主張

農協 准組合員制度の大義
地域をつくる協同活動のパートナー

 目次
◆改正農協法は農業所得の増大に資するか
◆農業所得増大に反する“農業所得増大専念論”
◆農協の総合性が地域を守っている
◆生まれながらにして職能組合かつ地域組合
◆地域社会に貢献するJAの実践

改正農協法は農業所得の増大に資するか

 去る8月28日、全中の農協法上の位置づけを廃止し一般社団法人へ移行することや全農の株式会社化を可能にすること、地域農協(単協)の経営目的を明確にするために「農業所得の増大に最大限配慮する」(第7条2項)という規定を新設する、などを柱にした改正農協法が成立した。

 安倍晋三首相など官邸農政派はこの改正を、「農業の成長産業化を図り、農業所得の増大を着実にすすめるための60年ぶりの抜本改革」と胸を張るが果たしてそうか。

 農家からみて今回の改正農協法の最大の注目点ないしは魅力に感じられるのは、言うまでもなく右にあげた新しい第7条2項「組合は、その事業を行うに当たつては、農業所得の増大に最大限の配慮をしなければならない」という点であろう。字面だけみれば誠にごもっともなこと。肥料、農薬などの資材価格の低廉化や、農産物の有利販売への期待など、農家の期待は決して小さくはない。農協中央自身も「自己改革」の課題として真正面から取り上げている(第27回JA全国大会組織協議案)。

 しかし、今回の法改正のねらいは残念ながらそんなところにはないことを指摘せざるを得ない。

 この間、この改正を押し通すための“人質”ないし取引材料にされてきた「准組合員の事業利用規制」の問題とあわせ考えてみたとき、この改革の行く末は安倍首相の言うところとは真逆のものになること必定であり、都市部、農村部を問わず農協の弱体化を招き、もって、農業所得の増大にはつながらず、ひいては准組合員も含めた地域社会を衰退、脆弱化させる何物でもないことを強調したい。

 農文協はその危険性を暴き、正准全ての組合員が力を合わせ、世界に冠たる日本的総合農協の「総合性」と「系統性」を守り発展させる方向こそ、農業はもとより地域社会全体の維持、発展に寄与する途であることを明らかにすべく、ブックレット『農協 准組合員制度の大義―地域をつくる協同活動のパートナー』を発行した。

 以下その要点を紹介したい。まずは「農業所得増大への最大限配慮論」の真偽を見極めることから始めよう。

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農業所得増大に反する“農業所得増大専念論”

 石田正昭氏(龍谷大学教授)は、今回の改正農協法が一見正しいように見える「農業所得の増大に最大限の配慮」を強調している点に、「ことさら」という懐疑の言葉を付し、その意図が准組合員の事業利用規制、ひいては総合農協の専門農協化(純職能組合化)にあることに注意しなければならないとし、次のように述べている。

「農協法第7条第1項では『組合は、その行う事業によつてその組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的とする』とうたい、准組合員の事業利用権を奪うことは想定されていない。正組合員も准組合員も、ともに組合員だからである。それにも関わらず(今回新しく書き込まれた)同条第2項では『組合は、その事業を行うに当たつては、農業所得の増大に最大限の配慮をしなければならない』とうたい、ことさら正組合員(農業者)への奉仕を強調している。では、なぜ強調しなければならないのか。

 単純に正組合員への奉仕をうたうのであれば、この規定は第1項と重複するものであり、野党側が求める削除に応じてもよいはずである。しかし、与党側はそうしなかった。この対応、すなわち削除に応じないという対応自体が、第2項を准組合員事業利用量規制の根拠とする意図をもっていることを表している」。

 かくしてこの第2項の規定によって、「行政庁は農業所得の増大に専念しているかどうか、これを外形的に判断する権限と、法の規定に合わない組合の、総合農協から専門農協への転換を強制する権限を獲得できることになる」。

