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農文協トップ主張 2000年3月号

転作で地域の産業をおこす

目次
◆集落営農の転作 産直・加工で広がる地域の産業おこしネットワーク
◆個別経営の転作 食品加工業者と連携して総合的な産直
◆加工・産直集団がリードする山村の大きな産業おこし
◆テーマをもった転作 転作で健康産業をおこす

 出発点がイネの減反・生産調整から始まったからだろう。転作はやむをえずやらなければならないものという観念がすっかり定着してしまった。しかし、21世紀をひかえ、もうそろそろ、そんな「不幸な歴史」にピリオドを打つ時がきたのではないだろうか。

 かつてなくて、今あるのは産直・加工の大きな広がりである。産直・加工は転作の意味を変え、転作の価値を大きく広げた。転作をこなすのではなく、産直・加工、農業の6次産業化のための1つの方法として転作とらえかえし、これを生かす……各地の元気な4つの事例から転作の新段階のありようを考えてみよう。

集落営農の転作 産直・加工で広がる地域の産業おこしネットワーク

 転作の優良事例といえば、基盤整備された広い田んぼでイネ―ムギ―ダイスの体系を組み大型機械を駆使する大型経営、あるいはオペレーターによる集落営農が思い浮かぶ。

 群馬県前橋市の増田水田作組合(現在の組合員105戸)もそんな優良事例の1つであった。昭和45年に基盤整備で三反区画にし、コメの生産調整が始まった翌年には転作として裏作ムギを推進、そして昭和62年には3年周期のブロックローテーションによるイネ―ムギ―ダイス体系を確立した。平成8年には全国農業コンクールで受賞し、評価されたのだが、しかし組合の内部では、将来に対する不安が広がっていた。「後継者や担い手をどう確保していけばいいのか」。……人が寄るとこんな話がよくでる。受委託の広がりは一面では農業から、田んぼから村の人たちの足を遠のかせた。集落の後継者のほとんどは農業以外の仕事についている。「このままでは残るのは機械と田んぼってことになりかねない……」。

 そんななかで、水田作組合の役員やオペレーター、農協、市農政課、普及センター、有識者による「地域農業を考える会」が発足。議論を重ねた結果でてきた方策は、産直・加工を飛躍的に強めることであった。その中心的な担い手として、平成11年3月には農業組合法人マスダが12戸でスタート。水田作組合から機械を借りて受委託を行なうとともに、農産物の生産・販売を行なう。その核となるのが直売所である。水田作組合が開設にこぎつけ、マスダが引き継いで運営するようになった「ふれあい直売所」には、転作を利用した各種の野菜やコメ、ダイスとともに、豆腐、納豆、味噌、おなめ(金山寺みそ)、小麦粉などの加工品が並び、良く売れる。納豆、味噌、おなめは、地元JA前橋市・木瀬支所が水田作組合の転作ダイズを加工したもので、マスダがこれを仕入れる。豆腐は、自分たちの転作ダイズを地元の丸山豆腐店に持ち込んで委託加工してもらったものだ。豆腐の販売価格は1丁120円、うち加工賃は65円、1俵60キロでおよそ400丁の豆腐ができるから、1俵を2万2000円〔(120−65)×400〕で売ったことになる。政府への売り渡し価格(規格内ダイズ)1万4000円より約6割も高い。

 「増田産のダイズと中国産のダイズでは、豆腐のできがまるでちがいます。ダイズの風味があって、歯ごたえがちがい、噛めば噛むほど味がでるという感じです」という丸山豆腐店の丸山義治さん。増田産のものは中国産のものより固まるのに時間がかかるが、そんな素材の特性に合わせた製法で、おいしい豆腐をつくってくれる。

 「直売所をこれからの事業展開の中心にしたい」とマスダの組合長・平野計さん。産直・加工を取り入れるなかで、新しい後継者も生まれつつある。土日の休みを利用してオペレーターを務める兼業農家、直売所への野菜つくりを始めた定年帰農者やお母さんたち。水田作組合、農業組合法人マスダ、JA、地元豆腐店、それに市行政の支援が加わり、転作を利用した産直・加工が展開する。かつて、結果として地域の人々を農業から遠ざけることにもつながった集落営農が、産直・加工を取り入れ、ネットワークをつくることで、地域の人々を農業に結びつける力になってきた(本誌64ページ)。

