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農文協トップ主張 1994年08月

いま食と農は、「脱欧入亜」の時代
緊急輸入の大迷惑を機に日本の使命を考える

目次

◆近代化と伝統の統合をはかるアジア各国の動き
◆アジアはなぜ高い人口扶養力をもっているか
◆食の南北問題とアジアの食と農業
◆「脱欧入亜」と日本の使命

 あれだけ世間を騒がせた平成コメ騒動がいつのまにかウソのように静かになっている。だがこの騒動がわたしたちに残してくれた教訓は大きい。それは一見豊かで食べものに事欠かないようにみえても、食糧、とりわけ穀物は有限であり、人々の生活の安寧の基礎だということである。

 そして、日本のコメの緊急輸入は輸入元であるタイや中国はもちろん、タイとコメの取引きのある、ベトナムやマレーシア、フィリピン、さらにはコメの輸入国であるアフリカ諸国などの食糧事情に少なからぬ影響を与えたとも聞く。

 農業のありかたの問題、食糧の自給という問題は、ひとり日本だけの問題ではない。世界とりわけ、アジアの動向と密接に結びついているのである。

近代化と伝統の統合をはかるアジア各国の動き

 話はちょうど一年ほど前にさかのぼる。夏とは思えない低温と長雨に憂慮の声が強くなった昨年八月、埼玉県飯能市でIFOAM(国際有機農業運動連盟)のアジアブロックの会議が開かれた。IFOAMといってもご存知の方は少ないと思うが、欧州に本拠をもち、世界八〇ヵ国、五〇〇団体が正会員として登録する、有機農業運動の国際ネットワーク組織である。会員相互の経験・意見の交流のほか、とくに欧州ではECや各国の政府に対する働きかけや、有機農産物の生産、加工、流通に関する国際基準の設置などにも力を入れている。そのアジアブロックの会議が開かれるのはこれが初めてであった。ホスト役は日本有機農業研究会。アジア一一ヵ国の代表が自由の森学園の教室でテーブルを囲んだアットホームな感じの大会であった。

 その会議の記録がこのほど現代農業臨時増刊「アジア型有機農業のすすめ」としてまとまったが、そこでの論議は、有機農産物の国際基準をどうするか、とか、商品流通をどうするか、といった問題よりも、「緑の革命」以後の各国の農業をどうするか、に集中した。多収穫品種の導入などを柱とする「緑の革命」という欧米型の技術革新によって生産力を高めたアジアの国々が、その限界にも気付き、それぞれの風土に根差した技術の再評価を始めている。伝統に根差した近代化をどうはかっていくかがアジアの国々の目下の課題なのである。

 たとえば、バングラデシュという国がある。この国、日本では人口圧迫や洪水、サイクロンなどの自然災害に悩まされる貧しい国という印象が強い。しかし、日本の北海道と九州をあわせたくらいの面積で一億人以上の人々をそこそこに養っているのだから、それ自体驚異といえないこともない。この国はかつて「黄金のバングラ」と呼ばれ、氾濫がもたらす肥沃な土地を利用した多彩な農法が発達していた。たとえばもともと作期の異なるアウス米という米とアモン米という米を混播する技術がある。こうしておいて先に穂をつけたアウスを穂刈で収穫する。アモンの収穫のころには、アウスのワラが土にかえっている。作物を育てていながら、地力を維持する見事な知恵である。しかし、多収穫米HYV米が導入されると、こうした農法は失われていった。

 このようにアジア、とくに土中の有機質分に乏しく、表土も失われやすい熱帯アジアの伝統的技術のなかには、作物を栽培しながら、土壌を保全していく知恵が隠されていた。(注1)

 「緑の革命」が生産性を高め、自給力向上に貢献したのは事実である。しかしそれはまた、アジアの伝統技術をもつ特質を撹乱してしまった。いま、より高い生産力のもとで、伝統と近代を接合させようとする動きが静かに広がりつつある。

