主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 2006年9月号

「遊び仕事」を現代に生かす

目次
◆注目を浴びる農山漁村の「遊び仕事」
◆「自然と人間の関係」にとっての「遊び仕事」
◆「人間と人間の関係」にとっての「遊び仕事」
◆「身体・労働・自然の関係」にとっての「遊び仕事」

注目を浴びる農山漁村の「遊び仕事」

 持続的な自然と人間の関係を農山漁村の伝統的な民俗習慣からとらえようとする新しい学問に「環境民俗学」や「環境倫理学」がある。その分野で、いま、注目を集めているのは「マイナーサブシステンス」という概念だ。東京大学東洋文化研究所教授の松井健さんによると、その定義は以下のようなもの。

 (1)最重要とされている生業活動の陰にありながら、それでもなお脈々と受け継がれてきている生業

 (2)消滅したところで、たいした経済的影響をおよぼさないにもかかわらず、当事者たちの意外なほどの情熱によって継承されてきたもの(しかし、経済的意味が少しでもあることが重要)

 (3)きわめて身体的な、自然のなかに身体をおき身体を媒介として対象物との出会いを求める行為

 具体的には山菜、きのこの採集やニホンミツバチの養蜂、川やため池、水田での漁撈やカモ猟、定置漁具を使った海の漁などで、たとえばニホンミツバチの養蜂は「生きものの性質を熟知して、生きものに対して繊細な配慮をしながら、自然のしくみや秩序を破壊せずにたくみに利用することで、はじめて成り立ち、持続的なものになっているのである。そして、このニホンミツバチの養蜂に携わっている人は、じつに楽しそうに仕事をしている。この仕事の楽しさこそが、経済的な意味はそれほど大きくない生業を継続させている大きな要因ともなっている」(高校教科書『グリーンライフ』第2章「農業・農村の機能の発見と活用」―「生業のなかの労働のおもしろさと農業・農村体験」農文協刊)。

 つまり経済的には「頼りにならず」、成果や収穫は「あてにはならず」、作業としては「けっこうきつい」が、いったんその楽しさにはまると「なかなかやめられない」のがマイナーサブシステンス。それは「小さな生業」「副次的生業」と訳されることが多いが、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授の鬼頭秀一さんは、「遊び仕事」を当てはめる。

 「私が考えている図式では、『生業』と『遊び仕事(副次的生業)』と『遊び』というものが、かなり連続性をもっていて、『生業』にいけばいくほど経済的側面が強くて、『遊び』にいけばいくほど精神文化的側面が強い連続スペクトルをなしています。3つの、いずれもが両面を含んでいて連続性を持っているのです」(農文協「農村文化運動」166号・特集「21世紀の教育を地域から問う」)

 農文協では、この「遊び仕事」が、自然と人間の、また人間と人間の、さらに農村と都市の調和をはかるうえでも、きわめて重要な位置と役割を担うものと考え、「増刊現代農業」八月号『山・川・海の「遊び仕事」』を発行した。

「自然と人間の関係」にとっての「遊び仕事」

 『山・川・海の「遊び仕事」』は、約40種類もの「遊び仕事」を掲載しているが、そのひとつ「山の遊び仕事」である福島県郡山市石筵地区の「堰上げ」を見よう。堰上げとは、田植えの直前に取水口から田んぼまでの水路を整備・補修することだが、同時に魚つかみも兼ねている。

 今年は5月14日の日曜日、延長10kmの水路を18歳から65歳までの160人が24班に分かれ、午前8時半から昼食をはさんで午後3時ころまで作業した。最上流の取水口「東の大堰」では、水門を閉め、7、8人がバケツやナタ、鎌、ノコギリ、魚網などを手に、まるで自然の沢のような水路を歩く。ときおり底にたまった落ち葉をかき出したり、横たわる倒木を切って「仕事」をしているようにも見えるが、「いたか!」「さわった!」「つかまえた!」「あ! 逃げた!」などと、みんな魚つかみという「遊び」に夢中である。

