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農文協トップ主張 2013年7月号

アベノミクス=“国家のギャンブル”への幻想を捨て、コミュニティ経済の現代的再生を

 目次
◆「いのちの世界」からアベノミクスを見ると
◆「棄民」をつくりながらの「成長」を拒む
◆使い古しの矢による国家のギャンブル
◆脱成長の農山漁村再生が始まっている

 TPPや原発、復興問題を農山漁村の立場から検証、発言してきた当会のブックレットは、このたび『アベノミクスと日本の論点』を新たなラインナップに加え世に問うこととした。

 なぜ農文協がアベノミクスなのか。それは、本書の副題を「成長戦略から成熟戦略へ」としたように、成長万能論のアベノミクスは過去何十年とくり返されてきた経済政策同様、地域を破壊し中央地方の格差を広げる何物でもないこと、だから地域は、地域発の内発型成熟戦略を練ることによってのみ展望を開けるものであることを読者とともに考え、明らかにしたいからである。

 さらに言えばアベノミクスは、単なる景気浮揚策ではなく、「世界で一番企業が活動しやすい国を目指」す(2月28日、安倍晋三首相施政方針演説)というグローバル戦略に基づくものであり、一首相の経済政策を超えた、より大きな「日本の選択」であるように思われるからだ。すなわち「地域社会」はおろか、今や「国益」すら眼中にない内外の超国家企業の利益と繁栄のみ優先される日本社会、その決定的なグローバリゼーション展開への橋頭堡(きょうとうほ)がアベノミクスであり、「グローバリゼーションVS脱成長の地域社会づくり」は、経済や仕事のみならず、地域資源(その「地域資本」化)、都市・農村のありかた、ライフスタイル等、全方位に及ぶものであると予想されるからである。

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「いのちの世界」からアベノミクスを見ると

 その思いを本書の「まえがき」は次のように述べている。

 〈本書は、アベノミクスを批判的に分析・考察し、日本と地域社会が、その歴史やアイデンティティを踏まえて再生・発展する途とは如何なるものであるかを問い、提案するブックレットです。そのおもな狙いは、

 (1)3本の矢で構成されるアベノミクス、それを貫く「強い経済」論は、円安・株高やTPP交渉参加決定にみられるように、主として輸出型大企業にのみ恩恵をもたらし、地域間・階層間には新たな格差拡大をもたらす何物でもないこと、

 (2)実際、金融緩和や財政出動、規制緩和という名の成長

戦略などでGDPの成長が若干回復しても「国民益」「地域益」に結果しなかったのは過去20年、とりわけ小泉構造改革時代を象徴とする2000年代で実証済みであること。したがって、

 (3)グローバル化した企業経営とも国民経済とも違う「地域」の意味を明らかにし、

 (4)もって、成長の果実にあずかろうとする幻想を捨てた、重層的小さな経済の積み重ねと交流の創造こそ今後の日本と地域社会の向かうべき基本方向であることを浮き彫りにする。おかねの世界に蹂躙された経済を、暮らしと地域=いのちの世界から再構成する、というようなものです。

 10年ほど前、「失われた10年」という言葉が流行りました。しかしそれは、「経済成長の夢よもう一度と追いかけた人たちにとってだけ『失われた10年』だったのだろう。今や『失われた20年』だが、成長願望を捨てきれない中高年とは違って、若い世代は案外これを常態と受け取り、成長軌道への復帰などとは全く違うところに課題を見出しているように見える」と松本克夫氏は述べています。

「いのちの世界に身を置けば全く違う景色が見えてくる」――。本書が、戦後からの惰性と成長への未練心を断ち切り、いのちの世界を軸にした暮らしと地域の創造のヒントになれば幸いです〉。

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「棄民」をつくりながらの「成長」を拒む

 いのちの世界を軸にした暮らしと地域の創造――、地域社会が活路を見出すべきこの方向に逆行する風潮が、いま強まっている。

 5月2日付の朝日新聞の世論調査では、来たる参議院選で重視、期待する政策は「景気対策」が断然多く、以下、「年金・社会保障」「原発・エネルギー」という順番だった。雇用される人びとの3人に1人以上が非正規雇用で、35歳以下の若者では6割に達し、24歳以下の若者の10人に一人が失業、とあっては、景気対策を望む声が多いのも無理はない。そう思いながらもこの世論調査に強い違和感を覚えたのは、期待する政策として列挙した選択肢の中に「復興」のふの字もなかったことである。

