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農文協トップ主張 1996年2月号
「生産調整」ではなく「生産創造」を
――転作はマイナスではなくプラス思考で考える

◆転作は米産直と一体の課題

 各部落で農協が主催する米の生産調整についての座談会や説明会が開かれている。
 「平成7年と同じ作付けをしたら、平成8年秋の在庫量は230〜240万tものばく大な量になり、それは自主流通米の販売を困難にし、米価値下げに通じる。新食糧法によって米を売るのも作るのも自由になったといっても、個々の農家が皆、自由に作付けをしたら、過剰→米価暴落→所得激減は明白である。2割の過剰で2割の米価暴落。それは手取り(所得)の4割の減である。だから、生産者自らの判断で、どうしても生産調整するしかない」
というわけである。
 しかしどの座談会でも、出席した農家の気持ちは複雑である。「頭では生産調整の必要性はわかるが、外国からミニマムアクセス米を入れ、その分米の国内需要を減らしておいて、イネを作るなというのは納得できない」という人もいる。大規模に米作りをやろうとする人の中には「自分が頑張ることで地域の米作りを守れると思うから投資もして拡大してきたのに、ここで大きく生産調整することは、自分の経営にとっても、地域にとっても大きなマイナスだ。だから作りたい。しかし、自分が100%作って地域の他の人に転作を押しつけることはできない」と重大なジレンマに直面した人もいる。
 米価については、昨年来の主張「米作りの大変革で米価は下がらず上がっていく」(11月号)、「『関係性としての米価』が『商品としての米価』を動かす時代」(12月号)、「農家が自由に米を売れることの意味」(1月号)などで詳しく考えてきた。1月号では、米の需要と米価の関係について論じ、稲作の規模拡大やコストダウンによって米価が安定すると考えるのは幻想で、実際には、産直による農村と都市の新しい共生関係ができあがれば、「関係性」による米需要の増加によって米価は高水準で安定し、安くても輸入米を食べる人はいなくなる、と結んだ。この道を切り開いていけば、農村と都市の「関係性」における需要は全農産物に拡がり、さらには農産加工品の産直を生む。それだけではない。農耕体験ツアーから、農村長期滞在のグリーンツーリズム、さらには、全国民の農村と都市両棲生活の新しいライフスタイルの形成に至るであろう。この路線をとるところに、じつは生産調整をどう考えるかのヒントがある。生産調整を、水田における、単に米の作付け面積の多少だけのことに絞るのではなく、都市との新しい関係性を発展させる村づくりをするうえで、田んぼ全体をどう活用するかの視点から考えることが重要なのである。生産調整ではなく生産創造、あるいは新しい生活・生産創造の問題である。そういう意味で転作は米産直と一体の重要な創造的な戦略的課題なのである。

◆外国に頼っている1200万haを自給化する

 上の表は、農基法スタート1年前の1960年と、30年後の1992年の耕地面積、及び外国からの輸入農産物を面積換算したものである。
 田は、338万haから280万haへ58万haも減った。畑も同じく33万haの減。増えたのは外国からの輸入農産物である。現在では、小麦の600万tある国内需要のうち90%が、また大豆では500万tある国内需要のうち98%が外国から輸入されている。これらの量を面積換算すると、1960年当時はわずかに329万haの外国の耕地を借りていただけだったが、1992年には4倍の1203haもの耕地を借りている計算である。日本の田畑を合わせた耕地516万haの倍以上も外国に作ってもらっており、こうしてはじめて日本人は生きている。
 各種大手の食品産業が大量生産を行うために安い加工原料を求め、商社は積極的にそれに応えて集荷・輸入した。農家は小麦や大豆など加工原料の生産者であったから、値段は外国と競争させられ買いたたかれ、儲けがなくなって生産から撤退した。しかしその結果が、見せかけのしかもまずい不健康な加工食品の氾濫となり、そして日本人の健康問題への各種の警告も発せられ始めた。
 これに否の声を上げたのは農家のお母さんたちである。11月23日の農業新聞は、「伸びる農産物加工、今や19億円産業」と、宮城県における農産加工者協議会の動きを報じている(東北版)。県内の154のグループが加盟しており、漬物、味噌、梅干しなどを主力に19億円を売り上げている。代表はほとんどが女性で、1グループ当たり1233万円の売り上げである。あとから見るように加工まで行なうとき、転作は米と同じかあるいはそれ以上の売上げになる。だから1233万円とは、米換算で1グループ当たり6〜7町分、全グループで1000ha前後に当たる売上げなのである。この1000ha分が転作から生み出されているとすれば、このグループのお母さんたちは、外国の耕地1000ha分を国内自給化したのである。見せかけだけの不健康な加工食品ではなく、おいしさと健康を自分たちのために追求する農家のお母さんが作る漬物や味噌、麺、ハム、ジュース等々の加工食品が、地元から求められ、積極的に支持されてきたのである。

