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農文協トップ主張 2005年11月号

地元食品企業を農家・農村の味方にしよう

目次
◆農家の自給を支え、特産品を生んだ地元の食品企業
◆産直、直売は農村の食品加工を必要とする
◆農家600人に喜ばれる委託加工会社
◆40社の地元企業と連携するJAの加工事業
◆地域に根ざした食品企業は元気がいい
◆加工食品も含めて、インショップを食の提案コーナーに

農家の自給を支え、特産品を生んだ地元の食品企業

 食品企業を農家・農村の味方にしよう、といっても、ピンとこないかもしれない。産直・地産地消のなかでいわれる「顔の見える関係」とはずいぶんちがって、農家・農村と食品企業は大変疎遠な関係になっているからである。だが、考えてみると、農村にはもともと、農家と結びついた小さな食品企業があった。

 昭和初期の庶民の食を描いた『日本の食生活全集』から、いくつか拾ってみよう。

 「うどんをする日は、うどん換えをしておく。小麦を収穫すると、車屋(水車で粉をひく製粉所)へ小麦を全部納め、切符と換えておくが、その切符とご膳かご(竹製のふたと手のついたかご)を持って車屋へ行き、切符を干しうどんと換えてくる」(岐阜県 美濃の食)

 石臼などで自分で粉を挽いたが、うどん用の粉などは、どこの村にもあった粉屋に製粉を頼んだ。油屋(搾油所)も各地にあった。

 「菜種はとり入れ後、自家用分を残して穀物屋に売ってしまう。自家用の菜種やごまは油屋に頼んでしぼってもらう。だいたい菜種1升から2合8勺、ごまでは3合はとれる。しぼり粕は肥料として使う」(栃木県 渡良瀬川流域輪中の食)

 「佐渡では椿がたくさん生えていて、実がごろごろ落ちているので、ひろい集めて油屋で油と交換する」(新潟県 佐渡の食)。

 製粉や搾油だけではない。豆腐は各家でつくられていたが、豆腐屋さんに頼むこともあった。

 「すみ(凍み)豆腐用の豆腐はいちだんと固く、大きさは1丁の長さが7寸ほどもあり、これを28枚から30枚に切ってたけず(竹のスノコ)に並べる。10丁を1あげといい、小山家では5あげくらいは豆腐屋さんに頼んでつくってもらう。1あげは大豆2升5合との交換である。

 豆腐屋さんでは、たけずに並べた豆腐を、天気をにらみながら一晩で凍らせる。正月前には根雪になり、寒さもひきしまってくるので、星が澄んでかんかんとしばれてきた夜、いっせいにたけずを外に出す。明け方までにはべっこう色に凍みてくる。夜半に雪が降るなどして湿り、はんぱな凍みぐあいだと、ちょうど小鳥の足跡のような凍み模様がついてしまう。このような『鳥足』になると、特有のうまみと油っこさがなくなり、絹のような滑らかな舌ざわりも失われ、いったいに味が大粗目になる。そうならないよう、豆腐屋さんでは気をつかう。

 小山家では、一晩でべっこう色になったものを、南京袋か大ざるに入れて豆腐屋さんから運び、家族総出でわらで編んで、軒下のさおにかけておく」(宮城県 仙北・大崎耕土の食)。

 加工賃として農家から引き取った大豆を使って、豆腐屋は豆腐や油揚げをつくり、地元住民に販売する。こうして農家のダイズは地域で生かされ、地元の加工業者も加わって地域の食が形づくられていたのである。

 特産品も生まれた。

 「この畑からとれる質のいい大根に県外の漬物屋さんが目をつけ、大正15年に植木駅近くに加工場がつくられた。作付け面積も200町歩、21か所の工場ができて、大根づくりはますます盛んになる。大根(美濃早生)の作付け面積をふやすため、小学校で品評会が開かれ、競っていい大根を子どもたちに持たせたり、運動会の賞品に大根が使われ、知らず知らずに大根の生産に力が入るようになった。みんなはこの工場を漬屋さんと呼び、ここに大根を持ちこみ、現金収入を得ている」(熊本県 県北の食)