 つまり、営農・経済部門が赤字の農協に対し、信用共済事業に頼ってばかりで前者をさぼっている、けしからん、というわけだ。しかし、農協の経済部門の収支と「農家の所得」はパラレルではない。「農家の所得」を確保し営農の持続を確保するために経済事業を赤字覚悟でも進める。これも協同組合ならではのやり方なのであり、ひたすら部門別収支を問題にし、赤字部門を切り捨てる株式会社とは根本的に経営理念が違う。経済部門が黒字の「優秀な」農協でも「専門農協」ではやっていけないことは過去の歴史が示している。信用共済事業がなくなれば農協経営は窮地に陥るが、「准組合員利用規制」はそのテコとなり、行き着く先は信共分離論=総合農協「解体」なのである。

 田代洋一氏(大妻女子大学教授)はこのような信用事業の予想される変化とそれがもたらす農家・農協経営の行き着く先を次のように分析する。

「准組合員利用規制は農協経営に致命的な影響をおよぼす。今、ある農協の貯金額が正組合員A円、准組合員B円、員外利用C円として、准組合員利用が正組合員のx%に制限されたとすると、准組利用はAx/100、員外利用は(農協法で、原則として組合員の信用事業利用分量の4分の1を超えてはならないとされているので)0・25(A+Ax/100)に制限され、結果当該農協の貯金額は、【A+B+C-1・25A(1+x/100)】の減額になる。特にA<B(正組合員より准組合員の貯金額が大)の農協の事業量減少率は大きく、都市農協は壊滅的打撃をうける。そのことは信用事業のみならず共済や生活事業にも及ぶ。さらに県信連や農林中金、全共連等の連合会の事業量の減につながる。正組合員が減り、准組合員が増える傾向にあっては、農協事業のジリ貧につながる。

 要するに准組合員利用規制は事業量の面から農協経営をジリ貧に追い込み、農協利用が減った分を他業態にプレゼントするものでしかない」。

 かくして准組合員への信用・共済事業などの利用規制を展望する改正農協法は、そのジリ貧経営化を通じて販売、生活、営農指導などの分野における正組合員奉仕を逆に妨げ、結果、「農業所得の最大化」という自ら標榜する「意図」にさえ反する“とんでも農協改革”なのである。

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農協の総合性が地域を守っている

 このような准組合員への信用事業規制をもちだすとき必ず出されるのが財界や米国の巨大金融資本をバックに抱えた在日米国商工会議所などがいう“イコールフッティング”論(対等な競争のための条件の同一化)である。増田佳昭氏(滋賀県立大学教授)はこのイコールフッティング論を批判し、「JAバンクにしてもJA共済にしても、銀行や保険会社とまったく同じ競争条件にあるわけではない」。むしろ不自由な規制をかけられ、不利な面もある。

「端的にいえば、組合員制(メンバーシップ)と地域制(ゾーニング)による制約である。利用者を組合員に限定するということは、事業利用に先立つ組合員加入の手続きが必要なだけでなく、組合員を対象にした金融サービスに限定されるという意味で、金融機関としての自由な活動を阻害する。営業活動が自らの農協の管内に限定される地域制については、よりシビアな制約である」。

 増田氏はイコールフッティング論に基づく信共分離論をこう排したうえで、農協の総合性を「地域政策(傍点引用者)として、それをあらためて位置づけることが必要だ」とし、次のように論をすすめる。

「農協の総合事業については組合員の総合的なニーズに応えるという意味とは別の面からの評価も可能である。

 農協の事業を構成する各産業部門間の労働生産性格差に注目する視点である。産業別の労働生産性(各産業の就業者が1人1年間に生み出した付加価値額。それぞれの産業の収益力)をみると、産業間で大きな格差がある。例えば『農業、林業』はほぼ最低ランクでその水準は260万円程度、資材購買や農産物販売事業に対応する『卸売業、小売業』は470万円、信用、共済事業にあたる『金融業、保険業』はほぼ最高ランクで1300万円である。

 農協は、『金融業、保険業』という収益力の高い事業、『卸売業、小売業』という収益力がやや低い事業をあわせ営むとともに、『農業、林業』という低収益産業に対して、営農指導事業でサポートしていると考えることができる。

