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農文協トップ主張 2014年8月号

農家林家とむらから発した思想が未来を拓く
『内山節著作集』発刊にあたって

 目次
◆山里暮らしから「仕事」と「稼ぎ」のちがいに気づく
◆東北の農家と出会う
◆守田志郎がとらえた「農の営み」に学ぶ
◆「むら」から「多層的共同体」へ
◆3.11後を切り拓く思想として

「哲学」と聞いたときに、何が思い浮かぶだろうか。カントやショーペンハウエル、ハイデッガー……。書斎にこもって、難しい本を読み、思索にふける人が常人には理解しがたい文章を書きつづる。そんなイメージではないだろうか。

 しかし哲学者内山節はちがう。山里に住み、一輪車で薪を運び、畑を耕し、ウグイスの鳴き真似をするカケスにクスリと笑う。村人とお茶を飲み、年末には都会の知人を集めて、むらの年寄りの分も含めてにぎやかにもちをつく。そんな山里暮らしを40年以上も続けている。

 自然と人間について、共同体について内山が語る文章には、哲学を専門に学んだ人でなければ理解できないような特殊な用語やレトリックはほとんどでてこない。やさしい言葉で深い思想をつむぎだす。とりわけ農林漁業や自然にかかわる仕事に携わる人には、内山の思想がすっと理解できるようだ。

 3.11を経て、自然と人間の関係という根底のところから社会のあり方が問われているいま、内山の思想はますます多くの人をひきつけている。それはなぜか。内山思想の成り立ちにさかのぼって考えてみたい。

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山里暮らしから「仕事」と「稼ぎ」のちがいに気づく

 1970年、大阪で万国博覧会がはなばなしく開催される一方で、11月には公害メーデーが行なわれた。農業では減反がはじまった。本誌ではこの年「主張」欄を新設し、「近代化路線にまどわされるな」と論陣を張りはじめた。

 高度経済成長の光と影が交錯し、時代が大きく動きはじめたこの年、群馬県の山村を20歳の青年が車で通りかかり、近くの流れに釣竿をおろした。

 それが内山節と群馬県上野村との運命的な出会いであった。それから18年後に出版した本のなかで村の印象を内山はこう記している。

「はじめて訪れた頃の上野村はみごとな寒村だった。舗装道路は一本もなく、開通して間もない信州へと抜ける峠道は、スコップを持っていなければクルマで通れるものではなかった。水田は一枚もなく、段々畑にしてもなお傾斜する山の畑には、桑や蒟蒻が植えられていた。家の屋根は栗板で葺かれ、その上に石が置かれている。ガラスの入っていない障子窓の家が点在している。そして後に私はこの村が貧しき寒村ではなく、素晴しき寒村であることを知るようになる。」(『自然と人間の哲学』1988年、岩波書店)

 しばらく釣りに通ううちに、「素晴しき寒村」の住民と内山はすっかり親しくなった。村が気に入った内山は畑を借りて小さな菜園を耕すようになり、東京と村を行き来する生活がはじまった。やがて人を介して須郷という集落に空き家を譲り受け、住みつくまでになった。それだけではない。村に通い、住みつき、ひとりの村人としてむらの暮らしぶりをつぶさにみることをとおして、みずからの哲学を確立する手がかりを得ていく。

 それは村人の労働のなかに2つの種類があることに気づくことからはじまった。

「“稼ぎに行ってくる”村人がそう言うとき、それは賃労働に出かける、あるいはお金のために労働をすることを意味していた。日本の山村は農村よりはるか昔から商品経済の社会になっている。……しかし『稼ぎ』は決して人間的な仕事を意味してはいなかった。それは村人にとってあくまでお金のためにする仕事であり、もししないですむのならその方がいい仕事なのである。

 ところが村人に『仕事』と表現されているものはそうではない。それは人間的な営みである。そしてその多くは直接自然と関係している。山の木を育てる仕事、山の作業道を修理する仕事、畑の作物を育てる仕事、自分の手で家や橋を修理する仕事、そして寄合いに行ったり祭りの準備に行く仕事、即ち山村に暮す以上おこなわなければ自然や村や暮しが壊れてしまうような諸々の行為を、村人は『仕事』と表現していた」(『自然と人間の哲学』)

 むらのなかで「稼ぎ」が重視され「仕事」がおろそかになっていけば、それだけ山や川、畑といった自然が荒れていく。自然が荒れるのは自然と人間の関係すなわち労働のあり方(労働過程)が変わったからだ。

