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農文協トップ主張 2008年7月号

子どもの農業体験を地域づくりに活かす
二つの事業(「教育ファーム」「子ども農山漁村交流プロジェクト」)の農家的活用法

目次
◆農家が主人公になる二つの体験事業
◆新しい学習指導要領でも体験の見直しが
◆農業・農村という場のもつ教育力
◆都市との交流が集落を元気づける
◆生きものにぎわう魅力的な田んぼ・畑を
◆子どもを鎹にして地域コミュニティをつくる
◆関連リンク

農家が主人公になる2つの体験事業

 田植えのときの苗運びやニワトリやウサギの世話など、昔は子どもが家の農業を手伝うのが当たり前だった。機械化されたいまの農業では子どもが手伝う場面はめっきり少なくなっている。一方で学校での農業体験は盛んになった。古くは勤労生産学習、いまは総合学習(「総合的な学習の時間」)だ。読者のみなさんのなかにも、地元の小学校のイネや野菜の栽培、わら細工などを指導されている方が多いのではないだろうか。

 そうしたなか、国が音頭をとり、農家が主人公となって農業・農村体験をすすめていこうという2つの事業が動き出した。

 ひとつは農林水産省がすすめる「教育ファーム推進事業」。「教育ファーム」は「自然の恩恵や食に関わる人々の様々な活動への理解を深めること等を目的として、市町村、農林漁業者、学校などが一連の農作業等の体験の機会を提供する取組」である。そこでは農家(林家・漁家も含む)の指導を受け、同じ作物で2つ以上の作業を年間2日以上体験する、イネでいえば、苗作り、田おこし、畦づくり、代かき、田植え、水管理、草取り、稲刈り…といった作業のうち、できるだけ多くの作業を行なう。1年を通して農作物の成長を感じ、時にはきつい作業を行なうことで、自然の力や生産の苦労や喜びを感じ、この体験をとおして、食べることや農林漁業の大切さを実感することができるだろう、とされている(農林水産省「GO! GO! 教育ファーム」より)。簡単に言えば、農(林漁)家が指導する、1回かぎりのイベントではない「本物の農林漁業体験」のことだ。こうした教育ファームを計画に沿って推進する市町村を、今後2年間で60%まで増やすことを目標にしている。

 もうひとつの事業は、総務省と文部科学省、農林水産省が連携してすすめる「子ども農山漁村交流プロジェクト」。このプロジェクトのポイントは、(1)1週間程度の長期の宿泊体験活動であること、(2)農林漁家に民泊して農山漁村の生活を体験すること、(3)農林漁業体験を通して食の大切さを学ぶこと、である。こちらは今後5年間に、全国のすべての小学校の1つの学年で実施することを目指している。全国2万3000校の一学年の児童数は約120万人にのぼる。この膨大な数の子どもを受け入れるために、全国500カ所程度の受入地域を整備していくことが想定されている。

 従来も小学校では移動教室や林間学校として、一泊二日程度の自然体験活動が行なわれてきたが、この事業では、長期滞在しながら本格的な農山漁村生活を体験することが特徴である。

 この2つの事業はいずれも農家が主人公になって、子どもに本物の農業・農村体験を積ませようという点で共通している。では、なぜいま、国がわざわざ補助金を出して取り組むほど、「本物の農林漁業体験」が求められているのだろうか。ここでは教育という視点から見ていこう。

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新しい学習指導要領でも体験の見直しが

 国の教育の方針を定める学習指導要領は10年ごとに改訂されるが、今年3月、新しい学習指導要領が公示された。新聞やテレビの報道では、ゆとり教育の見直しと授業時間数増がさかんに喧伝されているが、文部科学省によれば、新しい学習指導要領の柱のひとつは、体験活動の充実である。体験活動のなかでも、とくに小学校では集団宿泊活動が、中学校では職場体験活動、高校では奉仕体験活動や就業体験活動が重視される。

 では、なぜ学校が体験活動をすすめなければならないか。それは、日常生活のなかで、生産的な体験があまりにも少なくなっているからである。

 内田樹さんの『下流志向』(講談社)という本がある。いま多くの子どもたちがなぜ自らすすんで学ぶことをしなくなったか、働かない若者たちがなぜ増えてきたか、その原因を鋭くえぐりだしてベストセラーになった本だ。内田氏はその大きな原因として、子どもが家事労働にかかわらなくなったことをあげている。草むしりにしろ、打ち水にしろ、かつて子どもたちは家庭の仕事を手伝うことで、親からほめられ、それをうれしく思い、誇りをもつことで成長していった。

 いまの子どもたちは「小さな働き手」として認められるかわりに、小さいころから一人前の消費者として扱われると内田氏は指摘する。コンビニエンスストアやスーパーマーケットのレジの前では、人生の経験を積んだ80歳のお年寄りも4歳の子どもも同格だ。「いらっしゃいませ」と店員に笑顔をふりまかれ、代価を支払いさえすれば当たり前のように求める品物を手に入れることができる。

