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農文協トップ主張 2005年4月号

「校区」の文化遺産を活かして地域と教育をつくる
「地域に根ざした食農教育ネットワーク」へのご参加を

目次
◆戦後60年、農村の変貌とコミュニティの弱体化
◆自給をベースに、伝統的コミュニティの力を強める「現代的地域づくり」
◆小学校区の「文化遺産」を活かす「校区コミュニティ」の形成
◆地域の子どもは地域で育てる
◆「地域に根ざした食農教育ネットワーク」に積極的参加を

戦後60年、農村の変貌とコミュニティの弱体化

 今年、戦後60年を迎える。この間の経済成長により、私たちの暮らしは大きく変わった。農業の化学化・機械化によって、農家はきつい農作業から解放されるとともに、規模拡大や増収が可能になった。生活面では、都市と農村わけへだてなくさまざまな家電が普及し、家事労働が軽くなるとともに、テレビや自動車の普及で日常生活の世界が一気に広がった。農村も都市も衛生がよくなって子どもの死亡率が減少し、長生きもできるようになった。

 だがその半面、さまざまな問題が出てきている。高度成長がはじまるやいなや、1961年、62年の年間約65万人という数字をピークに、その後も毎年、40万人、50万人という人口が大都市に移動し、中山間地の過疎化がすすんだ。その一方で、兼業への依存度が深まり、都市近郊農村では混住化がすすんで、農村のコミュニティはその力を弱めてきた。

 その後、高度成長から低成長に移り、バブル経済とその崩壊をへて、日本経済はデフレ局面に入る。一方で、グローバリゼーションの波が押し寄せて農産物輸入が増え、農業生産高が減り、耕作放棄地が増大した。さらに、財政再建のため農業補助金が大幅にカットされることが予想されるなど、局面は大きく変わった。だが、かつての生活に戻るわけにもいかず、いまみたようなさまざまな問題は一層、増幅されつつあるかに見える。

自給をベースに、伝統的コミュニティの力を強める「現代的地域づくり」

 戦後60年、われわれは豊かさをもとめて必死に働いてきた。しかしいま、人びとは、モノやサービスの豊かさと引き替えに失った「場の豊かさ」の大切さに気づきはじめ、「自給」という、農家ならではの強みを活かした自立・自創の地域づくりが各地ではじまっている。本誌には、このような地域づくりの事例がさまざま載っているが、ここでは、本誌2004年12月号でとりあげた鹿児島県串良町の柳谷集落の取り組みをふりかえってみよう。

 柳谷集落は高齢化率34%の地域であるが、その取り組みの特徴は、補助金をあてにせず、地域の自然を活かし地域の人びとの力を活かして、自給の力を発揮し、コミュニティを強化していることである。

 柳谷集落では集落の公民館が中心になって、カライモの生産や土着菌の製造をむらびとの共同の力で開始し、そこで得た収益を、高齢者用のリハビリコースや緊急警報装置の設置など福祉関係につぎ込んだ。また、土着菌使用のカライモ焼酎の工場建設や、集落を訪れる多数の視察者を相手にした手打ちそば店などに投資するなど、自主財源を事業の拡大に活かして地域づくりをすすめてきた。

 その際に、全集落民総出の自給的手づくり路線が徹底されている。たとえば、でんぷん工場跡地の町有地を借用してつくった、高齢者のリハビリコースも併せもつ「わくわく運動遊園」は、約300人近い集落民が汗を流して手づくりでつくった。2メートルにも生い茂った雑草の除去作業からはじまり、杉の丸太や角材、緑化樹などの資材を提供しあい、山からの木材の伐り出しから重機のクレーンをつかった搬出、土地造成、建物の建設まで、集落にいる大工や左官、造園などの経験者を中心に全員が参加。労力をだせない高齢者からは寄付が寄せられた。こうして、業者に発注したのは電気工事だけ、わずか8万円で見事に完成したのだった。