 つかまえる魚はなんとイワナ! 「幻の渓流魚」「渓流の王者」とも称されるほど希少になったイワナが、石筵では集落の中を流れる水路(生活用水にも使うため「井戸川」と呼ばれる)にもすんでいる。東の大堰班が獲ったイワナは40尾。ちょうどひとり5尾くらいの分け前だ。堰上げの作業自体は昼までにほとんど終わり、いったんそれぞれ家に帰って昼食をとるが、2時ころには再び持ち場に帰り、たき火をたいてそのイワナを焼き、祝杯をあげ、そして本流に土のうを積んで、水門を開け、水路に水を流す。昔はこの堰上げの日の後2日間は「神事」と称し、野良仕事を休んで山菜採りなどを楽しみ、「田植え30日は死んだと思え」といわれた重労働にそなえたのだという。

 水路にイワナがすんでいるということは、そのエサとなる昆虫類が多いということでもある。昆虫類が多いということは、それだけ山の植生が豊かだということでもある。小盆地である石筵を囲む山々は利用形態でいえば里山や草山、カヤ山であり、所有形態でいえば多くは共有林や財産区林などの入会山。スギ、ヒノキの単相林ではない山は、山菜、きのこの宝庫でもあり、堰上げの季節、各家庭の食卓には、ゼンマイ、ワラビ、タラノメ、シドケなどの山菜料理がズラリと並ぶ。「山に行くのは楽しいですね。山に行くのは仕事であって仕事でないんです」と、石筵の女性たちはこの季節、山に行くのを心から楽しみにしている。

 一方、岐阜県東白川村(現・美濃加茂市)を代表する「遊び仕事」は「ハチ追い」。ふだんは平穏な村だが、7月になると人びとが浮足立つ。地バチの巣を掘り出す最適シーズンを迎えるからだ。山中に飛ぶ地バチをウグイなどの生き餌でおびき寄せ、目と足で追跡した末に、地を這うようにして土中の巣を見つける。汗と泥にまみれ、ヤブの枝葉で受けた生傷もなんのその、「森の追いかけっこ」におとなたちの顔が輝く……。

 標高300〜700mの山の土中に営巣する地バチ(シダクロスズメバチ)を東白川村では「タカブ」と呼ぶ。その巣につまった幼虫やさなぎは、隠れた珍味として土地の人びとを魅了してきた。地バチの巣を採集し、幼虫を賞味する食文化は岐阜県各地にあるが、近年は乱獲などにより、生息数が減ってきた。

 このタカブ減少の危機感から、10年ほど前に結成されたのが会員約70名の「東白川タカブ研究会」。その主旨は、「タカブを自宅で飼育し増殖させること」。つまり飼育を前提とした巣の採取方法を公開し、会員同士が情報を交換する。七月上旬ころに数人がチームを組んで働きバチ15匹の野球ボールくらいの巣を探して掘り取り、自宅の小屋に持ち帰って秋まで毎日2回餌を与え続け、10月ころに幼虫総数6000〜1万匹くらいの巣に育ったら、その半数は食用に、半数は残して女王蜂を冬眠させた後、3月ころに山へ放つ。

 そうした努力の結果、最近、タカブの増加が地域の農業にもよい影響を及ぼしはじめた。研究会会長の今井久喜さんが語る。

 「東白川村は茶の特産地ですが、茶や野菜につく害虫もよく発生する。とくにガの幼虫。その駆除を農薬ではなく、家で飼育しているタカブがする。村全体では膨大な数が飼われ、それが毎日捕食に飛び立つ。畑の害虫も減り、農薬を使わなくなったケースも増えています」

 石筵の堰上げ・イワナつかみも、東白川のハチ追いも、その「遊び仕事」が成り立つためには地域の豊かな自然環境が保たれていなくてはならない。その豊かさを保つのは、「遊び仕事」を楽しむ地域の住民である。

