主張

新型コロナ禍
われわれはどこにいて、どこへ向かうのか

 目次
◆パンデミックが招いた未曾有の事態
◆感染しても発症しないウイルスの厄介さ
◆世界恐慌と食糧危機への備えを
◆急速な感染拡大の背後にあるもの
◆大都市一極集中が生んだ「三密」という環境
◆共生の時代と小農という生き方

パンデミックが招いた未曾有の事態

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が終息する気配を見せないなか、農業への影響もじわじわ広がっている。ワラや購入天敵、長靴までに至るさまざまな農業資材の不足。観光農業にかかわるイベントやツアーの中止。外食需要の落ち込み。外国人実習生が来日できないことによる労働力不足などなど……。いま多くの読者の方々が、未知のウイルスへの恐怖に加えて、底知れぬ闇に追い込まれていくような不安を抱えておられることだろう。

 ペストや天然痘などの感染症に人類が苦しめられるのはいまにはじまった話ではない。ウイルスを病原体とする伝染病について言えば、1918〜19年に猖獗しょうけつをきわめたスペイン風邪(インフルエンザ)では世界人口の20〜30%が罹患し、4880万人〜1億人が死亡したといわれている。日本でも当時の人口の0.7%にあたる39万人が亡くなっている。だが、これだけの犠牲者を出したスペイン風邪ですら、社会・経済活動が完全にストップすることはなかった。

 今回のように世界各国がこぞって、学校や企業活動、スポーツ・音楽に至るイベントを中止・自粛し、外出や移動まで制限するような事態は初めてのことではないか。

 いま、テレビや新聞は連日、新型コロナとの「戦い」をトップニュースで報じている。だがインターネットから流れる膨大な情報を含め、圧倒的な情報量のわりには根本的な問いに答えていないような気がしてならない。

 新型コロナウイルスとはどういうものであって、なぜ今回のようなパンデミック(世界的感染流行)が起こったのか、そして新型コロナウイルス感染とその経済的な被害を大きくしてしまった要因はどこにあったのか……。

 そうした疑問に答えるべく、農文協は新型コロナをめぐって、各界で活躍する方々に広く寄稿をつのった。ウイルス学、国際保健学、医療人類学、文化人類学、哲学などの研究者をはじめ、経済アナリスト、辺境の地を行く探検家や医師、そして農家……。幅広い分野の方々が、事態の先行きがまったく見えない状況のなかで、勇気をふるって、新型コロナとそれがもたらした社会現象について執筆してくださった。こうしてまもなく『新型コロナ 19氏の意見』(農文協ブックレット21)が発行される。

 われわれはいったい、いまどこにいて、どこへ向かっているのだろうか。本書に結集した各氏の論を手がかりに、この疑問について考えてみたい。

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感染しても発症しないウイルスの厄介さ

 新型コロナウイルスとはそもそもいったい何者なのか。

 コロナウイルスは「人獣共通感染症」の病原体となるウイルスの一種である。RNAウイルスといわれ、タイプとしては口蹄疫ウイルスに近い。

 新型というからには旧型もあるわけで、コロナウイルスには6種があり、このたび出現したのが7種目だ。うち4種は人間に大した被害を与えない。普通の風邪の20%くらいはこれらのコロナウイルスによるもので、大人のほとんどはこのどれかによる風邪を経験しているはずだという(小児科医・山田真さん)。一方、ここ20年ほどの間に発生したSARSコロナウイルスとMERSコロナウイルスは重症肺炎を引き起こす。

 新型ウイルスは免疫がないために感染が広がりやすい。そのうえ、今回の新型コロナはSARSやMERSと違って軽症や無症状(不顕性感染)の割合が高い。そのため感染者を捕捉しにくく封じ込めが難しい。一方、全数検査を実施したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の例からみるかぎり、致死率は1%程度であり、さらに乗船者には高齢者が多いと思われることも考慮すれば、実社会での致死率はもう少し低く、SARSやMERSに比べて病原性はかなり低いと見られるという(ウイルス学・髙田礼人さん)。

 このままいって1年か2年すればワクチンが開発されて、感染が劇的に収まるだろうか。髙田さんはこう言う。

「新型コロナウイルスも、インフルエンザウイルスのように季節的に流行をもたらすようになるかもしれないし、風邪を引き起こすコロナウイルスの一つになるかもしれない。あるいは、人類が集団免疫を獲得したら、ヒトのあいだでは感染できなくなるかもしれない。集団免疫の獲得には、一般的にはワクチンが有効だが、新型コロナウイルスは無症状者や軽症者が多いため、意外に早く集団免疫を獲得する可能性もある。なお、ワクチンの開発や治験には通常数年かかるため、すぐにワクチンができるとは期待し過ぎないほうがよいだろう」

