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農文協トップ主張 2013年12月号

中山間地域は、地域とニッポン再生のフロンティア
TPPやアベノミクス的成長路線を排し、「小さい」原理を未来に生かす

 目次
◆国家による“悪徳商法”
◆「国益」が眼中になくなった多国籍企業
◆「理不尽」を創り変える「移動できない」人びと
◆「閾値」を超えた「二周目の危機」―「規模の経済」の帰結
◆社会全体の危機と行き詰まりを救う中山間地域

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国家による“悪徳商法”

「協定の中身は参加しなければわからないからと強引に参加し、参加してからは非公開だから交渉状況は伝えられない、という。こんな悪徳商法まがいのことを国レベルでしようとするのは許せない」

「日本の農林水産業は決して大企業のように、減税しないと海外に出ていくぞなどと脅しを言うことはない。黙々と作り続けてくれているではありませんか。私たちは自国の生産を増やしてくれなければ安心して暮らすことはできない」――(農業協同組合新聞、2013年10月10日号)。

 こう強く訴えたのは、岩手県生協連専務の吉田敏恵さん。去る10月2日、東京・日比谷野外音楽堂でJA全中など9つの団体の主催で開かれた「TPP交渉から『食と暮らし・いのち』を守り『国会決議の実現』を求める全国代表者集会」でのあいさつだ。

 簡にして要を得た、とはこういうあいさつを言うのではないだろうか。すべての消費者、国民がこのような認識に立ってほしいと願わずにはいられないこの吉田さんのあいさつは、TPPをめぐる「今」の本質をじつに的確に突いてもいる。TPP交渉の秘密性とそこから生じる矛盾、そして、現代日本の経済社会における産業の「可動性」の有無の問題、すなわち「地域」を考える視点だ。

 TPP交渉の秘密性自体についてはすでに多くが言われているのでくり返さないが、ここにきてあらわになってきたのがその秘密性から必然的に起きてくる「悪徳商法まがいの」言いつくろいであり、「公約」の軌道修正=事実上の反古である。オバマが欠席したにもかかわらず「相当煮詰まってきた」とされるインドネシアでの会合を前後して、自由化率95%や98%は避けられないと見たのか、西川公也自民党TPP対策委員長は「聖域の精査(=見直し)」を言い始めた。にもかかわらず一方、石破茂幹事長は右の集会で、「重要5品目は必ず守る。公約に違うことはしない。断言する」とあいさつした。政権与党の幹部が役割分担して二枚舌を使っているわけだ。

 ある政府関係者は、「WTOドーハラウンドでは、情報を開示しすぎて各国国内で反対にあい、合意づくりが難しくなった」(朝日新聞、2013年8月20日付)としているが、この「教訓」を生かし秘密裏に交渉を進めようとすればするほど「公約」との乖離は覆い隠せなくなり、二枚舌も使わざるを得なくなってきた、というのが今の状況だ。農業や医療、食品表示やISD条項など国民のいのちと暮らしの根幹に関わる国際交渉、その国民に対する説明責任を、「悪徳商法」まがいの二枚舌と言いつくろいで乗り切ろうとするところにTPPの反国民性があることを、今一度確認しておきたい。

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「国益」が眼中になくなった多国籍企業

 多国籍化した大企業とTPPの関係に移ろう。これは右に述べた「可動性」の有無の問題、世界を股にかけ「移動する自由」をもつ大手企業と、「移動する自由」をもたない産業、その最たるものである大地と地域に根ざす農業との関係を考えることでもある。

 わが国輸出型大企業の雄、トヨタ自動車の本業での儲けを示す営業利益を、トヨタ本体と海外連結子会社別に見てみると以下のとおりである(各年3月期決算、単位億円、百億円未満四捨五入、▲は赤字。同社有価証券報告書による)。

2011年2012年2013年
単独▲4800▲44002400
海外連結子会社95008000 10800

 この結果、同社の連結決算当期利益は11年から順に4100億円、2800億円、9600億円となった。2011年、2012年は単独すなわち国内で多額の赤字を出しながら、所得収支すなわち海外子会社や外国証券などへの投資から得られる利子・配当収入等によりこれだけの黒字決算にできたのである。2013年3月期決算は2012年秋からの円安に助けられ単独営業利益も黒字になったが、1兆800億円もの利益を出した海外子会社の業績にははるかに及ばない。