 収益性だけを考えれば、金融業、保険業に特化したほうが、経営的に有利なことは言うまでもない。しかし、こうした総合経営体が地域に存在することで、地域の農業が支えられ、雇用が支えられているとみることができるのである。もしもこれらがばらばらに分割されてしまえば、金融業、保険業は成り立つかもしれないが、農産物販売や生活関連事業は存立が困難になり、営農指導を通じる農業へのサポートがなくなって、地域経済は今以上に厳しい状況に置かれることになると考えられる。地域経済、地域社会を支える点を評価して、農協の総合事業を積極的に位置づけることが可能ではないだろうか」。

 増田氏はこのように、農協の総合事業を、農家を土台に、プラス非農家も含めた地域社会を守る社会的公器として高く評価したうえで、JAバンク化構想の強化に一層シフトしつつあるように見えるその信用事業に対しては、“但し”と注文を付け加え、警鐘を鳴らす。

「地域経済が著しく疲弊し、人口減少がそれを加速させ、地域の創生が政策課題となっている今日、地域に根ざした金融機関である農協の総合経営を解体して、全国一本の金融機関に統合することが社会的に正当性をもつのであろうか。…今、農協の金融事業に求められるのは、地域の組合員に必要な資金ニーズに応えることを基本に、地域経済の維持、再生につながる地域密着型の事業興しとそれへの資金供給ではないのか。

 …逆に問われているのは、現在のJAがそのような地域・協同組織金融機関として、地域社会、地域経済にとって価値ある存在になれているかである。それを堂々と主張できる内実を作り上げることが、准組合員制度攻撃に対する実質的な反論になるのではないか」。

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生まれながらにして職能組合かつ地域組合

 政府・財界(規制改革会議)による准組合員制度に対する攻撃から農家・農協経営、地域を守るためには、そもそもこの制度がいかにして生まれてきたのか、その社会的、歴史的背景をふり返って確認しておくことも必要だ。前出の田代氏は次のように述べている。

「准組合員制度は、日本の総合農協としての事業展開と重なる。日本の農業経営は『農家』として生産と生活が一体化し、兼業農家が多く農家と非農家の間が連続的であり狭い国土で農家と地域住民が著しく混住的に生活してきた。

 総合農協としての事業展開は農家の生活ニーズに即した面からして、地域住民の生活ニーズにも応えるものである。このように農業者のみならず地域住民の生活ニーズに即したものであるならば、それへのアクセスは制限されるべきでなく、地域に公開(open)される必要がある。つまり総合農協の事業展開は公共性(みんなのため)をもち、その利用規制は公共性に反することになる」。

 同じく前出の石田氏は、戦前の産業組合や戦時下の農業会、そして戦後農協法の制定過程や実態を詳しく紹介したうえで、協同組合とは、①“農業の担い手”であると同時に、地域の文化や社会を守る“地域の担い手”の組織であること、②「経済と社会の二重性」をもっていること、③「地域インフラ」の一翼を担っており、「地域になくてはならないもの」と理解され、共助・共益的であると同時に公助・公益的な性格も併せ持っているものであることなどを明らかにし、次のように結論づけている。

「ここで重要なことは二つある。一つは、戦後農協は、形式的には職能組合として規定されているが、実質的には地域組合の性質をもっていることである。もう一つは、准組合員について、その員数においても事業利用量においても、量的制限がないことである」。かくして戦後農協は「生まれながらにして『職能組合かつ地域組合』の性格をもつ。今回の改正法案は、そうした日本型農協の歴史的個体への配慮のないまま『職能組合純化路線』を強要するものである」。そしてこの強要はICA(国際協同組合同盟)の原則、即ち、組合員への無差別配慮(第1条)や「地域社会への寄与」(第7条)という規定に反する、反国際的で時代錯誤甚だしい路線なのである(前掲田代氏)。

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地域社会に貢献するJAの実践

 今、各地の農協では政府・財界が企図する職能組合純化路線に対抗し、准組合員を含む様々な趣向をこらした総合的な地域づくりに挑戦する試みが展開されている。神戸市を含む阪神間の八市一町を管内とするJA兵庫六甲の取り組みもその代表例の一つだ。

