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農文協トップ主張 2000年1月号

「流行」から「不易」へ
――21世紀の課題――

目次
◆「不易」の花が開いた江戸時代
◆企まれた「流行」によって「不易」が毀された
◆「流行」と交差して「不易」が深まり、高まる
◆「産直」がつくる「新しい不易」
◆教育、福祉、地方分権――「新しい不易」を創り出す条件は成熟した
◆「新しい不易」を構築する高齢者の文化運動

 時代は「新しい不易」を求めている。現代は「変わらないもの」を失い、流行により、すべてが変わり、画一化が進んだ。北に行っても、南に行っても街並みは皆同じ、地域が感じられない。食べ物もまた、皆同じ。地域が感じられない。「流行」が地域の個性を失わせ、どこへ行っても皆同じ。なんとも味気ない世になったものである。

 20世紀の最後の年、2000年を迎えた。21世紀を「新しい不易」を創る世紀にしたい。

 「新しい不易」の時代はすでに始まっている。その尖端を走っているのはなんと、農業である。農業が時代の尖端を切るのは、人類史において久々のことである。

 農業の多面的機能。環境保持機能、景観維持機能から教育機能、さらには福祉機能に至るまで、さまざまな側面から農業の多面的機能が見直されている。一言でいえば、農業のもつ地域文化形成機能が見直されているのである。農業のもつ地域文化形成機能こそ「新しい不易」の源泉である。

「不易」の花が開いた江戸時代

 「新しい不易」の創出は「新しい個性」の創出である。人々は画一に飽いて個性を求めている。個性の根源は地域にある。多様な地域から多様な生産と生活が生まれ、多様な生産と生活が個性を生む。それぞれの“おくに”がそれぞれ日本一なのである。どの“おくに”にも優劣はない。江戸時代の農業書である「農書」の一つ、中村喜時の「耕作噺」の巻頭に次のように書かれている。


 日本国中を回って花の都京都、花の江戸、大阪、名古屋を見ても、生まれた故郷の津軽を回って見ても、御城下弘前や鰺ヶ沢港の賑わいをみても、自分の生まれ在所がいちばんよい。(『日本農書全集一』21頁 農文協刊)

 多元的価値がそれぞれ自己を主張し、価値が一つに画一化されない。流行にめげず、それぞれの地域はそれぞれの地域の価値を主張する。そこに「新しい不易」、新しい個性が創造される。その「新しい不易」の創造の根源である「地域」は農業のもつ多面的機能の発現によって形成される。

 「新しい不易」は「農業のもつ多面的機能」を活かすことによって創られる。

 江戸時代は「おくに」「おくに」に「不易」の花が開いた時代であった。その根源に「農業のもつ多面的機能」の全面的活用があった。当時江戸は、ロンドン、パリを超える120万の人口が住む世界一の大都会であった。その江戸は国際的にみて極めて個性豊かな都会であった。その大都会江戸の半分以上は緑地であった。武家地の半分以上は緑地であった。広々とした庭園だけではない。庭には野菜が植えられていた。

 『江戸時代人づくり風土記 東京』(農文協刊)によれば「近在の百姓たちが土付きの大根、人参、芋類を持ってきて市が立ち……土付きの根菜類を一度に多量に買い込んで活けて置き、必要に応じて掘出して食べた……」(301頁)「青物の菜類はほとんど広大な庭に自家菜園としてつくられた……」(301頁)。大都会江戸にも農業はあったのである。そして、それがロンドン、パリとは全く異なる江戸の都市としての個性を創り出す根源であった。

企まれた「流行」によって「不易」が毀された

 日本の地域地域の文化が、地域地域の生活・生産文化として花開いたのは江戸時代である。明治維新の工業を中心とする近代化の大変革によっても、決して「地域」は失われなかった。昭和の初期まで、地域地域の生産も生活も「不易」であった。それぞれの地域はそれぞれの地域独自の生活文化と生産文化を保ちつづけた。明治の西洋文明のとり入れによっても「地域」は滅びることなく、地域の文化は深められ高められて「不易」を保った。決して「流行」によって個性は毀されなかったのである。


 地域地域の文化の代表として、生活文化の基本である食文化を守るために、農文協は昭和59年から『日本の食生活全集・全50巻』の刊行を開始した。

 食事はそれぞれの国、それぞれの地域の文化であり、「不易」である。徹底的な植民地支配による強制でもないかぎり、食文化はその基本が変わるものではない。

 近藤康男氏(東大名誉教授)は次のように述べている。


 農文協が「今、やっておかなければならないことがある」といって10年前に着手した『聞き書 日本の食生活全集』50巻が平成5年をもって完結した。日本の伝統的食生活が崩れようとしている。正確な記録を残そうと志した一大調査事業である。

