主張

地エネ、炭素の地力化で、農家・農村が「脱炭素化」の先進地

 目次
◆脱炭素化=脱化石燃料
◆原発は不要、経済成長も可能
◆地エネで電気・燃料費の「だだ漏れ」解消へ
◆炭素を活かすことが「脱炭素化」になる
◆農地でも炭素貯留を増やせる
◆地力を高めて脱炭素化

 昨年10月26日、菅義偉首相は、首相就任後初の所信表明演説で、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにして脱炭素社会の実現を目指すことを宣言した。いまだ収束が見通せない新型コロナの陰に隠れてきたが、この首相宣言を機に世の中が「脱炭素化」に向けて急に動き出している感がある。

 本誌と同時発売の『季刊地域』21年春号(45号)では、「脱炭素化のワザ 農家・農村が先進地」と題した特集を組んだ。この特集の内容に触れながら、「脱炭素化」とはそもそもどういうことなのか、農山村地域にとってどんな意味があるのかを考えてみたい。

脱炭素化=脱化石燃料

 脱炭素化の目的はCO2(二酸化炭素)を主とした温室効果ガスの削減だ。温室効果による「地球温暖化」は前世紀以来の課題。国連では「気候変動枠組条約」が合意され、同条約の締約国会議(COP)が1995年から毎年開催されている。

 97年に京都で開催されたCOP3では、先進国の削減目標を規定した「京都議定書」が合意され、議長を務めた日本の努力が評価された。だが、産業革命前に比べて平均気温上昇を2度未満に抑え、各国がそれぞれ削減目標を定めて対策をとる義務を負うことを決めた2015年のパリ協定の批准に出遅れたあたりから、日本の影は薄くなっていく。19年12月、スペインのマドリードで開催されたCOP25では、EUを中心に50年の温室効果ガス排出量・実質ゼロに舵を切る国が相次ぐなかで、石炭火力発電を増やすなど温暖化対策に消極的な日本にNGOから「化石賞」が贈られた。そんな経緯を経て、ようやくEUなどの目標に追いついたのが先の菅宣言なのである。

 温室効果ガスの大部分を占めるCO2の日本の年間排出量は、中国・アメリカ・インド・ロシアに次ぐ世界5位。目標年の50年まであと30年の間に、石油・石炭に代えて再生可能エネルギーを導入するなどして、CO2排出をどんどん減らしていく。そして、削減できずに残った分は、大気中のCO2を回収する技術の開発で差し引きゼロにする。これが「実質ゼロ」とか「ニュートラル」と呼ばれる状態である。脱炭素化は、石油・石炭という化石燃料への依存から脱することと同義といっていいだろう。

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原発は不要、経済成長も可能

 気になるのは、脱炭素化に向けて昨年末に政府が発表した「グリーン成長戦略」に原発の活用を明記していることだ。50年時の電源構成として、5〜6割の再生可能エネルギーに加え、3〜4割を原発とCO2排出が少ない新型火力発電で賄うとしている。それに比べドイツ政府は、脱原発を実現したうえ、再生可能エネルギー発電を30年に65%にするという。ドイツは日本の20年先を行っている。

 日本の国民の7割前後が将来的に原発をゼロにすべきと考えていることは、各種世論調査の結果に表われている。10年前の東京電力福島第一原発事故を教訓とすれば当然の反応だろう。一方で政府や経済界などは、欧州との条件の違いを持ち出して原発の必要性を唱えるのだが、専門家のなかにも原発なしの「実質ゼロ」が可能という見方はある。たとえば、名古屋大学の竹内恒夫特任教授は、住宅用太陽光発電を現在の8倍強、すなわち一戸建て住宅の半数が導入することや、洋上風力発電の拡大などで十分可能という見方をしている(東京新聞、21年1月18日)。太陽光発電のコストが年々下がっていることを考えれば、ほとんどの建物の屋根に太陽光パネルが置かれることも夢物語とはいえないのではないだろうか。農地で作物栽培と発電を両立するソーラーシェアリングも広がっている。

 脱炭素化を進めると経済が成り立たないと心配する向きもある。だが、京都大学の諸富徹教授は「脱炭素化と経済成長は両立可能なだけでなく、むしろ脱炭素化こそが経済成長への途である」と断言している。昨年来のコロナ禍のもとでは、米国のデジタル大手企業が業績を伸ばしたり、在宅勤務やオンライン教育が進んだが、諸富教授は、コロナ禍で加速したデジタル化による産業構造の転換がそれを可能にするという。その見本がスウェーデンで、「炭素税」を導入し温暖化対策の先頭を走ってきたこの国では、90年以降CO2排出量を減らしながらGDPを8割近くも増やして経済成長を続けている。産業の中心を、CO2排出の多い重化学工業から情報通信やデジタル化されたサービスなどの知識産業へ移行させてきたことが要因の一つだ。これ以上の経済成長は必要ないという考え方もあろうが、「もはや『成長か環境か』という問題の立て方そのものが古色蒼然となり、脱炭素化こそが成長のカギを握る時代に入った」というのである(『歴史地理教育』21年3月号)。

