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農文協トップ主張 2008年5月号

ギョーザ事件から見えてきたこと
家庭・地域に食をとりもどす

目次
◆輸入調理冷凍食品に席巻された日本の食卓
◆1個7.45円の「手作りギョーザ」の陰で
◆日本の食の崩壊がアジアの家族を壊す
◆まずは給食を国産、地場産に変えることから
◆「弁当の日」で「くらしの時間」がかえってくる
◆外食・中食、加工食品を地域化する

輸入調理冷凍食品に席巻された日本の食卓

 今年1月に発生にしたギョーザ事件が、大きな衝撃を与えている。中毒症状を起こしたギョーザから検出されたメタミドホスの濃度は極めて高濃度で、「残留農薬によるものではない」のは確かだろうが、事故なのか犯罪なのか、中国と日本のどちらで農薬が混入したのか、事件の真相はいまだに解明されていない。真相が解明されないこともあって、中国から輸入される食品への不安が高まり、2月には中国産野菜の輸入が前年比の4割まで減り、中国からの食材を国産にかえる食品加工業者も続出している。

 真相は解明されていないが、今回の事件を通して、あぶり出されたことがある。日本の食生活が、ファストフード店、ファミリーレストラン、居酒屋から家庭の食卓にいたるまで、中国産をはじめとする、輸入調理冷凍食品に広く深く依存しているという事実である。

 日本の冷凍食品の国内生産量は昭和50年ころから外食・中食などの業務用を中心に急増してきたが、平成9年以降は150万トン前後で横ばい。かわってこのころから伸びてきたのが調理冷凍食品の輸入である。平成18年には調理冷凍食品の輸入が約31万5000トンに達し、輸入冷凍野菜とあわせると冷凍食品全体の消費量の42.6%を占めている。そして、家庭での消費が伸びているのがこの間の特徴である。

 調理冷凍食品の主要な生産地は中国(約20万トン)とタイ(約8万8000トン)。この10年の間に伸びた家庭用需要の冷凍食品を支えているのが、中国やタイから輸入される安い調理冷凍食品なのである。

 次の共働きの女性(34歳)の手記は、この間の日本の食卓への冷凍食品の浸透ぶりをよく伝えている。

「95年(平成7年)、私は大学1年でスーパーでアルバイトをしていました。当時、冷凍食品というとお弁当の定番のおかずの座をすでに獲得していましたが、お惣菜まで冷凍食品を使うという感覚はあまりなかったように思います。冷凍食品が飛躍的に売れるようになったのは、ドラッグストアが薬屋ではなく、『食品を扱っていて、かたわらで薬も売る』という形態になり、毎日『4割引』で売られるようになってからではないかと思います。」

 ビタミンや各種ミネラル類などのサプリメントの錠剤や栄養ドリンク、ジェル状の栄養補給食品が山のように売られているドラッグストア。そこでは、「惣菜」である冷凍食品もまた、いつでもどこでも手早く栄養が摂取できる薬剤や食品と同列に扱われている。

 ドラッグストアまで巻き込んだ「食のコンビニ化」が一気にすすんだのがこの10年であり、その象徴が、中国産の冷凍ギョーザ、ロールキャベツ、白身魚のフライといった調理冷凍食品なのである。

1個7.45円の「手作りギョーザ」の陰で

 今回の事件で千葉県市川市の家族5人が食べた「CO・OP手作り餃子」は40個入り298円。1個当たりわずか7.45円。輸入冷凍食品が家庭の食卓にこれだけ浸透したのは、手軽さに加えて、なんと言ってもこの安さがあればこそである。

 一方、この10年は、サラリーマンにとっては不況のもとで、賃金を徹底的に抑制された期間であった。そしてこの間、企業は人件費を節約し、コストを下げるために正職員を減らし、「派遣」や「パート」といった非正規雇用比率を高めていった。若者ではニートやフリーターが急増し、各世代でフルタイム働いても生活が成り立たないワーキングプアが社会問題化しているのは周知の通りである。

 生活が苦しくてもどうしても支払わなければならないのが食費であり、それすらも切り詰めなければならない人々が増えているのが、いまの日本の社会の現実である。中国やタイから輸入される調理冷凍食品は時間もお金もない、日本の庶民の食卓にはなくてはならないものになっていった。

 食のコンビニ化がすすんだこの10年は、「食のダンピング」と「労働のダンピング」とが同時にすすめられた10年である。前者が後者の矛盾を覆い隠してきたのである。

 いま日本では夫婦が共に夜遅くまで働き、家族がいっしょに夕食をともにすることすらままならない状況が広がっている。その夕食も手軽で安い輸入調理冷凍食品で済ますことになる。そして、この日本の食の衰退は、日本だけにとどまる問題ではない。

日本の食の崩壊がアジアの家族を壊す

『ムラは問う』(農文協刊)という本がいま、話題になっている。「中国新聞」の取材班が「いつでも好きなものを世界中からかき集めてくる『飽食ニッポン』の知られざる実像を探った」本で、そこには、「日本の台所」となったタイや中国の生産現場の実態が描かれている。