 伝統的食生活の崩壊という問題については私はいまいましい記憶がある。終戦間もなく、占領下にあって昭和23年であったと思うが、アメリカから小麦ミッションと呼ぶ専門家の調査団が調査を終了し帰国する前に感想を聴く会で、このミッションの主要な課題はどこかと尋ねたとき、「日本の米の粒食を小麦の粉食に転換の可能性の検討」という答えであった。食事慣行は容易に変化するものではないと思っていた私は、農地改革以上の夢と聞き流したが、それは誤りであった。

 アメリカはすでにその頃、小麦の過剰生産を迎えようとしており、日本の戦後の食糧不足に対するガリオア、エロアの援助を余剰農産物処理に切り換え、日本の裏作麦を除去することから着手した政策の一環であったのである。あの小麦ミッションが告げた夢が今日の現実となっているのである。(『農文協55年略史』149頁)


 伝統的日本型食生活という「不易」がどのようにして、企まれた「流行」によって毀されていったか。「流行」と「不易」の関係についての一つの流れを述べた。

「流行」と交差して「不易」が深まり、高まる

 「流行」から「不易」へ、という主張は「不易」と「流行」を機械的な対立概念としてとらえることを意味しない。

 芭蕉は俳諧用語としての「不易流行」について、不易は詩的生命の永遠性を有する体であり、流行は詩的生命の流転性の体であり、二つとも風雅の真実から発するものであるから根本的に一つであると述べている。

 「変わらざるもの」が時代や流行=「変わるもの」と交差して「変わらざるもの」がますます深まり、高まる。「新しい不易」として形成される。「不易」には「流行」によっても全く変わらない「不易」と、「流行」によって根本は変えず個性を活かす「新しい不易」がある。

 時代や流行。あるいは他国との交流が「不易」を深め、高めて「新しい不易」を形成してゆく。それが「不易」と「流行」の関係である。この関係が、「人為」によって、つまり、外的な圧力によって毀され、その結果個性が否定され画一化をすすめる。それが戦後文明の際だった特徴である。この特徴が、人口・食糧・資源・環境という人類史上の新しい基本問題、自然と人間の敵対矛盾に根ざす基本問題を生み出したのである。自然と人間がそれぞれもつ多様性。それに加えて多様な人間が多様な自然に働きかけることによって生まれる多様な空間。この多様な空間は自然と人間の「相互的働きかけ」の歴史が生み出した地域の「不易」、地域の個性である。その「不易」が失われたところにこそ現代の根本問題がある。人口・食糧・資源・環境問題の発生の根源はそこにある。

「産直」がつくる「新しい不易」

 「新しい不易」を創る尖端をゆくのが農業であると述べた。今、「流行」している「産直」こそ「新しい不易」をつくる大きな動きである。このことについては昨年の1月号の主張「人類史の大転換――不況はどのように克服されるのか。何の時代が終わり、何の時代が始まろうとしているのか」で詳しく論じた。


 「産直」の特質は、少品目・大量生産・大市場販売から、多品目・少量生産・地域直接販売の実現という大きな転換である。……消費者はすでに有り余るほどのモノを持っており、「必要なもの」ではなく、いまや「私の好みのもの」を求めているのである。それが食べ物では安全で、新鮮で、おいしい「産直」品であった。……(農家が)自分で食べておいしいと思うもの(自給)を生産し(加工し)販売する。それぞれの商品にそれぞれの個性がある「自給」の社会化に「産直」商品の特徴がある。(『現代農業』平成11年1月号「主張」46頁)


 消費者は「◯◯さんの田畑」でできたものを買っているのであり、「◯◯さんの田畑」という空間を農産物と一緒に買っているのである。◯◯さんの働きかけ次第で、その消費者は“むら”を訪れ援農することもあれば、畑の一部を借りて自分で農産物をつくることもある。高じれば空地に別荘を建て畑仕事で休日を楽しみ、定年後はそこに暮らすことも特別に珍しいことではなくなった。

 農業は第一次産業(農林業)と第二次産業(農産加工業)と第三次産業(販売・サービス業)と三つを併せもつ新しい産業、一と二と三を足して第六次産業といわれる産業になりつつある。食料・農業・農村基本問題調査会の木村尚三郎会長は「農業は21世紀の総合産業となり、21世紀の社会は農を基本にした農型社会になる」と述べている。

 昨年1カ年間のうごきは、まさに「主張」が述べている地域の個性を生かす方向に時代は大きくうごいていることを示している。

教育、福祉、地方分権
――「新しい不易」を創り出す条件は成熟した

 大きなうごきの一つは、文部省の教育改革のうごきである。その目玉である「総合的な学習の時間」という授業の時間は、小学校でいえば国語・算数に次ぐ時間数が割り当てられている。しかし、その時間の授業には教科書はない。テーマも教育方法も、学校独自の工夫に委ねるとしている。「学校教育」始まって以来の画期的な改革が決定された。市町村と地域住民と学校が協力して「国家の意志」ではなく「地域の意志」で教育が行なえる授業時間が創られたのである。まさに地域の特色を活かし、地域をつくる教育を開始することが可能になった。平成14年から全小中学校で全面的に実施される。平成12年度はその移行期間として移行のための時間割を各校が組むことができる。

