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農文協トップ主張 1992年05月

機械を農耕の道具とする
高齢化時代は新しい農業技術の開発時代だ

目次

◆作業をラクにするというだけでは土、作物からシッペがえし
◆機械はやっと農具になった
◆農耕的機械(農具)はそろった高齢化時代の技術革新の始まりだ◎現代のカジ屋さんの力を借りる◎今ある機械で土を守る知恵◎耕うんなしで植える田植機◎野菜にも移植機が登場

 人生八〇年時代、農業は機械によって村を新たに創り出す時代に入った。

 かつて、鍛冶屋はクワ一丁作るにも、使う人がわからなければその仕事を引き受けなかったという。道具を介して自然に働きかける農業において、道具(=農具)の持つ意味がきわめて大きいことを知っていたからである。現代は道具に機械が加わった。

 二月号のこの欄で、ちまたにあふれる「高齢化=農業衰退」常識論に対して、「高齢化は新しい技術革新の始まり」と書いたが、その重要な役割を担うのが機械である。

 年をとれば体力が衰えるのは当たり前のことだ。そのかわり、その土地で農業を続けていく知恵と経験はたっぷりと蓄積されている。要はその知恵を発揮するための機械さえあればいいのである。その機械とは、単に省力のための機械ではなく、労働の強度を軽減し、土と作物を壊すことのない機械であるはずだ。

 今月は、「人生八〇年時代の農業機械活用」について考えてみたい。

作業をラクにするというだけでは土、作物からシッペがえし

 この二〇〜三〇年の間に急速に普及していった機械は、トラクターと田植機であったろう。とくに田植機は、田植えという腰をかがめての労働から農家を解放する機械として登場してきたものであった。苗を仕立ててそれを手で植える、きわめて日本的な農作業を機械化するものであっただけに、画期的であった。しかし、そうした機械の入りたてのころには、期待通りにすすまない作業にイライラもつのった。

 お母さんのつぶやき――

 田んぼにはトラクターが走り、クワの時代とは比べものにならないスピードで土が耕されていく。荒起こし、そして砕土、代かきとあわただしい春の時節。

 耕し終わった田んぼの隅で、クワでしきりに土を動かしているお母さんの姿に出会う。

「トラクターで全部できると楽になるんだけど……」

 おばあちゃんのつぶやき――

 田植えが一段落するころ、ひらひらと葉先をゆらしているだだっ広い田んぼに、おばあさんの姿が見える。腰には苗を入れた籠をさげて、浮いた苗を押し込み、欠株になっているところには手に持った苗を挿している。

「せっかく田植機で植えたのに、もう少しなんとかならないかねえ……」

 お父さんのつぶやき――

 七月上旬、出穂四〇日前ころの田んぼには、チラホラお父さんの姿が見える。

「茎は細いし、手で植えたころとはイネが違う……」

 機械で耕し、田植機で植える。作業時間は短くなり、手植えがないから楽になったのは確かなのだけれど、おばあさん、お母さんにはその作業が終わってから、それまでにはなかった細々とした作業が残ってしまう。お父さんにとっても、育っているイネが何とも気に入らない。

 田植機が入ってくるまでは、イネは水苗代にしろ畑苗代にしろ、大地にタネをまいて育てるものであった。ところが、田植機は、苗をうすっぺらくて小さな箱の中で育てないと植えてはくれない。しかも当初は、一箱に二五〇グラムものタネをまき、それを育苗器という加温できる装置に入れて育てるやり方であった。「稚苗」と名づけられた小さな苗は、「苗半作」とまで考えてきた人たちにとってショックだったに違いない。

「この稚苗のほうが低温での活着がいいのです。それに三週間で植えることができますから育苗の手間がかかりません。一箱二五〇グラムまきですから、欠株もそれほどありません」

 メーカーの若い技術員は、ベテラン農家を前に自信満々でそう説明していたものだった。しかし現実は、育苗時の病気はふえたし、活着は悪かったし、生育中期のコントロールもむずかしく、導入当初は一〜二俵の収量減は当たり前であった。お父さんたちのイラだちは、そうしたイネ作りへのものだったろうし、お母さんたちのそれは、田植機が植えてくれるはずだったのに、補植といういらいらつづきの作業がつきまとうことだったろう。