◆2000年来の健康食ハトムギの転作

 この協議会の154組織の一つ、「もみじ会」の横田みつさんは、転作に野菜1反、他用途米を作るほか、5畝のハトムギを作る。このハトムギの利用法は多彩である。ハトムギの玄麦を精白して出るヌカで作る漬物。大豆を減らしてハトムギを入れるハトムギ味噌。そして1番多くはハトムギ茶である。収穫し、脱穀した玄麦を、焦げないよう焙って作るハトムギ茶はきわめて健康に良い。
 みつさんがハトムギを作るのは自分と家族の健康のために作ったのが始まりだった。昔、子供らがアトピー症で漢方に頼っていたが、お金がかかる。ところが聞いてみると、その薬の主成分はハトムギだという。それで自分で作り出したわけである。収量は300kgくらい。ハトムギのまま売るとキロ300円で、10aで10万円程度だが、ハトムギ茶にするとキロ800円で、10aにすれば24万円である。安いと作り損のような気にもさせられるが、加工すれば、自分の家族のためでもあり、自分のためでもあり、とても嬉しい作物なのである。みつさんは昔は農薬を使うとかぶれていたのだが、ハトムギ茶毎日飲み続けているうち、それがなくなった。ハトムギは捨てるところがない。茎は豚のエサにもなり増体が良い、牛に食わせると種のとまりが良くなるというので分けてあげている。
 『農業技術体系』作物編の第7巻はソバ、アワ、ヒエ、ナタネなどの多種の作物をのせている巻だが、最後の章は「ハトムギ」である。この部分を書いた全農の小林甲喜氏は、ハトムギの生理生態、基本技術を紹介しつつ、栄養、薬効、加工利用、家畜への利用等々にも触れている。それによれば、中国ではハトムギを2000年来の健康食として愛用してきた。我が国に中国から導入されたのは江戸の吉宗の時代の享保年間(1716〜1736)という「古くて新しい作物の一つ」であるが、「今後は保健兼備の食品として新規需要を開拓し、家畜に対しても同様の立場から飼料として大いに利用され、需要は急速に高まるものと期待されている」と位置づけている。
 このようなアジア的な歴史を持つハトムギが、現代の健康がキーワードとなる時代に、みつさんの家族の健康を守る転作作物として登場し、かつ、ハトムギが健康に良いことをよく知っている地域の人たち分けられている。
 おばあちゃんの体の具合が悪いから、家は空けられない。息子さんも勤めが忙しくなって、田んぼも転作も、みつさん1人の仕事である。だからハトムギも5畝が限度で、それ以上は作らない。

◆1丁1000円の青豆腐が売れる

 同じく協議会のメンバーである鳴瀬町の上下堤生活改善グループ(代表:土井きよゑさん)は、青畑という青大豆を使って1丁500円〜1000円の豆腐を売っている(42ページ参照)。とてもおいしいので、Aコープなど4店に出して大評判である。350gが500円。400gが1000円の「翠風」と命名された豆腐であり、なぜそんなにおいしくできるのかのノウハウは「ないしょ!」で絶対教えられないという。翠風の他、ミヤギシロメを使って1丁200円の豆腐(鳴瀬小町)も作り、量はこちらのほうがずっと多い。
 青大豆は会員の1人が1反3畝の転作畑で作ったもののほか、いくらかを購入している。今までは翠風(1000円)は週に1回、32丁のみを作ってきた。1回に3万2000円、1年では150万円〜160万円にもなろうかという売上げである。鳴瀬小町(200円)は週に2回、1回に250丁ほど作ってきた。大豆は加工によって、その売上げは何倍にもなる。パートに出るよりずっと有利になるうえ、地域の消費者に最高の贈り物になっている。
 お母さんたちは考える。豆腐にすれば1反の大豆が米よりもずっと高い売上げになることはわかっているが、さて、それでは加工部門を大きくするのかどうか、と。週に2回の夕方からの豆腐づくりであればこそ、今までは家のいろいろな仕事との両立もできていた。楽しい迷いである。