 また、昨年は教育史上初めて、文部省と農水省が「文部省・農林水産省連携協議会」を設置した。農水省が農業体験学習で「総合的な学習の時間」をバック・アップするのである。それだけではない。全国に1000カ所の、子どもたちの自然の遊び場“あぜ道とせせらぎ”づくり事業を推進し、さらに「子どもセンター」を開設して、農業学習の便宜を図ってゆく等々、全面的に「子どもの教育」に農水省がかかわることになった。

 他方、JAの「次世代との共生」のスローガンの下、JA全中が10年前から全国の小中学校を中心にすすめてきた「稲づくり学習」のための「バケツ稲セット」は、昨年は50万セットの配布を実現した。また、「学童農園の維持管理支援」を行っているJAは昨年、454JAに及び、全JAの約3分の1に達した。JA全中は今年度末までに、全JAでの実施を目標として掲げている。

 農文協は「総合的な学習の時間」での「食農教育」を全小中学校で実現すべく、昨年日本で唯一の「総合的な学習の時間」の総合誌『食農教育』誌を創刊した。いまや、「食農教育」という用語は農文協の独自の用語としてではなく、一般的教育用語として教育界全体で日常的に使われるようになった。かの全国チェーンの大書店、紀伊國屋書店は昨年『21世紀を拓く食農教育・全15巻』の教育ビデオを発行している。

 他方、厚生省も、その食生活改善推進運動の新しい段階として、日本型食生活推進の段階から「地域に根ざす食生活」推進の段階へと、これまた「地域の食」の価値を見直す方向のうごきを開始している。

 さらに行政においては、昨年7月「地方分権推進一括法」が成立し、中央集権的行政から地方分権への方向に大きな前進が開始された。

 まさに「新しい不易」を創り出す「地域の個性」を発現する条件は成熟した。

「新しい不易」を構築する高齢者の文化運動

 「新しい不易」を創り出す日常生活文化、日常生産文化の運動の担い手は、今日の農業の主力である高齢者と女性である。とくに高齢者の果たす役割は極めて重要である。現在の高齢者は「むら」の不易を息子に十分に伝えることができなかった。「むら」の不易を孫には伝えなければならない。

 「一番苦労した者が今はまだ地域にいる。じいやばあはそうした生活の姿を我が子には伝えたいと思っている。が、しかしそんなつらい思いはもうさせたくないと子には語らなかった。また高度経済成長で豊かになり始めたのが今のPTAの世代だ。だから地域の生活の姿や知恵はそれほどは我が子には伝わっていない。でも話を聞いてくれる孫がいることで元気になれる。伝え残したい初草の生活の姿の大切さを孫が親に見つめさせてくれた」。

 『食農教育』5号「『総合的な学習の時間』のプランづくり『祖父母世代と孫世代をつなぐカリキュラムづくり』」の一節(66頁)からの引用である。徳島県穴吹町の初草小学校(児童数34人学級数6)の総合学習に参加した農家の言葉である。

 本誌99年5月号「村のソバの特産化は小学生たちのソバ体験学習が原動力」(岩手県雫石町橋場小学校)の記事の中で「しかし、雫石では実はもう何十年もソバなどつくったことがなかったのである。30代前後の親では、ソバを見たこともないという人も多かった。ソバを栽培したり、ソバを打って食べたりしたのは、おじいちゃんやおばあちゃんの代なのだ。……子供たちがソバに関心を持つようになる。そして地域の話題として広がっていった。平日は勤めに出ていて土日に農業を手伝うことの多い層が、ソバを通して地域の農業に関心を持つようになったのである」(76頁)。子どもたちの体験学習から減反田でのソバつくりへと発展し、「道の駅」の特産品にソバを育てている。

 東京の私立の設備の整った金持ち小学校ではなく、田舎の複合学級の小さな小学校の「総合的な学習の時間」が、全国的に注目される時代なのである。そして、その主役はむらの高齢者である。高齢者は「社会人先生」として学校教育に正式に参加している。


 “むら”の個性を活かす、新しい生活と生産の文化運動を興さねばならぬ。「新しい不易」を構築する運動は、高齢者の文化運動によって担われる。昨年12月号の特集「むらの福祉の舞台つくり」も、まさに高齢者の新しい文化運動である。未来は高齢者の文化運動の高まりにある。「老人よ大志をいだけ」

(農文協論説委員会)


日本農書全集一「耕作噺・ほか」 4900円
江戸時代人づくり風土記 東京(大江戸万華鏡) 10000円
日本の食生活全集・全50巻 各2900円、揃価145000円
農文協五十五年略史 3059円
食農教育5号(夏号)800円(以上いずれも農文協刊、税込み)
21世紀を拓く食農教育・全15巻(提案編3巻、資料編12巻)
(発行・紀伊國屋書店 販売・農文協)揃い価82900円


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