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農文協トップ主張 2006年11月号

農家でこそ、豊かな看護・介護を
江戸時代の家庭医学・看護・介護の書『病家須知』に学ぶ

目次
◆暮らしの中の医療から金で買う医療へ
◆医療の商品化に抗して生まれた看護の書
◆身の回りの自然を生かす看護・介護
◆在宅介護だからできる心遣い
◆看護・介護のための観察眼と知恵が豊富に
◆農村でこそできる、豊かな介護を

 薬漬け医療を批判するこんな一節がある。

 「薬といえば、多く飲めばよいと思い込み、ややもすれば、主薬のほかに丸薬、散薬など、その数、昼夜で数十服にも及ぶものがあるとは、なにごとか」「売薬をこととする医者どもは、ただ用薬の量を多くするために薬を多用する。看病する者はなんとか早くいやそうとして、それを服用させる。そのためにはじめはそこそこに食欲があった者も、強い薬の影響で胃腸が損なわれ、それに対抗できず食欲がしだいに減退し、食事を受けつけなくなる」

 今日よく見られる光景のようだが、じつは170年以上前に書かれた『病家須知』からの引用。どうやら江戸時代の医療も現代と同じ問題を抱えていたらしい。

 この『病家須知』とは「病家(病人のいる家)」+「須知(すべからく知るべし)」で、家庭看護必携という意味だ。本書は、江戸時代後期の1832年(天保3年)に発行されたもので、書いたのは当時江戸の日本橋で開業していた平野重誠。武家出身で、幕府の医学校校長と将軍の主治医を兼ねた多紀元簡に学んだエリートだったが、官職につかず町医者として庶民の治療に専念したという。

 その内容は日々の養生の心得、病人看護の心得、食生活の指針、妊産婦のケア、助産法、小児養育の心得、伝染病対策、急病と怪我の救急法、終末ケアの心得から医師の選び方まで幅広い。庶民向けで、表現はやさしく読みやすい。

 この度、農文協ではこの『病家須知』を現代語訳をつけて刊行した。江戸時代に書かれたこの本が、現代の医療や介護の問題を考えるうえで役に立つと考えたからだ。

暮らしの中の医療から金で買う医療へ

 江戸時代、人々は現代以上に健康増進に熱心だった。日々の食事や按摩で体調を整え、家のまわりや山野から薬草を集めてはお茶にし、朝夕に身体に灸をすえていた。農閑期にはひと月ほどもかけて湯治に出かけた。村々には多くの医者がいて、ホームドクターとして気軽に受診できるほど医療インフラも充実していた(無医村が広がったのは大正・昭和以降だという)。

 重態になれば救命の手段が現代より乏しい時代のこと、予防に熱心になるのは当然だったかもしれない。江戸びとは我々以上に、何が自分と家族の健康を守るのに役立つか、何をしてはいけないかをよく知っていた。

 しかし、江戸中期以降は農村部にも商品経済が浸透し、医療(健康)も金で買うものという性格を持ち始める。売薬の流通は飛躍的に増大した。「××病にはどこの温泉が効く」という情報は全国に知られ、近くの温泉よりも遠くの有名な湯治場へ出かけることもしばしばだった。村に医者が多かったのも、村方にそれだけの経済力がついていたことのあらわれでもある。

 薬草茶であれ按摩であれ、人々は自分の身体と対話しながら体調を整えてきた。それが徐々に「この薬を買えば大丈夫」「あの温泉に入れば治る」という意識への変化が進んでいく。医の「仁術」から「算術」への堕落も起こる。世間体がよく収入も安定するからと、子弟を医者にする風潮も強まった。冒頭に見たような薬漬け医療も、こうした時代の中で一般的になっていったのだ(注1)。

 そんな医の堕落と、薬への頼りすぎを平野は批判し、そして、日本人が暮らしの中で工夫し伝えてきた健康増進の心がけを基本に、家庭での養生と手当て、家族の看病の方法をまとめた。それが『病家須知』である。

医療の商品化に抗して生まれた看護の書

 江戸時代の健康指導書といえば1713年(正徳3年)に発行された貝原益軒の『養生訓』がもっとも有名である。北里大学名誉教授で江戸時代の医療や生活に詳しい立川昭二氏は、「現代では、健康こそ第一、そして人のいのちこそもっとも尊いということは、あまりにもいいふるされ当然のことと考えられている。しかし、江戸時代にあってはきわめて革新的な思想であった」という(注2)。人の生命がはかないものだった戦国時代が終わって100年、ようやく一人ひとりの生命を大事にする思想が社会に広がり、その画期をなしたのが『養生訓』だった。その後、『養生訓』の影響を受けた健康指導書が続々と出版された。それらは読者自身の養生の心得を説いている。