 新型コロナを過度に恐れる理由はないが、当面画期的治療法・予防法が生まれる見込みは薄い。結局われわれは辛抱強くこのウイルスとつきあっていくしかないのである。

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世界恐慌と食糧危機への備えを

 今後、新型コロナの感染がいつ終息するかを、現段階で予測することはできない。とすれば、現在のような社会・経済活動のシャットダウンをいつまで続けられるのだろうか。このままでは新型コロナの直接の犠牲者以上に、膨大な数の経済的な犠牲者が出てしまうのでないだろうか。

 政府はようやく新型コロナの経済対策として、フリーランス含む個人事業主や法人の事業継続のために「持続化給付金」を支給し、国民一人あたり一律10万円を給付するといった施策を打ち出したが、社会工学者の藤井聡さんはまだまだ手ぬるいという。

 というのも諸外国はGDPの10%や20%程度の政府支出の拡大を決定し、失業者や所得が減った労働者、売り上げを失った法人・商店に対して、所得や売り上げを徹底的に補償していく方針を明確に打ち出しているのに対して、日本はそうした方針をまったく打ち出していないからだ。日本も100兆円以上の対策費が計上されているが、その中身を精査すると、新規の国債発行に基づく支出拡大は16兆円、GDP比にしてたった3%という、諸外国に比べれば比べものにならないくらい僅少な水準だという。

「これでは、政府が繰り出した緊急事態宣言でパニック状態におちいった日本国中の法人や商店の多くが、倒産していかざるを得ないだろう。倒産せずとも、従業員を徹底的に解雇していくだろう。解雇せずとも給料を大幅に減額することとなろう。

 こうして、政府による、所得・売り上げ補償無きコロナ対策の『帰結』として、日本国民は、確実に貧困化していくのだ」

 藤井さんは「このままでは、国民は政府の自粛要請による激しい内需の縮小と世界大恐慌による外需の縮小の双方のダブルパンチをノーガードのまま被ることになる」とみる。そして各国が経済活動を停止するなかで、食料もまた大きく生産量が低下し、日本向け輸出はカットされることは必至であるという。

 内需を喚起する思い切った経済対策と同時に、食糧危機への備えも喫緊の課題となってくる。

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急速な感染拡大の背後にあるもの

 そもそもこれだけパンデミックが拡大し、健康被害とともに、経済的被害も拡大してしまったのはなぜか。経済アナリストの森永卓郎さんは、新型コロナ禍はずばり行き過ぎたグローバル経済の帰結であるとみる。

「1989年のベルリンの壁の崩壊以降、世界中がグローバル資本主義に向かって邁進した。その結果、所得格差が爆発的に拡大し、地球環境が破壊されていったが、新型コロナウイルスがもたらした惨禍も、グローバル資本主義がなければ、これほどひどいことにならなかったと思われる」

 森永さんがその理由としてあげる第一の理由は、国際間移動の爆発的な拡大だ。例えば、中国人海外旅行者数は2005年には3000万人程度だった。それが2018年には1億5000万人と、5倍に増えている。もし中国からの出国者が、グローバル資本主義が広がる前と同じ程度だったら、こんなに急速な感染拡大はなかっただろうし、新型コロナが武漢の風土病で終わっていた可能性さえある、と。

 第二の理由は、サプライチェーン(製品の原材料が生産されてから消費者に届くまでの一連の工程)の問題だ。グローバル資本主義の大原則は、世界で最もコストの安いところから部材を大量調達することだ。しかし、それが思わぬ障害をもたらした。中国製の部品が調達できずに国内自動車工場がストップしたのを皮切りに、電動アシスト自転車などの製造が部品不足で困難になり、最近では中国製のシステムキッチンやトイレが調達できずに工務店が顧客に建築した住宅を引き渡せない事態も生じている。国民を悩ませているマスク不足の問題も、生産の8割近くを、中国を中心とする海外に依存してきたことが原因だ。

 新型コロナがなくても、いずれバブルははじけていたと森永さんはみる。たしかに、新型コロナによって、世界の株式市場は大暴落した。しかし、それ以前に、カネにカネを稼がせる投資によって株価が異常な水準まで割高になっていたというのだ。

「ノーベル経済学賞を受賞したシラー教授が開発したシラーPERという株価の割高指標がある。この指標が25倍を超える状態が一定期間続くと、バブルが崩壊する。ITバブルの時は79ヵ月、リーマン・ショック前のバブルのときは52ヵ月でバブルが崩壊した。そして今回は69ヵ月だった。

