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農文協トップ主張 1993年06月

「清貧の思想」で語るな農村リゾート

目次

◆消えたリゾートブーム
◆「清貧の思想」と「農村リゾート」
◆農業と商工業とで「人為極盛相の自然をまもる」
◆「流域情報」がつくる川上をまもる、経済圏をまもる具体的な結びつき

消えたリゾートブーム

 

 「地方再生の最後の切り札」といわれたリゾートブームが冷え込んでひさしい。一九八九年のリゾート法(総合保養地域整備法)の施行以来、国から承認を受けたリゾート構想地域は全国で約三七カ所あったが、いまも計画が具体的に進捗している地域は、五指に足りないくらいである。

 冷え込みの理由は言うまでもなく、バブルの崩壊である。リゾート法が、いかにそのお題目として「国民の福祉の向上並びに国土及び国民経済の均衡ある発展に寄与することを目的とする」ということを掲げていても、また、誘致する地元側がいかに地域経済の浮揚、雇用拡大などの期待をかけたとしても、ブームの実態は、バブルで「カネあまり状態」にあった企業の、地方の用地取得と開発利益の東京への還流を目的としたマネーゲームであった。施設として実際に利用される以前に、ペーパー商法まがいの水増しゴルフ会員権の販売や土地転がし、リゾートマンション転がしのような投機ゲームだったからこそ、「カネあまり」の終わりとともに泡のように消えてしまったのである。また実際にオープンまでこぎつけた例でも、稼働率はきわめて悪い。それは施設の多くが、一人一泊二,三万円もするような豪華ホテルのように、企業の交際費や接待費、福利厚生費による利用をあて込んだものばかりで、不況になって、それらの経費がまっさきに削られたからである。

 地元からは「まさか」と思われた大企業までも撤退、縮小。自治体が数百億円の土地代を立て替えて用地を取得したのに企業が撤退し、莫大な金利負担が重くのしかかったまま、利用のメドも立っていないところもある。

 あたりまえのことだが、企業は地域を撤退できるが、自治体は撤退できない。また、リゾートに替わる新たな地域振興計画もない(と、構想地域の多くの自治体は考えている)。

 そうした中で今年二月、国土庁の総合保養地域整備研究会は、リゾート法の実質的な見直しとも言うべき「今後のリゾート整備のあり方について」と題する最終報告を発表した。報告書は、見直しの基本方向として、(1)国民のためのリゾート―家族そろって一週間程度滞在できるリゾートを(2)地域のためのリゾート―地域づくりに資するリゾート整備を(3)新たな国土形成におけるリゾート―自然環境の保全と豊かな国土の創出を、の三点を掲げ、民活―大企業主導の大規模リゾート開発一辺倒の政策から、地元主導の、「自然回帰、農山漁村回帰型の小規模なリゾート」をも重視する政策への転換を提言している。さらにまた、リゾート構想地域を抱える県では、「大規模リゾート」に替わって、「農村リゾート」「田園リゾート」への期待が語られはじめた。

 いまや「農村リゾート」「田園リゾート」は、日本のリゾートの本流になってきたかのような感さえある。しかし、そのことは手放しで歓迎してよいことなのだろうか。

「清貧の思想」と「農村リゾート」

 ところでいま、『清貧の思想』という本がベストセラーになっているという。別にその本の内容に難癖をつけようというのではないのだが、そのようなタイトルの本がバブル全盛の時に出版され、多くの人に読まれたというのならともかく、バブルの崩壊とほぼ時を同じくして出版され、すぐにベストセラーになるような世相に、何か恥ずかしさというか、違和感のようなものを感じていた。石川好という人の「バブル崩壊後の一億総懺悔としての清貧の思想」(毎日新聞・4・13)というコラムが目に入った。

「この書物が、いやこの『言葉』が流行している今、この言葉の使い方に大東亜戦争がおわって流行した、一億総懺悔と同じ響きを感じ、わたしたち日本人は反省心というやつが、ほとほと薄い国民だと思った。