「人間と人間の関係」にとっての「遊び仕事」

 石筵の堰上げには、石筵の戸数150戸を上回る160人が参加する。石筵の自治会である「石筵部落会」の「申し合わせ事項」には、「会員は、水路および農道等の維持管理のため、普請に出役する義務を有する」とあり、この「義務」を課せられるのは集落の全戸で約60戸の非農家も含まれている。水路の水は農業用水であるだけでなく、生活用水としても、かつては飲用にも(現在は井戸水)、米を精白するバッタラと呼ばれる唐臼の動力源にも利用されていたため、水利権は現在も土地改良区ではなく、集落に属している。そのため堰上げは、全戸参加の義務なのだ。

 だが「義務」ではあっても、前述したようにイワナつかみという「遊び」を兼ね、ふだんは郡山市などへの勤めで顔を合わせる機会の少ない集落総出の「祭り」でもある。「遊び」でもあり「祭り」でもあるが、集落の生活と生産に必要不可欠な「水」を山から運んでくる水路の状態を、からだ全体で確認し、細部に至るまで一人ひとりが記憶する共同の「仕事」でもある。堰上げのとき、集落の役員のひとりが言った「堰上げをしなくなったら、石筵が石筵でなくなる」という言葉は、共同の労働を通して育まれるむらの共感とアイデンティティを表している。

 また土地改良区のものごとの決め方は「多数決」だが、「むら」の場合は「全員の合意」が原則だ。石筵で農林業や養蜂業を営む後藤克己さん(68歳)は、「ひとりでも反対ならばものごとが決められない全員合意の原則は、人間の生存権から来ているのではないか。多数決は人の生死を左右する生存財の問題にはなじまない」と言う。

 後藤さんは営林署員でもあった昭和40年代、「入会林野近代化法」による入会権の法人化(森林組合、株式会社化など)に反対し、石筵の入会山を守った人でもある。人間としての最低の生存を支える水や山の問題を多数決にゆだねれば、少数派は生存を脅かされる。分割共有というかたちでも分割された権利に売買の可能性が生じ、その権利がむらの外の人間の手に渡ればむら全体の生存が脅かされかねない。またむらを離れた者はその権利を失う「離村失権」の原則も石筵では守られている。

 全員の合意や離村失権は、多数決や近代的所有などの「近代民主主義」とは異なるが、「子々孫々にわたって『このむら』で生きていくために必要な、生存財を市場財にさせない仕組みであり、日本のむらの民主主義」と、後藤さんは言う。「遊び仕事」が成り立つむらは、自然との関係を土台にした「人間と人間の関係」としての「むらの民主主義」が守られているむらでもある。

「身体・労働・自然の関係」にとっての「遊び仕事」

 『山・川・海の「遊び仕事」』の表紙は、沖縄県西表島の染織工房「紅露工房」・石垣昭子さん(67歳)の染色工程「海さらし」の写真。自然の草木で染め上げた布を、工房近くの浦内川の汽水域(海水と淡水の混じり合う水域)にさらして色素を定着させる。古く八重山の島々に伝わる技法だが、化学的な媒染材が普及した現在も、紅露工房では海さらしを続けている。

 海さらしを続ける理由を石垣さんは、「海さらしは何といっても気持ちいい。それが一番いい仕事のあり方です。これができる環境を大事にしたい」と、説明する。

 「何といっても気持ちいい」が「身体」に、「それが一番いい仕事のあり方」が「労働」に、「これができる環境を大事にしたい」が「自然」にかかわる言葉だとすれば、この石垣さんの言葉は、まさに身体・労働・自然が調和した感覚から発せられる言葉そのものである。

