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農文協トップ主張 2006年3月号

畑カフェ 田んぼレストラン
「食」と「農」の接近一体化がつくる新しい豊かさ

目次
◆はじめてなのになつかしい
◆食が神楽をまもり、神楽が食をまもる
◆「けちらない」けど「見捨てない」
◆メニューではなく、今ある旬の野菜が優先

 家々の自慢料理やふだん着の料理を持ち寄り方式で一堂に集め、味わい、語りあう「食の文化祭」が各地で行なわれ、産直・直売の賑わいのなかで食事を提供する場が生まれる。「食」と「農」が接近一体化すると、何かが始まる、動きだす…3つの事例を紹介したい。

はじめてなのになつかしい

 昨年11月20日、山と渓谷にかこまれた宮崎県北端の山里、高千穂町で食の文化祭「高千穂の家庭料理大集合!」が開催された。「高千穂の今あるものを食べる」をテーマに集まった料理は伝統の「アザミめし」や「ハチの子めし」「油味噌」から小学校5年の高藤美咲さん出品の「バナナケーキ」まで200品。

 町内はもとより福岡、熊本、大分などの県外からも300人が参加する盛大な集まりとなったが、そのなかに宮崎市から3時間をかけ車を飛ばして参加したフリーナレーターの木佐貫ひとみさん(43歳)の姿があった。木佐貫さんが高千穂の食に魅せられたのは食の文化祭のわずか3週間前。ラジオ番組の仕事で同町内の「天の岩戸温泉茶屋」を訪れ、「地鶏うどん」を食べたときだった。木佐貫さんは会の終了時、感想を求められてこう語った。

 「そのうどんは、はじめてなのにとてもなつかしい味がしたんです。じつは私には、一生忘れることができない『味の記憶』があります。それは、幼いころ、大晦日に祖父が手打ちしてくれた年越しうどん。もしも、今までの人生のなかで一番おいしかったものは? と聞かれれば、私は迷うことなくこのうどんを挙げるでしょう。実家は農家で、昔は麦もつくっていました。大晦日には、その自家製の小麦で祖父を中心に家族総出でうどんを打つのです。ゆであがったうどんは、少々茶色いけれど、小麦の匂いが香ばしくて、おいしかった。ネギのほかにかまぼこくらいは入っていたでしょうか。記憶にあるのはイリコのだしと、なんとも香ばしい小麦の匂い。そして、うどんをすする家族の笑顔。祖父は私が小学校に上がるころには、脳いっ血で寝たきりになってしまったので、そのうどん打ちはそれ以前の記憶ということになります。でも、その幼いころの味の記憶が、強烈に私のなかにあって、その味を思い出すたび、私はとても幸せな気持ちになります。その思い出のうどんと、温泉茶屋のうどんは、同じ小麦の匂いがしたのです。今までおいしいうどんはいろいろ食べて来たけど、けっして出逢えなかった小麦の匂い。聞けば、温泉茶屋のうどんは地元産の小麦でつくられているのだそうです。感激の思い出の味との再会でした。それで今回の『高千穂の家庭料理大集合』にも心ひかれたのです」

 高千穂は、農水省の「日本の棚田百選」指定の棚田が3カ所もある棚田の里でもある。高台にある温泉茶屋からは、谷のこちらも、向こうも、見わたす限りの棚田。地鶏うどんも、この棚田でつくられた小麦「白美人」の地粉で打つ。温泉上がりに窓からの風は心地よく、棚田と山々が重畳と連なる美しい風景を眺めながら食べるうどんは地元の人にはなじみの味、帰省客にはなつかしい味、そして遠方からの客には「はじめてなのになつかしい味」。地鶏とネギのみ、イリコだしの1杯450円の素朴なうどんが、1日50食は売れる。

食が神楽をまもり、神楽が食をまもる

 「温泉茶屋」があるのは同町五ヶ村地区(70戸)。「ふるさと創生資金」で温泉開発が行なわれ、1994年に「天の岩戸温泉」として小規模な町営温泉施設が誕生した。だがその温泉に休憩施設はあるが、食事を提供する施設がない。そこで平均年齢60歳(当時)の9名の農家でつくる「五ヶ村村おこしグループ」が、1戸50万円ずつ出し合い、その450万円と補助金、借入金計1400万円で、食事が提供できる温泉茶屋を建設することになった。