アジアはなぜ高い人口扶養力をもっているか

 しかし、農業の問題は農業技術の問題だけではない。農業を支える社会システムを含めて考える必要がある。その点で、アジアのなかでも東アジアの果たすべき役割は大きい。東アジアの四つの国、中国、韓国、台湾、日本の四ヵ国は世界の耕地の八%しかないにもかかわらず、世界人口の二六%を養っている。その高い人口扶養力の背景にあるものはなにか。また、世界同時不況という中でこの地域が高い経済成長を続けているのはなぜか。

 右の四ヵ国の研究者が共同でまとめた『東アジア農業の展開論理』によれば、この四ヵ国は政治、経済、社会体制こそ異なるものの、農業展開のベースとして次の三つの共通点があるという。

 (1)第二次大戦後に農地改革を実施したこと

 (2)アジアモンスーン地帯にあって人工灌漑に基盤をおく、稲作農業が主体になっていること

 (3)農業経営がさまざまな形で共同体(ムラ)との関わりで行われていること

 そして、第一の共通点である農地改革は次のような結果をこれらの国々にもたらした、と述べる。

 (1)農村に滞留していた失業人口、過剰人口、極貧の労働者を農業に吸収し、彼らに生計の基盤を与えた。

 (2)自作農になることにより、農業生産への意欲が急速に高まり、生産の増加、ひいては食糧供給力が増大し、飢餓からの開放が実現した。

 (3)自作農化することにより、農民の経済力が上昇し、教育投資が向上して、経済成長に必要な質の高い労働力の供給が可能になった。また、農民の担税力が上昇し、農村市場が拡大して資本蓄積の基盤が拡大し、経済発展の基礎条件が整備された。(注2)

 これに加えて日本では農民の自立的組織として農業協同組合が存在することが大きい。先述のIFOAMアジア会議では「地域社会に支えられた農業」の大切さが確認されたが、わが日本では農業協同組合も、地域社会をベースに成立している。これだけの協同組合組織を有する国は稀有である。つまり、日本は一月号の主張でも述べたように、今日の機械化段階において「小さい農業」の生産革命を実現し、アジア各国が求めている伝統に根ざした近代化のモデルを差し示す条件を秘めている。

食の南北問題とアジアの食と農業

 日本をはじめとして、アジアの国々が今後、どのような農と食を営んでいくかは、人類全体の未来に関わる大きな問題である。

 今回は未曾有の異常気象が招いた突発的な大凶作だったが、世界の穀物事情は構造的に逼迫する可能性がある。なぜか。日本鯨類研究所理事長の長崎福三さんはこれを食糧の南北問題として説明している。世界には肉などの動物性食品を大量に食べる国とわずかしか食べない国がある。図のように動物性食品供給量一年一人当たり七〇kgの線を引くと、これを境に欧米の先進国とアジア、アフリカの国々にくっきりと分けることができる。中国、インドなど人口の多い国は、このグループに含まれるから、人口比では肉の消費量が少ないグループが圧倒的に多い。しかしこれらの国々もやがて収入が政治・経済が安定していけば、肉の消費量が増えていくだろう。肉の生産のためには、飼料として穀物が大量に消費される。ひとたびこの方向に動き出したら、大変な穀物不足がおこるのは間違いない。

 もともと肉を主食とするヨーロッパとコメを主食とするアジアの違いは、風土の違いによるものであった。寒冷で雨の少ないヨーロッパの気候は農耕には適さない。そこで牧草を植え、牛や豚、羊を飼ったわけである。しかし、それでは稠密な人口を養うことはできない。そこでヨーロッパは過去五〇〇年の間に、新大陸や植民地を自分たちの肉を供給する場所として開発してきた。新大陸や植民地の存在を前提として、人口を増やすことができたのである。いっぽうアジアはどうか。アジアは温暖な気候と雨にめぐまれ植物の生育には適したところである。とくにアジアモンスーン地帯は夏の降雨を利用して水田稲作が発達した。水田稲作はあっちこっちに移動してはできない。定住してコミュニティー(村落)を形成しながら住み続ける以上はそこにできる食べものを利用しつくさなければならない。農業のやり方も食生活のあり方も土着的なものになった。