◆300俵のもち加工

 宮城県小牛田町の佐々木伝兵衛さんも協議会のメンバーである。3年前、バイパス沿いに、もちや団子を食べさせる店を開店した。佐々木さんのイネの作付けはもち3・8haとうるち0・7ha。約300俵穫れるもちは全部をもちについて、この店と仙台のデパートなどに出す。3・8haを作っても全然足りないくらいであり、本当は1反の転作もやりたくない。しかし、そこは地域の転作目標との関係もあり、2割ほどの田を調整水田にしている。
 店でお客さんがもちを食べていると、裏の加工場からはぺったんぺったん、機械でつく杵の音が響いてくる。そう、ここのもちは出される直前につき上がったもので、それを出してくれるのである。自分で作ったもち米をつきたてで、しかも様々なメニューで出す。このおいしさがお客さんにうけて、お客さんはおみやげも買っていく。
 宮城県は昔から米加工・もち食の盛んな所である。『日本の食事事典』(各県版『日本食生活全集』の索引巻)の「もち」の項目を見ると、そこには全国各地のもちの料理名が268種類も出ているが、そのうち宮城県の分を拾うと、小豆もち、あめもち、あんこもち、えびもち、おつゆもち、おみたまさま、おろしもち、かにこもち、草もち、くるみもち、ごまもち、凍みもち、しょうがもち、ずねもち、ずんだもち、雑煮、つゆもち、納豆もち、干しもち等々24種類があって、『宮城の食事』の巻に出ていることがわかる。昭和初期に主婦として1家の食事の采配を振るったお母さんに聞き取りして、日本人の食の原点を求めたこの全集を見ると、その地域の風土と気候のもとに住むと何がうまいと感じるものなのか、4季を通じての田畑、野山が生み出すその地ならではの食素材を、どう段取りし工夫して利用・加工すればおいしくなり、明日の仕事の活力と健康が保たれるのかの知恵と感性に満ちていることがわかる。今の食生活に欠けているものを教えてくれる。
 佐々木さんのもち屋が繁盛するのも、まさに、その地域に住む人々の歴史的な感性にアピールしているからであろう。佐々木さんのメニューを見ると、あんこ餅、ずんだ餅、ごま餅、くるみ餅、しょうが餅、納豆餅、えび餅、あべ川餅、磯辺餅、おろし餅、雑煮餅、さらには今風を取り入れたカレー餅、ピザ餅もある。たいていは8個入りで500〜600円である。ピザ餅とは、つきたての餅の上に今風のピザをのせたもの。若い人に人気が高い。こうして工夫されたつきたてのもちが、毎日が忙しく、しかし体の底ではそういう本物を食べたい消費者に支持されたのである。外来の米粉調製品で作る大量生産のまずいもちではなく、このもちがうけていることは佐々木さんの誇りである。外国の耕地に頼る分を地元に取り戻しているからである。もちを水田に作付ければそれはもちろん転作ではない。佐々木さんは、ずんだ餅に使うエダマメ、あんこ餅に使う小豆、納豆餅の大豆、ゴマ餅のゴマ、これらをぜひ地域の人に転作で作ってもらいたい。

◆価格破壊なんて無視、おいしい高いソバを売ろう

 ソバを作るだけでなく、それをソバ粉にしたり、麺にして売っている群馬県の横山英雄さん則子さんは(41ページ)、今、ソバの料理店を出すかどうかで迷っている。
 仕出し屋の出身である則子さんには、料理屋がお客さんをつかんで黒字を出していくことの難しさをよく知っている。しかし則子さんは、自分が今まで「安売り競争」感覚に巻き込まれていたなと感じるのである。世の中あげての「価格破壊」の風潮。農業内部でも、米価は下がる、安くしないとお客さんをつかめないという金縛りの発想ばかりが飛び交っている。
 だが、よく考えてみると、自分はソバの原料をつくっていた。苦労して収量も100kg以上に上げてきた。どうしたら、おいしいソバになるかもつかんできた。ソバ屋を開いても、自分たちは最高のソバの味を出せるのである。「おいしいものにはお客さんが来る!」――これが農業や食べ物の世界の鉄則であることを忘れ、暗い雰囲気に巻き込まれていたわけだ。「特別においしくて本物なら、豆腐だって1丁1000円で売れる!」という話を聞けば、俄然自分の初心であった「おいしいソバを食べさせる店を出して経営を発展させよう」という気持ちになるのである。
 ソバ粉は1kg1300円で売っている。1反から95kgくらいのソバ粉がとれるから、全部をそば粉で売れば13万円である(群馬は条件が良くて85%の歩留りで粉になる)。麺は3食分を600円で売っている。1食分(200円)の麺を作るには約66gのソバ粉を使うから、1反分のソバ粉は28万円の麺になる。ここまではすでにできている。そして則子さんは今、価格破壊の雰囲気に負けないで店を成功させる気持ちをわかせ始めている。

 水田を米の生産装置とだけ考えて、その生産調整だけを言うのでは、地域の伝統、健康は守れない。地域の総合的な発展、経営の飛躍はあり得ない。外国の耕地に1000万ha以上も依拠するくらいに、日本の経済・社会は到達してきた。そしてその頂点に立った現在、その中身の不健康さが問題になってきたのである。胃袋に入れる量の不足が問題ではなく、何を食べるべきかが広範の国民にとって課題となってきたのである。それに答え、不健康な輸入大国の現状を変えるには、転作を助成金を獲得するためではなく、地域での豊かな食の自給創造の問題として戦略的に取り組むしかない。
 それにはお母さんたちの無数の取組み、すなわち原料生産者としてではなく、加工をし、販売をする経験に学ぶことが必要だ。それによって、田はイネのためにのみではなく、あらゆる野菜、果樹、家畜のためにも開かれる空間として活用されていくからである。無数の加工+地元産直の個性的・地域的な取組みこそが、競争のための、相手を打ち負かすための世界市場システムから抜け出し、競争に負けず、地元に仕事を興し、耕地を守り、そして健康と文化を守る道なのである。
 お母さんに学び、水田での米の生産調整ではなく、水田を活用した生活・生産創造を!
(農文協論説委員会)


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