 集落内の家畜糞尿を土着菌で発酵させた堆肥を製造・販売する「土着菌センター」の建設も、集落民が2カ月間自主的に参加して、124平方メートルの手づくりのセンターを完成させた。土着菌センターの壁面には「寄付者」21名の一覧が板に墨書され、杉丸太提供者、重機出勤奉仕者、焼酎一斗提供者、看板筆耕者などのそれぞれについて、一人ひとりの名前が記され、「奉仕労働者 集落民約3百人」と記録されている。記録することにより、全集落民が参加してつくられた集落の宝であることが自覚されつづけ、全集落民の結束が促されるのである。

 この土着菌センターに併設したプレハブづくりの建物「未来館」の中に、昨年の5月、手打ちそば「やねだん」が開店した。串良町内に住む料理研究家に研修をお願いして、柳谷の主婦“素人軍団”が始めた手づくりそば処だ。一度に約30人のお客さんを迎えることができる。ここでは集落民が土着菌を活用してつくった作物を買い受け、食材として活用している。

 こうして柳谷では、食と農を軸に豊かな生活を取りもどすむらづくりに全集落民が参加し、生涯現役で生き生きと安心して暮らせる地域づくりをすすめている。そのなかで、互いにつながる感動が共有され、その感動が周りの人を元気にし、集落の未来をつくっていくことになるのである。

 現代の地域づくりのかなめは、山や田畑という地域資源を活かし、地域の人びとの力を活かして、弱まったコミュニティを、現代的な方法で再生・強化することにある。グローバリゼーションの波が地域に押し寄せ、地域の経済力がおちてきているなかで、地域経済を立て直すことが重要な課題になっているが、その立て直しは、かつてのような企業誘致や農業の近代化でなしとげられるのではない。それは、高度経済成長で失われた「場の豊かさ」をとりもどすことによって可能になる。

小学校区の「文化遺産」を活かす「校区コミュニティ」の形成

 そこで、このような地域づくりを、それぞれの小学校区を拠点に繰り広げることを提案したい。

 農文協は、2003年1月号の「主張」欄で、「校区コミュニティ」の形成を提起した。日本の小学校は、1872年(明治5年)の学制発布以来、自然村(大字)で地域住民が金を出し「おらが村の学校」としてつくられたいきさつがあり、その後も、地主の寄付金や村民の拠出金、新設された学校田や学校林の活用など、地域の人びとの負担によって維持・管理されてきたからである。このように小学校は「おらが村の学校」であったがゆえに、明治政府が国家の基盤を固めるために、自然村を新しい行政村に吸収するかたちで小学校の統廃合をしようとしたときに、村民の激しい抵抗がしばしばおきたのだった。

 その小学校は、1907年(明治40年)の義務教育の6年制成立以来、約100年間にわたり、6年間同じ小学校に学んだ同窓生を生みつづけてきた。「懐かしい友」の目にみえない組織。これは形があるにせよないにせよ、厳然としてある。地域の先人が遺した形のない精神的「文化遺産」なのである。

 柳谷集落のように規模の大きな集落もあるものの、地域づくりを実践的にすすめるには、集落では一般的に小さすぎる(一農業集落の全国平均は22.8戸)。行政単位である市町村では広く遠すぎる。あるていどの規模をもち歴史的なつながりを色濃くもつ校区をベースに地域づくりを展開し、コミュニティを現代的に強化することである。

 そして、地域の人びとが力を合わせて暮らしよい校区コミュニティの形成に取り組むことによって、地域に自信をもち、地域の暮らしのよさを確信することが重要だ。

 その条件は、全国至るところに広がっている。農村女性や高齢者による自給の延長としての多品目少量生産と朝市・産直が展開しており、農村をすこぶる元気にしているからである。そこには、子どもたちや生きもののいのちをいとおしく思う女性特有の感性があり、身の回りのそれぞれ独自な地域自然を活かし、工夫をつみかさねるなかで開花した、食文化を中心とした個性豊かな生活文化がある。

 その個性的で素朴な生活文化は、経済活動に疲れ人間的な労働をもとめている、そしてお仕着せのサービスではないほんものの人間的交流をもとめている都市民を魅了する。その結果、都市農村交流が盛んになって交流人口や滞在人口が増え、いまやUターンやIターン、そして定年帰農者など、年間、7〜8万人もの人びとが農村に帰農する時代になっているのである。高度経済成長時代におきた農村から都市への地滑り的な人口移動とちょうど反対に、都市から農村に人口が移動する動きがはじまったのだ。