 転作を原料生産にとどめていては先は見えてこない。農業が工業(加工)や商業(販売)をとりもどして産業になるとき、地域が動きだす。

個別経営の転作 食品加工業者と連携して総合的な産直

 次は、個別経営での取り組みである。

 秋田県大潟村の芹田省一さんは、個人経営で転作を利用した産業おこしを始めた。芹田さんの水田は20ヘクタールだが、これだけ面積があっても米と、ムギ、ダイスの転作だけで安心というわけにはいかない。米の価格が上がる見通しは少ないし、転作も奨励金がはずされれば一気に赤字に転落する。そんな不確かさの上に成り立つ経営ではだめだと考えた芹田さんが思いついたのも、やはり加工である。しかし、加工を考えるとき、20ヘクタールという面積は逆に足かせになる。労力の面、設備投資の面、そして何より加工の技術を習得するためにさく時間がとれない。そこで思いつたのが、食品加工業者の力を借りることであった。

 まずもち加工からてがけた。かつて農協青年部のもち加工研修で知り合った業者に相談をもちかけた。自家産のもち米に自家産の豆を持参して社長をくどいた。農業の職人と加工の職人同士、いいものをつくってもらいたい、いいものをつくりたいという思いが通じ、1俵2万円の加工賃という条件で話はまとまった。出来上がった製品を試食して、芹田さんは感心した。とにかくおいしい。豆を潰さないように手で大豆を練り込んでくれていたのだ。豆の形、香り、職人技に芹田さんは感激した。こうして、きねつきもち、かきもち、まめかきもち、よもぎもち、玄米もち、きびもちなどの製品が生まれていった。もちの販売代金から2万円の加工賃と運賃を差し引くと、もち米1俵60キロが2万5000円で売れた計算になる。

 きな粉、納豆、醤油、黒豆や青豆の豆菓子なども同様に委託加工してもらっているが、納豆では、ダイズ1俵が3万4000円で売れた勘定になるという。現在、芹田さんの加工ネットワークには千葉県のもち、長野の醤油、青森の納豆、秋田のきな粉、長野の豆菓子加工と6つの業者が参加し、これに自家製粉する石臼小麦粉やおかあさんがつくる漬物、さらには農家の仲間から仕入れる梅干しやアイスクリームなども加わり、これらの製品はこれまで米の産直で結びついてきた消費者に届けられる。昭和60年、学生時代の人脈、出稼ぎ先のツテを頼って米で始めた芹田さんの産直は今、総合産直へと大きく展開している。

 「わたしの場合、全国各地の業者さんにお願いすることになってしまったのですが、今だったら地元の人も受け入れてくれたのではなかったかな、とも思います。きっと農家と同じ志をもった食品加工の業者さんはたくさんおられるんだと思います」。こう話す芹田さんは、今後の夢を語る。

 食品加工の職人さんとつきあうようになって、芹田さんは大切なことに気がついた。それは、大潟村には栽培技術の高い意欲のある農家はたくさんいるけれど、栽培技術以外の技術をもった人が少ないといういうことだ。水田単作の大規模モデル農村をめざした大潟村にとって、それは必要なかったかもしれないが、今ではそれが弱点になっていると芹田さんはいう。

 「今は委託加工をお願いしているだけですが、ゆくゆくは大潟村の中に加工施設をつくって、そこに技術顧問として参画してもらい、村の若い人たちにその技術を伝承してもらえないかと思っています。個人ではできないけど、行政や農協の力があればそれができる。職人さんに中には後継ぎのいない方もおられます。そんな職人さんをむらに呼んで、その技をむらに蓄積していきたいんです」(本誌56ページ、注1)。

 地域の産業おこしには、農業以外のさまざまな技術や異質な人材も必要になる。外に開いて内に蓄積していく―これをコーディネートすることが行政や農協に求められている。

加工・産直集団がリードする山村の大きな産業おこし

 芹田さんが夢描く村のなかでの加工の「技の蓄積」の力によって、大きな産業を興している山村もある。

 島根県弥栄村は、総面積のうち85%が森林の山村である。昔は水田単作と炭焼きで生計をたてていた村が、今では転作ダイズを活用した味噌加工を中心とした総合産地に生まれ変わった。この味噌加工を担っているのが、(有)やさか共同農場である。この農場は昭和47年、「人間性が生かせる有機農法の里づくり」という夢を実現するために弥栄村に入村した広島や大阪出身の青年4人で結成した「弥栄之郷共同体」がその前身で、現在は入村者9名、研修生五名で構成され、イネ、ダイズの生産とその加工・販売に取り組んでいる。「やさか味噌」の加工・販売が本格化したのは昭和54年からで、関西を中心に消費者への直売ルートを開発してきた。この味噌産直のパイプを太くするのに役立ってきたのが、消費者への手づくり味噌講習会である。毎年2月になると、地元ダイスに地元コシヒカリという「やさか味噌」の材料を持ち込んで講習会を開く。15年続けてきて、「自家製の味噌が一番おいしい。やさか味噌は二番目」という手作り味噌のファンも増えてきた。そんなつきあいがもとになって消費者が消費者を広げ、いまでは年商は1億2000万円にものぼっている。