 この五、六年のバブル経済は、間違いなく証券市場や金融機関や不動産業界が人為的に作り出した好景気であった。株も土地もいくらでも上がる、という、その人為的な好景気に国民は乗った。それらの情報は大本営が発表する、わが軍は連戦連勝という報道に似ていた。(中略)今回のバブル崩壊の後、なぜ日本人はあのバブル狂乱経済の真の責任者を追求することなく、これからは清貧に生きるのだ、とあの書物を買い求めたのだろうか。わたしには、またしてもわたしたちの反省心の希薄さが、そうさせていると思われるのである。(中略)わたしたちは、のせられ、それにのっかった自己の恥ずかしさを正当化するために、その言葉に飛びついていたのだった」

「清貧の思想」とは、恥ずかしさを正当化する「テレかくし」の言葉だ、という指摘である。自分たちとは本来縁の薄かったはずの、マネーゲームやリゾートライフという言葉に酔い、踊ってしまったことの恥ずかしさとテレかくし。そして祭りが終わり、日常の生活に帰っていくときのテレかくし。

 バブルが全盛のころでも、「こんな景気がいつまでも続くはずはない」と、漠然とした不安を感じた人は多かった。一人一泊二、三万円のホテルに一週間も滞在しつづける家族が今の日本にどれほどいるだろうと、疑問を感じた人もいた。「快適なリゾートライフ」などといっても、ごく一部の企業や人種に限られた話で、地方や圧倒的多数の人々には無縁の話であることもわかったはずなのだが、テレビも新聞もその不安や疑問を押し流し、まともな感覚をマヒさせるような情報ばかりを流し続け、政府も山林や農地がマネーゲームのカードになりやすいよう、「規制緩和」というかたちの支援を続けた。だから多くの自治体が、競うようにしてリゾート構想地の認定を申請し、企業になりかわって用地買収の役割を引き受けたのだ。

 いまの「農村リゾート」「田園リゾート」という言葉の使われ方は、どこか「清貧の思想」という言葉の使われ方に似ているところがある。

「大規模リゾートに替わって農村リゾート、田園リゾートを」とは言われるが、「大規模リゾート」で、幻想にすぎない期待を地域にふりまき、農家や林家、自治体をふり回した政治の責任をみずから問う官僚や政治家はいない。たまさか時代が不況になったので、つくる方も利用する方も出費の多い大規模リゾートではなく、より少ない予算で現実化しやすい「農村リゾート」に取り組むべきだ、といったようなぐあいである。地方を混乱させ、環境を破壊してきた大規模リゾートについて一億総懺悔し、せめて週休二日の一泊二日程度の「リゾート」なら現実味があるだろう、というわけである。また、ゴルフ場が市民農園に、また、ホテルが民宿やペンションに変わっただけで、大規模リゾートと農村リゾートの間の本質的な違いはあまり語られない。

 だが、バブルがまだ華やかだったころから、自力で「農村リゾート」に取り組んでいた地域の人々は、そんな「大規模リゾート」のたんなるミニチュア判、あるいはその補完物、もしくは付帯設備として「農村リゾート」の構想を語っていたわけではない。そのことを熊本県阿蘇町の「グリーン・ストック運動」の例から考えてみよう。

農業と商工業とで「人為極盛相の自然をまもる」

 見渡すかぎりに広大な草原が広がる阿蘇高原―そこには年間一〇〇〇万人を越える観光客が訪れる―その風景を見る人は、「大自然そのものの風景」と見るかもしれないし、観光資源として高度に管理された風景と見るかもしれない。しかし、阿蘇の草原風景は、けっして自然の働きだけででき上がった風景でもなければ、観光事業によってまもられてきた風景でもない。