 そのような都市民は、もとはといえば地方や農村の出身である。そこで、校区コミュニティづくりの取り組みでは、先祖たちが残してくれた精神的文化遺産としての同窓生の関係を重視し、同窓生に校区の様子を記した「通信」を送ってほしい。できれば、その通信は、双方向のやりとりがかんたんにできるインターネットがのぞましい。いま、ほとんどの小学校ではホームページをもっている。このホームページをおざなりのものですますのでなく、地域の人びとや都市に他出した人びとも参加できるものにして、魅力ある参加型のものにするのである。

 そこからさまざまな交流が生まれるだろう。やがて産直関係がめばえる。行き来がはじまる。商品やサービスの売買を媒介にした関係ではなく、日常生活そのもので交流する「ほんもの体験」をともなった交流がはじまる。そのような交流から、年金と退職金をもって定年帰農する人や、都会のマンションは自分が時々帰るための一室を残して息子に譲り、借地に新たに建てた農村の新居や、斡旋をうけたむらの空き家で農業を行なう農都両棲型の暮らしをはじめる人も出てくるだろう。このような都市農村交流や農都両棲社会の形成は、都市民を救うばかりでなく、農村の人びとにも喜びを与え、自信を回復させてくれるに違いない。また、さまざまなノウハウをもつ都市民の多様な能力は、魅力ある校区コミュニティの形成に活かされてくるだろう。

 いま、JAは合併によって大きくなりすぎた。市町村でも財政問題を契機とした大合併が繰り広げられているが、そこには、JAや行政がサービスを提供するという発想はあっても、地域の人びとといっしょに経済をつくり暮らしをつくるという共同的・自治的視点が弱い。JAの経済事業や行政の基礎に地域の人びとの知恵や力の発揮を据え、その校区コミュニティづくりを支援することが大事なのだ。

地域の子どもは地域で育てる

 このような校区コミュニティづくりにもう一つ欠かせない視点は、地域での子育てである。

 冒頭でふれた農村生活の変貌とともに、子どもたちへの教育のありようも大きく変わった。かつて農村は、子ども仲間や若者組など、地域の子どもたちを地域で育てる仕組みをもっていた。大人たちは、子どもたちに農業・農村の生活の仕方を日常の生産・生活をとおして教え、小学校も地域の拠点としての意味を強くもっていた。ところが農村のコミュニティの力が弱まり、進学率が高まるにつれ、子どもたちに農業や農村生活のよさを教えることはなくなり、子どもたちは自分のうちの田畑がどこにあり、そこに何が植わっているかも知らない状況が生まれている。

 これまでの教育は、子どもたちを大都市の産業予備軍にするための教育だったのではないだろうか。それが子どもの幸せにつながると信じられる時代はそれでもよかったのかもしれないが、デフレ経済のなかでのリストラで日本型年功序列制はくずれ、学歴神話も崩壊した。

 コミュニティ再建の取り組みのなかで地域に自信をもち、地域のよさを確信することが重要だと前述したが、その確信のないところに子どもの教育は成立しない。子どもも10年たてば、地域の担い手になる。たとえ子どもが他出するにしても、子どもたちは、地域の暮らしの充実と、大人たちの温かなまなざしのもとで健全に成長するものだ。

 前述の鹿児島県・柳谷集落の補助金に頼らない地域づくりの自主財源の元となったカライモ栽培は、集落の高校生を集めての栽培からはじまった。やがて地域の大人も加わり、その自主財源で村のさまざまの施設をつくっていったのだが、柳谷集落の取り組みには、地域の子どもたちは地域で育てるという配慮がつねになされている。

 地元の中学校である事件がおきたときに、子どもたちに正面からむかいあって問題を聞き出したら、学校に登校するときに地域の大人が子どもを無視する態度をとったという声や、授業がよくわからないという話が出てきた。そこで、地域の大人たちが子どもたちの登校時に子どもたちに声をかける「おはよう声かけ週間」を設けたり、カライモの収益で教師OBの協力を組織して、週三時間の寺子屋を開始。分数を五週でクリアした生徒たちの満足気な顔は、この取り組みの励みになっているという。