 農耕においてはとくに、ある突出した一作業を機械化してもうまくいかないのである。補植を単に田植機の精度の問題として捉える人もいるかもしれない。しかしそれは、育苗段階での播種量の問題であり、肥料の問題であり、温度の問題であり、水のやり方の問題であり、さらには田んぼの耕うんの問題でもある。田植えは、その作業以前の労働と、その後収穫に至るまでの労働が結びつく瞬間であり、かつ、その作業にその年のイナ作のすべてがこめられているのだ。「植える」という作業は、単に「植わればいい」ということではなく、半年間のイネの育ちのなかで人間とイネが結び合うもっとも重要な瞬間である。

 それでも田植機は、「植える」ことから解放されるクラさで、またたく間に普及していった。その限りでは人間の都合が優先した。だが、そのために均平や補植をしなければならないという、いわばシッペガエシを、土やイネから受けることになった。そこに、トラクターを単に耕うんの機械とせず、田植機を単にイネを植える機械とせず、農耕のための機械、つまりクワやスキのような農具とする努力が始まった。

機械はやっと農具になった

 昭和五十年代に入って、度重なる異常気象に見舞われる。その度に、田植機イナ作の脆さが現われてきたのである。

 稚苗から中苗へ、中苗から成苗へという農家の工夫はそうして始まった。田植機に乗せることができる箱の大きさは決まっているから、苗を大きくすることは、一箱当たりの播種量を減らさなければ実現できない。播種量が減れば単位面積当たりの種子の数が少なくなるわけだから、欠株はふえるのが道理である。うすくまいて異常気象に強いガッチリとした苗を育て、それを一株二〜三本のうす植えとし、なおかつ欠株を減らす――おおよそ機械だけを考えていた人たちとは正反対の方向でこの矛盾を解決していったのである。

 うすく正確にまける播種板の開発、ポット苗の考案、疎植もできる田植機の開発、低温で育てて活着をよくする無加温育苗、新しい被覆資材の利用などなど、農家の工夫が続々と生まれ、機械や資材の開発もそれまで農家が築いてきたイナ作技術を支援する方向で行なわれるようになった。

 本誌で取り上げてきた「うすまき・うす植え」、元肥ゼロの「への字」イネは、そうしたなかから生まれてきたものである。

 さらには、耕し方や代かきの仕方で補植や土の片寄りをなくす方法も明らかになってきた(この点については、今月号の特集やビデオ『イネ機械作業コツのコツ』に詳しい)。

 田植機が登場して二〇年余り。この二〇年はまさに、「植える」作業だけを機械化した田植機を、その労働軽減の特性を生かしながら、それまでに蓄積してきたイナ作技術と結合させていった過程であったといえる。そうした農家の取組みがなければ、田植機イネ作は安定したイネ作り技術とはならなかっただろうし、ここまで広がることもなかっただろう。

 農耕における機械は本来、使う人間の身体性(肉体そのものとそれが持つ技能)と深く結びついていた。機械は使う人間の技能によって生かされ、それではじめて、自然に働きかけられる。働きかけることによって人間は自然から学び、技能を高める。身体性を通して機械を深化させていく。機械は農具になるのである。田植機は、まさにその過程を経て農具たりえた。

 少し話を田植機にこだわりすぎたかもしれない。しかしこうした目でさまざまな機械の開発と活用の過程を見ると、身体性と結合したさまざまな機械が開発され、つまり、機械の農具化が行なわれ、人生八〇年時代の技術革新を支える準備ができていることが見えてくる。

農耕的機械(=農具)はそろった高齢化時代の技術革新の始まりだ

■現代のカジ屋さんの力を借りる

 本誌の『機械情報コーナー』に、「この作業こんな機械があったら……」という欄がある。ここでは毎月、農作業に合わせた機械を集めて紹介を続けているが、農家からの問合せが絶えない。

 たとえばアゼ塗り機やアゼ叩き機。目立たないけれどもこれなしでは水漏れしてあとあとどうしようもなくなる大切な作業である。ところが、寒い時期の作業に加えて、体力が必要だし、技術もいる。「この作業がなかったらどんなにラクなことか……」とまでいわれる。年寄りにはつらい仕事だ。それを機械でやってしまおうというのである。この機械によって深水栽培が可能になったと伝えてくれた人もいた。

