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農文協トップ主張 1998年12月号

米ヌカ利用は何を拓いたか

目次
◆米ヌカに世界の目が集まっている
◆歴史上初めて米ヌカを自由に使える時代がきた
◆100万tの米ヌカの行方
◆米ヌカが新しい農業技術を創造し始めた
◆すべてを活かし、土に返すことから循環が始まる
◆生命の循環こそ21世紀を拓く

◆米ヌカに世界の目が集まっている

 「米ヌカ除草を試してみました。米ヌカを反当たり約150kgまきました。劇的に効いたというわけでないのですが、除草効果は確実にありました。来年からも続けて研究してみようと思っています」(長野県・小椋啓司さん)
 これは本誌98年11月号「読者のへや」に寄せられた、「米ヌカ除草」を試みた読者からの手紙の一部である。田んぼに草が生えなくなったというわけではないが、除草機押しが一回減り、最後に残った草が少なかったという内容であった。
 今年、編集部には、米ヌカをどこで手に入れたらいいのか、量はどれくらい入れたらいいのか、いつやったらいいのかなど、問い合わせの電話やハガキが途絶えることがなかった。
 米ヌカを除草に生かすだけでなく、土着菌ボカシへの利用、生のまま畑にまいて排水改良と団粒化促進に役立てるなど、米ヌカの農業利用はますます広がりつつある。そして今月号では、今年の成果を踏まえて、イモチ病にかかりにくかった、低温・日照不足でも出穂が遅れなかったなど、米ヌカを活用した今年のイナ作の報告が寄せられている(152頁から)。
 山形県の星川松雄さん(47歳)は、米ヌカにかけた思いをこう記している。
 「産直のお客さんを増やすためにも、無農薬でうまい米をつくりたい。百姓の誇りにかけても勉強していいものをつくりたい。それを安い経費で実現したい」(152頁)
 米ヌカイナ作は、思いと、誇りを実現する技術を生み出しつつある。
 米ヌカへの注目は、農業分野だけにはとどまらない。食べ物、健康などの医学・栄養学の分野からも、そのすぐれた価値がクローズアップされてきているのである。米ヌカに含まれているイノシトールやフェルラ酸、食物センイなどが、ガンを予防したり、心筋梗塞、脳血栓などの病気を予防することがわかってきたからである(51頁)。6月に開かれた第一回米ヌカ国際シンポジウムでは、アメリカから多くの研究者が参加して成果を報告し、会場の日本人を驚かせたという。
 米ヌカは、農業、医療、栄養など、分野を超えて注目を集め始めたのである。
 しかし、農家が米ヌカを思いっきり自由に活用できるようになったのはつい最近のことだ。

◆歴史上初めて米ヌカを自由に使える時代がきた

 日本有機農業研究会の代表幹事でもあり、財団法人協同組合研究所理事長でもあった一楽照雄氏(故人)は、今から30年前の昭和44年に、朝日新聞に論文を発表している。コメの過剰が叫ばれ、減反を割り当ててはどうか、政府米買い上げを制限すべきだといった声があがってきていた時代である。一楽氏は農業の再建を願ってこう書いている。
 「一口に米といっても、現状では、それは消費者にとっては白米であり、農民にとっては玄米である。米屋は米の売買業者であるだけではなく、同時に白米製造業者であり、白米運搬業者でもある。米についての問題の根源はほとんどこのことに秘められている。
 米屋を白米製造業者および白米運搬業者という業務から解放しなければならない。農民が米を玄米のまま手放して、精米過程を米屋に任すというのは、米の生産者としての任務の一部を怠っているものといわざるをえない。農民はその責任において、米を白米に仕上げ、小袋に包装して、生産者としての農協や連合会の名、容量、銘柄、精白年月日などを明記して出荷すべきである。消費者は、野菜や魚の場合と同じく、米屋の店頭で自ら選択して買い、自ら持ち帰るようにすべきである。
 こうすれば、消費者は従来のように米屋からの当てがいぶちでなく、好みの米を選ぶことができ、その好みや注文は生産者たる農民に反映しやすくなる。正直な米屋は、品質や容量などで、不正の操作を疑われなくてすむようになる。非農家では消費されないで、農家にとっては重要な米ヌカが、農村と都市間を往復する輸送を必要としなくなる」(一部抜粋、『協同組合の使命と課題』に所収、農文協刊)
 戦前は地主に玄米で納め、戦後は食管法によってやはり玄米で政府に納めてきた。昭和四十五年から始まった自主流通米制度も、その米の流通は玄米であった。売り渡しの仕組みは変わらなかったのである。農家の手元に残る米ヌカは、わずかに残した自家保有米数俵分からとれる米ヌカにすぎなかったはずである。
 新食糧法が施行されて丸三年がたつ。歴史上初めて農家と農協は自由に米を販売できるようになった。白米で販売しようと玄米で販売しようと、それも自由である。かつての消費地精米から産地精米がふえてきてもいる。精米機を備えた単協も出てきた。そして自由に米を販売できるということは、米ヌカもまた自由に利用することができる時代になったということでもあるのだ。30年前に一楽氏が訴えた、農家が「生産者としての任務」を全うすることが、ようやくできるようになったのである。農村に貴重な米ヌカが残り、その米ヌカを自由に活用できる時代がやっと訪れたのである。