 あるいはまた自主財源を充実させて内部留保が500万円になったら「集落奨学金」制度を開始する計画をもち、そして、異郷に暮らす集落出身者と集落をつなぐ試みも八年間行なっている。父の日、母の日、敬老の日に、異郷に暮らす柳谷出身者が故郷の父母に宛てたメッセージを、柳谷高校生クラブ員が有線放送で代読するのである。

 母の日の朝、「いかにいます父母……」ではじまる「ふるさと」の音楽が流れると、集落民はスピーカーに釘づけになる。

 お母ちゃん、産んでくれてありがとう。

 お母ちゃん、育ててくれてありがとう。

 お母ちゃん、見守ってくれてありがとう。

 地域の皆さん、ひとりぼっちの母をよろしくお願いします。

平成9年5月横浜市 ○○○○美

 聞くむらびとも、代読した高校生も涙があふれる。異郷から集落内のひとりに宛てたメッセージを集落民が分かち合うことで、異郷の子どもたちと故郷がつながるとともに、集落の世代間がつながる。先に述べた「集落奨学金」構想は、異郷に出て暮らす若者たちが、そのつながりを通してなおかつ集落民であり続ける仕組みづくりでもある。

 地域づくりと地域の子育ては、同じ地平でとらえなければならない。もともと教育の根源には、種の保存や人びとの生の充実、永続する生活・地域(社会)への希求があり、文化の継承への強い願いがあるはずなのだ。地域づくりで、大人が学習して力をつけてゆくことと、子どもたちがそのような地域づくりの「場」のなかで、学び育っていくこととは、表裏一体の関係にあるのである。

 時おりしも、いま、学校の地域への開放がすすめられ、学校の「総合的な学習の時間」では、地域の先生を招いての食農教育の授業や、農家の協力を得た体験学習がさかんになされている。生活に根ざした知を身につけ、教科の学習もその体験と結びつける形で生きた学習をすすめ、子どもたちの「生きる力」を育むことがそのねらいと言われるが、自給を土台にした農業は人間の生活の原点であり、「食」と「農」は、子どもたちの生きる力を育む学習の素材に事欠かない。学校と大いに協力し、地域での子育ての態勢をつくっていくことである。そのことは教師の視野を広げ、地域の拠点としての学校づくりをすすめる契機になるとともに、地域の大人たちが元気になるだろう。教育を地域にとりもどすことによって、高度経済成長時代にはふりかえることがなかった、地域自然を生かす地域固有の生産と生活の技術に光があてられ、弱められた家や地域の共同性が回復されるからである。

「地域に根ざした食農教育ネットワーク」に積極的参加を

 このような考えで、農文協では、今年の7月、(1)子どもたちの「生きる力」を育むことと、(2)元気な地域づくりを目標に置いた「地域に根ざした食農教育ネットワーク」を立ち上げることにした(事務局=農文協教育雑誌編集部)。

 ここでは、全国の農家の方々や、都市・農村の農家以外の住民、農業指導者、農業団体、学校教師、教育委員、栄養士などや、日本環境教育学会等、関連した学会なども参加してネットワークが形成され、地域づくりと食農教育をめぐる全国あるいは地域レベルの研究会が開かれ、研究会の合間はメーリングリストやメールマガジンをつかって情報交換が行なわれることになる。

 これら日常の交換情報や研究成果は、ホームページや、当会で発行している隔月刊の教育誌『食農教育』に反映させ、地域と教育を結ぶ動きを強めるためのよい循環をつくっていきたい、と考えている。

 このネットワークは、農家の参加なくしては意味をもたない。読者の皆様の積極的な入会と活躍を心からお願いしたい。

(農文協論説委員会)

*「地域に根ざした食農教育ネットワーク」についてのお問い合わせ・お申し込みは
  FAXは03―3585—6466
  E-mailはsyokunou@mail.ruralnet.or.jp
  まで

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