主張

「TPP的世界」から守るべき大切なこと

 目次
◆「強い農業」「攻めの農業」の大合唱
◆TPPは社会的共通資本を破壊する
◆またもや強まる、農家と消費者の分断論調
◆かつて、農家、地域は「対策費」で直売所を増やし、消費者とつながった
◆根源的な社会的共通資本を守るたたかい

 10月5日、安倍晋三政権はTPP(環太平洋経済連携協定)の「大筋合意」を発表した。その際、農水省がまず公表したのが米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源の「重要5品目」の扱い。輸入枠の拡大と関税の引き下げである。安倍政権は「関税撤廃の例外をしっかり確保した」「約束は守った」と胸を張り、大新聞はこれを大歓迎したが、多くの地方紙は、「(関税交渉の)除外又は再協議の対象とする」とした「国会決議」に違反し、米や畜産物の価格下落など農業と地方への悪影響を懸念する論陣を張った。そのうえ、8日には農林水産品834品目の半分以上の関税を即時、あるいは一定の期間をおいて撤廃しセーフガードもやめる、さらに生鮮野菜の関税撤廃も発表されるに及んで、農家の不安はさらに高まった。

 一方、今回の「大筋合意」そのものへの疑念も生まれている。本号330ページで、山田正彦さんは、延長を繰り返した末の「形ばかりの合意」だと批判し、「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」は、緊急声明(10月9日)でこう指摘している。「今回の『妥結』なるものが、主要交渉国の政治日程(米国大統領選挙、カナダ総選挙、トルコでの主要20ヵ国閣僚会合、日本政府内閣改造など)への帳尻合わせと、『この機会を逃せば妥結まで年単位の時間がかかる』『その間に交渉各国での反対の世論や運動が高まってしまう』という危機感から、『妥結』という形式を既成事実化してしまうための『演出』なのではないかという疑念さえ否定できません」

 実際、今回の「大筋合意」は火種を残したままで、アメリカをはじめ各国の議会承認は容易ではないというのが大方の観測だ。しかし残念ながらわが国では、既成事実化が着々とはかられ、焦点は農家・農業への悪影響を緩和するための「対策」のほうに移っている。

 安倍首相は、10月15日に開催された「第27回JA全国大会」で、「私が先頭にたち、今後、政府全体で責任をもって万全の対策を取りまとめ、実行していく」と挨拶、農家や農協の政権離れを防ぐことに躍起になっている。

 しかし、TPPが農家・農業を苦しめるものであるとともに、これへの「対策」が農家、地域、ひいてはこの「国のかたち」をゆがめる恐れがある。今、なにが大切か、考えてみよう。

「強い農業」「攻めの農業」の大合唱

「大筋合意」のあと、政府も大マスコミも、今こそ「強い農業、攻めの農業を」と金科玉条のように叫び、大合唱状態になっている。

 読売新聞の社説「TPP大筋合意 巨大貿易圏で成長底上げ図れ」(10月6日)では、「TPPを単にマイナス材料とみなさず、むしろ未来の農業を形成する好機と捉えてはどうか。IT(情報技術)導入や農地の大規模化で生産性を上げたり、戦略的な輸出で農業の稼ぐ力を高めたりする事業に注力すべきだ」とし、「予算のバラマキを排せ」と政府に強く要請している。

 日本経済新聞の「主張」(10月19日)も「競争力を高める農業改革を貫き、自由化をバネに輸出拡大に弾みをつける戦略を推進してもらいたい」とし、重要5品目について「手厚く保護する対策」は、「消費者や食品、外食企業から自由化の恩恵を奪い、農業の競争力もかえって弱めてしまう」と“警告”している。