 標高八〇〇〜一〇〇〇m、年間降雨量三〇〇〇mmのこの土地は、自然に放置しておけば、黒い照葉樹林に覆われていたはず、と言われている(いまも人が立ち入れない谷の斜面などは、照葉樹の原生林である)。それが一面の草原として維持されてきたのは、この地域が肥後の赤牛や馬の生産地であり、草地の大部分を入会地として集落ごとに、草の芽立ちを促す三月の火入れ(「阿蘇の野焼き」として、それ自体が観光資源になっている)、四月から十一月までの数万頭の牛馬の放牧、秋の「刈干し」と呼ばれる採草のような、「夏山冬里」方式の利用と管理を行なってきたからである。温暖で降雨量の多い土地の自然の力と、「農耕」という人為の力が拮抗しあった「人為極盛相の自然」の風景であり、そのバランスが崩れれば、まったくの人工的な風景になってしまうか、ありふれた自然景観になってしまう。

 ところが一九六五年ころから農家の兼業化や畜産離れがすすみ、畜産を続ける農家も肉質要求や飼料等の事情で舎飼いが増え、放牧、採草のための利用率が落ちてきたところへもってきて一九九一年の牛肉自由化決定によって畜産そのものをやめる農家が続出してきた。そして三割から六割の草原で野焼きが行なわれなくなり、草地が荒れて保水力が落ちたり、山野草の群生が消え、ばらばらな樹木が生い茂りはじめてきた。農業という人為に異変が起きてきたために、大草原の風景が変化し始めたのだ。そんな状況につけ込み、東京の大企業が草地をゴルフ場として買い占める動きも出てきた。それはまた、草原や野焼きを観光資源としてきた地元商工業者にとっての危機でもある。

 そうして一九九〇年、町の総合計画を町内有職者二〇人で策定する中で、手つかずの自然を生かした観光振興を「農村リゾート振興」の名のもとにやろうということになり、草地という「地域資源」を「農村リゾート」という新しい視点の中でとらえ返すことにより、それまでまったく別のものとして考えられてきた農業と商工業の結合を図ることになったのである(実際には、それまでの観光のゴミ公害に迷惑を受けてきた農家の不安、自然保護と農業振興が両立できるかの疑問、リゾートブームの中で押しかけた数十社の大規模開発の方が安心ではないかという声もあったが、その前年にヨーロッパのルーラル・ツーリズム視察旅行を組むなどして、議論をかわした末の結論であったという)。

 阿蘇町では両者が共同して草地を残し、地域で生き抜くための選択肢として「ルーラル・ツーリズム」「ファーマー・リゾート」を選んだ。これまで農業によってまもられてきた草原の一部を市民に開放し、草原を草原のまま残しながら、新たにリゾート資源としても生かしていこうという試みである。

 その試みが今年から結実し始めた。中央資本に売られた土地一・七ヘクタールを買い戻し、そこに一四室のバス・トイレつき個室と五〇畳の大講堂のある一五〇坪のログハウスを建てた「村営尋常農業小学校」(「農業で尋常な人間をつくる」の意)はこの四月が開校式。そこでは兼農サラリーマンや農民志願者、ホビーファーマーに農業の手ほどきをする。会社組織になったグリーンストックが広く個人や団体、企業に拠出を呼びかけ、諸事情で土地を売却せざるを得なくなった農家の原野・農地・山林を確保する「トラスト型田園ツーリズム構想」の土地は、数百ヘクタールにおよぶ。そこに借地や農家の協同参画地を加え、広大なスペースでツーリズム事業、環境教育や農業支援のための産直活動、一反オーナー制度、全体医僚などのプログラムが立てられている。

「流域情報」がつくる川上をまもる・経済圏をまもる具体的な結びつき

 はじめは地域の農家と役場、商工業者だけのものだったこの構想に、県内のいろいろな団体、企業から資金提供、支援の申し入れが入りはじめた。その嚆矢は、阿蘇の下流にある熊本市の生協で、上流の森林、農地の荒廃と水問題(水質、洪水)との関連を追及していた主婦たちが、「金も人も出して支えよう」と決議を上げ、一口数百円ずつを積み立てて数億円を提供してくれることになった。その動きは福岡、北九州の生協にも広がり、約二〇万世帯の生協組合員がバックにつくことになった。県内一六〇〇人の開業医でつくる保険医協会も資金の提供を申し出た。さらには、県でいちばん大きな銀行が人もカネも出すことになった。財界ばかりか、労働団体も支援を申し入れている。県庁もまたアクセス(交通)整備の面で協力してくれそうである。政治的にも経済的にも相反する立場の人々も含め、この人々の結びつきはいったい何なのだろう。この運動を構想から計画へ、計画から実践へと指導してきた熊本大学の佐藤誠教授は次のように語っている。