 安倍首相は上掲2月の施政方針演説で「強い日本」「強い経済」を取り戻すとも力説、そのためにも「責任あるエネルギー政策」を構築し、「安全が確認された原発は再稼働」させ、「世界一、企業の活動しやすい日本」をめざすとした。原因が究明されてもいないのに、原発事故などもはや過去のことのような言いぐさである。

 復興を彼方におき、あわよくば原発事故の記憶も葬り去り、ひたすら景気回復と経済成長に人びとの関心を仕向ける。その道具立てがアベノミクスなのである。

 被災者の窮状も後景に追いやるこのような政策姿勢は、

「経済成長万能薬論であり、戦後からの惰性そのものではないか。『棄民』をつくりながら成長をめざす、いつか来た道ではないか」
と先の松本氏は指弾する(松本「地方を歩きながらアベノミクスを考える」)。

 こうした惰性からそろそろ私たちは転換しなければならないと、広井良典氏は主張する。

「アベノミクスやリフレ論がかまびすしい。そうした主張は、依然として従来の高度成長の延長線上でしか『豊かさ』をとらえたり今後の社会を構想したりすることができない人々あるいは世代の、最後の喧騒ではないか。

 大きく振り返れば、高度成長期が終わった後も、歴代の政権は90年代には『公共事業』によって、2000年代の小泉政権では『規制緩和』によって景気回復を図ろうとしてきた。それがいずれも機能せず、今回は『貨幣の量を増やす』という危険な奥の手まで含めて成長を図ろうとしている。結果としてこの20年来、膨大な財政赤字を累積させ、それを若い世代や将来世代にツケとして回し続けてきたにもかかわらず、である。

 私は問いたい。そうした責任はいったい誰がとることになっているのか、と。

 私たちはそろそろ、『経済成長がすべての問題を解決してくれる』という発想から抜け出していくべきではないか。そして従来の拡大・成長の延長線上にではなく、それとは全く異なる発想に立って、日本が真に豊かで幸福な社会となっていく、その構想や原理、政策を考えていくべきではないか」(広井「脱成長のコミュニティ経済論」)。

 本書は、―視点やニュアンスの違いはありながら―、以上のような問題意識を共有する13人の著者によるアベノミクス批判と脱成長の地域社会づくり論だ。黒田日銀による「異次元緩和」を含むアベノミクスは本当に景気や雇用の回復をもたらすのか? 成長が回復することと私たちの暮らしがよくなることはそもそも直結しているのか? そうでないとしたら問題の立て方に何か根本的な錯誤があるのではないか? であるとすればそれに代わる新しいものの見方考え方、処方箋の基本は? などが主な論点だ。

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使い古しの矢による国家のギャンブル

 過去20年の「実績」をまずは確認してみよう。アベノミクスは、金融緩和、財政出動、成長戦略という「3本の矢」によって構成されているが、それは「使用済みで折れかかっているものであり、特に目新しい手法ではなく、既存の経済政策を混ぜ合わせた“安倍のミックス”である。そこで、アベノミクスについての考察は、それぞれの政策がこれまでに実施された経緯と評価を再確認することから始めなければならない」からだ(高橋勉「アベノミクスはどんな『日本を、取り戻す。』のか」。以下、引用は途中一部省略しているところがある)。

「バブル崩壊後の景気対策として、政府は公共事業を中心とした“財政政策”を実施し、大量の国債を発行した。1991年から2001年にかけて、政府債務残高は平均すると毎年40〜50兆円程度、合計では320兆円から780兆円にまで460兆円も増加した。しかし、そのような財政政策によっても本格的な景気回復には至らなかった。そこで、このような従来型の景気対策を批判し、郵政民営化や労働市場の規制緩和を中心とした“成長戦略”として小泉構造改革が実施され」、折からの米中の住宅・土地バブルにも乗って「戦後最長の景気拡張期(いざなみ景気)を迎えることになった。

