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成立市町村 |
文書名 |
収録
巻
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内 容 紹 介 |
地域不詳 |
百姓伝記(巻1〜7) |
16
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三河・遠江国を舞台に、最も古い時代に成立した著名な写本農書、全15巻。本巻ではその前半を収録。自然の観察、農民の生き方、土と肥料、樹木、農具、治水などについて述べる。 |
地域不詳 |
百姓伝記(巻8〜15) |
17
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『百姓伝記』の後半部分を収録。苗つくり、稲作、麦作、野菜作の実際からそれらの食べ方までを具体的に述べ、さらに農具類の備え、使用法を説く。本書は小農技術の体系化を目指しており、今日に至るわが国の農業技術の基礎をなすものである。また、中国の陰陽五行説を農業(とくに土壌)に適用した最初の書として注目される。 |
豊橋市 |
農業日用集 |
23
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渥美の国学者による農事の具体的な要領集。栽培時期と施肥法を中心に述べていくところに特色がある。 |
飛島村 |
暴風浪海潮備要談 |
23
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安政の大地震、大津波を体験した著者が、天変地異、暴風波に備えて、防潮の対策・方法を説く異色の農書。 |
飛島村 |
農稼録・農稼附録 |
23
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国学に素養のある尾張国の本草学者の手になる書。『農業全書』『農業余話』『農業自得』、その他大蔵永常の著作を読みこみ、尾張農業の実態に合わせて農事の指針を説く。 |
飛島村 |
水災後農稼追録 |
23
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万延元(1860)年の伊勢湾干拓地での洪水記録。風雨による被害のようす、排水作業、その後の稲の生育状況と手当てを記す。暴風雨で被害を受けたため追苗代をつくり、その肥料代、賃金を克明に計算している。 |
音羽町 |
農業時の栞 |
40
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東海道赤坂宿の旅館の亭主が著わしたユニークな農書。鳳来寺に参詣する道中の百姓十数人と老人との問答という形式で、木綿など26種類の作物の耕作技術を記す。先進技術を記述した『農業全書』の地域適応版。 |
津具村 |
日知録 |
42
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奥三河津具村の農家・山崎譲平(医師でもある)が、自家の動向、使用人による農事、村内外の人々との往き来などを記したもの。安政3(1856)年当時、譲平は種痘を行なっていた。 |
岡崎市 |
仕込帳 |
52
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現岡崎市八帖町の特産、八丁味噌(豆味噌)の醸造方法に関する希少な史料。いまの「大豆1石から200kgの味噌」と変わらない醸造技術だが、大豆・塩・水の仕込み割合を試行錯誤しながら安定させていく跡がうかがわれる。 |
田原町 |
門田の栄 |
62
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三河国田原藩の領民のために書かれた農法改良、合理的農業経営の書。同じ船に乗り合わせた三河・下総・摂津・九州の4人の農民の問答を通じて、「乾田化の利益」「草木に雌雄はない」「今や技術を革新すべきとき」などを説明する。 |
知多市 |
農業家訓記 |
62
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毎月の耕種・肥培・作業日程・労力見積り、暮らしの心がまえなどを具体的に記して、子孫へ農法を送り伝えている、尾張国知多郡の家訓的農書。「内向き」の家訓ではあるが、子孫へ向けての「普及」の書でもある。 |
犬山市 |
尾州入鹿御池開発記 |
64
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入鹿池は、濃尾平野東部の開発を目的に、入鹿村1村を水没させて、寛永10(1633)年に築造された。本書は、開発の経緯、取水口である圦樋の維持・管理、改修の費用・工法を詳述している。 |
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