 アジアの国々はまた、魚をよく食べる。岸によりつく回遊魚は季節によって違っている。そこにきた魚を食べるしかない。漁期と漁期のあいだには、ウニ、ナマコ、貝や海草、海が生み出すあらゆるものを食べる。ここもまた、あるものを利用しつくす文化がある。元来が生産性の高い地域であるから、それで稠密な人口を養うことができた。(注3)

 一月号主張ではヨーロッパの産業革命と江戸期の日本の生産革命の違いを述べた。資本を投じて外へ外へと向かう欧米。そこにはフロンティア(植民地)が前提とされる。一方、資本を節約して内を充実させる日本。そこにフロンティアはなく、有限世界でのリサイクルがあった。このような違いの根底には、いま述べたような、ヨーロッパとアジアの文化の違いがあるに違いない。

 あるものを生かす文化と、なければよその土地に進出(侵略)してまで、自分たちの欲する食糧を手に入れる文化と。いま地球上で資源の枯渇と環境の汚染が問題にされ、いわば「フロンティア」がなくなるなかで、必要とされるのはどちらの文化であるかは、おのずと明らかであろう。

「脱欧入亜」と日本の使命

 このような「土着型」の文化を今日的な生産力のもとで実現する可能性をもった日本。ところが、日本はその独自性を認識することなく、農業・農村という基盤を自ら掘り崩そうとしている。事実、日本はいま世界一の食糧輸入大国として、金にあかせて世界の食糧を買い漁っている。あいかわらず、先進国のなかでは飛びぬけて、魚を食べているが、その漁業のありかたは、沿岸の魚や海洋生物を利用しつくすのではなく、遠い遠海にでかけて漁獲資源をあらし、はたまた、一部高級魚の養殖のために、大衆魚を餌として浪費し、近海の海を汚染している。かつてヨーロッパ諸国は自らの食糧を得るために新大陸や植民地の土地を収奪した。いま日本は世界各国からモノを収奪している。なぜこんなことになってしまったのか。

 その根本原因は地域地域の食生活が失われたことであろう。その土地のものを生かす食とは、ひとつの水系や湾ひとつ違えば中味の異なる個性的なものであるはずだ。それが失われるとき、フロンティアを求めずそこでできるものを生かす文化が衰えることになった。

 しかしアジアの、日本のもっている、自然・風土そのものが失われたわけではない。また、食生活もここ三、四〇年で大きく変わってきたとはいえ、欧米諸国に比べれば、やはりコメを主食にし、野菜、肉、魚を組み合わせた食パターンであり、先進国のなかでは突出して魚介類の消費量が多い。

 依然として日本は欧米とは違う食と農、「土着型」の社会システムを築くトップの位置にある。そのような条件はアジア全体にある。その条件を生かすには、「遅れたアジア、進んだヨーロッパ」という固定観念をやぶり、日本とアジアがその役割を自覚するかどうかにかかっている。

 それは外延的に拡大しながら、資源を奪っていく欧米型の文明に対して、新しい文化を作っていく先端的な作業でもある。

 本年のコメの大量輸入を、欧米型の外延的拡大がアジアにおいていかに不都合であり、また、世界に大迷惑をかけることかを肝に銘じる契機としよう。

 (注1)現代農業臨時増刊「アジア型有機農業のすすめ」(農文協)に収録された村上真平氏の現地レポート「『黄金のバングラ』の伝統農法の遺産を生かして」による。

 (注2)今村奈良臣編『全集 世界の食糧 世界の農村2「東アジア農業の展開論理」』(農文協)の序章による。

 (注3)第八回「自然と食と教育」を考える研究会での長崎福三氏の報告による。この報告は『自然と人間を結ぶ』八月号(農文協、七月下旬発行)に収録される。

(農文協論説委員会)

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