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病家須知
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ご先祖さまの知恵袋が持つ意味
〜江戸時代の家庭医学・看護百科と現代

*読者は『病家須知』をご先祖さまの健康の知恵袋として読んでもよい。日本の看護・介護のルーツを伝えるものとして読んでもよいし、東洋医学的な健康指導書として読んでもよい。もちろん、歴史や民俗風習に関心のある方には庶民の日常が生き生きと浮かんでくる一次資料となるし、女性史の立場から見ても発見が多いだろう。本書が多角的に?発見?されることを希うが、なぜいま江戸の家庭医学書を刊行するか、一つの視点を提起したい。

【江戸時代は予防医学の時代】

  江戸時代、人々は現代以上に健康増進に熱心だった。日々の食事や按摩で体調を整え、家のまわりや山野から薬草を集めてはお茶にし、朝夕に身体に灸をすえていた。農閑期にはひと月ほどもかけて湯治に出かけた。

 重病になれば救命の手段が現代より乏しい時代のこと、予防に熱心になるのは当然であったかも知れない。だが江戸びとは我々以上に日々の健康づくりの意識が高く、何が自分と家族の健康を守ることに役立つか、何をしてはいけないかをよく知っていたのも事実だ。

【医療と健康の商品化のきざし】

 一方で、江戸中期以降は農村部にも商品経済が浸透し、医療(健康)も金で買うものという性格を持ち始める。売薬の流通は飛躍的に増大した。湯治にしても「××病にはどこの温泉が効く」という情報は全国レベルで知られ、近くの温泉よりも遠くの有名な湯治場へ出かけることもしばしばだった。

 薬草茶であれ按摩であれ、人々は身体が発するサインに耳を澄ませながら自分と家族の体調を整えてきた。それが徐々に「この薬を買えば大丈夫」「あの温泉に入れば治る」という意識への変化が進んで行く。その中で、「医は仁術」から「医は算術」への堕落も起こる。世間体がよく収入も安定するという理由で子弟を医者にする風潮も強まった。

【健康の自給・地産地消】

 そんな時代の中で、医の堕落を憂え、薬に頼りすぎる危険を案じ、日本人が持っていた未病の知恵=健康増進の心がけを基本に、家庭での養生と手当て、ケアをまとめたのが『病家須知』である。

 健康は日々の暮らしの中にある。専門家にお任せでもなく、舶来ものをありがたがるのでもなく、身の回りにあるもので体調を整える。いわば健康の自給であり、健康の地産地消とも言える。

【現代人が忘れた「健康の知恵」「生き方の知恵」】

 『病家須知』が守り残そうとした未病の知恵は、今日ますますその重要性を増している。病気の治療は医師に丸投げ、自分の身体を自らが対話して手入れする知恵も失った現代。メタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)が健康寿命を脅かし、高齢化の中で看護・介護のニーズがかつてなく高まる。子どもの育ち方もおかしくなってしまった。これらの不安に応えられるのは最先端医療ではなく、日常の暮らし方・生き方なのだ。

●手当ての「目」と「ひきだし」

 人々はすっかり日々の養生の術を忘れてしまった。子どもが食あたりで苦しんでいるときに、現代の親ならばあわてて救急車を呼ぶことしかできないかも知れない。しかし『病家須知』では手足が冷えていないか、胸が締めつけられるような痛みはないかを見て、灸をすえたりしょうが湯を飲ませたり、場合によっては強引に吐き下しさせるなどの手当てが載っている。このように、体調をよく見る「目」と専門家に頼る前にできることの「ひきだし」が、現代ではいかに失われてしまったか。

●きめ細かな看護と介護の技

 そうした「目」と「ひきだし」を持っていれば、病人のケアもいろいろなところに目が行き届く。苦しそうなときにどこをさすってやればよいか。寝付けないときに水音を聞かせてみるだけでも眠りやすくなることがある。機器や薬に頼るまえにできることが多ければ、それだけ病人の自然治癒力を引き出すことができる。これは現代にも通じる患者対応の基本だ。

●養生―日々の健康づくり

 もっとも大事なのは生活習慣としての養生法であり、飲食、睡眠、姿勢と呼吸の整え方が重視される。とくに食養生は詳しい。むくみに小豆の煮汁、授乳中の母親に鯉魚湯など、漢方の知恵と民間で伝承されてきた知恵とが精選されている。

 また、とっさの手当ても詳しい。やけどに卵油、めまいに酢、手足のしびれにカラシ温湿布。蛇毒に柿、蜂刺されに里芋の茎。打ち身や脱臼の手当て、包帯の巻き方まで。あくまでも一般読者を念頭に書かれたもので、きわめて日常的な技術のオンパレードだ。

●子どもの育ち方と生き方

 飲食睡眠休養を整える養生とは小手先のノウハウでは終わらず、生き方の指南になる。「子どもには一分の飢えと三分の寒さ」といい、「日光と風の中で育てること」というのも、万古不易の子育ての真理だが、その意味は深い。内なる自然の調和を感じることができる生き方へ導くことは、道徳で押さえつけるのとはまったく違う子育て観になる。


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