 たとえば、タイの鶏肉調整品工場。ここではタイ国内の直営工場で生産された鶏肉をカットし、日本のコンビニや居酒屋から送られたレシピに合わせて焼き鳥や竜田揚げ、から揚げに味付け・加工されている。そこで求められるのは「できる限り安く」ということである。

 タイでつくられるキャッサバ芋製のタピオカでんぷん。価格はジャガイモでんぷんの3分の2で、粘りは10倍。冷凍うどんや、もちもち感をうたう食パン、焼肉のたれやインスタントラーメンなどに使われ、日本の食卓を支える「魔法の粉」だ。タイ東北部、イサーンの大地では森林が伐採され、110万haのキャッサバ畑が広がる。森林の伐採で乾燥化がすすみ、「森が消え、冷たい風が吹かなくなった」という。大規模化・機械化のための借金に干ばつや連作障害、価格暴落が追いうちをかけ、農家の借金はここ10年で5倍に膨らんだという。

 一方、中国一の野菜産地である山東省では近年、日本向けの野菜生産から小農家が排除されている。日本は2006年から残留農薬を広範に規制するポジティブリスト制を導入したが、中国の零細農家が栽培した作物は農薬の使用回数などの監視の目が行き届かないとの理由で、仲買人が買い入れを拒否するようになったからである。こうして零細農家はやむなく、輸出企業の直営農場の農業労働者や、日本向け冷凍食品をつくる食品工場の労働者として働くことになる。

 日本の食のひと手間を省くために、あるいは食感をちょっと変えるために、アジアの人々の膨大な手作業が投入される。そのことは、けっしてアジアの人びとに、豊かな暮らしをもたらすものではない。タイでも中国でも、農民は日本向けの農産物の輸出で一時潤うことはあっても、結局は家族農業としては立ち行かなくなり、輸出企業の直営農場や食品工場の安い労働力として組み込まれている。そこで待っているのは生まれ故郷を離れて家族と会うこともままならない暮らしだ。中国では、出稼ぎのために、7年も子どもに会えないような農民もいるという。日本のかつての出稼ぎの比ではない。

 日本の食の崩壊は、その台所を支えるアジアの家族の崩壊も招いているのである。 

まずは給食を国産、地場産に変えることから

 ギョーザ事件を受けて、文部科学省は学校給食での中国・天洋食品製造の食品の使用状況(直近3カ月)について、緊急調査を実施している。その結果、578校(園)で同社の製品が使われており、さらに自校方式の給食に比べセンター方式のほうが冷凍食品を使う比率が圧倒的に高いことも明らかになった。

 そんななか、学校給食の食材を外国産に頼ってきた現状を見直す動きが生まれている。

 東京都杉並区立三谷小学校(伊東冨士雄校長)では3月の間、国産食材だけでつくる給食を実施することにした。あらゆる食材について、業者に産地証明書を提出してもらい、国産食材に置き換えていった。給食費(食材費)は現行の値段のまま(低学年で1人1食当たり224円、中学年241円、高学年257円)で据え置き。現行の栄養基準値を確保する。パン、麺などは、国産小麦を使用したものにする。ケチャップなど、缶詰類も国産を使用。魚介類は近海の魚に変更し、砂糖は北海道産のてんさい糖に、油は米油にする。

 国産スパゲティーは価格が折り合わずに断念、スパイス・香辛料、調味料、ごま、ゴマ油はやむなく輸入品を使ったが、ほかはすべて国産の食材による給食が実現した。当初他県の業者から取り寄せていた国産大豆の豆腐も、地元業者から仕入れられることになった。

 実際にやってみると、シシャモの磯辺揚げをニギスに替えるといったように、素材を置き換えることで、国産でも経費はほとんど変わらずに実施できることがわかった。国産の食材を探してくれる納入業者、グルテンの少ない国産小麦で何とかコシのあるラーメンをつくろうとする麺工場など、協力の輪も広がってきた。栄養士の江口敏幸さんは3月中、給食の献立とすべての食材の産地と価格を毎日ホームページで公開するとともに、希望する保護者には毎日試食ができるようにした。

 三谷小学校では、こうした結果を受けて、保護者、学校運営協議会委員、納入業者、区教育委員会、教職員で話し合い、平成20年度の給食の方向性を決めることになっている。

 これは東京の真ん中の学校の話である。農村部の学校なら、野菜でも豆腐や油揚げでも、地元のおいしい素材を安く集めることができるのではないか。輸入小麦や大豆の値上がりもまた、米飯を中心に食材の国産化、さらには地場産化をすすめる追い風になる。

 たとえば、福岡県築上町の八津田小学校では、平成19年度から、地元産米による米飯給食を週3回から5回に増やすとともに、地元産野菜を使った給食を実施している。給食の食材費はパン食給食の場合の1人1食当たり平均210円前後に対し、米飯給食では10円程度安くなったという。築上町ではこの完全米飯給食の取り組みを平成20年度からは3校増やして、4校で実施する予定である。

