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農文協トップ主張 1990年01月

市場原理から生活原理へ
世界が多元的に再編成される時代がやってくる

目次

◆いま人類が立っている歴史的位置を見きわめる
◆経済の原理を超えるカギは世界の農業のあり方にある
◆食糧問題の世界的解決は新軍縮の動きと大いに関係する
◆市町村の自治能力の広がりが新しい時代を支える

いま人類が立っている歴史的位置を見きわめる

 いよいよ一九九〇年代を迎える。

 八〇年代には、”来るべき二一世紀“のことばかりが論議され、その手前にある、かんじんの九〇年代のことがよくつかめないままだった。二一世紀がいかにバラ色に描かれても、その手前が暗黒ならば、バラは単に、机上に描かれた絵にすぎない。

 果たして九〇年代はどういう時代になるのか。九〇年代の世界の動き方によって、われわれが二一世紀をどのように迎えるのかが決まる。

 世界の動き方は、じつは一九七〇年代から大きく変わっていた。そこに注目しよう。七〇年代の大きなできごとは石油危機とニクソン・ショックである。

 石油危機は、いま客観的に考えれば、人類に資源問題の重要性を警告したできごとであり、人間と自然が調和する方向で生産力を発展させていかなければならないことを教えてくれた。

 一方、ニクソン・ショックは覇権的な中心国による世界支配の時代が終わったことをあからさまに、全世界に告げたできごとであった。

 今ふりかえってみれば、七〇年代に世界は、その進む方向を大きく変えたのだった。それを一言でいえば、覇権的中心国にリードされる時代から、多元的中心国によって人間と自然とが調和する道を模索する時代に入ったということになる。一つの国が多くの国をリードして(支配して)ブロックをつくる。そこに資本主義対社会主義という構図が生まれる。戦後の世界史は七〇年代まで、米・ソ両国を覇権的中心国とし、他の国々をその周辺国とする二大陣営の軍事的対立を軸とした歴史であった。石油危機とニクソン・ショックがそれをくずした。そして、その後の世界史は、米・ソに代わる覇権的中心が現われるのでなく、中心そのものが次第に多元的になってくるように動いている。八〇年代はその徴候が現われ、徐々に、また急激に多元的中心が形成されてきた時代であった。

 一九八五年から開始された、ゴルバチョフのペレストロイカ政策や、それに先行する〓小平(トウショウヘイ)の経済改革政策は、いずれも世界に新しい時代を形成するに足る根本的な政策転換である。前者は資本主義か社会主義かの政治闘争=階級闘争の思考方法を捨て、全人類的価値を優先させる思考であり、後者は一国の国民経済の中に資本主義制度と社会主義制度の二本立てを許す政治思考である。これまでの政治思考とは根本的に異なる思考なのだ。社会主義の二大国の国家指導者が相前後して、世界に新しい思考の宣言をしたところに新しい時代への始まりが表徴される。

 二〇世紀は、資本主義対社会主義の闘争の歴史であった。世界はいまその歴史に終止符を打とうとしている。資本主義は資本主義のまま、世界市場の盲目的法則の支配を克服する方向で、社会主義は社会主義のまま、国家権力による強制的計画経済の支配を克服する方向で、ともに人類の当面している新しい課題に立ち向かおうとしているのである。新しい課題とは、人口、食糧、資源、環境問題の克服にほかならず、そこにこそ、人類が自然と人間の調和を目指さなければならない根源がある。それに世界は気付きはじめた。来るべき九〇年代は、この世界的な大きな潮流を、覇権的中心ではなく多元的中心の形成によって一層確実に不可逆的に進める時代である。残り少ない二〇世紀のうちに、世界を多元的中心群の連携という構図によって再編成すること、それによってはじめて二一世紀はバラ色として到来するだろう。

経済の原理を超えるカギは世界の農業のあり方にある

 資本主義の原理は、自由な世界市場という場に、活発な競争原理を働かせ、世界各国の最も安い商品を世界各国人民が自由に購入できるようにし、その結果、同一所得で最も多くの消費(“豊かさ”)を公平に享受できるようにするということである。

 社会主義の原理は国家による合理的な計画経済によって、失業のない、社会保障の充実した、貧富の差が激しくならない形での生産と分配を行なうことによって、国民の生活の安定をはかるということである。

 しかし、どちらも、経済効率を基本に据えた考え方である点では変わりがない。つまり、両者は同じ次元での二つの異なった対応に過ぎない。しかも、社会主義経済においても市場の原理はとり入れられてきたし、資本主義経済においても金融・財政等をとおして計画経済の原理はとり入れられてきた。どちらも現実には原理を貫徹する条件をもたなかったのだ。