 工房の仕事は、山から染料を採り、川の水で染め、海でさらすという、山・川・海のすべてとのかかわりがあり、西表島の自然なくしては成り立たないものである。

 「昔からのやり方で染織ができる環境があるということはどういうことか、おのずと考えます。ここで生活していくのだから続けられるように考えるのは当たり前のこと」

 だから、染料となる植物を採りすぎることはしないし、海を汚すようなこともやらない。また布が波にさらわれないよう、マングローブを植林したことで水がろ過され、海さらしに適した環境が維持されている。また夫の金星さんは、島の浜のマツを枯らす原因になっている大型リゾートホテルの撤去と開発の差し止めを求め、インターネットで募った全国の仲間とともに提訴している。

 その石垣さんの記事「山で育ち、川で染め、海でさらした色と布」を書いているのは手仕事文化研究家の伊藤洋志さん(27歳)。昨年、京都大学大学院・農学研究科を修了したばかりの若手だが、手仕事研究を志した理由をつぎのように書いている。

 「私は、大学院に入った時点で、将来は田舎に仕事をつくることを念頭において調査を行なってきた。大学で就職活動を控えている友人と話をしてみると、意外にも出身地で何かをしたいという人は多く、そういう人ほど活動的で自立心にあふれていたのだが、そうした人たちを満足させられる仕事場が地方にはきわめて少なかった。この現状をなんとかしたいと思った」

 各地の手仕事が地方に生きる仕事のモデルになるのではと考え、そうして出会ったひとつが紅露工房。伊藤さんは、人口2200人の「過疎の島」の工房に、当時25歳の自分と同世代の若者が4人も研修に来ていること、その研修生たちが着実に自立していくということに衝撃を受ける。そして工房に3週間、短期見習い滞在し、仕事と暮らしをともにする中で、何が若い研修生を惹きつけるのか、その秘密を探ろうとした。

 その結果つかんだことは、工房の仕事が「材料を採ってくるのも、染液を煮出すために薪に火をつけるのも、布を染めるのもすべて自然とのコミュニケーション。自然の変化に対する感覚が多かれ少なかれ研ぎ澄まされる。このように、毎回結果が変わる仕事はとても面白い。つねに変化が感じられて、飽きるはずがない仕事だ」ということだった。

 「工房での仕事はすべてが人工的にコントロールできる仕事とは違い、こうあらねばならないという枠がないように感じられた。石垣さんたちと自分たちの染めがうまくいったかいかなかったかの捉え方の違いをみて、都会に住む自分たちは、多かれ少なかれねらった結果をねらい通りに出すことにこだわりすぎていると気づかされた」

 「増刊現代農業」では、昨年、『若者はなぜ、農山村に向かうのか』(8月号)、『田園・里山ハローワーク』(11月号)を発行し、また、本誌昨年10月号「主張」でも、多くの若者たちが農山村で新しい仕事―労働をつくり出していることを明らかにした。そうした若者のひとりである伊藤さんが言う。

 「サラリーマンとは、他人のビジネスモデルに乗っかっている存在であると見るならば、高度成長期はビジネスの種類を絞って、少ない種類のビジネスに大量に人間を投入したと言えると思います。一時期の成長には効率的であるが、変化に対応できない。これに苦しんでいるのが現在の状況のように感じています。ならば、私はビジネス(生業)の多様性を増やす役目を負いたいと考えています」

 自然に働きかけ働き返されて、五感で結果を実感する仕事。そこには石垣さんが「何といっても気持ちいい。それが一番いい仕事のあり方です。これができる環境を大事にしたい」と言うような「身体・労働・自然」が調和した感覚がある。都市生活者にもそうした感覚を取り戻す場を提供することが、「地方に帰りたいけど帰れない若者」のための「ビジネスモデル」にもなる――伊藤さんをはじめ、若者たちの多くは農山漁村の「遊び仕事」に学んでそうした新しいビジネスモデルを切り拓いている。

 自然と人間の調和の指標、そのひとつは「食」であろう。その取り戻しはすでに始まっている。もうひとつの大きな指標は「身体・労働」ではないだろうか。いま、自然と調和する「身体・労働」のあり方が、強く求められている。(農文協論説委員会)

次月の主張を読む