◆100万tの米ヌカの行方

 いったい日本全国で、どれくらいの量の米ヌカが生産されているだろうか。
 玄米を精米するときに出るのが米ヌカで、その量は玄米重量の約一割。玄米で約1000万tの収穫量があるとすると、毎年100万tの米ヌカが、毎年、しかも日本全国で生産されていることになる。いったいこの米ヌカはどう流れているのだろうか。
 米ヌカの用途は、大口のものとして、米ヌカ油製造用、キノコ栽培用、飼料用、漬物用、肥料用などがある。
 平成九年の試算では、米ヌカ油の原料に約33万t(33%)、飼料用として12万t(12%)、キノコ栽培の培地として11万t(11%)の米ヌカが利用されている。この他、大口の消費としては漬物と肥料がある。資料はちょっと古くなるが、平成3年では漬物用に約5万t(5%)、肥料として約1000t(0.1%)となっている。平成9年に使われた量も同じと考えると、平成九年の使用量の合計は61万1000t(61%強)となる。
 米ヌカ生産量約100万トンから大口使用量をひいた残りの約38万9000t(約40%)が、食品工業、消費者、農家で使用または廃棄されている量と考えられる。農家の米産直がふえ、コイン精米機の台数がウナギ登りであることから考えると、地域に残る米ヌカの量は確実にふえているはずである。
 ところが、私たちの暮らしと生産の仕組みが、米ヌカを生かすシステムを失ってきていたのは事実である。たとえば米屋さんが産業廃棄物として処理業者に出していたり、コイン精米機を設置した農家が米ヌカの引き取り手がなく、捨て場に困っていたという話はそこらじゅうにごろごろしていた。
 しかし、世の中は確実に変わり始めている。最近ではコイン精米機の米ヌカが盗まれたり、いつももらっていた米ヌカが手に入らなくなったという声を聞くようになってきた。大量に地域に残るようになった米ヌカを生かすシステムを、農家がつくりだし始めたからである。

◆米ヌカが新しい農業技術を創造し始めた

 その一つに、福島県の薄上秀男さん(元福島県喜多方農業改良普及所長)のやり方がある。97年10月号の「トロトロ層は菌のすみか、土中で極上の肥料を生む」から薄上さんのやり方を見てみよう。薄上さんの米ヌカの利用は、まずは発酵肥料つくり。米ヌカや油カスなどの有機質材料を土着菌によって発酵させる。この発酵肥料をイネの元肥として施し、田植え後二週間ほどして米ヌカを田んぼに流し込む。土へ米ヌカを施すのは、土の中の微生物にイネ作りで大いに働いてもらうためである。
 発酵肥料の元肥を散布した田んぼの土は、荒代かき、植代かきと作業が進むにつれて、中性から徐々に酸性に傾き、田植えの頃はpH5.5前後に下がっている。田植後2週間後に米ヌカを流し込むと、その数日後にはさらにpH4.5前後にまで下がる。その後pHは上昇し、出穂前あたりからまた緩やかに酸性に向かうのだという。そこに関与しているのが微生物で、当初は糸状菌、そして米ヌカ流し込みによって乳酸菌が増え、夏の間は光合成細菌などが活躍し、稔りの時期を迎えると納豆菌や酵母菌が働き始め、刈取りを迎える。活躍する微生物の主役の変化が土のpHの変化であり、その活躍が、自ら養分をつくり出すと同時に、土の中のミネラルなどもイネが吸いやすいように引き出す。しかもそれが、見事にイネに必要な養分と一致して、「への字」型の生育になり、病気に強く、倒伏せず、おいしい米の生産にもつながる。
 水口からの流し込み法によって、「米ヌカはふるのが大変だ」という課題の解決のヒントが見えたこともあって、米ヌカ利用は今年、日本全国に瞬く間に広がっていった。その結果は、「田んぼの表面の土がトロトロのきめ細かな土に変化した」「雑草が生えてこなくなった」「地温が高まったようだ」「光合成細菌が自然に発生してきた」といったさまざまな農家の経験が生まれ、本誌の誌面を飾った。秋、刈取りが終わったらすぐに米ヌカを散布して、「冬の間に土に力をつけ」「菌をたくわえる」という技術も発見されてきた。
 こうして米ヌカ利用は、イナ作技術の根幹に影響する技術体系を提起した。すなわち、イネつくりを田んぼの微生物に大いに働いてもらおうという、地域の自然の循環、つまり地域の生命空間の活性のうえに立って行なおうとする技術への転換である。それは、イネだけを見るのではなく、地域の歴史的生命空間の個性のうえにつくろうとする技術への転換である。

