束と繁栄を脅かすような日本の農業協同組合の組織改革案を非難する」という声明を発表した。

「ICAは、アジア、アフリカの発展途上国の農協の発展のための有効なモデルとして日本型総合農協を位置づけているとみられる」として、太田原さんはこう記している。

「世界の小規模農業の中で、なぜ日本だけが近代化と生産力アップに成功したのか。農地改革と農地法、農協制度、農業改良普及制度、農業金融制度など、いわゆる戦後自作農体制といわれる諸制度がそれを可能にしてきた。これらは多くの途上国において未達の課題となっており、それだけにこれからの世界のモデルとしても貴重なものである」

「日本は東アジアに共通する稲作農業を、江戸時代までは他国とあまり変わらない技術水準で行ってきた。明治維新の後はいわゆる『明治農法』によって単位面積当たり収量をおよそ2倍に引き上げた。農地改革の後には『生産力の戦後段階』と呼ばれる新たな段階を築き、収量をさらに2倍に引き上げた。そして高度経済成長の時代には、小規模経営のままでの機械化と省力化に成功した。(略)

 大切なことは、日本の経験が小規模家族農業の可能性を事実をもって示していることである。その意味では、日本農業は人類史的な大実験をしてきたのだといってよい。その大事な実験を中途で断ち切り、企業農業に切り替えようとする愚行を、世界はいま糾弾しているのである」

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「移動できない小さい産業」への攻撃

「意見」に対しては、日本協同組合連絡協議会(JJC)も強い懸念を表明している。JJCは農協、漁協、生協、労金協会、日本労協連など13団体が加盟する国内の協同組合の連絡協議会だが、今回の「意見」は農協だけの問題ではないことを、太田原さんはこう記している。

「信用組合や信用金庫は、戦前の産業組合法によって設立された市街地信用組合から発展したもので、現在でも協同組合精神をベースにして地域金融の主柱となっている」

「瀬戸焼、有田焼などの焼き物産地は全国にひろがっているが、どの産地でも窯元は一軒ずつ独立して自由な作風を謳歌している。しかし原料の土や燃料を共同購入し、販売活動を共同で行なうための協同組合が中小企業協同組合法に基づいて組織されている。焼き物に限らず、西陣の織物でも天童の将棋駒でも、およそ地場産業といわれる地方経済のほとんどが中小企業協同組合に支えられているのである」

 規制改革の「意見」は、単なる「農業」への意見ではない。それは、規制改革会議や産業競争力会議が代弁する「移動できる大資本」による、大地や海=地域から「移動できない小さい産業」への攻撃なのである。

 人間社会は今、市場原理のみを至上の原理とする経済社会の在り方に対し、もうひとつのセクター、参加、協同、共生等を原理とする「共同セクター」を必要としている。

 太田原さんが本書で熱く主張しているように、資本による収奪や分断から自らを守るために生まれた相互扶助、協同組合運動は現代において、ますますその価値、必要性を高めている。この高まりを恐れて、規制改革会議は「ラストチャンス」と焦っているのだろうか。

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農村社会をルーツにもつ日本の社会のかたちの一掃

 農協は地域から移動できない組織である。合併はできても移動はできない。この農協は、移動できない人々を襲い苦しめている「原発事故」に際し大きな力を発揮した。

農協の大義』に続いて出版される農文協ブックレット『規制改革会議の「農業改革」 20氏の意見―地域と共同を再生するとはどういうことか』のなかで、小山良太さん(福島大学教授・うつくしまふくしま未来支援センター副センター長)はこう記している。

「思い出してみてほしい。原発事故で日本全国が混乱のさなかにあった2011年4月の段階で、県中央会は、福島県内の単協、農家、行政に呼びかけ損害賠償の窓口を買って出たのである。その応援、サポートを徹底的に行なったのが他でもない全国農協中央会(全中)であった。筆者も震災の混乱の中、さまざまな会議や調査研究の中で農協の県組織、全国組織と協議を行なった。その仕事量は中央の政治家や中央行政機関の比ではない」

 協同組合精神の弱体化、農家・地域離れなど、農協への批判はいろいろある。「岩盤」に亀裂も生じていよう。「移動できる大資本」はその亀裂にドリルを打ち込んで破壊しようとするだろう。

 しかし、これを許すことは、この国のかたちに関わる。

 同ブックレットで哲学者の内山節さんは、「曖昧さ=日本の伝統的な支配権力のかたち」の転換が進められているとしたうえで、こう述べている。

「一方には地域とともに生きる組合員や農協職員がいて、他方には金融・商社的経営団体にすぎないといってもよい農協がある。この曖昧さとともにこの間の農協の歴史は形成されてきたといってもよい。農業もまた市場での支配権を争う産業にしていこうとするなら、農協のもっているこの曖昧さを取り払うことも必要になるのであり、ゆえに『農協改革』が課題になってきたといってもよい。

 このように考えていくなら、今日の『改革』の方向性は、権力=支配権が曖昧なかたちで展開してきた戦後社会の『改革』であるといってもよいだろう。目指されているものは権力の集中であり、曖昧であるがゆえに保たれてきた戦後的平和の転換でもある。そしてそれは、自営農民を基盤とした農村社会をルーツにもつ日本の社会のかたちの一掃でもあることを、私たちはみておかなければならないだろう」

(農文協論説委員会)

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「田舎の本屋さん」のおすすめ本

現代農業 2014年9月号
この記事の掲載号
現代農業 2014年9月号

特集:キャベツの底力
イナ作 イナワラで稼ぐ/野菜・花 新品目多収のカンドコロ/果物の荷造り・出荷をスイスイ/牛舎の暑さ対策/うまい びっくり 健康トマトジュース/果樹産地こうして守る/10分でできる 超かんたんピザ窯/夏にシカを獲る ほか。[本を詳しく見る]

農協の大義 農協の大義

太田原高昭 著
なぜ日本の農業協同組合は総合かつ系統農協でなければならないのか、なぜ農業委員会は農家による選挙を経た委員会でなければならないのか、などの視点から、規制改革会議の「意見」を地方・地域社会を破壊するものとしてその無知・暴論を逐条的に徹底批判。併せてわが国社会インフラの一環としての農業、農協諸制度の因って来る歴史的形成過程とその必然性、および今後の自主改革への道を提言。 [本を詳しく見る]

農協の大義 規制改革会議の「農業改革」 20氏の意見―地域と共同を再生するとはどういうことか』

農文協 編
日本社会が直面する課題=“地域と共同の再生"を真っ向から否定し、大資本本位の成長戦略の鋳型に農業・農協をはめ込み利用しようとする政府・規制改革会議の農業改革案を徹底批判。協同組合の大義を明らかにする。 [本を詳しく見る]

農協は地域に何ができるか 明日の農協★在庫僅少

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