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農文協トップ主張 2007年3月号

脱・格差社会
若者たちの農的生き方

目次
◆20年がかりの「農政改革」
◆女性・高齢者による「90年代生活革命」
◆20年でズタズタになった「雇用と労働」
◆希望の種まき大作戦

20年がかりの「農政改革」

 いよいよこの4月から、農水省が「農地改革以来の戦後最大の改革」と自称する「農政改革」がスタートする。米、麦、大豆などについて、所得保障の対象を一部の「大きな農家」に絞り込む「品目横断的経営安定対策」に象徴されるこの改革は、本誌1月号主張「小さい農家が創る、新しい『農型社会』」でも述べたように、規模拡大=近代化路線の流れの中にある。「1960年代以来、農政はただひたすら農業を食料生産産業としてとらえ、工業と同じように大量生産・大量販売をベースにする生産の合理化を『農業近代化』のスローガンのもとに」進めてきたのである。

 そして、農家をその経営規模で差別・選別するという「改革」のルーツは、いまから20年前、1986年、中曽根内閣当時の「前川レポート」(国際協調のための経済構造調整研究会報告書)にさかのぼることができる。そこでは「国際化時代にふさわしい農業政策の推進」として、つぎのように述べられていた。

 「我が国農業については、国土条件等の制約の下で可能な限りの高い生産性を実現するため、その将来展望を明確にし、その実現に向けて徹底した構造改善を図る等、国際化時代にふさわしい農業政策を推進すべきである。この場合、今後育成すべき担い手に焦点を当てて施策の集中・重点化を図るとともに、価格政策についても、市場メカニズムを一層活用し、構造政策の推進を積極的に促進・助長する方向でその見直し・合理化を図るべきである。基幹的な農産物を除いて、内外価格差の著しい品目(農産加工品を含む)については、着実に輸入の拡大を図り、内外価格差の縮小と農業の合理化・効率化に努めるべきである。輸入制限品目については、ガット新ラウンド等の交渉関係等を考慮しつつ、国内市場の一層の開放に向けての将来展望の下に、市場アクセスの改善に努めるべきである」(農業についてのレポート全文)とされていた。

 昨年12月に発表された農政改革についての農水省の以下のような説明を読むとき、今回の農政改革が「20年がかり」の改革であったことが一目瞭然である。

 「我が国の農業は、農業者の数が急速に減り、また農村では都会以上のスピードで高齢化が進んでいます。一方、国外に目を向けると、WTO(世界貿易機関)の農業交渉では、国際ルールの強化などの交渉が行われています。このような状況のなかで、今後の日本の農業を背負って立つことができるような、意欲と能力のある担い手が中心となる農業構造を確立することが“待ったなし”の課題となっています。そこで、これまでのような全ての農業者の方を一律的に対象として、個々の品目ごとに講じてきた施策を見直し、19年産からは、意欲と能力のある担い手に対象を限定し、その経営の安定を図る施策(品目横断的経営安定対策)に転換することとしています」(「品目横断的経営安定対策のポイント」)

 「20年がかり」を別の見方をすれば、農家をその経営規模で差別・選別するという農政の転換は「20年もかかった」ということができる。なぜ20年もかかったのか?

女性・高齢者による「90年代生活革命」

 20年前を思い起こしていただきたい。85年のプラザ合意、86年の前川レポートや行革審最終答申を受けて、世の中が挙げてバブル景気に向かうなか、マスコミは農村と都市の対立をあおり、「日本農業不要論」さえ報じていた。こうした「農業バッシング」の論調、風潮が横行するさなか、これと対峙するために、農文協では85年から総力を挙げて『食糧・農業問題全集』(全20巻)を刊行した。その中の1巻『地域資源の国民的利用』(1988年)で著者の永田恵十郎氏(名古屋大学教授・当時)は次のように述べている。

 「(地域資源の利用・管理問題には)農村と都市の差をこえて、人間の全面的発達を支える、より豊かな生活の創出という国民的課題を解く鍵がかくされている」「その意味で、農村と都市の住民がそれぞれの立場から相手をみるというのではなく、同じレベルにたって日本農業の将来を考えることがいま重要になっているといえよう」。

 農村と都市の新しい結びつきで豊かな生活を創造する。その呼びかけに応じるかのように、農村では、女性・高齢者を中心に80年代後半以降、朝市、直売所、市民農園、クラインガルテン、グリーンツーリズム、定年帰農、地元学、食育、食農教育、食の文化祭、畑カフェ・田んぼレストランなどの新しい動きがつぎつぎに生み出された。そうした動きは、農家が耕地以外の山・川・海の地域資源との結びつきを取り戻し、また、農業がたんなる「食料生産産業」ではなく「暮らしをつくる総合産業」であることに立ち戻って生まれた動きである。こうした動きは90年代に入っていっそう明確になり、それを「90年代生活革命」と呼ぶ人さえいる。