 政府が新たに設けた「TPP総合対策本部」の「総合的な政策対応に関する基本方針」(10月9日)では、①TPPの活用促進による新たな市場開拓等、②TPPを契機としたイノベーションの促進・産業活性化、③TPPの影響に関する国民の不安の払拭、の3点を基本目標にかかげ、③の「不安の払拭」では、「引き続き再生産可能となるよう、強い農林水産業をつくりあげるため万全の施策を講ずる」としている。「再生産可能」は当然でそのための施策を強く求めていくことは重要だが、政府はあくまで「強い農林水産業」とセットにしていることには充分注意が必要だ。「強い農林水産業」に挑まない農家の「再生産」まで関わる気はないことの表明でもあるからだ。

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TPPは社会的共通資本を破壊する

 このようにTPPと強い農業は一体的である。これがめざす「TPP的世界」は、日本をどこにつれていくのか。

 かつて、自民党も含め多くの議員が「(TPPという)どこにいくかわからないバスに乗ってはならない」と語った。そんなことをいう議員はめっきり減ったが、しかし、今回の「大筋合意」でこのバスの行き先が変わったわけではない。多少はジグザグしたりスピードが落ちたりすることはあっても、TPPの本質は変わらない。

 今から4年前、菅直人首相のTPP交渉参加宣言を受けて農文協ではいち早くブックレット『TPP反対の大義』を発行、半年で実売5万部に達し、反対運動に大きく貢献できた。このブックレットの冒頭論文は、今は亡き宇沢弘文さん(日本学士院会員・東京大学名誉教授)の「TPPは社会的共通資本を破壊する」である。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置」であり、この社会的共通資本は、①自然環境、②社会的インフラストラクチャー(道、水道、電力、郵便・通信など)、③制度資本(教育、医療、金融、司法、行政、出版、文化など)の3つを重要な構成要素とし、「とくに自然環境は、それぞれの国、地域の人たちが長い歴史を通じて、聖なるものとして大事に守って、つぎの世代に伝えつづけてきたもの」であるとして、農業の本質的な価値を以下のように述べている。

「農業の問題は、一つの産業としての観点から眺めるのではなく、よりひろく、農の営みという、人間本来のあり方に深く関わるものとして考えなければならないということを重ねて強調したい。農業が、人々の生存に関わる基礎的資料を生産するという、もっとも基幹的な機能を果たすだけでなく、自然環境を保全し、自己疎外を本質的に経験することなく生産活動を行なうことによって、社会全体の安定性にとって中核的な役割を果たしてきた。このような機能を果たしてきた、また将来も果たしうる農業を、工業と同列に取り扱ってよいのであろうか」

 だから、農業を「一つの産業としての観点から眺め」、「工業と同列に」扱おうとするTPPは「社会的共通資本を破壊する」ものなのである。

 宇沢さんは社会的共通資本の管理についても言及する。

「社会的共通資本の各部門は、重要な関わりをもつ生活者の集まりやそれぞれの分野における職業的専門家集団によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されなければならない。社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的基準にしたがって行なわれてはならないし、市場的基準に大きく左右されてもならない。社会的共通資本は、それ自体、あるいはそこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして重要な役割を果たすものであって、一人一人の人間にとって、また社会にとっても大切なものだからである」

 社会的共通資本はこれを担う人々によって築かれ、守られ、引き継がれてきた。むらがあり、農協があり、住民自治があり、これを支援する行政がある。そして、政府の役割は、「統治機構としての国家のそれではなく、日本という国に住んで、生活しているすべての人々が、所得の多寡、居住地の如何にかかわらず、人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民の基本的権利を充分に享受することができるような制度をつくり、維持するものでなければならない」。

 安倍政権はこれとは逆の道を進んでいる。

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またもや強まる、農家と消費者の分断論調

「TPP的世界」をめざす「統治」は「分断」という政治手法を駆使する。安倍政権はこの間、分断による社会的共通資本への攻撃を強めてきた。協同組合としての農協の解体攻撃、「強い農業」と小さな農業・家族農業の分断、非正規雇用の増大という労働と労働者の分断など、バラバラにして競争させつつ統治する。