 つまり、新型コロナが発生しなくても、株価の暴落は生じたのだ。新型コロナはバブル崩壊のきっかけを作り、そして今後、崩壊後の谷をさらに深くしていく効果を持つのだ」

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大都市一極集中が生んだ「三密」という環境

 森永さんはさらに、新型コロナ禍の背景には大都市一極集中があるという。新型コロナはニューヨークや東京といった大都市を直撃した。

 その点を農民作家の山下惣一さんはこう表現する。

「あたかも人間の生活環境に合わせて変化してきたかのように、人間が快適とする環境がウイルスの繁殖・増大に最適の環境になっているのだ。

 それは①密閉した環境(電車や車)などで長時間移動する。②気密性の高い環境(会社や飲食店)に多くの人が集まって長時間を過ごす。③年中どこでも祭りやイベントをやっている。④職場も家庭も冷暖房完備で冬は暖かく夏は涼しくウイルスの繁殖に適している。

 つまり、一方でウイルスや細菌の繁殖に最適の環境を作りながら、他方ではウイルス退治をやろうとしているわけで、例えていえば『水道の蛇口をあけたままで下のバケツの水を汲み出している』ような行為に等しいわけだ」

 もっと長い人類の歴史に目を向けてみれば、人類はいまやあらゆる野生動物の上に君臨するとともに、地球環境全体に影響を及ぼし、多くの動物を絶滅の危機に陥れている。そうしたなかで、唯一の天敵といえるのがウイルスや細菌といった病原体だ。

 エボラ出血熱ウイルスもエイズの原因となるウイルスも自然宿主には害を与えることはない。新型コロナは一説によればコウモリを自然宿主とするといわれるが、コウモリとは平和に共存していたはずである。人間が原生林を切り開き、野生動物と家畜、人間が接触するなかで、ウイルスは伝播し、人獣共通感染症が広がっていった(探検家・医師の関野吉晴さん)。

 そのように考えれば、ウイルスに「悪意」はなく、人間が地球全体に開発の手を広げ、過度の都市化、人工化、集住化を進めることで、自ら災厄を招いたといえないこともない。

 そして、この災厄によって、人間が生きるために本当に必要なものや、本来的な生き方が明確になっていくような気もしてくる。14世紀にヨーロッパで大流行したペストが封建社会の旧秩序の解体を加速したように、「流行した感染症は時に社会変革の先駆けとなることがある」(国際保健学・山本太郎さん)のだ。

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共生の時代と小農という生き方

 ウイルスというものは物質と生物の間にある不思議な存在だ。自己を複製するための遺伝子をもっているが、他の生物の細胞のなかに侵入し、その仕組みを利用することではじめて自己複製(増殖)できる。その一方で人間もまた、長い歴史のなかで、感染をとおしてウイルスから遺伝子を引き継ぐことで、現在の形に進化してきた。

 ウイルスはけっして戦う相手=「敵」ではなく、長い目で見れば共存、共生する相手なのかもしれない。

 哲学者の内山節さんはこういう。

 「好むと好まざるとにかかわらず、私たちはこのコロナウイルスとも共存していかなければならないということである。このウイルスが死滅することはないだろうし、これからも変異しながら存在しつづけるだろう。たとえ不都合な生き物であったとしても、共存していくしかない。

 そして、そのことを決意するとき、私たちの生命観も変更を求められるかもしれない。

 私は、ウイルスは関係のなかに生存基盤をもっているのだと感じている。人と人が関係し合う世界があり、ときに自然の生き物と人間との関係し合う世界がある。この関係のなかで移動し、ときに増殖し、ときに変異していく。個別の体内に入って増殖するだけなら、その寄生先が命を失えば、ウイルスも生きる場所を喪失する。もちろんウイルスは、ときに寄生先に死をもたらすけれど、それでもウイルスの生命世界が存続するのは、ウイルスが個別的生命体ではなく、関係のなかで生きつづける生命体だからではないだろうか。

 本当は人間もまた、同じような生命体なのである。自然との関係のなかで、人々との関係のなかでたえずそれぞれの生命を再生産している。誰かが亡くなり、誰かが生まれる。そうやって維持されているのは、関係し合う世界だけである。人間もまた、そこに生命的基盤をもっている」

 山下惣一さんは政府が外出自粛を呼び掛けていた3月、せん定作業のために毎日ミカン畑に通ったという。

「ほぼ1ヵ月間、どこへも行かず、誰もこない暮らしだったが、何の不自由もいささかの痛痒も感じなかった。

 考えてみたら、それだけの食のストックや自給システムがあり、高齢夫婦では欲しい物も必要な物もないということだった。1ヵ月間『お金がほとんどいらなかった』と女房はいう。カネはなくてもモノがあれば暮らせるのである。『新型コロナでわかった都会暮らしの危うさ』を逆にすれば『新型コロナでわかった田舎暮らしの強さ確かさ』ということになろうか」

 われわれはどこにいて、どこへ向かうのかーー災厄を希望に変える道はある。その道をさぐっていくことがわれわれに課せられている。

(農文協論説委員会)

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