 「漬屋さん」と一緒になって自分たちの特産品をつくる、そんな意気込みや誇りが感じられる。秋田のいぶりたくわん、山形の青菜漬け、長野の野沢菜漬け、京都の漬物など、全国に名をはせる特産漬物も、農家の自給を背景に、地域の素材と食品企業の技術が結びついて生まれた、今風にいうと「地域ブランド」である。

産直、直売は農村の食品加工を必要とする

 農業の近代化は、こうした農家・農村と地元食品企業の関係を疎遠にしていく過程でもあった。大量に輸入される小麦、ダイズなどを利用した大手企業中心の加工食品が日本全国を覆い、農家は野菜や果樹などの生食用農産物の専作的な生産・市場出荷に向かった。地域の農産物と関係のないところで大量生産される加工食品。加工産業と農業が分離し、それが食の画一化を進めることになった。

 そんな時代がしばらく続いて今、農家・農村が自ら加工を取りもどす新しい動きが強まっている。農家や女性グループによる加工がますます盛んだ。この背景には、直売所、産直、地産地消という「小さな流通」の広がりがある。朝市・直売所が始まると、当然のように漬物などの加工品も出荷されるようになる。それがまたよく売れる。コンニャクをいものままで売ろうとしたが、お客さんは加工法がわからないので、売れない。こんにゃくに加工したら5倍の値段で大変よく売れた。そんな話があちこちで生まれた。 

 加工品が加わることで、直売所は年中賑やかになる。この流れをもっと、もっと強めたい。農家の直売所を併設している道の駅でさえも、店内の加工食品陳列棚をみると圧倒的に輸入ものが多いのが実情だ。

 そして、この農村主導の加工の流れを大きくしていく一つの方法として、地元の食品企業を味方にしよう、ということなのである。

農家600人に喜ばれる委託加工会社

 農家と結びついた食品企業の例としてまず紹介したいのは、本誌でおなじみの小池芳子さんが経営する、長野県飯田市の「小池手造り農産加工所」である。「小池手造り農産加工所」は、自社の製品づくりとともに、農家が持ち込んだ素材をこだわり食品に変える委託加工を主力の事業として展開している。

 農産加工歴20年の小池さんは10年前、農産加工を本業にすると決意し、有限会社を立ち上げた。現在では「ビン詰・缶詰」「漬物」「惣菜」「清涼飲料」「酢醸造」「添加物」という6つの免許を取得、農家が自分の商品を持つのを手助けするためだ。小池さんに委託加工を頼む農家は600人を超えるまでになっている。

 小池さんはリンゴならコンテナ1杯、ジュース20本からの要望に応える。

 「私の会社では、農家個々に応じた製造と商品化に取り組んできました。○○さんのリンゴと△△さんのリンゴを別々にジュースにして、それぞれ個別のラベルを貼って、○○さんのリンゴジュース、△△さんのリンゴジュースにして返すのです。農家それぞれのリンゴ味の特徴を生かしたジュースにすることに努めています」。

 小池手造り農産加工所のリンゴジュースは、すり下ろしたリンゴを搾り、それを85度くらいまで加熱して浮いたアクを除いてつくる。ビタミンCの添加は最小限、添加しないでほしいという農家の希望にも応える。

 「一つの商品ができあがって、それをトラックに積んで喜んで帰る農家を見送るときこそ、私が満足感を味わうことのできる瞬間です。中には、高速道路を延々8時間も走り続けてやってくる農家もいます。その思いを商品に反映したいと思うのです」

 「私の会社では、農家からのこうした委託加工が売り上げの7割を占めています。製品の販路を心配することなく加工手数料が現金で入るということは、こちらの経営にとっても大いに助かります」

 「直売所は各地にできているので、売る場所は増えています。道の駅もあります。直売所と加工所が一体になれば、地産地消はもっと盛んになるし、農家の意欲も高まるのではないでしょうか」と話す小池さん、各地にこうした受託加工会社ができれば、農家も生産意欲が湧き、直売所ももっと豊かになるだろうと、考える。