「大筋合意」を受けて大新聞は例によって、輸入拡大、農産物価格低下で消費者は得するといった論調を展開し、農家と消費者の分断に力を入れている。実質賃金の低下に悩む多くの人々にとってTPPは福音というわけだが、福音どころか、「TPP的世界」は「格差社会」の固定、拡大につながるものだ。

『TPP反対の大義』の続編『TPPと日本の論点』で、山口二郎さん(北海道大学大学院教授・当時)は、「生活者」という言葉にも再考が必要であるとして、こう述べている。

「生活を単に消費と置き換えるなら、市場開放と規制緩和こそ生活者の利益を増加させる。しかし、生活とは単に消費するだけではないはずである。そもそも、ものを買うための金を稼ぐには、普通の人は自分の労働力を売らなければならない。労働力の買い手がいなくなれば、買い物のための金も稼げなくなる。価格の安さを至上価値とするならば、労働力も値崩れせざるを得ない。その結果、ワーキングプアが広がることとなった。

 こうした逆説は、市場主義の本家であるアメリカでもようやく論じられるようになった。アメリカの代表的なスーパーのチェーンは、ウォルマートである。安売りの王様ウォルマートは貧民の味方のように見える。貧乏だからウォルマートで買い物をするというのは当然の理屈である。しかし、ウォルマートで買い物をするから貧乏になるという逆の面もまた真理である。ウォルマートは労働組合を認めておらず、低賃金労働を広げる。また、ウォルマートが出店すれば地域の小売業は根こそぎにされてしまう。また、ウォルマートに納入する業者は価格を抑えられ、苦しむ。

つまり、徹底した自由化と低価格の追求は、人間の生活を破壊するのである」

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かつて、農家、地域は「対策費」で直売所を増やし、消費者とつながった

 とすれば、これからだされる政府のTPP「対策」に農家、地域はどう向きあうか。先の読売新聞はこう続く。

「コメ市場が部分開放された1993年のウルグアイ・ラウンド合意では、8年間で計6兆円規模の対策費が投じられた。土地改良など公共事業が中心で、競争力を高める効果は乏しかったとされる。同じ轍を踏んではなるまい」

「土地改良など公共事業」がなぜ悪いのか。ここには、社会的共通資本という考え方が微塵もない。

 TPP反対の世論が盛り上がっていた2011年3月、東日本大震災・福島原発災害が日本を襲った。この災害からの復興をめぐり、日本経団連は「農林水産業の事業資産の権利調整」をあからさまに主張した。事業資産の権利調整とは、小さい農漁家や水産加工業者はもう仕事をやらなくて結構、大規模・効率的な企業的事業主体に明け渡しなさいということにほかならない。こうした「災害資本主義路線」に対し、先のTPP関連ブックレットに続く第3弾として『復興の大義』を発行した。これに収録した座談会「『復旧』をないがしろにした『創造的復興』論の欺瞞と不道徳」で、宮入興一さん(愛知大学大学院教授、財政学・地方財政論)が公的資金をめぐってこう発言している。

「……確かに漁民のもっている船は私有財産です。しかしそれは同時に一定の公共的性格も持っている。つまり、それによってその地域の漁業がおこなわれるだけでなく、自然環境の保全・管理もしている。そうして加工業や流通業もお店も成り立ち、人の暮らしも成り立つ。人がそこにいて初めて町が成り立ち、コミュニティが生まれ、地域における歴史や文化が育まれる。それを目指して観光に訪れる人もいる。そういう意味では、人々の住まいや漁船や養殖施設などの生産手段と地域のコミュニティは一体でありワンセットなんです。そのどこかがポツっと壊れてしまったら、全部壊れてしまう。だから、そこに一定の公的資金を投入するということは、合理的な理由があると思います。地場産業は公共財なのです。しかし、エコノミストたちにはそういう議論はなかなか通じない」