 しかし、そのような好景気においてさえ、人々の実質所得は増加していない。小泉内閣が発足した2001年から07年にかけて、企業所得は25・3%増加しているにも拘わらず、雇用者報酬は3・4%減少」した(以上、内閣府、総務省、日本銀行などの統計による)。

 これは農家経済にあっても同様もしくはそれ以上で、米価の下落とともに兼業所得も激減に見舞われた。「1戸当たり平均年額をみると、2004年には173万円だった。それが、2010年には112万円にまで減った。実に61万円、率にすると35%」もの兼業収入の減少になった(森島賢「日本は協同の力でスラム街ができるのを防いだ?日本社会の安定装置としての農村雇用問題?」。資料は農水省、厚労省の統計による)。

 戦後最長の景気回復期においてさえ、農家も、都市労働者も所得は落ち込んだ。成長戦略、財政政策のなんたるかの一端をまずは確認しておきたい。

 もう一つの金融政策はどうか。高橋氏は続ける。

「1991年から2012年にかけて、政策金利は6%から0・08%へと限りなくゼロに近いところまで(途中、ゼロ金利の時期もあった)低下し、『お金の量』も大幅に増加している。通貨流通高は37兆円から86兆円へと2・4倍にまで増加した。輪転機はスピードを上げてぐるぐる回っていたのである。にもかかわらず『失われた20年』と言われるように、国内総生産は500兆円を下回るところで停滞しており、物価も上がっていない。アベノミクスにおいて目標として設定されている2%を超えていたのは、1980年代後半以降では90年前後のバブルの頃だけであり、上で見たような90年代以降の金融政策が実施された時期ではない」。

 かくして大企業は、物価下落を賃金切り下げで乗り切り、いざなみ景気以来の儲けを内部留保しつつ、その預金は銀行による国債買い入れに結果してきた。「金融緩和はその国債を日銀が買い上げるが、銀行はいくらカネをつぎ込まれても借り手がいないから再び国債買い入れに走る。こうして『花見酒の経済』(笠信太郎)を演じるか、投機マネーを供給してバブル、資産インフレを引き起こす。バブルは地価変動等を通じて地域経済を攪乱する。仮にインフレとなれば、とくに高齢化が進む地方の年金生活者の生活を直撃することになろう。内需拡大なくしては金融緩和は空回りであり、その副作用のみがもたらされ、地域経済を潤すことにはならない。デフレの原因は賃下げと海外直接投資・産業空洞化によるGDPギャップであり、金融政策ではない」のである(田代洋一「アンチ・アベノミクスの地域経済学―持続可能な地域社会をめざして」)。

 こうして、「アベノミクスを“安倍のミックス”として捉えて考察すると、その政策に期待されるほどの効果はないことが分かる」。それどころではない。以上のような金融・財政政策を通じての景気回復策は、「現在の日本社会においては、経済成長によって人々の生活が改善されるとは限らず、むしろ、人々の生活が犠牲になって経済成長が追求されるという実態が目に見える形で現れている」(前出高橋氏)ことが確認できるのだ。本ブックレットで竹田茂夫氏は、このようなアベノミクスの金融・財政政策を「国家のギャンブル」だと断罪している。

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脱成長の農山漁村再生が始まっている

 以上のようなアベノミクス的成長至上路線に対し、日本の農山漁村の歴史と現状を確認し、その中から、それに代わる道を歩みつつある実態を指摘し、その課題を論じたのが小田切徳美「脱成長の農山漁村再生」だ。

 小田切氏は「かつても成長路線は、いずれも農山漁村に対しては、想定したような『恩恵』を生み出さなかった」事実を確認した上で、過去50年の日本の農山漁村の社会経済史を次のように総括する。

「高度成長期の『拠点開発方式』、そしてバブル経済期のリゾート開発という外来型開発とその頓挫を経て、農山漁村はようやく内発的発展へ向けた模索と実践が日常的に行なわれるようになったといってよい。バブル経済から続く『失われた20年』という時代は、むしろ工場やリゾート施設、あるいは原発の誘致ではない地域再生の道を自らが考えざるを得ない環境を作り出したともいえる」。

 かくして、農山漁村における人びとの所得減少が進むなかで、公共事業に依存しない産業構造の構築が改めて課題となっているが、それをとりあえず「お金とその循環」の問題として見たばあい、農山村には今、「4つの経済の構築」とまとめることができる取り組みが現れ始めていると小田切氏は言う。それは、「第6次産業型経済」「交流産業型経済」「地域資源保全型経済」「小さな経済」の4つである。ここではその「小さな経済」について紹介したい。