 このような構造に大きく変わってきたのは2000年代からで、トヨタ自動車の生産比率は2007年に内外逆転、以後一貫して海外比率を高め12年には60%にまでなっている。made in Japan ならぬ、made by 世界のトヨタ、なのだ。これら大企業には、もはや国益という概念はない。国内でどれだけの付加価値を生産したか=GDP=国益は関心の外であり、結果、地域の雇用も等閑視される。政府与党を含めTPP推進派は口を開けば「守るべきは守る」と連呼するが、その守るべき「国益」とは―安倍晋三首相が「国民総所得」と「正直に」(?)言ったように―、今やGDPではなくGNI、すなわち海外からの配当などに軸を置いた所得収支が主眼なのである。いわんや地域益など視野の外であるのは言うまでもない。

 既にこのような生産・利益構造になっているにもかかわらずこれら大企業は、「減税しないと海外に出ていくぞ」と脅し続け、その第一弾として、消費増税対策として打ち出された復興特別法人税の前倒し廃止を勝ち取った。その額、9000億円。公共事業や投資減税なども合わせると総額5兆円の消費増税対策のうち大企業向けは4兆円、実に8割を占めている。個人所得税の復興増税は25年の長きに渡って続けられ、あるいはまた低所得層への消費増税配慮は1回こっきりの給付1万円、総額3000億円というつましさだ。これらと照らし合わせたとき、大企業による政策の一人占めが際立つと言うほかない。「矜持」という言葉は、この国の大企業においては死語になったようである。京都大学教授(執筆時)の野田公夫さんが言う。

「現代世界すなわちグローバル化世界においては、『可動性』こそが『新しいヒエラルヒー』であり『最も強力で、最も熱望される要素』であるというバウマンの卓抜な指摘がある。『可動性(移動する自由)』とは自らの利益を最大化できる地球上の場を自在に選びとる力のことである。…グローバル化は、これらの少数者に破格の富を集中させる一方、『移動する自由』を大幅に制約された圧倒的多数の人々を放置し、エンドレスな貧困化に陥れていく。そして、『移動する自由』をもたない最たるものが『大地のうえに営まれる小規模農業』であることは言うを待たない。

 さらに東日本大震災は、〈動くことができない大地、そのうえで営まれる農業〉と〈五感により感知不能なまま拡散し続ける放射能〉という『理不尽な対比』を否応なく明るみに出した。『理不尽』としか言いようがないのは、『動けないもの』『逃げられないもの』すなわち大地に根差す農業と農村にとっては対処不能な一方的打撃であったからである。他方、『再建は海外シフトで』とさらりと述べた大手企業――。彼らはすべて『(必要があれば自由に)移動可能な人たち』であった。この人たちと『移動できない人たち』との距離はまことに大きいと言わなければならない」(野田『日本農業の発展論理』農文協、2012年)。

 TPPとは単に貿易自由化の仕組みではない。国益(GDP)を捨て地域を捨て、もっぱらGNIの最大化を追求する日米多国籍企業による「破格の富」の追求の仕掛けなのである。それはまた、移動する自由を駆使することによって諸国民の市場と社会を自分たちの利益の型に合わせつくり変えていく、「理不尽な制覇機構」にほかならない。

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「理不尽」を創り変える「移動できない」人びと

「『理不尽』としか言いようがない」状況に抗し、「移動できない人たち」自らが立ち上がってふるさと再生に取り組む姿を生き生きと描いた本が出た。題して『地域再生のフロンティア―中国山地から始まる この国の新しいかたち―』(「シリーズ地域の再生」第15巻)。明治大学教授の小田切徳美さんと、島根県中山間地域研究センター研究統括監の藤山浩さんが中心になり、中国五県各地域の研究者、自治体職員、NPO役職員などが書いた労作だ。

 もとより本書は、中山間地域が「理不尽」な状況に追い込まれて大変だからその救済策をあれこれ提案する、という趣旨で書かれたのではない。厳しい状況は冷静に踏まえつつ、なぜ中国山地が地域再生のフロンティア(最前線)と呼べるような新しい動きを示しているのか、なぜそれがこの国の新しいかたちを示唆するのかなどを多角的に分析し、実際の「広範かつ地道な取組みに光をあて、そしてそれらと社会の『新しいかたち』との関連が一層明確になるように深掘り」(まえがき)したものである。

 本書執筆の動機を小田切さんは「国民的課題としての中山間地域問題」と題して次のように言う。近年、財政が厳しいなかで過疎の村や町に住み続けたいと思うこと自体が我が儘で国費の無駄遣いだという言説に出会うことがあるが、「そこには、国民・住民の居住地域の範囲を財政の関数としてとらえるという発想があり、さらにその根源は『国民は国家のためにある』という本末転倒の価値観がある」と批判、「まず、人びとがそこに住んでいる限りは、その地域の最低限の諸条件を整えることは当然の責務であるという国民国家の原則を確認しておくことが必要」だと指摘する。しかも、「財政状況によって切り捨てられる地域が生まれたとすれば、それによってなくなるのは居住空間ばかりではない。その地域が気候や風土条件により育んできた文化、歴史、そして生活・生業上の技や知恵を含めたトータルな空間が消滅する可能性もある。そして、それらには、貨幣では得られないものも含まれている」。