 「90年代からは、農山漁村から都市生活者への明確な呼びかけが起こった。それは、生活革命といっても良いくらいの農山漁村の変化である。新しい農山漁村での生き方の誕生といってもよい。一方的に都市の暮らしがよいものであり、農山漁村のそれは遅れている、田舎くさいものだという卑屈さのような感覚が支配していたものが、新しい生き方を都市の人々に提案するまで変化したのである。そして、その提案が都市の一部の人たちに受け入れられ大きな潮流となった」(富田祥之亮「むらの生活革命」『都市の暮らしの民俗学1 都市とふるさと』吉川弘文館、2006年)。

 旧農基法以来の大規模化・効率化・高収益化一本槍という路線とは、つまるところ「生産年齢・男子」の論理である。つまり「農業近代化」とは農業の「担い手」を「生産年齢・男子」に画一化することだった。当たり前のことだが農村に暮らす女性や高齢者は「生産年齢・男子」になることはできない。女性は女性なりに、高齢者は高齢者なりにできる農業をつづけるための「自己変革」が「小力技術」であり、「朝市・直売所」という新しい流通の創造だった。その自己変革の結果、経営規模で農家を差別・選別するという農政の転換は20年も押しとどめられたのである。

 押しとどめただけでなく、この生活革命は新しい「農型社会」をひらく確かな土台を築いた。

20年でズタズタになった「雇用と労働」

 一方で、この20年間に都市では何が起きたか。企業社会における労働の変化に焦点をあててみてみよう。

 「前川レポート」が出されたのと同じ1986年は、戦後労働法制が再編に向かってギア・チェンジされた年とされている。この年、男女雇用機会均等法とともに労働者派遣法が制定され、労働基準法が大幅に規制緩和された。いま、新聞やテレビで「格差社会」や「ワーキング・プア」の文字が躍らない日はないが、派遣社員や契約社員、パート、アルバイトといった「非正規雇用」が大量に生まれる原因がこの労働者派遣法による労働基準法の規制緩和=「労働市場の自由化」による労働者の差別・選別なのだ。

 こうした労働者の差別・選別に拍車をかけたのが、経団連が1995年に発表した雇用の新ガイドラインである「新時代の日本的経営――雇用ポートフォリオ」。そこでは終身雇用・年功序列に象徴される日本型雇用システムを廃し、「雇用の柔軟化」として(1)ごく少数の長期蓄積能力活用型(将来の幹部候補として長期雇用が基本)(2)高度専門能力活用型(専門的能力を持ち、必ずしも長期雇用を前提にしない)(3)雇用柔軟型(有期の雇用契約で、職務に応じて柔軟に対応)と、雇用が3段階に分けられた。不況で企業の採用数が減っただけではなく、雇用の形態そのものが大きく変化させられたのだ。

 こうして正社員は激減し、「安価で交換可能なパーツ労働力」として派遣・契約社員、パート・アルバイトが大幅に増加することになった。95年以降の10年で、非正規雇用は50%も増え、いまや1500万人以上。一方、正規雇用は10%減少し、3500万人を割り込んで、「雇用の柔軟化」どころか「雇用の流動化」「雇用の液状化」とさえ指摘されるような過酷な状況になっているのである。

 農文協では、とくに若者がおかれたこのような状況に着目し、2005年に「増刊現代農業」で『若者はなぜ、農山村に向かうのか』(8月号)、『田園・里山ハローワーク』(11月号)を発行するとともに、本誌同年10月号の主張「若者はなぜ、農山村に向かうのか」では、次のように述べた。

 「人は、だれでもよりよく生きたいと思う。そして、自らの労働をとおして、だれかの役に立ちたいと思う。とくに若者はそうだ。しかし、戦後60年の企業社会は、行き過ぎた経済合理によって、労働を経済的文脈の中でしかとらえられなくなった。『働きかけることによって学ぶ』という労働の本質、労働の教育的側面は捨象され、若者を交換可能なパーツ労働力としてのみ扱うことで、労働をとおした社会の継承が危機に陥っている。そこには、自分が技能や技術を身につけ、日々成長していく実感がない。しかし農山村では、『ここで生きていく』ための地域の継承そのものが仕事である。生産と生活が分離せず、仕事と暮らしが一体になっている農山村という歴史的な空間。そこには、山や川、一枚一枚の田や畑など、地域の自然に働きかけ、働き返される労働をとおして形成された、個性的な技術や技能がある。それらを継承していくなかで、若者たちは自らを発見し、自らの成長を実感する」

 こうした主張は、2005年当時32歳前後の農山村に向かった若者との向かい合いのなかから生まれたものだが、一時はニート、フリーターの増加は若者の「甘えの象徴」であるかのように揶揄的に取り上げていた一般マスコミも、最近になって雇用と労働のゆらぎの問題であるととらえるようになっている。

 たとえば朝日新聞は今年元旦から一面で「ロストジェネレーション 25歳〜35歳」を11回連載した。この「ロスト・ジェネレーション」に登場する、「勝ち組」の象徴のような東京・六本木ヒルズのIT企業に勤める「35歳正社員」の例…。