40社の地元企業と連携するJAの加工事業

 地元食品企業との連携、委託加工によって加工事業を展開しているJAもある。ここでは、兵庫県のJA篠山町(旧篠山町管内、現在はJA丹波篠山)の取り組みを紹介しよう(『食品加工総覧』第1巻「地域条件を生かす経営戦略」より)。

 JA篠山町は、すでに150を超える製品を持ち年々新しい製品を1〜2送り出している。現在、提携関係にある加工業者はおかき屋、煮豆屋(冷凍枝豆はここの技術開発によるもの)、製茶業者(緑茶きな粉の製造も委託した)、佃煮屋、あめ屋、ジャム屋、醤油屋、味噌屋、糸引き納豆屋、甘納豆屋、パン・洋菓子屋など40社あまりになる。

 1977年当時の篠山町農協は、総販売額28.4億円のうち21億円(74%)を米が占め、典型的な水田兼業地帯であった。だが、20年後の1997年には総販売額38.2億円のうちの20.1億円(52%)を雑穀(5.7億)、加工品などの特産販売(9.5億)、直売所・特産館(4.9億)で占める多品目産地に変わった。米は10億円(26%)を占めるに過ぎない。その歩みはおよそ次のようだ。

 1975年、当時強化されつつあった転作を逆手にとって、地域の伝統的な作物である黒ダイズ、ヤマノイモの振興をはかった。しかし、生産は拡大したが販路が拓けず、大量の在庫に泣いたことから経営方針の大転換を図ることになる。1982年には販路開拓向けに、びん詰めの「丹波黒煮豆」の加工に取り組み、生産部職員全員がセールスマンとなって全国に出向き、売込んでいった。その経験が、加工・販売の難しさと同時に、JAが主体となり、食品企業のもつノウハウを活かした独自の方式を生み出すことにつながったのである。

 「JAは加工品の原料となる農産物はもっているが、それを利用し、新しい商品をつくるノウハウや施設、人が不足している。そこで企業は、JAから信頼できる加工素材を仕入れるのとひきかえに、その技術により商品を開発し、JAに供給する。販売面では、『丹波篠山』『JA篠山』ブランドとして統一したイメージでJAの力に頼ることができる。JAにとって企業は原料の販売先であり、加工品の仕入れ業者でもある。丹波篠山の原料を使っている、丹波篠山の原料を使用したものを販売しているという商品の特異性を強調することで、JA、加工業者双方のもつ力を生かすことができる」とJAの大江博幸氏は述べている。

 販売方法も大量生産・大量販売のナショナルブランドとの違いをはっきりさせ、決して安売りはしない。消費者にこだわりを伝え、食べ方や食文化を提案していくなかで、その価値・価格差を理解してもらえるお客さんを増やす方針をとっている。その姿勢が、消費者や提携企業との関係を強め、また、交流・取引の中で得る食べ方のヒントが新しい商品アイテムを増やしていくことにつながっている。

地域に根ざした食品企業は元気がいい

 食品製造業(全国で約5万3000事業所)では中小企業(従業員300人以下、または資本金1億円以下)が、事業所数の99%を占める。食品製造業は小規模が圧倒的で地場産業としてのウエイトが大きいのである。しかし、経営は全般的に苦しい。「安売り競争」のなかで、安い原料を求めて、輸入原料に依存する企業も少なくない。だが、それでも、大手と比べ、地域の食品企業は地域産の原料に依存している。そして最近では、地域に根ざした食品企業ほど、元気がいいようだ。

 岩手県陸前高田市の八木澤商店。江戸時代から続く醸造元の8代目当主である河野義和さん(61歳)が家業を継いだ1970年前後は、醤油業界に限らず、また、経営の大小にかかわらず、コストダウンにしのぎを削っている時代であった。外国産の脱脂大豆など安い材料を仕入れ、見た目や味を整えるために化学調味料など添加物を大量に使った。そんな安売り競争の流れに乗って、仕事に精を出してきたが、所詮、東京中心の大手メーカーには勝てない。

