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農文協トップ主張 2006年8月号

初めてなのに、なつかしい
『日本の食生活全集』の「ブンガク性」と「実用性」

目次
◆なつかしい思い出から生まれた「ナマズの町・吉川」
◆お母さんの手仕事の記憶がよみがえってきた
◆農山漁村の知恵が、都市の食をも潤しはじめた
◆「変わらない」ありようを、「伝承」する
◆ブンガク『岩手の食事』
◆記憶の共有が、住民自治を築く

なつかしい思い出から生まれた「ナマズの町・吉川」

 今月号の巻頭特集は「魚で元気になる」である。

 農家には魚とりの好きな人が多い。子どものころの魚とりや川・沼遊びの話になると、こうした、ああした、と思い出話に花が咲く。たとえば、埼玉県吉川市の飯島輝男さん(72歳)の思い出(66ページ)。

 「掘り上げ田んぼ」の溝の底には一年中水があった。そして、わっさわっさと魚がいた。冬、田に水がいらなくなると溝の水位も下がるので、よく土を掘って、嘘みたいに大きなナマズをとった。コイもフナもウナギもドジョウもいた。魚でいないものはないくらいだった。スッポンもいた。カッパもいることになっていた。――カッパを斬ったとされる刀が代々伝わっている家もあった。夜になると、刀がガタガタ震えるらしかった。

 大場川でもよく魚をとった。「今夜夕立が降りそうだな」というときは、魚が動くとき。もう、どこにいても何をしていても、すべて放り出して川へ飛んでいった。

 というわけで、開きにしたり、たたきにしたり、いろいろな魚を食べながら育った飯島さんだが、やっぱりナマズが一番おいしかった。吉川の特産品を何かつくらなければと考えていた10年ちょっと前、前の市長と「ナマズでいこう」という話になったのも、自然な流れだった。

 かくして、あっという間に「ナマズの町・吉川」ができあがった。駅前の「黄金ナマズ」のモニュメントが訪れた人を迎え、数々のなまずグッズを商工会が売り出し、ナマズ養殖も始まり、町の割烹がみんなでナマズ料理の腕を磨いて客をよぶ。

 それもこれも、子どものころに魚とりした人たちが思いを共有したからに違いない。今月号ではそんな「魚で元気になる」話がいっぱい。田んぼや水路に魚を復活させる取り組みも各地で始まっている。

 少し前まで、この国には、年寄りの昔話を「古い」と切り捨てたり、子どものころの思い出をなつかしがって話すと、「ノスタルジーだ」の揶揄する雰囲気が、確かあった。しかし、今はそうではない。

 子どもが魚をとる。川の流れや魚の生態をそれなりにつかみ、とり方を工夫する。子どもながらに「家族のために」という気持ちがあり、とった魚をお母さんが上手に料理して、じいばあや親父から「うまい」などといわれれば、誇らしくもあった。そんな、自然と人間のかかわり、人と人、家族の絆…それが、かけがえのないものであり、どんなに時代が変わってもなくしてはいけないものだと、人々は思い始めた。そんな暮らし方を「古い」と切り捨ててきた時代のほうが異常なのだと、老いも若きも感じている。

 思い始めただけでなく、それを今に取り戻す取り組みが、各地で、いろんな形で広がっている。なつかしい「記憶」の共有が現実を動かし始めた。その中心に「食」がすわっている。

お母さんの手仕事の記憶がよみがえってきた

 岩手県の最北・二戸市。二戸駅前に、「雑穀茶屋つぶっこまんま」という、農家の主婦たちが経営する食堂がある。商工会や県の支援も受けながら4年前にオープン。それ以来、子どもからお年寄りまで、地元の人から旅人まで、大変喜ばれている。

 「『初めて食べるのになぜかなつかしい』『ここの雑穀料理をいただくと身体がきれいになるような気がする』…そんなお客さんの声が励みになっています」と、代表の安藤直美さん。ひっつみ、へっちょこだんご、といった伝統的な料理とともに、新しい雑穀料理にも挑戦。「つぶっこ膳」というちょっと贅沢な創作料理とともに、「五穀ラーメン」が当店の自慢だ。あわ、ひえ、たかきび、アマランサス、麦の五穀の麺とさっぱり和風しょうゆ味がうまくマッチしていて大好評。ちなみに店名は、雑穀の粒「つぶっこ」とご飯「まんま」を合わせたもの。「まんま」はイタリア語では「お母さん」であり、「農家の母ちゃん達の手作りの家庭料理を出すお店」という気持ちも込めている。

 そんな安藤さんの支えになっているのが、『日本の食生活全集・岩手の食事』である。『食生活全集』との出会いは今から10年前。初めは、なんだか古めかしい本だなという印象だったが、じっくり読んでみて、大変感心してしまった。お母さんの手仕事の記憶もよみがえってきた。