 農業や林業の労働のなかでも、作物や樹木の声を聞きながらの「技能」的な労働(自然に働きかけ働きかけられる労働)が、マニュアル通りの「技術」的労働に変わっていく。

 こうした内山の農山村、農林業をベースした考察は、東北の農家との学習会「中期講習」の講師を務めることでさらに深まっていった。

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東北の農家と出会う

「中期講習」とは農文協の呼びかけで東北の農家が集まり、守田志郎を講師に行なっていた学習会である。農業経済学者として若くして俊英の誉れ高かった守田は1970年代に入ると農業や農村の近代化への疑問を鮮明にし、むら再評価の急先鋒となって、学者たちを困惑させた。しかし、『農業は農業である』(農文協)『農業にとって技術とは何か』(東洋経済新報社、のちに農文協人間選書に編入)などで平明に表現された「農の営み」のとらえ方は、とくに近代化した農業に疑問をもつ多くの農家や若者を引きつけた。中期講習で守田は農業とは何か、農業技術とは何か、農家とは何かを歴史的な視点を含めて掘り下げた講話を行ない、農家はそれを受けて質問を投げかける――そんなやりとりが2泊3日にわたって繰り広げられた。1977年に守田が50歳の若さで急逝して以後、中期講習は、講義録『農家と語る農業論』(農文協)をテキストとした学習会に形を変えて続けられた。

 1987年の中期講習では前年に農文協から発行された内山の『自然と労働』がサブテキストになった。自然と人間、その間をつなぐ労働をエッセイとして表現した文章は参加した東北の農家を魅了した。そしてぜひこの著者を講師に迎えたいということになった。しかし農文協からの依頼を内山は固辞する。

「(守田とちがって)私の専門領域は哲学であり、農業も農村のことも深く勉強したことはない。その私が、戦後の農山村を守り、農業を守ってきた人々の講師役など務まるはずはない。確かに私は1970年代に入った頃から、群馬県の上野村にしばしば滞在し、75年頃からは畑もつくるようになっていたけれど、当時つくっていた畑は2畝(60坪)ほどで、畑づくりを楽しんでいた、という程度である。これでは、どんなに厚顔な人間でも、引き受けられるはずがない」(『十三戸のムラ輝く』全国林業普及協会)

 しかし農家はあきらめなかった。中期講習の常連である山形県金山町の農林家、栗田和則さん、キエ子さん夫妻はこの年、山形県上山市で行なわれたシンポジウムのパネリストを務めた内山を休憩時間に訪ね、中期講習の講師就任を依頼した。なおも固辞すると和則さんはこうくどいたと内山は書いている。

「『農業や農村のことは、私たちにまかせてもらえばいい』。私の説明を聞き終えたとき和則さんが言った。『そのことなら私たちはプロですから』。私に求めているのは、その手前のこと、たとえば自然とは何かとか、労働とは何か、とか。そんなことを話しながら、和則さんは『それを活かすかどうかは私たちの仕事です』と言った」(『十三戸のムラ輝く』)

 当時内山は38歳。40〜50代を中心とした東北のバリバリの農家を相手にした内山の中期講習はこうしてはじまり、途中、農家の自主開催による「東北農家の2月セミナー」に形を変えながら、今日まで22年も続いている。

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守田志郎がとらえた「農の営み」に学ぶ

『日本の村』『むらの生活誌』などの著作を残した守田志郎は、「農の営み」の意味を掘り下げ、それが近代化のなかで失われようとしていることに1970年代から鋭く警鐘を鳴らした。では守田は「農の営み」をどうとらえていたか。守田の『むらの生活誌』(初版中公新書、1975年、のちに農文協人間選書に編入)の解説で、内山はこう書いている。

「農の営みは、自然の継承と循環、家の継承と循環、そして集落の継承と循環のなかに展開している。そしてその継承と循環を破綻させることなく持続させてきたものが、農民の腕と知恵であり、地域そのものの営みであった。」

 もちろん農村も、農業生産のあり方、食べもの、葬式といった農家生活のあり方も時代とともに変化してきた。問題は、その変化が「農の営み」すなわち3つの循環の「系」と矛盾することなく導入されたかどうかである。『むらの生活誌』で守田が訪ねた農家は「農業近代化でおれたちは合理的に貧乏させられてきた」などとぼやきながらも、それで疲れはてるわけではなく、いまなお健康に農に従事していた。内山はそのことを「別に意識して農業近代化に抵抗しているのではないかもしれない。というより生きている農村のなかで本物の農民として生きつづけることが、何よりも確実な批判の姿である」(『むらの生活誌』解説)ととらえる。

