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農文協トップ主張 1991年02月

農家が地域、都市をデザインする

目次

◆バブル経済の中の住宅開発
◆木々に釘を打ち込む愚
◆山を守るには金などいらぬ
◆鼻をつまむ女学生か牛の肥やしを理解する子供か
◆神社を新しいやつらに取られちゃう

バブル経済の中の住宅開発

 「多摩ニュータウン」という巨大開発が始まったのは昭和四十年のことである。関東平野の南部、東京西部に位置する多摩丘陵の三〇〇〇haを全面買収して、巨大なベッドタウンを作るという計画である。昭和三十八年に成立した「新住宅市街地開発法」にもとづく開発で、三〇〇〇戸近くあった農家の土地を全面買収して宅地化する国の計画であった。

 農家にはできるだけ迷惑をかけない、五階以上の高層化はしない、北面傾斜を中心に開発するなどの話もあったが、三〇〇〇haの計画区域内は市街化するというのがそもそもの狙いであるから、「農家は残さない」というのを基本として進められてきた。

 四十年に用地の全面買収が始まり、あっという間に、土地は坪五五〇〇円、今の地価からすればただのような値段で買収されていった。その買収が始まる直前には、国の大規模計画があることを裏でつかんだかのように、府中カントリーゴルフ場が、多摩ニュータウン用地の中央位置部分に、一〇〇haもの用地を取得していた。その売買価格は、三〇〇坪わずかに一〇万円であった。

 当初は、五十二年には四三万人の人口を擁する新都市を作る予定であったが、住む環境を作るということは机上の計画どおりには事が進まない。三一万人の人口を目標にする、と下方修正した。そして、現在一四万人の人口が居住していて開発は続行中である。

 昨年売りに出された一角の分譲地五〇戸には、四〇〇〇倍の申込みがあった。しかし、この異常ともいえる高倍率は、真に住みたい人が申し込んだがゆえの高倍率というよりは、三〇〇〇万円で買った分譲住宅が数年後には六〇〇〇万円にまで跳ね上がってしまうという最近の土地高騰・バブル経済に便乗した、もうけを狙っての投機的な買いも多いというのが、どうやら真相のようだ。東京都民の住宅不足は事実であるが、真に住む環境を追求するというよりは、住宅に投資してもうけるのが上手な世渡りだという社会環境のもとで行なわれる開発であるがゆえに、いろいろな問題が発生してくる。

 鈴木昇さん、七〇歳。酪農家である。鈴木さんは、四五歳のときからこの開発に疑問を持ち、たたかいつづけてきた。当初は、何で自分らが農業をやめてよそ者に土地を渡さなければいかんのか、という怒りであった。しかし、今は、本当の住宅開発とはなんだろう、それは、地域に農業を農業として残し、農家と新住民が共存していくことではないかと考えている。その実践のあとをみるとき、これからは、農家こそが地域をデザインする時代に入ったのだという思いを強くする。

木々に釘を打ち込む愚

 多摩丘陵は住宅・都市開発公団による全面買収地のほか、大学や諸団体の用地買収が盛んに行なわれた。買収された用地は柵で囲われ、変化をとげつつある。尾根筋を鈴木さんに案内してもらっているときのことだ。

「なんでこんなことするんだ。木に釘をぶちつけるなんて」

 ある大学が買収した用地の柵内にある一〇cmくらいの太さのすべての雑木に、厚いトタン板が二本の釘で打ちつけられている。○△大学と書いてあり、番号がふってある。木の肌は傷を癒すように盛り上がって、トタン板に覆いかぶさってきていた。

「たとえば針金で木を巻けば、木はそれを乗り越えて生きようと針金を巻き込むんだよ。しかし大きくなると、ヒョイと枯れてしまうんだ。この木はまだ若いから生きてるが、釘を打つなんてよくないことだ。木というものを知らないものがやることだ。人間の体に弾丸をぶち込むのと同じだ」