「農山漁村住民へのアンケートによれば、『あといくらぐらいの月額収入が必要か』という問いに対する回答は、高齢者では月3万〜5万円が中心」で、働き盛りの男性でも10万円未満が過半数である。それは「高齢者にとっては『時々来る孫へ与える小遣いを少し増やし、自分でも少しゆとりがある生活をおくる』というリアルな水準」だ。つまり、当面は年間所得でいえば高齢者で36〜60万円、働き盛りでも100万円ほどの追加所得が確保できれば、「経済的な苦境にあると言われるこの地域でも、地域住民の満足度はかなり高まることが予想される。

 そこで、このような小さな水準の所得形成機会を確実に地域内に創り出していくことが重要となっている。それを、『小さな経済』と呼び、具体的には、農産物直売所、農産加工、農家レストラン、農家民宿や集落営農オペレーターの所得」などがこれに当たる。つまり、現在、農林水産業や地域資源を基盤にして行なわれている多様な取り組みのほとんどがこの範疇に入り、それ自体は決して新しいものではない。小田切氏が注目するのは、その小さな経済が土台になった「積み上げ効果」というものだ。

「『小さな経済』は、経済規模が小さいが故に参入は容易だが、逆に参入後の持続性が課題となっており、この持続性を確保するサポートが必要となる。

 例えば直売所は、多数の零細生産者(出荷者)とそれをサポートする主体(運営者)により構成される事業体だが、後者は、前者のために不可欠な存在であり、それにより『小さな経済』が成り立っている。逆に、後者は前者が支払う手数料により支えられている。『小さな経済』の共通する問題点である持続性を確保するために、このような協働的取り組みが必要であり、そこに別の経済が生まれる。集積する『小さな経済』をコーディネートする機能と人材が求められ、そこに新たな雇用が形成される可能性が高まるからである。現実に、地域産業おこしをサポートする会社やNPOに若者が雇用されるケースは増えている。

 要するに『小さな経済』が、若者の就業を実現する『中規模の経済』を創り上げるというプロセスが新たに生まれているのである。これは工業導入やリゾート開発という外部事業の波及効果に期待する開発路線とは明らかに異なる。農山漁村らしい『小さな経済』を内部から積み上げていくことが新しい産業や雇用を創り出すという意味で『積み上げ効果』と表現したい。こうした『積み上げ効果』を発揮するような『小さな経済』が生まれ始めていることが、農山漁村経済の新たな特徴と認識できよう。それは、なんらかの波及効果に期待する従来型の農山漁村開発路線ではない、もうひとつの発展プロセスの実践である」。

 先に引用した広井良典氏も、最近の若い世代の「社会貢献志向」や「ローカルなものへの関心」が強まっている実態を紹介し、“日本を救っていく”こうした動きに対する政策的な支援策こそが求められていると指摘している。そうした上で、(1 )乗数効果発揮型の経済の地域内循環、(2)「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」の再融合、(3)経済が本来もっていた「コミュニティ」的(相互扶助的)性格の再評価、(4)有限性の中での「生産性」概念の再定義などを提唱、成熟社会への熱い展望を語っている。

 ダッチロールを繰り返すアベノミクス的経済世界に対して、こうした脱成長への確信とコミュニティ経済の現代的再生が、農山漁村から静かに広がっていくことを期待したい。

(農文協論説委員会)

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「田舎の本屋さん」のおすすめ本

現代農業 2013年7月号
この記事の掲載号
現代農業 2013年7月号

特集:限界突破のトウモロコシ
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アベノミクスと日本の論点 アベノミクスと日本の論点』農文協 編

アベノミクスの時代錯誤を排し、企業経営とも国民経済とも違う「地域」の意味を明らかにし、もって、成長への誘惑を捨てた、重層的小さな経済の積み重ねと交流こそ今後の地域・日本の向かべき途であることを提示する。 [本を詳しく見る]

季刊地域 季刊地域』農文協 編

特集:地あぶら・廃油・ガソリンスタンド [本を詳しく見る]

農山村再生の実践

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