「六二万人の市民は阿蘇の伏流水の全量を依存し、暴れ河の白川に悩まされている関係もあって、川上でのゴルフ場などのリゾート開発は直接、自分たちの問題だととらえた。また、日帰りの行楽地としてもっとも心惹かれる、阿蘇の草原景観をまもることは、自らのゆとりある暮らしの直接的テーマでもある。また、農業危機を安全な食への危機と受けとめる主婦たちは、産直でモノを得る運動から、自然・農地・農業を守るために農家と連携し、いのち豊かに生きるコトを実現する運動として生協運動の再構築を果たそうとしていた。そうした意味で、阿蘇での畜産や林業の衰退は、熊本市民にとっては生存基盤や身近なレクレーションの場が危うくなることであり、阿蘇の自然をまもることとそこでの農業をまもることとは同義だとの認識を得やすかった。つまり、流域情報が入りさえすれば、市民は生活レベルで、川上・川下関係のリアリティーあるイメージが抱けるち密な関係を潜在的にもっていたといえよう」

 その関係の中には、大規模リゾートのコマーシャルによくあった、まるで自分がヨーロッパの貴族かブルジョアにでもなってリゾートを過ごしているような、「非日常」感覚に陶酔する錯誤はない(錯誤を錯誤と感じなかったところにバブル期リゾートの「恥ずかしさ」がある)。そこにあるのは、たとえば、農業を離れ、しばらく村を留守にする家が、家や庭、畑の管理を親戚や近隣の家に頼んで行くような、基本的には対等だが、何かを依頼したのでちょっと負い目を感じているような、そんな意識に立った関係である。「農村リゾート」は、非日常ではなく、第二の日常空間なのだ。

 また、地方銀行の支援を得たということも、この阿蘇グリーンストックの特徴である。これまでの大規模リゾート開発では、地元地銀は当初の計画から外されていた例が多い。何百、何千億円という巨額の資金は、中央の銀行でなくてはまかないきれないからだ。だから、その開発が成功して開発利益が上がったとしても、その利益は地域にとどまらず、中央に還流してしまった。

 わたしたちはよく、財界は財界で中央財界から地方財界までタテの関係で縛られており、官界は官界で国の行政機関から地方自治体まで、これまたタテの関係にあるという見方をしがちだ。同様に、農家は農家の、消費者は消費者の、労働者は労働者の中央―地方のタテ関係の中にいると見てしまう。そしてその関係の中で見るかぎり、国、経済という抽象的なレベルでは、それぞれに利害が対立していて一致しないかに見える。しかし、地域(この場合は「県」)という日常的な「場」においてみれば、その中のすべてが横並びの関係で結びつく。そして、中央のそれぞれの上部への結びつきよりも、その「場」における横の結びつきの方が、それぞれの利益にとって重要な場合もあることを発見するかもしれない。そうして開発利益が地元を循環するようになれば、それが再び地元に投資され、貨幣ではなく現物として、地域の環境が整備されることになってくる。

 道路や橋が整備されれば、土地の資産価値は上がる。その土地そのものを転売して私腹を肥やすのは政治家だが、地域の人々が共同で出資した土地の場合はそこにさらなる投資を呼び込み、さらに利用しやすい土地、豊かなサービスを生み出す土地に変わっていく。だから阿蘇町の「農村リゾート」は、中央にヒトとカネを吸い上げられっぱなしだった経済構造から、県単位でヒトとカネが結びつき、循環する構造への転換の可能性も秘めている。

 バブルがはじけたから大規模リゾートが頓挫したから「農村リゾート」というのではない。「農村リゾート」は、消極的・抽象的な「清貧の思想」ではなく、積極的・具体的な「地域形成の思想」で語られなければならないのだ。

 清貧ではなく豊かさの実現としての農村リゾートを!

(農文協論説委員会)

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