 「IT業界は、年功序列とは無縁の成果主義の世界だ。職場では自分が最年長だが、後輩の方が能力があると感じる。いつまで残れるのか、不安が残る。気がつけば、うつ病になっていた」。

 絶えざる競争の重圧がもたらすストレス、うつ病、過労死、自殺……。その競争にさらに追い討ちをかけるのが、政府や経団連、その背後でアメリカが導入の機会をしきりにうかがう「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度である。勤務時間を一定程度自由化し残業代をゼロにするというこの制度。導入されれば、いまですら常態化している「サービス残業」をさらに悪化させ、過労死を増加させることは目に見えている。

 86年の「前川レポート」からの農家の差別・選別は農村女性・高齢者のがんばりによって20年間押しとどめることができた。しかし、同年の「労働者派遣法」にはじまる労働者の差別・選別は、この20年、とどまるところを知らず、進行してしまったのだ。

希望の種まき大作戦

 農産物市場の自由化と農家の差別・選別、そして労働市場の自由化と労働者の差別・選別――このふたつは無関係のように思えるが、それは政治的には新保守主義(ネオ・コンサバティブ)、経済的には新自由主義(ネオ・リベラリズム)と呼ばれる同根の政治・経済思想にもとづくものである。

 従来の保守が地方・農村を基盤とするのに対し、新保守主義は大都市住民の不安と不満を煽ることにより都市を基盤に成立するとされ、内政的には福祉を削減し、効率を最重視した「小さな政府」を標榜する一方で、対外的には先制攻撃的な武力行使をも辞さない「大きな軍隊」をもとうとする。そして経済的には大幅な規制緩和、「民にできることは民へ」の民営化、徹底的な市場原理主義。その世界的拡大がいわゆる「グローバリズム」(じつはアメリカ標準化)である。

 先にあげた『地域資源の国民的利用』は、早くもこの「新保守主義」「新自由主義」がはらむ危険性をつぎのように指摘していた。

 「『新保守経済学』の特徴は、市場メカニズムだけを信仰し、かつ人間を経済的利益のみを追求する経済動物としてだけ考える人間性不在の論理に立脚しているところにある、と考えてよいだろう。経済学の病理現象といわれるゆえんである」

 人間が、あるいは人間を含む自然が、このような病理的な思想にいつまでも支配されたままでよいわけがない。

 いま、農山村に向かった同世代の若者たちは、「農山村の暮らしに学んで仕事をつくる」を合言葉に、農的ライフスタイル起業をつぎつぎに立ち上げている。2005年10月号「主張」で紹介した「かみえちご山里ファン倶楽部」では、むらの伝統的な生活技術を受け継ぎ、子どもたちに伝承していく活動を村のお年寄りとともに進めている。京都の大学の150坪の小さな農園で出会い、北海道上川町の2haの畑でこの春から農的新生活をはじめる「農業法人・かむつみ」の3人の若者たちは、こう宣言する(「かむつみ」とは、神様の果実・桃の意)。

 「金銭は、社会生活のツールであって、それ以上のものではありません。しかし『他人よりも多く』と貪るために、この世の中は相も変わらず弱肉強食です。最近の言葉で言うなら『勝ち組・負け組』ですが、そういう原始的な価値観に突っつき回されるのはご免です」

 彼らの基本的な活動の方針は以下の3点。

1、今後10年かけて栽培作物の自家採取を行ない、上川の風土にもっとも適した、オリジナル品種をつくり出す。

2、地場産の農産物を使った加工品の開発。

3、過度な消費社会の中で失われかけている、あらゆる有用な生活技術を収集、整理し、現代の暮らしの中に息づかせる。

 首都圏近郊や関東、東北地方の農家の協力で昨年4月から10月まで全6回の「東京朝市アースデイマーケット」を代々木公園ケヤキ並木横で成功させた若者たちは、今年、全国的に「はじめる自給 種まき大作戦」を展開し、11月11日を「土の日」として、やはり代々木公園で「土と平和の祭典 2007」を開催する。事務局長の神澤則生さん(41歳)はこう述べる。

 「日本という四季があり多様な自然と豊かな気候風土の地に生まれただけでも幸せなのに、さらにその資源をみんなで有効活用しながら共有して、楽しくて幸せになってしまおうというアースデイマーケットは、買う人、つくる人、運営する人、みんなの手でつくる、まさしく『手づくりのコミュニティマーケット』である」

 農村から都市に向かった団塊世代の子どもである若者たち、生活革命を担った農家の孫の世代にあたる若者たち、彼らは今、格差社会化のなかでそれぞれの「土と平和」を希求している。「増刊現代農業」の最新号(2月号)『脱・格差社会 私たちの農的生き方』では、そんな若者の思いと実践を描いた。それを応援する農家の温かいまなざしとともに…。

(農文協論説委員会)

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