「土地改良など公共事業」も社会的共通資本の拡充の面から評価されるべきで、「競争力を高める効果」ではあまりに一面的だ。

 そしてウルグアイ・ラウンド合意後の対策費について大変重要なことがある。対策費を利用して直売所をつくった地域も多く、今日の直売所の隆盛の大きな力になったことだ。対策項目の一つ、就業機会の確保・都市農村交流の活性化にむけた「都市農村交流施設(農産物直売所、体験農園等)」を活用してつくられた直売所では、雇用人数も利用者数も農水省の目標を越え、販売額では目標の1.5倍を達成した(2000年 農林水産省・中間評価より)。

 直売所は小さな農家を支え、地域をつなぎ、農村と都市を結ぶ大きな拠点になっている。農家、地域は、社会的共通資本の担い手にふさわしく、国の対策を地域のためにしたたかに活用したのである。

 この農家、地域の力はその後、小さい農業が協同する集落営農、地産地消による住民、都市民との連携、そして、地域おこし協力隊や新規就農を増やす施策なども活用しながら田園回帰の流れを強めてきた。この協同の力に確信をもち、TPP的世界をはね返したい。

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根源的な社会的共通資本を守るたたかい

 哲学者の内山節さんが、「農業協同組合新聞」(10月5日)の「第27回JA全国大会特集」の【提言】で農協への期待を述べている。農業には地域や自然との協同が必要なのであり、その意味では根源的に協同組合的産業だ、と記したうえでこう続ける。

「さらに第三にあげられるのは、農業はすべての人びととの『つながり』とともにあるということである。生産物はあらゆる人たちの食卓を支えていく。そればかりでなく、農村が存在すること自体が、すべての人たちにとって大事な価値だといってもよい。とりわけ日本では一歩都市をでれば農村地帯が広がり、そのことが日本的精神を育んできた。とともに第四に、日本の伝統文化といわれるものの大半が農村で生まれたものだということも、忘れてはならないだろう。寺社の行事や今日なお消えてはいない日本的な自然信仰といったものも、農村とともに生きた人びとが定着させてきたものである。農業は経済的価値だけでは計れないさまざまなものを生みだしながら、日本の社会の基盤を支えてきた。

 そして現在の人びとが農業や農村に求めているものは、これらのことを含めているのだと私は思っている。もちろん食料の生産は大事だけれど、それがすべてではない。自然とともに生きる社会、人びとが結び合って生きる社会、さまざまな伝統文化を保存させている社会。今日の人びとは、いわば日本的な社会の原点を農業や農村のなかに感じとりはじめているのである。

 とすれば農民や農村社会は、ときには日本文化に関心をもつ外国の人びとを含めて、もっと多くの人びとと連帯できるはずだ。そして、そういう新しい連帯社会をつくることも、農協が大胆に動いてこそ可能なのだと私は思っている」

 そして内山さんは、こんな話でしめくくる。

「(村のおじいさんが)私に『おい、農業は何でつづいてきたかわかるか』と聞いた。突然そんな質問をされた私は困って『誰かが食料をつくらなければいけないし』というようなことを言った。と、そのおじいさんは『哲学を勉強しているわりには頭が悪いな』といいながら楽しそうに笑ってこんなふうに答えた。『農業は面白いからつづいてきたんだよ』」

「『農業をやめる機会は、いつの時代でもあったんだよ』と彼は言った。もちろん昔はいまほど簡単にやめることはできなかったけれど、決意すれば不可能なことではなかった。しかし、やめずにつづけてきた。それは農業が面白く、つづけるだけの魅力のあるものだったからだ、ということである。

 農協が守らなければいけないのは、この世界である」

 TPP的世界から「この世界」を守るたたかいは、これまでも続いてきたし、これからも続く。それは根源的な社会的共通資本を次代に継ぐ大事な仕事である。「大筋合意」の反国民的な問題点をあぶりだす取り組みとともに、地域から国民的な連帯を広げていく活動を元気に、豊かに続けたい。

(農文協論説委員会)

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