 このように基本的なものの見方考え方を対置した上で具体論に移り、「…(以上のように)地域実践レベルでも研究レベルでも、新しい集落像が具体的に議論されているときに、『撤退か維持か』という二者択一の設定を迫ること自体観念的であり、現実を無視した問いかけ」だと批判。さらに、東日本大震災以降、東京圏から中山間地域をもつ県へ移住する人が若い世代を中心に大幅に増えている事実を挙げ、「中山間地域のもついくつかの条件は、…都市とは異なる価値として人びとを惹きつけるかもしれない。そうしたときに中山間地域から撤退してしまうことは、将来世代の選択肢を奪うことになってしまう」と警告、「日本版『逆都市化』現象」への期待も込め、将来世代にもわたる「国民的課題」として中山間地域問題を考えることの重要性を訴えている。

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「閾値」を超えた「二周目の危機」―「規模の経済」の帰結

 以上の基本視角を受けて藤山さんは言う。地球大で行き詰まった現代社会を救うには、中国山地を始めとする中山間地域の歴史と仕組みに学び直すしかない、と。

「この半世紀、わが国を支配した社会原理は『規模の経済』であった。それは、従来の『自給の経済』を打ち壊し、『大規模』『集中』『専門化』『遠隔化』を同時に推し進めていった」。これら4つの原理は、短期的には確かに私たちに豊かな消費生活をもたらしたが、やがてそれは因になり果になり農村も都市も地球も疲弊させ、今や「閾値」を超える「二周目の危機」に直面した。その象徴として高度成長期に大量に造成された都市の大規模団地の例を挙げ、藤山さんは言う。団地など無縁の本誌読者かもしれないが、いわば「反面教師」としてお読みいただきたい。

「たとえば、『規模の経済』に則り数千人以上の規模で開発された団地の『一周目』は、実に華々しいものであった。…しかし、それから一世代が過ぎ、子育て世代として入居した第一世代が年老い、子どもたちも独立していく『二周目』を迎えると、さまざまな課題が一気に噴出し、…今や中山間地域を追い越すような、前代未聞の地域一斉高齢化が進行している。都市の団地は、中山間地域とは異なり、まったく新たな居住空間として人工的に造成されたエリアであるために、地元の人や自然、伝統とのつながりも希薄である。そうした『無縁社会』のなかで急速に進む高齢化、独居化は、人びとをどこに追いやるのであろうか。『一周目』では考慮されずにきた介護や死の迎え方も含め、大きな社会問題である。…大半の郊外団地においては、次の世代へと地域社会を持続的に引き継いでいく『二周目』の姿が見えてこない」。

 このような「二周目の危機」は、自然と社会全体が迎えつつある危機だ。

「規模の経済を支える大量の地下資源消費も、『一周目』の比較的採取しやすい鉱山や鉱脈のうちは低コストであるが、そこが枯渇すれば『二周目』は必ず割高・低品位になる。大量の農作物にしても、モノカルチャー方式により単一作物に特化して大量生産すれば必ず連作障害等が起き、『二周目』には進めない。地球温暖化の加速も、温室効果ガスの蓄積過程が顕著な気候変動として現れない『一周目』から、閾値を超えた『二周目』にさしかかったことを意味している。

 短期的には多くの利益をもたらした規模の経済は、長期的にはきわめて高いコストを、私たちの社会、経済、自然に押しつけつつある。20世紀後半からグローバルに展開されるようになった規模の経済は、実際には『時の審判』に耐えられそうにない。逆に、中山間地域は、『時の審判』に耐えて続いてきた、『二周目』どころか、『数十、数百周目』の地域社会なのである」。

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社会全体の危機と行き詰まりを救う中山間地域

 かくして「規模の経済」による「二周目の危機」を克服する方途は、危機を知ってか知らずか十年一日の如く成長を叫ぶアベノミクスやその突破口としてのTPP、「移動できる」超国籍大企業の成長とその波及効果に期待することではない。「時の審判」に耐え、続いてきた中山間地域社会、そこに脈々と流れてきた持続可能な自然と社会のあり方の原理を現代的に再生することだ。当然、そこから引き出される設計原理は必然的に「大規模」「集中」「専門化」「遠隔化」とは真逆の、「小規模」「分散」「複合化」「近隣循環」だ。それを個別に追求するのでなくセットで導入し、複合的に組み合わせて近隣で循環させる方式を取り戻していくことが重要となる。