 「コクがあってうまかった」昔の醤油づくりを取り戻したいと考えた河野さんは、納得できる醤油の原料を求めて県内中を歩き、岩手県産減農薬丸大豆と南部小麦、そして天日塩と酒造用の地下水にたどりつく。それらを原料に、気仙杉の桶で2年間かけて熟成させたもろみを、江戸時代から伝わる「古式梃子搾り法」で搾るところまでこぎつけたのが82年。これが雑誌などに取り上げられ全国から注文が来る人気商品になった。

 この醤油を活かした漬物加工でも原料にこだわった。皮がやわらかく味がよくしみる、昔ながらのブルームキュウリを原料にしようと考えた。それも自根栽培のほうがいい。しかしそんなキュウリは手に入らない。そこで、自分でキュウリを栽培することから始めた。いまでは、この自根キュウリの無農薬自根栽培が地域で定着している。

 農文協発行の『食品加工総覧』では、こうした地元密着型の食品企業の取り組みも多く紹介している。県産小麦の活用に向け水分調整と乾燥方法を工夫して地粉うどんをつくる群馬の星野製粉、長野県開田村の「そばの里」づくりを村人とともにおしすすめる(株)はくばく、「身土不二」を会社のポリシーとして雑穀や野草などを利用した「地パン」が好評な福島の銀嶺食品工業、内麦でスパゲティに挑戦する岐阜の桜井食品など、どの企業も地元の農家、農業に熱いエールを送っている。これらの事例は、なぜ、どのように食品企業を味方にするかを考えるうえで、豊富なヒントを提供している。

加工食品も含めて、インショップを食の提案コーナーに

 農家がつくる加工品に加え、委託加工など地元企業と連携して地域食品をつくる。こうして地域食品が豊富になれば、「小さな流通」をより大きくすることができる。 

 今、地方都市や大都市のスーパーでは、インショップが大きな広がりをみせている。スーパーの生鮮野菜売り場には地場産・特定産地を表示するコーナーがずいぶん増えた。だが、加工食品は圧倒的に輸入ものが多い。

 インショップの先進的な取り組みで知られる、群馬県JA甘楽富岡(本誌2000年1月号で紹介)は今、加工食品を多彩にして次の展開を計ろうとしている。

 インショップ数は、千葉県から神奈川県まで、約33店舗にまで広がった。生協やスーパーからはもっと店舗を増やしてほしいと頼まれている状態だ。

 人気の秘密は「小さい農家が思い思いにつくったものを、そのままの形で運んでそのまま提供すること」を守り続けていること、それに加工食品も含めた品揃えの豊富さだ。JA甘楽富岡がインショップの流通に乗せている加工食品は150種、こんにゃく加工業者など地元企業がつくる加工食品と、農家がつくる加工食品が合わさって、インショップの魅力を大きくしている。餅の加工で年間1200万売り上げる直売会員もいる。生鮮品と加工食品をあわせ、インショップを、季節季節に、地域の食文化を丸ごと提案するコーナーにしようというのが、JA甘楽富岡の戦略だ。

 四季折々の食提案コーナーをつくるには伝統的な保存食や、それを今流にアレンジした加工食品が欠かせない。そこで、地元企業の設備や技術を地域の宝、地域の財産として生かす。安売り競争から脱却できる商品として、個性的な地域食品をスーパーが求める時代である。

 四季折々の食の提案コーナーは消費者との交流をうむ。JA甘楽富岡では、インショップ店舗の周辺のお客を産地に招いて親子体験ツアー、植え付け・収穫体験ツアーを、量販店・消費者・生産者・農協四者の連携で実施している。インショップに生産者が出かけて消費者と交流する場合もある。農村に来て味わってもらい、食べものづくりを体験してもらう。そんな交流事業に地元の食品企業や商店が参画してもらえば、一層魅力的な交流ができる。

 いま、企業には社会的な責務が求められている。食の安全・安心、食品のリサイクル、そして「食育基本法」で明記された「食育」の実施……これらの責務の実行は、地域農業との結びつきを強めることで展望が開けてくる。農家・農村と地元食品企業との新しい結びつきは、これからの農村と地域社会、そして食文化をつくるうえで、一つの大きな鍵を握っている。

(農文協論説委員会)

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