 なぜそうなったのか。

 資本主義の政策も、社会主義の政策も、すべてを商品と化する市場の論理の解明を土台にした経済学の上に立てられた政策である。ところが生産力の発展一般ではなく、いまや、自然と人間の調和する方向での生産力の発展が課題である今日では、政策は経済学の枠組を超えて、自然と人間を包摂した、より根源的な次元での論理を土台に構築されなければならなくなった。同じことを別のいい方でいえば、経済学そのものが人間の労働・生活を根源的に把握した論理とならなければ成り立たないのである。そこから、経済現象をつかみなおさない限り、今日の人口・食糧・資源・環境の問題を解決することはできない。これまで資本主義、社会主義の両制度ともに、自然と人間の直接の結び目である農業問題については、ついに問題解決の方法をつかむことができなかったのも、その政策が経済効率という枠組を超えられなかったからである(『現代農業』一九八九年七月増刊号「世界の農政は今」参照)。

 農文協は、市場原理でとらえることのできない領域として、医(健康)食(食べ物)農(農業)想(教育)の四分野を設定し、出版活動をとおして、新しい知の枠組の形成にとりくんできた。

 医の分野が市場原理になじまないことは誰もが認める。しかし、食と農の分野となると、必ずしも、そういう国民的合意が成立しているわけではない。安くて、安全で、栄養があり、うまければよい、という市場原理でのとらえ方が一般的である。しかし、こういうとらえ方をつづける限り、今日の世界の食糧問題は解決しないし、解決の糸口からも遠ざかるばかりである。

 農文協は市場原理の根底にある根源的な生活原理の次元まで掘りさげて食べものを把握しようとして、『日本の食生活全集』全五〇巻を企画した。

 この全集は、大正から昭和初期の庶民の食生活を古老からの聞き書によって再現するという企てであるが、われわれはこの全集の編集過程をとおして、食とは、地域の自然(山・川・海・田畑)、地域の歴史、そして地域の住民の習俗・習慣・信仰のすべてを内にこめているものであり、地域での四季折々の労働と生活を表現しているものであることを確認した。このような根源的生活原理の把握の上に立って、食糧の生産と消費(分配)の原理を組立てることによって、食糧・農業問題の現代の課題を解決する糸口がつかめると考えているのである。

 食べ物の生産は基本的に土地に依存する。人間が作物をつくるのではなくて、自然が作物をつくる。人間は自然が生産する手助けをしているのである。

 人間の主要食糧の生産が、土を離れて化学的に行なわれるとするならば、たしかに市場原理によって食糧を考えることは妥当であろう。しかし、現代においては、自然が人間を媒介して食糧を実現しているのであって、その逆ではない。それなのに市場の原理は自然を包摂していない。その故に食と農の分野は、医の分野同様に、市場原理になじまないのである。

食糧問題の世界的解決は新軍縮の動きと大いに関係する

 耕地をふやすことは、工場を建てたり、機械をつくったりするよりも、大きく自然の制約をうける。そして、現代の世界は、人口に比して耕地が十分あるわけではない。

 たとえば、隣国の中国では一一億人の人口に対して、人口一人当りの耕地面積は一〇aに満たない。しかも耕地は減っているのに人口は年々千五百万人もふえている。

 国際化時代の食糧農業問題を考えるということは、自国だけでなく、隣国の人々の将来にも目をむけて、世界中が十分食糧を確保できるような食糧・農業政策を立てるということである。耕地が有り余っているのは、アメリカやオーストラリアだけであって、世界の多くの国々は、中国と同じか、それ以下の状態なのである。

 後進諸国についていえば、これらの国々の経済が発展すれば、人口は増大し、一人当たりの食糧消費はふえ、世界全体の食糧は不足することは明らかである。

 食糧問題は市場原理になじまない。国際化時代の食糧問題とは世界のすべての人々が飢えないように、在る限りの食糧をどのようにして公平に配分するかという問題なのである。自動車やエレクトロニクス商品と異なり、買えない国には売らないでは、人々は死ぬほかはない。世界に飢えがある限り、生産性が高かろうが低かろうが作物をつくり、飢えている人々を救わなければならない。そのための資金を先進諸国がどのように分担するかを検討する必要がある。その立場からみるとガットでの農産物論議は不毛の論議というほかない。国際化時代を自覚した論議ではなくて、資本主義国同士のその場しのぎの政策論争である。

 一九九〇年代は、一方で本格的な軍縮の時代となるであろう(『新軍縮時代がやってくる』農文協刊参照)。そして「世界の平和」のために使われてきた軍事費が世界の飢えの救済援助にむけられるならば、それは人類史の新しい時代に最もふさわしい政策となろう。