 「この本では、受け継がれてきたものを正直に見てくれている。この地域を知らない人が編集したためか、当たり前だが気がつかないことがいっぱい書いてある。ひっつみ、かっけ、へっちょこだんごなど、一つ一つの食べものがどんなとき、どんな思いでつくったのかが伝わってくる。私の母がつくっていた料理もでてきますが、忘れかけていました。それを思い出させてくれた、発見させてくれたのが、この『岩手の食事』です。冷害をもたらす『やませ』のため、イネの栽培がままならなかったこの地方にとって、雑穀は、家庭ではもちろん、冠婚葬祭、地域行事にも利用される、とても大切な食糧だったんですね。雑穀料理は県北の食文化そのものなんです」

農山漁村の知恵が、都市の食をも潤しはじめた

 雑穀料理を多くの人に伝えたいと安藤さんはあちこちに出かける。わが子に小さいころから雑穀料理に親しんでもらいたいという地元のお母さんサークルや、幼稚園の父母会からの依頼で始まった料理体験。地元の中学生には、店のオリジナルメニュー、「ヒエッシュフライ」(ひえを炊いてつくったフライ)を教えてあげた。小学生や中学生が総合学習ということで、何人かのグループで店にやってくる。郷土食の研究発表をしたいと家庭クラブの高校生もくるし、ちょっと遠くの大学の学生が、卒論のテーマにしたいとやってくる。そんな時、安藤さんは、『岩手の食事』を大いに参考にして話をする。

 20年前に発行が始まった『食生活全集』は、当時、70〜80歳のお年寄りに聞きとりし、写真撮影のために料理を再現してもらって、出来上がった。話者のおばあちゃんからみれば、50代初めの安藤さんは孫の世代に当たる。その孫の世代が地域の味を引き継ぎ、子や孫の世代に伝えていく。

 農家の自家用野菜や加工品のおすそ分けの輪を広げた直売所や、わが家の家庭料理を持ち寄る「食の文化祭」、そして「つぶっこまんま」のような農村レストランなど、今、地域の味を引き継ぐ取り組みが大きく広がっている。

 田舎の話かと思っていたら、東京でもこんな店が出現した。昨年11月、東京駅丸の内南口前にオープンした「食菜健美 野の葡萄」(TOKIA・新東京ビル3階)。「生産者の顔が見える食材」を使った料理が約80種類。メニューは、旬の素材を生かすために2カ月に一度変わる。昼夜を問わず、丸の内のサラリーマンや、東京駅の送迎客でにぎわうこのお店の母体は、福岡県岡垣町の農村レストラン「ぶどうの樹」だ。同店は1984年にオープンして以来10年間は青空レストランで、雨の日はブドウ棚の上にビニールを張って営業した。95年に改装したが、それでもビニールハウスとガラス温室を改装しただけ。そんな「ぶどうの樹」が2002年に福岡市、北九州市に出店し、いまでは関西、首都圏にまで18店舗。いずれもその近くの農村、漁村で採れる「いまある旬の食材」を生かしたメニューが好評だ。

 「あるもの」を生かす農山漁村の暮らしの知恵が、都市の食をも潤しはじめたようだ。

「変わらない」ありようを、「伝承」する

 「伝承」という言葉がある。伝承は単に、古いものを残すことでない。先の安藤さんたちが雑穀の創作料理を工夫しているように、その時代に生きる人々の工夫が加わって、古いものが形を変え、変容しながら次代に受け継がれる。遺跡や古い建築物は保存することによって次代に引き渡せるが、日常生活文化は、日常の営みを通して伝えるしかない。そこには「変わること」と「変わらない」ことがある。変わりながらも「変わらない」ことを伝える、それが「伝承」といえよう。そして、食、食文化こそ伝承するし、伝承しなければならない、人間の大事な営みである。

(1)食は、地域の自然や農業に支えられている

(2)食は、素材の採取、栽培から加工・料理まで、人々の共同・協働に支えられている

 食の背後には地域の自然と農業があり、家族のためにと算段する主婦の仕事があり、家族の絆があり、人々の助け合いがある。この、食の営みの変わらないありようを「伝承」するために、『食生活全集』は生まれた。「暮らしから食だけ切り取って叙述するのではなく、庶民の暮らしのあり方の、地域ごとの多様な展開を“食べる”ことから浮き彫りにすることを目指したもの」(本書「索引巻」まえがきより)なのである。

 記述は「現在進行形」である。以下、『岩手の食事』・「県北の食」の一節。

…昼食は、女たちだけなので、それほど手間をかけず、あり合わせのものですませることが多い。朝炊いた二穀飯を味噌汁のなべに入れ、煮立ったらかぶを入れてじょうし(雑炊)にする。おろしぎわに高菜漬を放すとおいしい。あるいは冷や飯の湯漬を、夫や子どもたちの弁当のおかずの残りや味噌漬で食べる。

 ごはんが不足がちのときは、そばねりをつくってみたりする。茶わん一杯の飯をゆるめのかゆにし、煮え立ったところに一合のそば粉と塩を少々入れればでき上がり。これを大根おろしに澄ましをかけた汁で受けると、なかなかよいものである。