◆すべてを活かし、土に返すことから循環が始まる

 江戸時代の農書に、「そもそも米に徳があることを世間の人は一応知っているが、どれほどのものなのかをはたして知っているだろうか」という書き出しで始まる『米徳糠藁籾用法教訓童子道知辺』がある(『日本農書全集第62巻 農法普及2』に所収。農文協刊)。文久三年(1861年)に三浦直重が著したもので、寺子屋などで子どもに教えるときの教科書として使われていた。
 米を、精白した米だけでは見ない。藁、籾殻、糠といった副産物がいかにすぐれているか、食べ方、加工、暮らしへの利用が事細かに記述されている。糠については次のようである。
 「玄米を搗くと、糠ができる。この糠も用途が多い。まず、人の素肌を洗い、ものについた油をこれで洗うと油気がよく落ちる。また、大根を糠と塩を混ぜて漬ける。これを沢庵の香の物という。紺屋では、小紋糠といって、細かくした糠を火で炒り、これに糊を混ぜて、染め物のうち白く残すところや紋所の上へつけておくと、そこへは染料が染み込まない。また、糠とまぐさとを混ぜて馬のえさとして与える。これを「飼」という。糠を火で炒って、小鳥のえさにする。畑の肥やしにもなるだろう」
 おもしろい記述もある。糠を袋に包んで、掘抜井戸の錐の穴に詰めておき、完成したときに抜くと、そこからは清水が吹き出してくる、というのである。これなど、米ヌカに、水に溶けている鉄などの金属イオンを吸着する力があることを経験的につかみ取っていたということなのだろう。
 籾殻についても、緩衝剤、湿気とり、道路補修など、籾殻の性質を活かした活用法が描かれる。藁についても同様で、畳、俵、屋根葺き、草鞋など、白米に費やした以上の紙数を割いて記されている。
 白米は人の健康を支え、米ヌカは油を搾るだけでなく食品加工の貴重な材料として、また家畜のエサとして使われ、排出される糞尿も米ヌカを添加することによって発酵させ、より価値の高いものとして田畑に返す。藁もまた同様である。イネを白米生産の手段だけとはとらえない、すべてを利用して再び土に返していく生命の循環システムの思想が、江戸時代の庶民の暮らしの中で実現されていたのである。

◆生命の循環こそ21世紀を拓く

 今月の巻頭特集で登場していただいた和歌山県工業技術センターの谷口久次先生は、「ゴミや廃棄物ということばを置き換えて、未利用資源ということばにすべきです」と強調する。置き換えることで、人は明るいイメージで考え始めるからだという。
 谷口先生が米ヌカから抽出したフェルラ酸という抗酸化作用、抗ガン作用、発芽抑制作用、紫外線吸収作用などで注目されている物質も、そのもとは米ヌカ油をつくるときに出る、捨てるか焼却するしかなかった、ピッチと呼ばれるネバネバした真っ黒い液体であった。地域にある米ヌカ油製造メーカーからの相談で取り組んだものだという。
 フェルラ酸はこれまでは有限資源である石炭から合成して製造されていたもので、価格も高く、広く利用できるものではなかったらしい。それが、イネを栽培し続けるかぎり毎年再生産される米ヌカから抽出できる技術が発見されたことで、安価でしかも安全なものとして利用できるようになったのである。
 現在、この研究室では、梅の種から油をとる技術開発に取り組んでいる。紀州の梅は有名だが、その梅を活用した新しい特産物である梅ジュースなどの梅製品を製造する際にでる廃棄物が、梅の種なのである。仁の部分には約30〜40%の油脂が含まれており、やがて梅の風味をもった健康油が登場してくることだろう。
 「太陽がある限り続く資源、植物たちがつくりだしてくれたものを活かしきることこそ、これからの科学だと思います」と谷口先生は訴える。
 農家の米ヌカ利用は、土着菌、土といった地域固有の自然を取り込んだ新しい技術を創造し、廃棄物ですらあった米ヌカを最高に価値あるものに変えた。最新の科学的研究は、米ヌカの中から価値ある物質をとりだした。
 米ヌカは米の生命の凝集した部分である。米ヌカを土に返すことによって微生物は豊かになり、健康な作物を生み出してくれる“場”へと変わり始める。地域の生命空間を豊かにしながら生産する技術こそ、わが村の産物、あるいは空間自身を都会に魅力的にアピールする基礎となるものだろう。
(農文協論説委員会)


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