 ところで『むらの生活誌』に出てくる農家の多くに内山は中期講習などの場で実際に出会っている。守田の訪問から20年たっても農家は「農村の継承と循環の系のなかで、確実な農の歩みをすすめている」(同)。内山はそうした農家の姿勢に学び、自らの哲学を「循環」という視点から深めるとともに、近代的・客観的な学問のあり方を否定して、農家に寄り添いながら近代化を乗り越えようとした守田の学者としての姿勢にも学んだのではなかろうか。

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「むら」から「多層的共同体」へ

 内山は守田のあとを受け継いだかのように、むら論、共同体論を深めていった。その一つの結実が『共同体の基礎理論』(農文協、2010年)である。『共同体の基礎理論』と言えば、経済史家で戦後民主主義を代表する知識人でもある大塚久雄の代表作(岩波書店)がまず頭に浮かぶ。大塚はこの本で共同体社会を歴史の発展過程のなかで乗り越えられるべきものとして描いている。内山が「大塚史学」という言葉まである人の古典的名著とあえて同じ書名を冠したのは、戦後民主主義的な共同体観との訣別を意図したからであろう。マルクスやマックス・ウェーバーをはじめ古今の書物を参照して共同体を類型化した大塚とは対照的に、内山は自分の住む須郷集落や上野村の村人たちの精神に寄り添うことで、共同体の深層に迫ろうとした。

「それ(須郷集落)だけが共同体なのかといえばそうではない。もう少し広い、いくつかの集落の連合体のようなかたちで形成されている共同体もある。それが必要になるのは、須郷という小さな集落だけですべてを自己完結させることはできないからである。道の維持や広い面積の山の管理などは集落だけで完結させることはできない。それが私にとっての第2の地域共同体だとするなら、第3の地域共同体は江戸時代の楢原村である。この広さで動かなければいけないこともある。そして上野村自体が私にとっての第4の地域共同体になる。……私は村では楽しむ程度の農業や山仕事はするが、何らかの生業をもっているわけではない。しかし生業があれば、職能的な共同体の一員でもあったことだろう。実際、林業者や商業者、村の職人たちは、職業ごとの共同体をもっている。それもまた彼らにとっては必要な共同体なのである。さらに寺の檀家や神社の氏子たちも共同体を形成している。そればかりか村の任意のグループまでが、小さな共同体をつくりだしている」(『共同体の基礎理論』)

 共同体はこのように多層的であるだけでなく、いま生きている人間とともに自然や死者を含んだものである。

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3.11後を切り拓く思想として

 3.11のあと内山はまず、1カ月あまり後の4月24日を期して、死者の祈りを捧げることを広く呼びかけた。そこには内山の共同体に対する一つの思いがあった。

「日本の伝統的な共同体には、欧米のコミュニティとは違うひとつの特徴があった。欧米のコミュニティは生きている人間たちによってつくられた共有世界である。ところが日本の共同体の構成メンバーには、生きている人間だけでなく、自然も死者も含まれる。自然と生者と死者によって構成されるもの、それが日本の共同体である」(『復興の大義』2011年、農文協)

「復興とは死者の思いと、死者たちが残してくれたものを受け継ぐことからはじまる」(同)

 このような内山の共同体のとらえ方が、3・11以降の復興や社会のあり方を考える手がかりとして多く人の共感を集めている。共同体(コミュニティ)を復興の手段としてとらえる人は多いし、そういう政策は世にあふれている。しかし内山は「関係の再創造」すなわちコミュニティの再建、再創造こそが復興であるととらえる。そのコミュニティには当然、自然も死者も含まれる。こうした多層的共同体の再建こそが、3・11とりわけ原発事故(=「文明の災禍」)によって明らかになったグローバリズムと巨大システムのもつ矛盾を克服する拠り所となるのである。

「現代の人間たちは、大きなシステムに依存して生きる社会をつくりだした。ところがその巨大システムが文明の災禍を発生させるようになった。こうして私たちは、巨大システムを元に戻し、それに依存する社会を復旧させるのか、それとも人間が制御しうる社会、人間たちの等身大の関係が主導権を握れるような社会を再創造するのかを問わなければならなくなった。私は復興は後者の道だと考える」(『文明の災禍』新潮新書)

