中国江蘇省鎮江市「中日韓農業発酵技術普及会」開会式あいさつ

()農山漁村文化協会専務理事 伊藤富士男

 

改革開放30年余の発展を土台に、中日韓東アジアの最先端の自然循環農業技術を研究活用し、社会主義新農村の建設と自然循環型文明の実現、農民の所得向上を目的にしたポスト近代の取り組みをすすめられている皆さんに敬意を表します。

 そして、この意義深い会を企画され、その準備を整えてこられた主催者鎮江市人民政府はじめ、最先端の自然循環農業技術の導入・開発・普及にあたられる丹徒区人民政府、鎮江市科学技術局、鎮江市農林局そして鎮江市外事弁公室等実施者の皆様に感謝申し上げたいと思います。

 

農文協は、農民の立場に立って自然と人間の調和を進める文化運動団体です。今日的に言えば、人口・食料・資源エネルギー・環境という人類的課題を農の視座から解決していくために、出版事業を中心に農家の覚醒と農業の持つ多面的機能を都市民の共通理解に広める活動をしています。

 

第2次大戦後に焦点をあてて農文協と日本の農家の経験をごく簡略にお伝えします。

戦後復興期1950年代、一番大きな特徴は、工業の復興によって供給されるようになった化学肥料や農薬など農業資材を科学的に使いこなし、有畜化もすすめて食料不足を解消する大増産運動を展開したことです。そして、農文協は科学を農民の暮らしに役立てるために、「本を読まないのは農家が悪いのではない、本が悪いのだ」と、「農民にわかりやすい」本づくりをめざしました。

「農業基本法」が施行された1960年代の高度経済成長期には、農家は水田農業に野菜、果樹、畜産を組み合わせる「イネ+α経営」を確立し、反収を高めるイナ作増収運動に取組み、米の自給を達成しました。

1970年代から1980年代、土が病み、作物が病み、農家も病むという三重苦が農村の現場を襲う農業近代化の矛盾に対して、農家は、施肥改善をすすめて資材依存型農業からの転換を図るとともに、農家ならではの「自給」の力を発揮して経営を守ってきました。

1990年代、農家の自給運動は産直や直売所など「地産地消」の大きな流れになり、また、農法は土着菌や米ぬかを活用した「土ごと発酵」で農地・環境の永続性と生涯現役農業を実現する、すなわち、微生物やアイガモなど地域の自然力に働いてもらうことで、人間は小さな力を使うだけも大きな成果が上がるという「小力技術」を発見、発展させてきました。

そして、2008年、アメリカ発の世界同時経済不況による農業資材の高騰は、農法の根本的転換をすすめました。例えば、土づくりと施肥を一体的に考えて、持続的で超低コストな循環農法=「堆肥栽培」と呼んでいるものです。家畜ふん尿やし尿、食品残渣などの有機廃棄物や放置された竹林資源を活用し、マメ科作物を混作・輪作・緑肥等に取り込み、更に、麹菌・乳酸菌・納豆菌・酵母菌・光合成細菌など土着有用菌などを活かした手づくり資材を開発し、自然力と伝統的なアジア農業の原理を現代的に活かした農法が次々と開発されるようになりました。住む人が減り、耕地が荒れ、ムラの存続までが危ぶまれているその典型が中山間地域ですが、これからは水力、太陽光、バイオマスなど新しい再生型の自然エネルギー革命の先進地として注目されるようにもなってきました。

 

つまり、石油文明からの転換をはかり、地域にある再生資源によって農業と暮らしを再構築する人類史的な農業技術の新しい試みが始まっているのです。そして、それは日本だけでなく全世界の農民によって担われる時代になると思います。人口、食料、資源エネルギー、環境という人類が抱える四大矛盾を農の視座から統合的に解決していく小さい活動が無数の地域で開始されたのです。

農村にある地域資源の生産性を高め、風土に根ざした農村立地の産業を興し、農村そのものの人口扶養力を高めることが脱化石資源の循環農業をすすめ、都市との調和をすすめる事にもつながると思います。

 この会が、東アジア農業の実践交流をすすめ、各地域で自然循環型文明の確立と農民の所得向上にむすびついた大きな運動に発展するよう祈念して挨拶にかえたいと思います。