 多摩丘陵は、クヌギ、ナラ、カシの宝庫である。かつては、東京西部の農家がリヤカーを連ねて落ち葉かきにきて、堆肥などの材料にしていた。また、薪炭利用も盛んであったから、木々は一五〜二〇年ごとに炭材として刈られ、根元からはヒコバエが再生して山は若返っていた。根元は大きな株に育ち、そういう木々によって山は守られ、水が蓄えられ、清水を湧き出させていた。その清水には、現在も「東京サンショウウオ」が産卵し、大きくなれば雑木の落ち葉の中を生息地としている。

 誰が見ても美しいと思う多摩丘陵の雑木山は、こうした農家の営みとともに育てられてきたのである。

 しかし、「開発」が、山を育ててきた農家を排除しながら山を買収して所有権を主張するとき、山はとたんに山ではなくなっていくのである。釘で打たれたトタン板は、その、ほんの小さな一コマであった。

山を守るには金などいらぬ

 「鈴木さんよ、あんたは多摩ニュータウンに山を残せと言う。でもそうしたらいったい誰が管理するんです。経費が掛かるんですよ? 金の負担の面倒は見切れない、だから開発して住宅にしたほうがいいんです」

 農業をやりたい人の山・田畑の全面買収に反対し、また、かりに土地の所有権は提供したとしても農業を農業として、したがって山も農業とつながりのある山として残すことが、新住民にとっても必要なんだと訴えてきた鈴木さんに、役所の人は問う。

「開発」氏の頭の中にあるのは、経済効果という考えである。金を掛けて雑木山を維持するのが効果的なのか、同じ金を掛けるのなら宅地化してしまったほうが効果的なのかということだ。

 鈴木さんは答える。「大丈夫。多摩ニュータウンに住んでいる人自身が、今ある自然をそのままに残せと言ってるじゃないか。その自然というのは何千年、何万年もかけて農家が作り上げてきた『自然』だけど、その自然を残せということは、それは自分たちで管理する義務も生じるということ。それをやります。やってもらいます。金じゃない、住む環境を守るということなんだ」。

 鈴木さんたちのまわりには、「由木の農業と自然を育てる会」(二五〇人)ができた。多摩ニュータウンの人たちが中心だ。由木とは、鈴木さんがいる部落の名前である。計画区域内の山々はすでに全面買収されてしまっているが、由木には、まだ本当の町づくりには農業と農家を残すべきだという鈴木さんたち農家がいる。その人らが守ってきた、生きた山がある。多摩ニュータウンに引っ越してきて、鈴木さんたちの活動も知り、住む環境を作るとは、実は農業と一緒に共存することだという思いを強くしてきた人の集まりが、「由木の農業と自然を育てる会」である。「“農業”と自然を“育てる”」というところが類似の運動と違っている。

 山を守れるのは金ではない。稲や野菜が作れる田畑を守れるのは金ではない。山の落ち葉を集めて積んでおけば自然と出てくるカブトムシは、金では買えない山からの贈り物だ。金がすべてを支配するものでもなければ、歴史の中で作ってきた多摩丘陵の自然をすべて壊して、あとは「合理的」なプランに沿って植え直せばいい、作ればいいという机上のプランで真の住環境が作れるものでもない。会は鈴木さんとの交流で、農家がある自然の意味を知り、農家の自然との付き合い術を学んで、自然とのより深い交流を楽しむようになってきた。鈴木さんたちの頑固だが柔軟なやさしさを持つ農家の心と触れ合うことで、住民自身の心が開いていったのである。

鼻をつまむ女学生か 牛の肥やしを理解する子供か

 白石さんは会のメンバーの一人。昨年の五月に会に加わったばかりの若いお母さん。コンピューター会社に勤めるご主人と、六歳の幼稚園の娘さんとの三人家族。多摩ニュータウンには二年前に引っ越してきた。