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地エネで電気・燃料費の「だだ漏れ」解消へ

 さてここからが本論、産業構造の転換を持ち出すまでもなく、脱炭素化は農山村にとってメリットが大きいという話だ。『季刊地域』では、地域住民自らが作り出す再生可能エネルギーを「地エネ」と呼びこれまでたくさんの記事を掲載してきた。地エネは、地方分散型エネルギーや地産地消エネルギーの意味を込めた『季刊地域』の造語。太陽光も風力も、温泉熱や木質バイオマスも、自然力を利用して生み出す地エネの主な舞台は農山村だ。地エネを活かせば、火力発電の化石燃料も原発のウランも購入しなくてすみ、地域で使う電気代が都会の電力会社や海外へ「だだ漏れ」せずにすむことになる。

 その具体例として『季刊地域』45号で取り上げたのが和歌山県有田川町。98年、合併前の旧金屋町で社会教育係長をしていた中岡浩さんは、町内にある洪水調整と発電(関西電力)のためのダムから、下流の水量維持のための放流水を見て、この水でも発電できるのではないかと思いつく。町長の後押しを受け、環境衛生課に異動した中岡さんの立案で生まれたのが有田川町営二川小水力発電所だ。

 同じ頃、有田川町では資源ごみの徹底分別により、年間3000万円余りかかっていたごみ処理費用を数百万円の収入源に逆転させ、その収入で環境のための基金をつくる。基金は町営小水力発電所の建設や、同じく町営の太陽光発電所2カ所をつくる資金にもなった。現在、これらの発電施設は「稼ぐインフラ」として年間5000万円の収入を基金にもたらし、町民が太陽光発電設備や太陽熱温水器、薪ストーブを設置する際の補助などに使われ、有田川町の脱炭素化をますます進めるエンジンとなっているのだ。19年の町の試算では、基金による自然エネルギーの発電量は年間442万kWh(一般家庭約1000世帯分)まで増え、約2000tのCO2削減に寄与しているという。

 再エネについて時々聞かれる批判に、太陽光パネルの生産や廃棄でもCO2を排出するのではないかという指摘がある。だが、それを計算に入れても、太陽光発電1kWh当たりのCO2排出量は17〜48g。火力発電で同量の電気を生み出すのに排出するCO2690gの20分の1であることがわかっている。

 政府のグリーン成長戦略では、30年代半ばまでに国内新車販売からガソリン車をなくす目標も掲げた。現状ではEV(電気自動車)の製造に多くの化石燃料を使うという議論もあるが、製造に使う電気を再エネに変えていけば解消する問題ではないだろうか。

 カギになるのは化石燃料の再エネ・地エネへの置き換えなのである。農山村を走る車がEVになればガソリンスタンドが減っても困らないし、地エネの電気でEVを走らせれば燃料代の「だだ漏れ」もなくなる。

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炭素を活かすことが「脱炭素化」になる

 それにしても「脱炭素化」とはおかしな言葉ではある。生物の体、有機物の骨格は炭素でできている。なぜ「脱化石燃料」と言わず「脱炭素」なのか? 英語の「decarbonization」の直訳らしいが、化石燃料という言葉を避けるのは、日本政府が石炭火力発電をあきらめていないからかとも思えてしまう。いずれにしても炭素に「脱」をつけるのは、炭素を燃やして消費するものとしかとらえられないからだろう。

 だが、農山村においては事情が異なる。農家や林家は、燃やすだけでなく育てるために炭素を活かしてきた。農作物も山の木々も生長には炭素・CO2が欠かせないからだ。堆肥をつくり、炭をやき、作物や木を育てる農家・林家は炭素の扱いに慣れているといってもいいだろう。農山村においての脱炭素化は、炭素を遠ざけ、触れないようにすることではなく、むしろ積極的に活かすこと。それが大気中のCO2の削減=脱炭素化になるのである。

 炭素の「収支」を地球規模で見てみよう。世界全体の人為起源の炭素排出量は年間92億t。そのうち陸域の生態系や海洋により49億tが吸収されるが、大気中の炭素は毎年43億tも増え続けている(IPCC2013より)。人為起源のCO2排出量のほとんどは化石燃料。CO2は、地表で暮らす動植物の呼吸や生物由来の有機物の燃焼や分解でも発生するが、これはもともと大気中のCO2に由来するので増減はないと考える。

 では、陸域の生態系による吸収とは? 地表の植物の炭素収支はゼロなのだが、森林や草地の土壌には、植物の残渣が堆積し腐植となることで炭素が蓄積されていく。これが大気中のCO2を減らし土壌中に貯留することになる。

 日本では、企業などが排出するCO2をクレジットの購入で埋め合わせる「J‐クレジット制度」が13年から始まっている。クレジットを発行できる活動の一つに森林整備がある。間伐など管理の行き届いた森林は炭素の吸収量が多いとされ、国の認証を受けてその面積に応じたCO2吸収量を販売できるのである。