 大事なことは、この食糧の無償援助は被援助国の国内農業の発展のためにこそあるということだ。大地主制が残っている国では農地改革をすすめるための資金として、またプランテーション型(強制的な輸出型)農業が主流となっている諸国では、その国の食糧自給率を高める政策をすすめる資金として、援助が活用される。そのような援助が必要なのである。援助する国の食糧確保のための援助は、本末転倒である。

 食べ物も、農業も、それぞれの地域の自然と伝統によって異なる。それぞれの国が、それぞれの国の独自の農耕文化と食生活文化を全面的に展開させることが、それぞれの民族が自立し、多元的中心の一つとなり、世界が調和的に発展する基本なのである。

 超大国の軍縮がすすむことと、食糧・農業問題が世界各国で独自の方法で解決の方向へすすむこと、この二つは大いに関係しており、二つが併行し、関連し合ってすすむとき、世界の多元的再編成が可能になる。

市町村の自治能力の広がりが新しい時代を支える

 世界の農業の大勢は家族型農業である。コルホーズ型の農業が家族型農業に変貌しつつあり、プランテーション型農業の地域でも、農業の発展進路はいま、家族型農業の方向をむいている(前出『世界の農政は今』および一九八九年本誌十二月号の特集「世界の農家との連帯」を参照)

 そうしたなかで、日本の農業は、農地改革を経て、主として自作地による家族型農業によって営まれてきた。成熟した資本主義経済の中で強固な地歩をきずいた家族型農業を外圧・内圧に屈せず、いかに発展、完成させるか。人類の新しい時代にふさわしい、家族による小農経営の在り方の創造こそが、国際化時代の日本の農業が課せられた人類史的課題だ。食と農を自由な市場での競争原理から切り離し、自然との調和をはかる先駆的な実践である。

 日本は、古くは中国に、新しくは欧米諸国に学んで、日本独自の政治や経済や文化を形成してきた。日本の農家は独自に小農経営発展の道を創造する力を充分もっている。その蓄積されてきた力の源泉は、小農経営がそのまま他から独立に、バラバラに自己を発展させてきたのではないというところにある。自然村=「むら」共同体の共同に支えられて発展してきたのである。小農経営は、一面自立・一面共同によって維持され発展する。

 さらにもう一つ、注意しなくてはならないのは、今日到達した生産力の発展段階では、小農経営を支える基盤は、もはや自然村=「むら」の範囲を超えるということだ。市町村自治体の規模にまで、かつての「むら」の機能を拡大していくことが求められる。そして、このことは同時に、農が農として独立しているのでなく、地域の工や商と連携していくことでもある。農工商の連携の調整役を果すのがかつての士、いまの地方公務員である。この新しい「士」農工商の連携が成り立てば、食・農の分野にとどまらず医の分野にも想(教育)の分野にも、経済原理を超える動きが、確実に興ってくるだろう。市町村自治体の働きが期待される。

 農協も大きな役割を果すことができる。日本では、完備された農業の協同組織としての農協が全国隅々まで、行政組織と同じ程度に強く組織されている。信用・販売・購買・利用・営農・共済に到るまで、機能はきわめて包括的だ。このような有利な条件が地域にあるのは世界で日本だけである。

 日本の農家は、自らの自治能力によって「むら」を形成し、山と川と田畑を中心に自然を自らの力で人間と調和させ、「ふるさと」=「むら」を創り出してきた。そして多面的な機能をもつ農協組織が農家自身の手によって組織されており、有能な行政マン集団は役場に結集されている。それらのすでにある「制度」を農家が「ふるさと創生」に生かすことが、人類史の新しい時代=世界が多元的中心の国家群に再編成される時代を根本から支えることになる。多元的中心国家群による調和的な世界の形成の土台は、多元的中心市町村群によって支えられるのだ。

  一九九〇年代を人類史の新しい時代への転換点にしたい。世界の状勢は明らかに新しい時代に入りつつある。まだ、紆余曲折があるにせよ、かつてのような東西冷戦の時代にもどることはない。核兵器は廃絶の方向に、軍事費は削減の方向に、中心国と周辺国の国際関係は多元的中心国の調和的国際関係の方向にすすんでいく。そして小農的家族経営が見直される時代がやってくる。世界がそのような時代を切り開くか否かは、日本の農家の力に大きくかかっている。

 よい年を迎えよう。

 参考資料

 永田恵十郎『地域資源の国民的利用』(農文協刊)は、自然と人間を包摂した根源的生活原理から経済を見た新しい経済学の視点に貫かれた好著である。

 小野田猛史『新軍縮時代がやってくる』(農文協刊)は、社会を技術を担う大衆の運動としてとらえて、新しい時代の到来を告げている。農耕技術から発想しているので農業関係者の共感を得よう。

 根井康之『市場原理と生活原理』(農文協刊)はむずかしい本だが、経済学の枠組みを変える考え方が詳述されている。

(農文協論説委員会)

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