「お金を払えば食べ物が買える――それだけでいいのかしら。せめて娘には、食べ物はこうして作るんですよと伝えたかった」という動機を持っていた人である。

 わずか半年のあいだに白石さんは、会の行事に参加して、由木の農家に助けられながら、いろんなことをやってきた。

●お茶摘み、お茶揉み――ここはお茶産地ではないが、畑の境にはお茶の樹が植えられている。とても自分の家用に足る量のお茶を作ることはできなかったが、お茶というものを直接体験した。

●桑の実ジャム、蚕の上蔟――ここは養蚕地帯でもあり桑の樹は多い。機織りをやらせてもらった人もいる。

●炭焼き――開発で切り倒された雑木がたくさんある。鈴木さんの仲間の炭焼き窯で焼かせてもらった。粉炭を植木鉢にまいておくとカビないことも経験した。

●田植えから稲刈り・精米――わずか二反の田んぼに粳・もち・赤米を作った。もちろん収穫際にはもちつきも。

 そのほか、白石さんが半年の間にやったことをあげればきりがない。六五本のタクワン用ダイコン作り、梅ジャム作り、サツマ掘り、ソバの種蒔きから刈り取り、ハム・ソーセージ作り。ゴマも作った。牛の世話もした。

「手取り足取り教えてもらって、本当に迷惑掛けてると思う――」

 娘さんは虫を怖がらなくなった。牛ふんの山に足を突っ込んだとき、「畑に入れる肥料だよ」と言うと、娘さんはケロッと「牛のうんちの臭いがしたよ」と答えたそうだ。滝のようにする牛の小便、山のようなうんちにびっくりし、畑にその堆肥をまいて野菜を蒔いた。その手伝いをする中で、娘さんは牛への、牛ふんへの見方を変えていったわけだ。

 そういうことを知らない女学生たちが、今でも、鼻をつまんで牛舎のわきを通る――。

神社を新しいやつらに取られちゃう

 山の頂上に神社がある。神社仏閣は開発からははずして残すことになっている。しかし、事柄は単純ではない。

「何だ。俺たちが守ってきた部落の鎮守様だ。開発が進んでまわりが住宅だらけになれば、新しいやつらに神社を取られちゃうぞ。いっそのこと、建物を移して境内の土地を売ってお金を皆で分け合ったらどうだ――」

 こんな話が旧住民から出たこともあった。だが、建物だけ移転してどうなる? 神社の大きな樹、長い参道。これも一緒になっての神社であり、建物だけが神社ではない。

 鈴木さんは思う。

「よそから来る者も、ここに住んできた私らも、共存できる仲にならなくては。神社だって、まわりの全部があっての風格だ。風格あっての神社だ。それを残そう。よそ者は入れない、いや、お前らこそ牛を飼ってて臭い、なんてツバ競り合いしてたら、どこまでいっても駄目だ。新しい時代が開けない。

 一つ間違えば神様までお金で計算しちゃうところまで追い込まれるのが今までの『開発』だ。これからはそうではない。人間本来の豊かな平和な生活にとって一番大切なのは何なのだ。それは自然だ。環境だ。それを大事にすることを、新住民も私らも考えなくっちゃいかん。木々はすぐに育つわけじゃない。山は守られなくては洪水を出す」

 兵隊に行け、食糧を増産しろ、工業に人を出せ、と言われつづけたうえに、こんどはふっと湧いた「土地を出せ」「農業をやめろ」。公共性をかさにかかってくる住宅開発が、お金万能社会の波に乗っかってやってきたとき猛反対した鈴木さんは、「農は地球の番人だ」という気持ちのもと、農家と新住民と自然が共存する真によりよい開発になるように訴えつづけている。

 デパートでカブトムシが高価で売れ、大都市の真ん中に花屋さんがつぎつぎと開店して大量の花をさばいている現代である。都市をうるおいのあるものにアレンジするのも、自然に触れたい人に本当に深く触れさせることができるのも、農家である。農家が地域をアレンジし、村が都市をアレンジする時代になってきた。

〈訂正〉 前月号(一九九一年一月号)主張欄六〇頁下段一行目の「国民総数の二〇%」は「国民総生産二%」のまちがいでした。お詫びして訂正いたします。

(農文協論説委員会)

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