 鳥取県日南町では、このJ‐クレジットにより年間400万円を得て森林整備の財源に充てている。クレジットを購入するのは、地元の建設業者や自動車販売業者、運送会社。それに下流域の水産加工会社が水源の森を守りたいと購入したり、故郷の山に投資したいという町出身の経営者もいるという。脱炭素化は林業の振興に活かせるのだ。

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農地でも炭素貯留を増やせる

 それでは、農業分野はどうなのだろう。前述の考え方により作物自体の炭素収支はゼロ。水田や畜産で発生する温室効果ガスのメタンをCO2換算したり、農業機械・設備から排出されるCO2などを合わせても、農業分野は日本全体の温室効果ガス排出量の2.7%しかない(18年度、日本国温室効果ガスインベントリ報告書より)。一方、森林土壌と違って耕耘を繰り返す農地では炭素貯留による削減効果は一般に少ない。

 だが、脱炭素化を日本より早く打ち出した欧州、なかでもフランスでは、14年に「農業未来法」を定めて環境保全型のアグロエコロジーを推進し、パリ協定が採択された15年のCOP21で農地の炭素貯留を促進する「4パーミルイニシアチブ」を提唱している。これは、先ほどふれた、地球全体の大気中の炭素増加量が年間43億tであることに関連している。世界の土壌表層に1兆tある炭素を年間4パーミル(0.4%)ずつ増やせば、それをほぼ帳消しにできるという計算だ。その方法として、堆肥や緑肥の投入、草生栽培や不耕起栽培、炭(バイオ炭)の投入などで、農地への炭素貯留を増やすことを提案しているのだ。

 フランスに刺激された運動は日本でも始まっている。『季刊地域』45号では、山梨県が県内に多い果樹園で、せん定枝を炭にして土に返すことで国内版4パーミルイニシアチブを始めたことを伝えている。同じく千葉県いすみ市のNPOいすみ竹炭研究会では、市民有志が荒廃竹林を次々整備しては伐採した竹で大量の竹炭をやき、炭素貯留に貢献していることを紹介している。

 また、東京都三鷹市の野菜農家・鴨志田純さんは、「コンポストアドバイザー」として生ごみを活かした堆肥づくりを呼びかける。堆肥の施用が炭素貯留につながるということもあるが、国内各地のごみ焼却場では、水分の多い生ごみを燃やすため化石燃料の助燃剤を使ってCO2の排出を増やしている実態があるからだ。鴨志田さんはこの春から、自分の農園の野菜を販売する近隣の消費者に、生ごみ堆肥づくりに参加してもらう実験も始めている。各家庭で1次処理した生ごみを農場で堆肥化し、それで野菜を栽培して食卓に届けるという循環を意図したものだ。

 じつは、本誌今号の「有機物マルチ」特集にも炭素積極活用による脱炭素化の好事例がいくつもある。例えば、東京都小笠原村の森本かおりさん(52ページ)。木材チップの有機物マルチに加え、島内(父島)の飲食店・民宿などから年間27tも集める生ごみと木材チップを混ぜ、土着菌で発酵させた堆肥を使う。森本農園が生ごみを活用するおかげで飲食店などの事業者に喜ばれ、村のごみ焼却炉の負担が軽くなるというのだから痛快だ。

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地力を高めて脱炭素化

 先ほどの4パーミルイニシアチブでふれた地球全体の土壌中の炭素は1兆5000億tという説もある。これは大気中の炭素総量の2倍、陸上植生の炭素の3倍にもなるという。しかも有史以前、人類の登場前はさらに5000億t多かった。人間による農耕や土地利用によりそれだけの炭素が土壌から放出されたのだそうだ。とはいえ、それは1万年もの時間をかけて起きたこと。化石燃料の燃焼で大気中に放出された炭素は、たかだか150年余りの間に2500億tにも上るというから猛烈な排出スピードだ。

 有史以前からの植物残渣の蓄積は地表に豊潤な土を生み出した。肥料に頼らずとも穀物がとれる土として有名なチェルノーゼムは、ウクライナや北米、南米アルゼンチンの3大穀倉地帯に広がる腐植=炭素が豊かな黒い土。その黒土がやせてきているという話も聞く。一方、日本の水田転換畑でダイズの収量が上がらないのは有機物不足による地力の低下が原因ともいわれる。それも受けてか農水省は、先日公表した「みどりの食料システム戦略」で、環境負荷の軽減と農業生産力向上の両立を目指し、50年に有機農業を全耕地の25%まで拡大する目標を掲げた。

 農業は、炭素を地力として活かし、大気中のCO2を光合成によって生命いのちを育てることにつなげる営みだ。堆肥に代表される有機物の農地への還元にメリットは大きく、過剰にならなければ害の心配はない。それが地球温暖化抑制にも貢献するとなれば利用しない手はないだろう。農文協では来年1月に有機物を活かした『地力アップ大事典』(仮)の発行を予定している。こちらも期待してお待ちいただきたい。

(農文協論説委員会)

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