 また、おなかをすかして帰る子どもたちのために、けえばもちをつくることもある。これは、そば粉などに塩を少し加えて皮とし、中に味噌と黒砂糖を練ったあんを入れてとじ、かしわの葉で巻く。これをいろりの灰の中で焼いて食べる。…そば粉でつくったものは冷めると固くなりやすいので、ほどよいぬくだまり(温かさ)の灰に埋めて子どもたちの帰りを待つ。(「四季の食生活・冬」)

ブンガク『岩手の食事』

 この全集では、聞き書をした地域ごとに、まず「四季の食生活」として、春夏秋冬の日常の朝昼晩の食事と、祭りや盆、正月、仕事の節々での行事食(ハレ食)が記されているのだが、季節を追って読み進むと、そこで一年を過ごして、その地の自然の優しさ、厳しさをまるまる体験したような気持ちになる。

 『食生活全集』では、県をいくつかの地域に区分し、その地域の中から、特定の町村を選び、さらにそのなかの一戸の農家にしぼり込み、時間をかけて丁寧に聞きとりし、これをもとに原稿がつくられた。個+個の総和や平均を全体とする「科学的」な手法ではなく、個が全体を表現している(個即全)という見方で、ある農家の全体像に迫り、描こうとしたのである。こうして、単なる記録でも、調査報告でも、評論でもない、人間の暮らし方にせまる独自の味わいをもつ作品になった。作家の富岡多恵子氏はいみじくも、本書に「文学的感動を覚えた」と記している。

 「…わたしが『岩手の食事』という本に文学的感動を覚えたのは、だから『民話』の世界に感動したのではなく、ヒトが『ものを食べて』生きる事実に感動したのである。これは、『食通』を書く文章によって味わったことのないものだった」(「ブンガク『岩手の食事』」―『表現の風景』収録、講談社)。

 「ヒトが“ものを食べて”生きる事実」の豊かな広がり。その感動は、食べて生きる背後には農耕の世界が厳として在ることの確認でもある。

 この、富岡多恵子さんの文章を読んで『食生活全集』と農文協を知ったという結城登美雄さんは、こう話す。

 「女たちの日々の営みを『ブンガク』ととらえた富岡さんの慧眼。鴎外や漱石や芥川ではなく、『おれのオフクロがブンガクか』と思ったものでした。ものの見方を大きく変えさせられ、私にとってはものすごい転換点でした」

 結城さんは、地元学を提唱し、全国に広がる「食の文化祭」の火付け役をはたした民俗研究家である。

 「宮崎町の『食の文化祭』も『食生活全集』からの発想です。名物料理ではなく、日々の食卓、繰り返しのなかで身につけてきた技や知恵をみんなで確認しあう。尻込みするばあさんたちに『梅干でええ。手間がごっつおうだ』と言ったら20人も30人も梅干を出すようになった。いまもむらを歩いていると、『食全集』とちがわねえよ、なーんだ生きているよ、にいっぱい会うことがあります」

記憶の共有が、住民自治を築く

 「ブンガク」といっても小説のような読み物というわけではない。石毛直道氏(国立民族学博物館・元館長)が述べているように、『食生活全集』は食生活研究の第一級の資料であり、地域の資源を生かした地域おこしに役立つアイデア集であり、わが家のメニューを豊かにする郷土食の料理書でもある。『食生活全集』のブンガク性は、高く深い「実用性」をもつ。そして、ブンガク的であるがゆえに、人々のなつかしい記憶を呼び覚ますきっかけを与える。

 大の『食生活全集』フアンであり、民俗学的な手法で農村調査を行なっている若手研究者の山下裕作さん(農村工学研究所)は、何かの集まりで話をするとき、その地域の『食生活全集』を読んで、話のネタにしている。

 「少し前に、千葉県にいってきたのですが、その時も、魚や鳥をとって食べた話や、野山のスカンポの食べ方などの話をしました。すると会場の雰囲気ががらっと変わるのです。退屈そうだった目が急に輝く。一段落して、質問を求めると、手を挙げて、子どものころの魚のとり方や、それがうまかった、まずかったといった話をはじめる。『あーそうですか』といっていればいいので、こっちはラクです」

 この『食生活全集』の話は、記憶に乏しいはずの若い人たちにもうけるという。

 「農村にはこんなにも豊かな『食』が行事とともに存在していたことが、まるで物語のように描かれていて感動した」―『食生活全集』を読んだ、ある20代青年の感想である。「変わる」ことに振り回され、自然や人とのつながりが見えなくなった今という時代のなかで、「人間としての記憶」が疼くのかもしれない―初めてなのになつかしい。

 いま、なつかしい記憶の共有が、人と人をつなげ、一人ひとりが主体になった住民自治を築く力となる。そして、『日本の食生活全集』は庶民の日常生活ブンガクであることによって、人々を記憶の共有へと誘う。暮らしと地域を「伝承」し、新しい豊かさをつくる未来にむけた本―それが『食生活全集』なのである。

(農文協論説委員会)

●『日本の食生活全集』全50巻(農文協刊)。 都道府県別巻+「アイヌの食事」+索引巻)、揃価145000円、各巻2900円。

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