 いま政治やマスコミの世界では、グローバリズムと巨大システムに依存する社会を取り戻そうという動きが強まっているように見える。しかし、その一方で東北の被災地を含む各地域では内山のいう「関係の再創造」「コミュニティの再建、再創造」の動きが静かに広がっている。地域内での自然エネルギーの開発と循環や都市住民とつながった魅力ある産物づくりなどがそれである。内山の住む上野村もそうした地域の一つで、人口約1400人の山間の小さな村に約250人ものIターン者をひきつけている。内山は上野村の「新たな伝統回帰」と呼んでいるが、単に昔に戻るということではなく、最新の技術を生かし、むらや共同体が都市や世界に開かれていく。もはや、魅力ある地域づくりには内山の「関係の再創造」という視点が欠かせないものとなっているのである。

 このたび発刊される内山節著作集には、デビュー作である『労働過程論ノート』から『自然と人間の哲学』『貨幣の思想史』『森にかよう道』を経て最近の『共同体の基礎理論』まで、労働を自然と人間との関係から一貫してとらえてきた内山の思索の道筋が凝縮されている。その思想がぶれることなく、3.11以降も輝きを増しているのは、むらという定点、村人という定点、農林漁業という定点から発した思想だからではなかろうか。定点から放たれた思想が、変革の定点を明るく照らし出している。

(農文協論説委員会)

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「田舎の本屋さん」のおすすめ本

現代農業 2014年8月号
この記事の掲載号
現代農業 2014年8月号

特集:アク・シブ・ヤニこそ役に立つ
イナ作 飼料米は追肥で化ける/野菜・花 暑さに負けてたまるか 夏育苗/果樹の病害虫診断/畑のまわりで害獣を獲る/畜産 稲作農家との連携でエサ代まで安く/ハウスの補強術/早い!うまい!干し野菜/私が留守でも経営がまわる工夫 ほか。[本を詳しく見る]

内山節著作集 全15巻セット(予約受付中) 内山節著作集 全15巻セット(予約受付中) 』内山節 著

■巻構成 第1巻 労働過程論ノート(2015-03予定) 第2巻 山里の釣りから(2014-09予定) 第3巻 戦後日本の労働過程(2015-04予定) 第4巻 哲学の冒険(2015-07予定) 第5巻 自然と労働(2015-02予定) 第6巻 自然と人間の哲学(2014-07予定) 第7巻 続・哲学の冒険(2015-04予定) 第8巻 戦後思想の旅から(2014-12予定) 第9巻 時間についての十二章(2015-05予定) 第10巻 森にかよう道(2015-06予定) 第11巻 子どもたちの時間(2015-01予定) 第12巻 貨幣の思想史(2015-08予定) 第13巻 里の在処(ありか) (2015-09予定) 第14巻 戦争という仕事(2015-10予定) 第15巻 共同体の基礎理論(2015-11予定) ■刊行予定は変更になる可能性があります。(2014年5月現在) [本を詳しく見る]

ローカリズム原論 ローカリズム原論』内山節 著 柏尾珠紀 著

2011年前期の立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科での講義「ローカリズム原論」をもとにしている。開講直前、3.11東日本大震災と東電福島第一原発事故に見舞われ、内容を一部変更して実施された。そのテープ起こし原稿に全面的に加筆。3.11後の社会以前から「関係性の再構築」の流れが生まれつつあり、それが3.11によって加速すると内山氏は見ている。そのときベースとなるコミュニティや、その基層的精神のよりどころとなる風土をどうとらえるか。これからの社会の再構築に向けた主体や社会デザインの方向をわかりやすく語る。 [本を詳しく見る]

復興の大義(農文協ブックレット3) 復興の大義(農文協ブックレット3) 』農文協 編

"単なる復旧にとどまらない創造的復興"は今や流行り言葉のひとつになった観があるが、がれきの処理や仮設住宅の防寒対策すら迅速に支援できない政府やその陰の支配人が何をかいわんやである。被災した人びとは多くを望んでいるのではない。元の仕事、元の暮らしに戻れることがまず第一だ。そのようなささやかな願い、復旧に、「単なる」という形容詞を付けることによって被災者の揶揄し、もってTPP推進とセットの創造的復興論を対置する。そのような、災害をビジネスチャンスと捉える不道徳を許してはならない。 [本を詳しく見る]

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