 藤山さんはこのように、未来へ向けての設計原理を、地元の長年にわたる実践に基づき総括、提唱し、さらに、その最も土台になる「小さい」ということへの再評価の必要性を6項目に整理し、語っている。その要点を紹介すると、

 (1)近隣資源の活用可能性が高まる、(2)循環・還元が地域内や近隣同士で可能、などに続き、(3)合せ技ができる=「小さい」仕組み同士であると、分野を横断した複合的な取組みも連携しやすい。たとえば、地元資源を活用した少量多品種の加工グループと、軽トラ市のような機動的な少量多品種の流通の仕組みは上手く適合する。

 さらにこうした小さい産業づくりの主体の側面にも注目し、(4)仕組み全体が見通せる=「小さい」仕組みの利点は、小グループに参加している人にとって、組み込まれている循環の仕掛けや問題点、自他のかかわりや貢献度等がよく見通せることである。「大きい」仕組みだと相手との直接のやりとりがなく、無関心になりやすい。(5)住民一人一人が参加でき、失敗に寛容=「小さい」仕組みは、一人一人の住民が参加する際の垣根が低い。これは同時に、失敗や試行錯誤の可能性も高まることも意味するが、規模の小ささは、失敗を許容する。とりかえしのつかない事態を社会全体に及ぼす可能性は低い。「大きい」仕組み、たとえば原子力発電所のような巨大技術の被害とは正反対だ。

 そして(6)として「小さい」ことが地域独自の文化を守り、その村ごとに特色ある食材や風景が域外から観光客を呼び寄せる開放性、発展性にもつながりうることを強調している。

 藤山さんは最後に、島根県における「地域貢献型集落営農」が農業分野だけの個別最適をめざすのではなく、地域のコミュニティ組織や集落での定住の取組みとダイナミックに連動しながら地域全体の発展に貢献しつつ成長する姿(本書3章、今井論文)などを例に挙げ、「特定の分野や事業が個別最適を求めてほかの分野・事業を圧迫し、放棄される資源や産業が生じ」たりしないよう、「あくまで、多様な資源循環と暮らしをバランスよく成り立たせる全体最適をめざさなければならない」と締めくくっている。

 本書は以上のような視点に立ち、最も早く、深刻に過疎化が進んだ中国山地の現場から、コミュニティ、集落営農、女性起業、地域サポート人材、行政運営、地域経済再生と暮らしの循環づくりに取り組む姿を報告し、その意味とともに全国の地域、日本、そしてアジアへ発信した意欲作だ。矜持を失った超国籍大企業やTPP的思想に抗し、地域と日本の明日を創る糧にしていただきたい。

(農文協論説員会)

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「田舎の本屋さん」のおすすめ本

現代農業 2013年12月号
この記事の掲載号
現代農業 2013年12月号

特集:味噌に惚れた!
冬のうちにしっかり暗渠/「飽差」管理で気孔が開く/せん定を後継者&助っ人に任せる/茶草場農法の茶園を見た/20年連続一年一産/何でもよく乾燥する倉庫/小さい加工に欠かせない道具拝見/地域で飼料自給を/反TPP 安倍自民党政権の詭弁にだまされるなよ ほか。 [本を詳しく見る]

地域再生のフロンティア 地域再生のフロンティア』小田切徳美/藤山浩 ほか編著

今までの条件不利性を、これからの条件優位性へと変えていく。 過疎の「先進地」中国山地が、これからの地域再生、ひいては日本社会全体がめざし、転換すべき針路を指し示す先進地になる! その条件と現実的可能性を中国5県各地域の「今」に学ぶ。 逆転の可能性への果敢な挑戦、ここに集大成! [本を詳しく見る]

歴史と社会 日本農業の発展論理 歴史と社会 日本農業の発展論理』野田公夫 著

日本農業の歴史過程のなかから、その発展論理を抽出する …それにしても、最大の農政課題と位置づけられた構造改革が「容易にすすまぬ」と嘆かれながらすでに半世紀を経過した。この失敗は本当に「市場原理不足」のためだったのか、「市場」のなかに投げ出せば「強い農業」はできたのか、「強い農業」と「活力ある農村」とは同じなのか…。 …欠けているものは二つ、<日本農業の個性に対する深い自己認識>と<かかる論点を「日本の特殊性」ではなく「世界論・世界像」の一部として提示するという強い意志>である。  [本を詳しく見る]

アベノミクスと日本の論点 よくわかるTPP 48のまちがい

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