 計画では温泉茶屋は温泉と同時オープンの予定だったが完成が半年も遅れてしまい、茶屋に併設する直売所に並べる予定で作付けた野菜の販売先に困ってしまう。「もったいない」と思ったグループは、近くの神社での神楽公開祭に併せて農業祭を開催、恥かしさをこらえて大声で客を呼び、完売した(その後、農業祭は旧村岩戸地域全体のイベントに発展した)。

 ようやくの温泉茶屋オープン。直売所の野菜の売れ行きも上々だが、どういうわけかサツマイモだけが売れ残る。「見事なイモなのにもったいない」と、甲斐禮子さん(75歳)が、これを芋あんにした「温泉団子」を工夫し、1個75円で売り出した。メンバーの多くは「こんな田舎臭いものは売れないだろう」と思っていたが、意外にも年間7万個も売れる大ヒット商品に。宅配便の普及でふるさとを離れた子や親戚に団子を送る人が増え、その子や親戚から団子をもらった人から注文が入る。埼玉県から1度に700個の注文が入ったことも。温泉には年間10万人以上が訪れるようになり、温泉茶屋の年間売上げは早々と2000万円を超えた。

 高千穂は国指定重要無形民俗文化財の「高千穂の夜神楽」が伝わる里でもある。神楽の舞台「神楽宿」は集落の民家が交代で受け持つが、住宅の近代化で部屋の間取りが狭くなり、最近では公民館、集落センターを神楽宿とする集落も増えている。しかし、五ヶ村地区には適当な施設がなく、当番を引き受ける家も、神楽の舞い手も年々減っていた。

 グループは「何百年も続いた伝統の神楽を自分たちの代で絶やすのは忍びない」と、地鶏うどんや温泉団子の利益500万円、1戸当たり出資金各30万円計270万円、各種補助金、借入金の合計1800万円で隣町の築130年の古民家を移築し、常設神楽宿「神楽の館」を建てることにした。99年、「神楽の館」が完成。さらに「年1回の夜神楽だけではもったいない」と、春3月の8番だけの「神楽体験の旅」(うち2番は飛び入り可)、9月には月明かりとかがり火だけの「観月神楽」と、シーズン外でも神楽で客を呼ぶイベントを増やした。2名だけだった舞い手は7名になり、そんなおとなたちを見て舞い手を志す子どもたちも増え、昨秋は、中学生が修学旅行先の福岡市の繁華街・天神で神楽の路上パフォーマンスを披露した。

 2002年にはもとは天井裏だった2階部分を客室に改築して農家民宿を開始。すると「神楽の館」は、タケノコ掘り、山野草摘み、刈り干し切り、神楽面彫りなどの体験を提供するグリーンツーリズムの拠点にもなり、翌年からは熊本県水俣市の吉本哲郎氏や宮城県仙台市の結城登美雄氏をたびたび招き、「あるもの探し」の地元学で新たな体験メニューをつぎつぎ開発している。

 昨年11月の「高千穂の家庭料理大集合」に東京からゲストとして招かれたスローフード運動の提唱者、島村菜津さんもこの「神楽の館」に宿泊。その夕食は「どぶ団子鍋」(山梨県の「ほうとう」のように、生うどんをゆでずに地鶏のだしで野菜などと煮込んだ鍋)。食べる直前に在来トウモロコシを引き割った「地トウキビ小種」の粉がふりかけられたことに驚いた。見上げれば、神楽舞台を結界する注連縄の四隅にも「神楽の館」の軒下にも地トウキビの束が吊るされている。ほかの地域では早い時期に栽培されなくなった地トウキビやアワ、ヒエなどの雑穀が、高千穂でつくられ続けているのは神楽の神事に、神楽料理に、それがなくてはならないからだ。食が神楽をまもり、神楽が食をまもる。「温泉茶屋」「神楽の館」を拠点にはじまった農村と都市の交流・融合が、地域の食と文化と風景が一体となった個性をまもる。