 子どもが生産労働や家事労働から切り離されることで、子どもが労働をとおして自然と対話したり、自己を確立していく機会は失われる。そして、一丁前の消費者として損得だけを計算する子どもが育っていく、というわけである。

 この根本のところが変わらないないかぎり、学校でどう教えてもうまくいかないのは道理である。学校で体験が改めて重視される背景にはこうした社会の変化と、子どもが育つ状況の変化がある。となれば、必要なのは、かつては当たり前だった生産的な体験の場を意識的につくることだ。農山漁村という場はそれにぴったりなのである。

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農業・農村という場のもつ教育力

 実際の農業・農村体験はどのようにすすめられているだろうか。

 青森県十和田市切田地区の豊川総一さんは稲作4.5haを中心に、野菜と和牛繁殖の複合経営を営む専業農家である。平成15年から中・高校生の農業体験の受け入れをはじめ、平成17年には宿泊ができるように家を増築、『民宿山親爺』の看板を掲げている。

 昨年5月に受け入れたのは東京の女子中学生5人組。田んぼに入るのはこの日がはじめてで、補植をさせれば、「わー、ヌルヌルする。気持ち悪い。キャア! キャア!」と叫び、カエルやヒルを見つければ大騒ぎする、いまどきの女の子たちだ。豊川さんはこの子たちに杉林の中で栽培している山菜のミズを収穫させ、ナガイモやゴボウを洗って袋詰めし、バーコードを貼る出荷の準備をさせた。そして、近くの「道の駅」にそれを持ち込んで売らせたのである。値段はあくまで自分たちで考えさせる。「えー! わかんない」と戸惑う女子中学生たちに、豊川さんは「ミズを抜いたり、ゴボウを洗ったりした、あなたたちの苦労に値をつけなさい!」と、たたみかけた。「道の駅」の店頭に立った女の子たちは、最初は恥ずかしそうにしていたが、店長から「声を出さなければダメ!」と一喝されると、ようやく元気をだし、ミズなどは他の農家が500g100円とつけているところを、倍値以上の250円をつけて見事に完売したのである。

 豊川さんにとって女子中学生は農家民宿のお客さんなのだが、けっして彼女たちをお客さん扱いはしない。農家=生産者がふだんしていることをそのまま、やらせただけである。そのことが、東京で暮らす彼女たちにとっては強烈で新鮮な体験となる。もっぱら消費者としてレジの前に立っていた子どもたちが、短いあいだではあるが食べ物の向こうにある生産の現場にふれ、生産者の立場に立つ。そして地域の自然とかかわりながら暮らしている農業・農村のあり方にふれるのである。三分づきの米や、とったばかりの山菜や野菜のてんぷら、酢の物、炒め物、すいとんといったこの土地ならではの食事を味わい、飼い犬とむらをゆっくり散歩したり、生まれたばかりの和牛の名づけ親になったりもした。そんな農家・農村という場のもたらす、生きものや人、自然とのゆったりとしたかかわりが、子どもたちの心を揺さぶっていく。

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都市との交流が集落を元気づける

 こうなると面白いもので、一度ならず、その土地を訪ねたくなるものである。

 豊川さんの家を訪れた女子中学生たちは「また春休み5人で青森に行きます。いいですか? 豊川さんの家で、農家のお仕事がしたいです」と手紙を寄こしてきた。実際、農業・農村体験がきっかけになって、子どもやその親、教師などが訪ねてくるようになった例は少なくない。

 新潟県上越市安塚区(旧東頸城郡安塚町)では、毎年5月に横浜市立小田小学校の2泊3日の農村体験学習を受け入れて、今年で10年になる。旧東頸城郡6町村で体験旅行をすすめる「越後田舎体験推進協議会」が設立され、小田小は最初の取り組みとなった。

 安塚体験学習では1日目はスキー場に隣接した宿泊施設に泊まるが、2日目の夕方から3日目の昼食まで、3、4名ずつ30戸ほどの農家に分宿する。受け入れ体制は徐々に整備され、総農家数が570戸ほどの安塚区だけで、現在150戸がホームステイの受け入れ農家となっている(新潟県では、一定の条件を満たした農家について教育目的に限った民泊の受け入れを認めている)。

 安塚区は4mもの雪が積もる豪雪地帯で、中山間地への直接支払い制度の適用も受けている。ここの棚田は「棚田百選」にも選ばれているが、過疎化がすすみ、田んぼや集落の維持は容易ではない。そうしたなか、毎年小田小の体験学習を受け入れている集落のひとつ真荻平地区では、「キラメキ米」という棚田のオーナー制を導入した。小田小の先生方が棚田のオーナーとなって、5月の体験学習の引率以外にも、有志を募って田植えや稲刈りに訪ねてくるようになった。