 原料ダイズは、自分たちのダイスだけでは不足するため、他県産のものを利用してきたが、数年前より、地元の集落営農組織との連携を強め、自給体制を強化してきた。弥栄村の水田面積は300ヘクタール、このうち9割は棚田を基盤整備した水田で、ここでは五つの集落営農によるイネ―ダイズの輪作が行われている。少し前までは一つだけだったが、加工と結びつくことで生産に弾みがつき、最近新たに4つの集落営農組織が生まれたのである。現在の転作面積は74ヘクタールでそのうち40ヘクタールはダイズ。総収量は65トンで、このうち50トンが(有)やさか共同農場で味噌に生まれ変わる。それでもまだまだダイズは不足しており、ダイズ面積をさらに増やし、100%地域で自給したいと計画している。

 今、弥栄村は、味噌に酒や醤油を加え、「醸造の里」づくりをめざしている。酒は酒米の生産者が酒類の小売免許を取得して、委託加工でつくった「やさか仙人」のファンづくりにがんばっているが、ゆくゆくは地元に地酒販売会社を立ち上げ、醸造も村で行ないたいと考えている。

 一方、ダイズの集団転作できない棚田(水田面積の1割)では、お年寄りの農家によって有機・低農薬の野菜やイネ、漬物などの加工品づくりが進められているが、これも味噌で切り開いた販売ルートによって産直される(注2)。

 地域に力のある加工・販売集団があれば、転作による産業おこしは大きな展開を見せる。

テーマをもった転作 転作で健康産業をおこす

 以上、産直・加工による産業おこしの例を3つ紹介してきたが、最後にこんな取り組みを紹介しよう。

 香川県三野町では、発芽玄米による町民の健康づくりを進めているが、これに加え、転作を町民の健康づくりに生かそうという取り組みが始まっている。転作による健康産業おこしである。

 三野町では、労力などの都合もあって転作を何にするか苦慮する農家が多く、調整水田も多いが、そんななかで今進められているのが、薬草、ウコン、ヒシ、ハーブ、ドッグフード飼料米など、女性と高齢者による健康作物づくりだ。

 三野町では昭和40年代後半から薬草の栽培に取り組むお年寄りが増え、会員100名を超える「薬草研究会」が組織されているが、そんな蓄積をいかして平成5年に「薬草の館」がオープンした。ここでは、クワ、ウコン、アロエ、ハトムギ、ドクダミなど、自生する薬草や栽培した薬草を持ち寄って販売している。また最近はハーブへの関心が高く、ハーブの研修制度もつくられ、販売を目的としたハーブ園や販売会社を設立し、道の駅やJR駅前のふれあい市でポプリなどを販売している。

 町では、転作作物としてペットフード用飼料米、ハーブ、ウコン、ヒシと毎年一つずつ奨励してきた。製品開発には課題も多いが、町民の健康づくりに役立つ地域の産業として育てようと意欲的だ。ペットフード用飼料米は、ペット用に発芽玄米に加工したもので、ペット用だから飼料作物として認められる。ヒシは湿田にむいた作物で、「酒の毒」を消す効果があるという。ウコンは「薬草の館」でも人気が高く、いずれはこれを使った製品を開発したいという。

 三野町役場の藤田公正さんは次のようにいう。

 「当面、発芽玄米を学校給食に取り入れたいと考えている。白米2に発芽玄米1の割合で今まで何度か試食しているが、子どもたちの反応はいい。春ウコンを使ったカレーもいいし、ハーブを加えればなお風味が増す。こんなカレー店があってもいい。また、ヒシ粉と春ウコンを使った天ぷらやスナック菓子がでてきたり、発芽玄米の雑炊がだされる。そんな居酒屋があってもいい」

 女性や高齢者の転作作物が町民の健康を守り、産業にもなる――三野町はそんな「食と農」の町づくりを進めている(注3)。

 地域のネットワークによる転作、個人で加工業者と結びついた転作、地域の加工・販売集団が支える転作、そして健康というテーマを設定した転作と4つの事例を紹介した。転作にはいろいろな形がある。こなすだけの転作は画一的だが、産業おこしのための転作は地域的で個性的なのである。地域の資源と、地域の人々と、地域に蓄積された技術力とが結びつくとき、「転作」という言葉は死語になり、村の新しい産業が、しっかりと、個性的に姿をあらわす。

(農文協論説委員会)

 注1〜3の事例は、農業技術大系「作物編」第8巻「水田の多面的利用」に収録されている記事を参照にした


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