 たとえばコンベア。年をとるとつらくなるのが、重い物の持ち運びである。その作業をラクにするために出されているものだ。

 つくっているのはほとんどが地方の小さな農機具屋さんや専門メーカー、現代のカジ屋さんだ。その地域の農家の作業のなかから考案された機械ばかりである。この欄で紹介したある農機具屋さんは、全国から舞い込んだ問合せと注文に、涙を流さんばかりに喜んでくれた。

 こうした農機具屋さんは全国にたくさんいるはずである。その力を村に蓄積していくことで、高齢化時代の農作業の問題が解決される。

■今ある機械で土を守る知恵

 土を守る、土を作るといっても、堆肥を入れなければならないとなると、年をとってからは大変になる。そんなときは今ある機械に働いてもらえばいい。

 北海道十勝地方では、土を傷める除草剤を使いたくないからと、トラクターに地域で開発された除草クリーナーをセットして、機械に乗ったまま株元はおろか、株間の雑草まで退治する技術が話題になっている。ただし、実際の圃場でトラクターを走らせながら、作物と機械の接点を注意深く観察することによって微調整するのだそうだが、観察なら年をとっても関係ない。いったんセットすれば、あとはトラクターに乗っていればよい。

 ちなみに、この除草クリーナーの原型は、馬耕時代に除草作業をいかにして減らすことができるかを考えた農家の工夫だという。

 有機物補給といっても、材料を運んでくるのにひと苦労する。そんな場合は、その畑で有機物を育て、それをそのまますきこんでやればよいのである。短期間で育ち、病虫害抑止効果もある緑肥作物がたくさん出されている。まいてしまえば、トラクターにプラウをつけて本格的にすきこむのもよし、機械にはムリをかけることになるが、ロータリーですきこむのもよし。これも、機械があるからできることである。

■耕うんなしで植える田植機

 耕うん作業もつらいという人には、今や不耕起田植機が開発されている。苗を育てたら、田んぼを耕さずにそのまま植えることができる田植機である。耕さないことでかえって土の透水性がよくなり、根が健全になる。おまけに、稈が硬くなって倒れにくくなるという。

 耕起のタイミングがつかみにくく、作業もしにくい湿田ほど有効だから、実に都合がいい。ムリして耕さなくともイネを作ることができるのである。

野菜にも移植機が登場

 野菜の高値を農村人口の高齢化のせいにする論調がもっぱらだが、野菜の移植機の登場で変わっていくかもしれない。植える作業さえ機械がこなしてくれれば、苗の仕立てはお手のもののはずだ。

 この機械で注目しておきたいのは、これまで苗を仕立ててこなかった野菜にも応用していける点だ。野菜の場合も、イネ同様に「苗半作」といわれ、苗質に重きをおいてきた。本誌に連載執筆中の水口文夫さんは、ホウレンソウなどの移植栽培に挑戦している。苗を仕立てて移植すると、夏ホウレンソウでも病気にかからず、生育がきわめて早くなるという。苗は作物の生育を大きく変化させるのである。

 移植することで畑の空く期間が長くとれることにもなり、緑肥作物の導入も可能になるから、「何でもかんでも苗を仕立ててやってみたい」と意気盛んである。野菜の移植機は、野菜つくりの興味を大きく広げてくれるという。苗を仕立てるのが大変であれば、成型苗を買うこともできるし、自分で好みの苗を育ててみる楽しみも広がっていく。

 この機械、お年寄り向きかと思っていたら、若い人も飛びつくのだそうである。理由がふるっている。背が高すぎて、かがんでやる仕事がつらいからだそうである。若い人向きの機械は年寄りには不向きだが、年寄り向きの機械は若い人にも喜ばれるのだ。

 人生八〇年、機械も農具化して大いに農業を楽しみたい。自分でやるもよし、集団を作ってやるもよし。きつい仕事は機械という農具に任せればいいのである。イネの田植機を導入したときにこだわった、作物を見る目とどう育てるのかという知恵さえあれば、いくらでも道は開ける時代にやっと入ったのだ。

「高齢化=農業衰退」論どこ吹く風と、着実な歩みを進めたい。

(農文協論説委員会)

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