 しかし『養生訓』からさらに100年、江戸後期には早くも前述のような人々の意識の変化と医の堕落が明らかになっていた。そんな時代に抗すべく書かれた『病家須知』は、日本初の看護書といわれている。

 もともと漢方(東洋医学)は人間の病気を全体的にみて患者の自然治癒力を高めるという根本的な発想を持っているため、医療と看護は一体化していた。しかし医療が暮らしから離れて専門化・商品化し、人々が医療に頼るようになるなかで看護、介護の力が弱り、それが人々を不幸にしている。これを解決するには暮らしに根ざした看護が何より重要であり、その視点で医療を捉え直す必要がある、と平野は考えたのである。

 こうして生まれた『病家須知』はそれまでの養生書のスタイルと異なり、家族の健康を守り、医薬以上に効果のある衣食住への心遣いや、医薬の上手な選び方を具体的な知識・技術としてまとめている。医療(健康)を暮らしの中に取り戻すための看護。『病家須知』の歴史的意味はここにあり、それは現代にとっても重要な意義を持っている。

身の回りの自然を生かす看護・介護

 それでは、『病家須知』にはいったいどんなことが書いてあるのだろうか。たとえば病人食について。

 「大麦は、利尿作用がある。消化が悪いことがあるので、胃腸が弱く下痢などをしている病人には控えめにすべきである。肉・脂・米などうまい食べものを食べすぎて病気になった者には、日常のご飯として大麦を使うようにする」

 「わさびは、胃腸の消化をよくし、腹痛を治し、気のふさぎを払う効果がある。すべての病者に用いてよい。血の道の病、気病み、卒中風、すべての胃弱の者などの養生食として常用してかまわない」

 ほかにも、むくみに小豆の煮汁、授乳中の母親に鯉魚湯、渇きのある熱にスイカ、毒出しにゴボウなどなど。

 また、医者がいないところでのとっさの手当ても詳しい。

 「乗り物酔いで、めまい・頭痛・悪心・嘔吐することがある。気の強い酢を飲ませなさい」

 「馬に噛まれたときにねぎの白い部分を形がなくなるまで噛んで貼ったり、蜂に刺されたときに里芋の茎でこすると痛みがすぐにおさまる」

 さらに蛇の毒消しに柿、手足のしびれにからし温湿布、腹痛・腰痛にこんにゃく温湿布などなど。

 薬も使うことはあるが、基本は身の回りにあるもので病気を癒し、大事に至らぬようにすることだ。『病家須知』に記されたこれらの手だては、平野が自分で治療をして実効のあったものを精選したもので、たとえ権威ある古典にでてくる方法でも、役に立たないと思ったことはハッキリ間違いだと書いている。そして、こう述べる。

 「すべて書物に書いてあることは信じられないことが多いが、田舎などに伝えられていることは効き目があることが多い」

 いまでも農村には、身近な自然や作物を生かして健康を守る技が息づいている。当代きっての名医が残した庶民の知恵をよりうまく活用できるのは、都会よりも農村である。

在宅介護だからできる心遣い

 江戸時代は、現代のような医療施設や老人保健施設はないから、病人や老人は自宅で看護・介護されるのが当たり前だった。だから『病家須知』は自宅で看ることしか書いていないが、今日読むと、そこには在宅看護・介護だからこそできる“ほんとうのケア”が描かれている。

 「病人は昼夜によって、あるいは悪寒したり熱がったりするので、しばしば病人に尋ね、肌を撫で、手足を探って冷えているか温かいかを知り、目覚めているか眠っているかを見分け、衣類の厚さ薄さに注意し、口中の乾きを考慮して、湯茶も適量を与え、痛みやかゆみのある部位は、撫でたりさすったりかいたりもして、病人の心に沿うようにするのがよい。また、長わずらいの者は、手足が重なったり、垂れたりするのも、我慢できないので、そうしたことにも気を配り、暑いときにはむしむししないよう、寒い夜は風が当たらないよう、ふすまや障子の開閉までもゆめゆめゆだんしてはならない」

 同時に、安静に暖かくした方がいいからといってまったく運動させず、厚着ばかりさせるようでは病人もまいってしまう。家人が快適な状態が病人にもいいので、折々に部屋の換気や日当たりに配慮せよ、という。

 前ページの図はなかなか寝つけない病人のために桶から水がしたたり落ちるようにして、その水音を数えさせる工夫を示したもの。江戸時代にも不眠のための睡眠薬は各種出回っていたようだが、不眠の原因にもいろいろあるのだから、原因を見極めて使わなければかえって害にもなると平野は警告し、この方法ならなんの害もないとしている。