「弁当の日」で「くらしの時間」がかえってくる

 問題は、こうした流れを一時のものとするのではなく、給食から地元のレストランなどの外食、業務需要を農家、地域にとりもどすこと、そして、家庭での日常生活文化=くらし力をとりもどす機会として生かしていくことである。その「くらし力」回復のカギとなるのは子どもたちだ。

 もともと子どもは魚をとったり、鶏やウサギの世話をしたり、風呂を焚くなど、その年齢なりに生産労働や家事労働を担うことで成長してきた。農業生産から子どもが排除されたあとも、ごはんを炊くとか、鰹節を削るといった食にかかわる家事労働は、子どもたちにとって最後に残った仕事であったはずである。

 家のなかでそうした家事労働すら失われるようになると、子どもたちは最初から「消費者」として扱われることになる。このことが子どもの育っていくうえで大きな問題を生み出している。いまの教育の基本問題は、子どもが子どもなりに家庭や地域で身につけてきた「くらし力」が失われたことではないか。家庭における食の崩壊は、子どもが育つ場を失うことでもあったのだ。

 このように考えた香川県の竹下和男さんは、子どもたちの現状を変えようと、前任の綾川町立滝宮小学校の校長として「弁当の日」をはじめた。1年のうち10月から月1回、あえて給食を出さない日を設け、5年生と6年生が自分で弁当をつくってもってくるようにしたのである。親の手出しは無用、子どもが自分でやりとげる。弁当をつくるということは、食材を自分で選択し、組み合わせ、調理することである。そこから子どもの「くらし力」がついていく。

 竹下さんはこの取り組みを現在の高松市立国分寺中学校でも続けながら、全国に発信した。その結果、「弁当の日」はいまではさまざまなバリエーションを生み出しながら、19道県131校に広がっている。「弁当の日」に刺激されて、子どもが1週間、家庭で朝ごはんのみそ汁をつくる「みそ汁の日」も生まれた。

「弁当の日」「みそ汁の日」がもたらすのは子どもの調理技術の向上だけではない、と竹下さんはいう。子どもたちは「弁当の日」のあとに、「私のつくった"苦いゴーヤみそ汁"をおいしいといって食べてくれたお父さんたちを見て涙が出ました」と感想を書く。保護者からは「私が病気のとき、子どもがつくってくれた雑炊はたまらなくおいしかった」「弁当づくりをする兄を見て、弟がすでに台所に立っています」といった声が寄せられてくる(注)。

 それぞれの家庭の状況に応じて、家族がお互いを思いやりながら、食事をつくり、食卓を囲む--家族のなかにそんな「くらしの時間」が戻ってきた。子どもの「くらし力」を高める取り組みが親に伝わり、家族全体のくらし力が高まっていく。それだけでなく、食をとおした家族のつながりもまたとりもどされる。

外食・中食、加工食品を地域化する

 食の回復は、いまの若い家族だけでは成し遂げられない。いまの小学生の祖父母の世代がもっている、地域の食材を生かして食を営む技を、孫の世代へ伝え、そして親世代も変えていく。そして、地域の力をあわせて、家庭の食だけでなく、外食や加工食品・惣菜を地域化していく。人々の労働環境を改善していくことが重要だが、農家ができることは、地域農業を盛り上げ、地域の食をとりもどして、忙しく働く若い家族をバックアップすることである。

 いま、ギョーザ事件や輸入小麦・大豆の高騰などで、業務需要でも国産食材の人気は急上昇している。自国の食料を自国でまかなうために輸出を禁止するという、世界各国の「食のナショナリズム」も強まる気配で、ギョーザ事件がなくても、食料の国産化、地域化は避けて通れない課題である。

 最近の家計調査によると、1世帯が1年に支出する食料費は約80万円。その内訳は、外食費が18%、中食と呼ばれる調理食品が10%、加工食品が42%と、合わせて約7割を占めている。多くを輸入に依存してきたこの外食・中食や加工食品を地域で受け持つ流れを創り出す。いま全国の直売所の約6割に食堂・レストランが、約4割に加工所が併設されている。この流れを1層大きくし、地元の学校給食を変え、外食や加工品・惣菜を変えていくことである。

 平成の大凶作による米不足のとき、親戚、友人、知人、消費者からの米を分けてほしいという要望に応えながら、農家は米産直の大きな流れを切り開いた。

 ギョーザ事件を、日本の家族と食を見直すきっかけにしたい。それはアジアの家族を守り、平和を築く大道でもある。

(農文協論説委員会)

(注)『食農教育』(農文協刊)2008年5月号の竹下和男氏の文章より。なお、「弁当の日」ついては、『食農教育』2007年7月号「小特集 ボクの、ワタシの学校にも『弁当の日』がやってきた!」に詳しい。

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