 12年前、平均年齢60歳、多くのメンバーが兼業先を定年退職してはじめたこの取り組み。この1月には「地域づくり総務大臣表彰」を受けた。代表の工藤正任さん(73歳)は、授賞式のあいさつを「年金まで貯めて出し合ったあのときの出資金は、今思うと私たちの『生きがい保険』だったような気がします」と、締めくくった。

「けちらない」けど「見捨てない」

 兵庫県多可町の「マイスター工房八千代」の開店は午前10時。狭い店内はたちまちお客でいっぱいになる。目当ては同店自慢の鯖寿司と巻き寿司だ。地元はもちろん、遠方の加古川市や姫路市、神戸市や大阪方面からも車を飛ばして買いに来る。近所の人に頼まれたとか贈り物にするとかで、10本、20本とまとめ買いしていく人が多い。ただし、サバの仕入れ数に限度があるため、1日につくる鯖寿司の数は100〜200本。予約分を差し引くと店頭に並べられるのはごくわずか。だから店頭販売の主力は巻き寿司。平均で1日1000本は売れる。

 オープンは2001年10月。初年度こそ赤字だったが、以後年々売上げは増加し、昨年度の年間売上げは1億1380万円。営業は週4日。スタッフは地元・旧八千代町中村地区の生活研究グループ「乙女会」のメンバーを中心に、23〜72歳までの女性20名。全員で年に2回旅行に行き、ボーナスを年3回支給できるようになった。

 鯖寿司のサバは姫路の漁港で水揚げされ、厳選されたもので、寿司1本にサバの半身を丸々使う。巻き寿司も具が多く、すし飯と具の量が通常の逆で、しかも太い。1本につき卵焼きは卵1個、キュウリは縦半分に切って2分の1本。八千代特産の凍み豆腐、かんぴょうも入って420円。「一度食べたらやみつきになる」と言われる味は、厳選した地元の素材を大胆に使い、手間と工夫を惜しまない「けちらない精神」から生まれる。

 だが一方で、「見捨てない」精神も大切にすると、施設長の藤原隆子さん(58歳)。いわく、

(1)建物を見捨てない――加工販売所はJA支所跡、カルチャー部門(女性専用エステや喫茶からなる)は保育所跡を再利用。

(2)田舎を見捨てない――田舎の伝統保存食や地場産品を見直す。

(3)人を見捨てない――年齢や能力で雇用層を限らず、意欲ある地元の人材を大いに活用する。

(4)素材を見捨てない――調理加工の際に出る端材も使い切る。出荷できない規格外の野菜も利用する。

 「素材を見捨てない」という発想から生まれたユニークな商品も多い。たとえば「見捨てないシリーズ」の寿司。そのひとつ「櫛恋巻き」は、サバを成形する際に失敗したものや、残った切れ端を使う。これに、キュウリの切れ端と規格外の大葉(大きくなりすぎて出荷できない)を加えて具材にした。名前の由来は、「涙が出るほど辛子をたっぷり塗ってあるから」。日によって「施設長の気まぐれ巻き」が店に並ぶこともある。

 「お客様は、寿司屋にはない味、おふくろの味のようでおふくろにはできない味、つまり『ここだけの味』を喜んでくださるんです。しかも、店に来れば地元のおばちゃんががんばってつくっているのが見える。たまに言葉も交わす。そこには顔の見える安心感がある。そして、周囲のおいしい空気、美しい自然の景観。それらをひっくるめてファンになってくださってるんだと思います」

 目下の夢はマイスター工房専用農園を八千代につくること。現在、米は全量八千代地区内から調達しているが、野菜は需要に供給が追いつかない。いずれは「うちの商品に使う野菜はここの畑でつくってるんですよ」と言えるようにしたい。さらには「カルチャー部門の料理教室の内容を充実させたい」とも。「若いお母さんたちから“昔ながらの料理法を教えてほしい”という要望があるんです。ワラビのあく抜きとかタケノコの調理法とか。私が先輩や姑さんに教えてもらった伝統の技を伝えていきたい」。

 「見捨てない精神」、すなわち自給の思想で新たに創造された地域の食が、農村と都市をつなぎ、伝統の技と知恵をまもることにつながっていく。

メニューではなく、今ある旬の野菜が優先

 福岡県福津市の「あんずの里運動公園」。玄界灘と広大な平野を臨む高台に「ふるさとレストランあんず」が建っている。ここで使われる野菜は、階下の直売所に並んでいるもの。運営するのは、九割が女性の「あんずの里市利用組合」だ。