 『病家須知』がすすめる患者へのきめ細かい心遣いは、手間がかかることのように見えるかもしれない。しかし、患者が心穏やかになり病状・体調が安定すれば、かえって家族の負担が減ることも多い。夜の徘徊など家族が手を焼く行動が、ふとした心持ちの改善で収まるというのはよく聞く話だ。世話をする家族も、世話をされる側の気持ちを汲み取る目を持てば、ギスギスした気持ちの悪循環から逃れやすくもなる。

看護・介護のための観察眼と知恵が豊富に

 『病家須知』には、看護・介護のための観察眼も豊富に載っている。

 「中風、卒中風は、突然発症するものであるが、注意していればその兆候は自ずと事前にわかることである。したがって老人などは、とくに留意すべきである。その兆候というのは、のぼせ、めまい、立ちくらみ、頭痛、耳鳴り、肩の張りなどの症状がいろいろとおこり、さらにあばらのあたりが張り、胸や腋の下にしこりがあるのを感じる。舌がもつれて言葉が聞き取りにくく、食事のときに飯粒が口からこぼれることにも気づかない。(中略)これらの症状が2つ3つあれば卒中風の兆候ではないかと注意し、この病を防ぐべきである」

 看護も介護も、時にはつらい。薬に頼ることを厳しく戒める『病家須知』だが、イライラしたときに効きそうな

“薬”6種を推奨している。そのひとつ、「和気散」はこんな薬だ。

 「一切の客気(邪気)、怒気、抑うつ、不平の気を治す。『忍』の字一個、『忘』の字一個、二つを細末にして声を出さずに唾液を用いて飲み下す。あるいは、まず『忍』を服用すれば、一時のわずらいを忘れ、さらに続いて『忘』も服用すれば、死ぬまで憂いはなくなる」

 いやなことがあってもまずはグッと忍んでこらえ、さっさと忘れてしまおうということか。他人から言われると余計なお世話だが、自分の感情をコントロールする技術だと思えば、平野のユーモアを感じる余裕も出てくるだろう。他にも「無憂丸」「守分湯」「長生飲」「慎独丸」「至善湯」が紹介されている。

農村でこそできる、豊かな介護を

 こうした心身ともに安らかになる在宅看護・介護の心得と技術を強く望み、そして、実現しやすいのも、農村なのではないだろうか。

 誰でも慣れ親しんだ自宅で看病されたいし、最期は自宅の畳の上で迎えたい。親もそうして送ってやりたいし、自分もそうされたい。子どもたちに病者と暮らすことや日常の中で死の経験をさせることにもなる。そんな在宅看護・介護を農村は大事にしてきた。家族で助け合い、そして村うちでの助け合いがあった。

 昔のような助け合いを維持することが難しくなるなかで、新しい助け合いのしくみもつくられてきた。JAの介護保険事業は2005年4月現在で364JAの958事業所で展開され、ホームヘルパーも11万人に達した。

 長野県栄村では、独居老人の家や集落内道路にまで除雪車が入るようにする村民参加の「道路の拡幅工事」をすすめ、2〜3集落を束ねた9つの「克雪生活圏」ごとにヘルパーを配置してきめ細かく介護にあたる「下駄履きヘルプ」制度をつくっている。住民に呼びかけたところ、小さな村に160人のヘルパーが誕生した。

 こうした農村の介護の取り組みには、産直や直売所で自信をつけた母ちゃんたちが自分の老後も見据えて「次は福祉」と張り切って参加し、営利目的の介護サービスとはひと味ちがう村の福祉を実現できる可能性を広げている。

 『病家須知』で紹介している、在宅だからこそできる豊かな看護・介護法。それは医療(健康)を暮らしに取り戻す技術でもあるし、介護する方もされる方も心豊かに過ごす知恵でもある。超高齢化社会といわれる日本の農村で、生涯現役で働け、そして安らかな在宅看護・介護を受けられるしくみを、村ぐるみで編み出したい。『病家須知』を、そのための、貴重なご先祖さまからの伝言として、ヘルパーをはじめ農家の皆さんに活用していただきたい。(農文協論説委員会)

▼『病家須知』 B5判上製・箱入り 全3冊(分売不可)

定価29000円 農文協刊(カラー口絵の広告も参照ください)

(注1)江戸時代の医療の充実ぶりとその後の変化については、田中圭一著『病の世相史』(筑摩書房)に詳しい

(注2)立川昭二著『養生訓に学ぶ』(PHP研究所)

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