 JA兵庫六甲は直売所、朝市、アンテナショップ、農畜産物直売・金融一体型店舗、店のふれあい活動委員会、食農教育活動、体験農園や農村部の空き家紹介、住宅ローン融資等々の諸活動を准組合員を積極的に巻き込んで展開している。その基本理念は、「准組合員の利用と参画を同時に実現」することによって組合への帰属意識を高め、准組合員を単なる「お客様」にしないこと、「商流」だけではない「関係性づくり」を重視すること、の二つである。

 当JA常務理事の前田憲成氏は言う。「…農業粗生産額は、そう伸びていない中で、JAの販売高が伸びてきた要因の一つは、農協市場館ブランドによる『農畜産物直売所』の運営、インショップの開発など総じて『直売力』強化によるところが大きい。しかし、単なる『販売戦略』上の『直売力』強化では、新たな『商流』が発現してきた時に、またもや大きな荒波に飲み込まれてしまう危険性を伴う」。それを回避するには「『顔のみえる関係』をどう深化させ、商流だけでない『関係性』をどう体現するかにかかっている」――。前田氏はこのように述べ、その具体的な取り組みや姿勢を次のように紹介している。

「当JAでは、現在『食と農を基軸にして地域に根差した活動を通じて地域社会に貢献する』という基本方針を立て実践している。…『たべもの』という言葉は、単に食事とその材料の構成要素としての農畜産物だけではない。食文化、調理方法や献立、栄養の組み合わせ、農村文化や農家生活、あるいは『農ある暮らし』との関連性をも含むものであると考える。この『たべもの』を通じて、正組合員農家と准組合員が同じベクトル、想いでつながれるコミュニティを、農業協同組合という『器』を使って実現したい」。

 神戸市中心部での活動も、農協と、様々な職業の大都市の市民とのつながりづくりとして注目される。

「当JAには兵庫県庁、神戸市役所のある市街地中心部に拠点がない。そこで、2年前に、金融店舗として神戸市中央区に「神戸元町店」、街なかの農産物直売アンテナショップとして神戸市東灘区の阪神御影駅近くに『六甲の懸け橋』を開設し、場所は離れているものの、直売所と金融店舗を一体で動かすことを始めた。併せて、農産物の直売を通じて、街なかの『婦人会』などの消費者団体や地元飲食店、商店街、たべもの企業(旅館、ホテル、酒造会社、スイーツなど)とのつながりを求め、これを基礎に、当該アンテナショップの運営や街中でのマルシェを開始した。

 地元の方々からは『ぜひ、うちに来てほしい』『集客は私たちがするから』との声を頂戴している。また、2014年度末から「移動販売車」を展開し、街なかの『買い物難民』への対応にも備えようとしている」。 

 JA兵庫六甲の活動は多岐にわたるが、前田氏はそれらも含め本論文の最後を次のように締めくくっている。

「…その意味では『職能組合』としての純化路線は、広範な地域住民のニーズに応え、地域で頼られる存在としての役割を果たせるのかというと疑問符がつく」「今、そこにある『様々なニーズの束を捉え、事業を通して解決する機能を(潜在的に)もつ(総合)農業協同組合』の役割とその『積極的活用』は、産業政策上も社会(地域)政策上も重要である」。「『職能組合』と『地域協同組合』とは、二者択一ではなく、『地域協同組合の中に職能組合は包含(内包)される』ものではないだろうか」。

 先月号で紹介した「住民自治組織」とともに、農協は地域の再生、田園回帰の重要な担い手だ。そのとき、准組合員は「地域をつくる協同活動のパートナー」。パートナーは多いほどいい。パートナーが多いほど農家の生産を守り、所得を確保する多彩な協同活動を展開できる条件が広がる。農協攻撃の中で、准組合員への働きかけの強化や拡大をいうのは控えた方がいい、という雰囲気が生れているが、それこそ農協の弱体化に農協自らが加担する道である。

 本書にはJA兵庫六甲の他に東北、関東、東海、甲信越、中国地方などの事例も紹介されている。正准力を合わせた「農的地域協同組合」づくりの参考にしていただければ幸いである。

(農文協論説委員会)

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