 利用組合組合長の井ノ口ツヤ子さん(66歳)が青空市を思い立ったのは1994年。近所で声をかけ合い女性ばかり30人のグループをつくり、毎月1回日曜日に国道脇に軽トラックを停め、野菜を荷台に積んで売った。

 「自由になるお金がほしいというのももちろんあったけど、みんなで寄る場所ができたのが嬉しかったですね」

 メンバーも徐々に増え、96年には「あんずの里ふれあいの館」の一角に直売所をかまえた。組合員も30人から、1年で80人に増え、現在では244人に。16万円の資金で始めた青空市が、毎年1億円単位で売上げが伸び、5年前から5億円を超えた。

 そして昨年1月、新たな挑戦が始まった。農村レストランの経営だ。「あんずの里」はいまや年間40万人のお客が訪れる場所。「食べるところはないの?」「レストランをつくって」という声があがり、市に要望した。運動公園内の、遠く玄界灘を望む高台。まわりは4000本のアンズ林。花見客や紅葉見物のお客も期待できる。市からの経営委託は公募だったが、最終的に利用組合での運営が決まった。それからは公営、民営、ありとあらゆる農村レストランを視察、みんなで意見を出し合うなかで、自分たちのレストランの形が見えてきた。それは「直売所の野菜が残らないように、また四季折々の旬の野菜でまかなえるように、メニューが変わっても大丈夫な大皿のバイキング形式に。そして、ここで食べたら、直売所で野菜を買って家でもつくってもらえる家庭料理の店にしよう」というものだ。

 営業は10時半〜14時のランチタイムのみ。開店と同時に40席の店内はみるみるいっぱいになり、12時前には入店を待つ行列もできる。土日は都市からの客、平日は地元客が多い。お客の目の前に並ぶのは、直売所の野菜を使った30種類の家庭料理。それが50分間好きなだけ食べられて800円。ずらり大皿が並ぶようすは、さながら常設の「食の文化祭」「津屋崎の家庭料理大集合」だ。よく見るとたしかに直売所に並んでいるのと同じ種類の野菜の料理が多い。だが同じ野菜でも、メニューは驚くほどバラエティに富んでいる。

 「直売所で売る値段で仕入れるから、原価は高い。儲けはあまりありません。でも毎朝とれたての野菜を使うから、子どもたちが、『甘い、おいしい』って喜んでくれる。それが嬉しいですね」と、スタッフは言う。

 店の中央にある皿に料理が少なくなってくると、スタッフが、のれん越しに「補充お願いしまーす」と声をかけ、いつでも熱々の料理が並ぶ。そしてホールが一段落したころには残った料理がパック詰めされている。

 「つくりすぎたかなという料理は、ころ合いを見てパック詰めにし、下の直売所で惣菜として売ります。心を込めてつくった野菜もお米もむだにしないように」

 レストランのメニューは、月末に、翌月分をメニュー会議で決める。参加者は、レストランの責任者四名、組合役員と事務局員。アドバイスをしてもらっている栄養士も、利用組合に所属する農家の広島緑さん(49歳)だ。

 「今の時期だったら、ホウレンソウやハクサイなど、直売所で売れ残りが目立ってきている野菜を使ってメニューをつくります」

 組合員は、「レストランができて、野菜の売上げが上がった」と目を輝かせる。

 「自給の社会化」としてはじまった朝市、直売所、道の駅はいまや全国1万2000カ所。本誌1月号「主張」では、「今、直売・産直によって、農家が都市民に、買ってもらった食材をどのように料理・加工すればおいしく食べられるかを伝えられるようになった。素材とともに食べ方を伝える。こうして、個性的な食べ物がそれぞれの地域に、それぞれの家庭につくられる。『食』と『農』の接近一体化、それが食文化を蘇生させ、新しい豊かさをつくる」と述べた。

 農文協では、「直売・産直」のつぎのステップとして広がりつつある農村レストラン、その準備段階でもある「食の文化祭」を特集し、「増刊現代農業」2006年2月号『畑カフェ 田んぼレストラン はじめてなのになつかしい』として発行した。

(農文協論説委員会)

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