 真荻平地区でも、戦後関東や上越市街などへの移住があいつぎ、昭和20年代の85戸から平成元年には65戸、さらに現在の55戸へと戸数が減少してきたが、小田小とつながることで、むらが活気づいてきた。昨年は30〜50代の5人で農事組合法人「きらめき」を立ち上げ、将来に向けて水田を維持する体制もできた。

 いま、安塚区には小田小を皮切りに横浜市内だけで8校の小学校が訪ねてくるようになった。小田小のように、農家や直売所「雪だるま物産館」から安塚米を取り寄せて学校給食に使ったり、棚田のオーナーになったり、子どもやその家族が訪ねる動きも広がっている。農業体験学習から、モノとヒトの交流がはじまり、それが農業生産の条件が厳しい地域の集落を活気づけていく。

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生きものにぎわう魅力的な田んぼ・畑を

 こうした農業・農村体験の場となる田んぼや畑は、生産や維持効率一点張りではなく、さまざまな生きものがにぎわう楽しい場でありたい。田んぼはイネの生産の場だけでなく、福岡県で減農薬稲作運動を続けてきた宇根豊さん(現・農と自然の研究所)がいうように、害虫も天敵もただの虫も、カエルやヘビ、メダカやフナ、鳥たちもいっしょに育つ場なのである。

 こうした場をつくるためには、農業のあり方も工夫したい。本誌でも紹介してきた米ヌカ農法やアイガモ農法、不耕起農法、冬期湛水田(ふゆ・みず・田んぼ)などは、小力で農薬に頼らない農業の試みであるとともに、生きものがにぎやかにあふれる魅力的な農業体験の場づくりにもつながっていく。こうした場づくりに都会の子どもや親を巻き込んでいくのである。

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子どもを鎹にして地域コミュニティをつくる

 都会の子どもの農業体験をすすめると同時に、地元の子どもたちの農業や生活文化の体験をぜひともすすめたい。

 内田氏の『下流志向』という本は主に都会の子どもを想定して書いているようだが、農村の子どもも事情はそう変わらない。かつて農村では、子どもが家事どころか農業生産の一端を担っていた。しかし今の農業のやり方では、子どもが手伝える場面は少なく、圃場にいるだけで危険なほどである。せめて家事だけでも手伝わせたいと思っても、家庭でやらなければならないことが少なくなったのは都会と変わらない。それどころかテレビやゲーム漬けになっている度合いは、近くに友達の少ない農村部の子どものほうが激しいという話すら耳にする。

 こうしたなか、地元の子どもに農業体験を進める動きも各地で起こっている。

 長野県辰野町の有賀茂人さんは、山間にある戸数120戸の沢底地区で「沢底福寿草の里景観保全委員会」をつくり、農業の活性化と生活文化の見直しをすすめている。有休農地をつかって地域とお年寄りと地元の小学校・保育園の子どもたちがいっしょにサツマイモを栽培し、本格いも焼酎をつくり、独自ブランドで売り出す。あるいは「蚕玉祭」と呼ばれる地域の収穫祭を復活させるなどの取り組みを重ねながら、昨年には委員会と地元の小学校との間で協定を結んだ。この協定は、「子どもたちは地域の宝であり、地域が子どもを育てる」という理念のもと、地域と学校が連携して、農業体験や生活文化を子どもたちに伝えるとともに、学校給食の地産地消をめざすものだ。委員会が伝統行事を子どもたちに教えることや、学校行事に地域住民が参加できるようにするなどの項目も盛り込まれた。この協定の締結後は、伝統食の凍りもちづくりや学校給食への1カ月分のお米の供給などの活動を開始している。

 こうした活動は、地元の子どもたちとともに農業や生活文化の価値を見直すことであるとともに、都市の子どもたちの農業体験を受け入れる準備にもなるだろう。 

「子ども農山漁村交流プロジェクト」では今年度、50地域が受入モデル地域に選定され、実験校として、小学校235校程度が宿泊体験を実施することになっている。5年後の目標は500地区だから、これから450地区を整備することになる。

 さらに、国レベルのモデル事業とは別に、総務省は地方公共団体独自の事業に対して、一般財源の特別交付税で支援していくという。この場合、農業体験の受け手と送り手は同じ県内でも市内でもいいという。地元の小学生を他の農山漁村の宿泊体験に送り出すのもおもしろい。いずれにせよ、市町村の首長を動かせば、農村宿泊体験事業をすすめられるということだ。

 まず、足元の地域と学校を動かし、市町村の首長を動かす。そこから、都市との交流も視野に入れた新しい地域コミュニティづくりがはじまる。子どもを地域の鎹にして、農村の新しい活気をつくりだそう。

(農文協論説委員会)

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