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農文協トップ主張 2005年1月号

「農村空間」が新しい時代をつくる
農文協創立65周年を記念して

目次
◆新しい時代の先駆者―一楽照雄
◆もう一人の先駆者―岩渕直助
◆『日本の食生活全集』―食意識の変革の根源
◆全国民へ働きかける農文協へ
◆全小中学校に対する働きかけ
◆小学生と大学生がともに読む絵本
◆ほんもの体験フォーラム
◆団塊の世代の帰農サポートを

 人類は、階級間の敵対矛盾が基本問題であった時代から、自然と人間の間の敵対矛盾が基本問題である時代に入った。

 新しい時代には、新しい思想と行動がなくてはならない。

新しい時代の先駆者―一楽照雄

 1971年、元農林中金常務理事の一楽照雄(農文協理事)が日本有機農業研究会を創立した。その宣言に曰く。「有機農業をすすめる農民は、都市民との提携によって消費者の食意識の変革を目指す」。

 つまり、農民が都市民の意識変革をするというのである。およそ人類史上で、農村が都市を領導したことはない。農村は都市文明を受け入れることによってのみ、進歩するものとされてきた。

 たとえば、昭和15年(1940年)に創立された農山漁村文化協会(農文協)もまた、都市文明を農村に及ぼすことによって農村文化の向上をはかることを目的としていた。事業の一つの柱に「移動映画」があった。70才以上の方々ならご記憶があると思うが、農文協は農村各地で「移動映画」と称して、小学校の校庭で夜間、映画を上映し、村人に無料で見せた。都会には映画館があって、お金を出せば誰でもが映画をみられた。しかし、農村には映画館はない。当時、文明の最先端を走るのが「映画」であった。今日でいえば「電子媒体」に当たるのが「映画媒体」であった。農文協は、農村における文化の遅れをとりもどすために、農林省や農業団体から資金を得て村々で無料の映画会を開催した。どこでも校庭いっぱいに大勢が集まり、映画を観賞した。村人も都会人並みに「文化」を享受することが、農村文化の向上なのであった。

 戦後も、封建的な農村を民主的にすることが課題とされ、農村の暮らし方は遅れているので進んだ都会の暮らし方に近づけるための「生活改善運動」が進められた。たとえば「カマドの改善」、「台所の改善」等々である。

 農村は意識が遅れていると考えることが常識であった。その農民が都市民の「意識変革」を推進する。それが、一楽照雄によって開始された「日本有機農研」の運動である。「日本有機農業研究会」は30年を経て今日も「提携」を基本にする有機農業運動を継続している。それどころか、世界に数ある有機農業研究会で、「提携」による都市民の「食意識変革」を目指したのは唯一、日本の有機農研だけである。今日、各国の有機農業運動の中に日本語の「テイケイ」をそのまま用いて消費者の食意識の変革に取り組む動きが現れ始めている。

 農民が都市民を指導するという人類史上未曾有の「文化運動」は「日本有機農研」によって開始された。その先駆者は、徳島県の農民の子、一楽照雄であった。

もう一人の先駆者―岩渕直助

 有機農研の運動を積極的に助けたのが岩渕直助が指導する農文協であった。財政基盤のない「有機農研」に農文協の事務室を提供し、有機農研の機関誌『たべものと健康』(現在の『土と健康』)の発行を手助けした。

 その農文協は1970年(昭和45年)、有機農研創立の年の1月発行の『現代農業』2月号から、新聞にある「社説」、「論説」の欄に当たる「主張」のページを設け、「近代化路線にまどわされるな」を皮切りに毎月、農業の近代化路線による農業の画一化、企業化を推進する「農政」に対抗して、「自給の技術」で作物をつくり、「自給の社会化」をめざす農業を提唱した。

 自分で食べる作物を、自給的な農法で生産する。その自給型の農法でつくった野菜を「産直」で売る。「自給の社会化」という思想を「自給の思想」として「近代化・企業化」思想に対置したのであった。まさに「農民の思想」による農業の推進である。

 農業を総合的生物生産の産業としてとらえ、農業は暮らしをつくる産業として把握された。農業技術雑誌『現代農業』は1970年からその技術が目指す方向を明確にして、化学肥料、農薬を基本とした農業の単一化=工業的手法による近代化=企業化に対抗する雑誌となった。

 岩渕直助は農文協の「内部研修」において、農民の思想である「自給の思想」を講義し、科学主義的な指導思想に対抗する「農民の自給思想」を形成し、農文協の運動をリードした。一楽に並んで、新しい時代への先駆者である。

『日本の食生活全集』―食意識の変革の根源

 1984年(昭和59年)、農文協は岩渕直助の発案で、全国47都道府県別に『アイヌの食事一巻』と『食事事典二巻』を加えた、『日本の食生活全集』という全50巻に及ぶ大企画を立て、10年がかりで完成させた。

 一楽は、有機農業による「食の変革」を志したが、岩渕は、全国各地の昭和初期の食事を記録し復活させる運動を志して『日本の食生活全集』の企画に取り組んだのである。

 岩渕は、食の原点を昭和初期の農家の食事に求めた。昭和初期に実際に食事を作った農家の主婦たちが生きているうちに食事つくりの聞き書きを行なう。永久に失われてしまうことがらを、「食の民俗」文化として次の時代に残さなければならないという使命感で、この「全集」の企画にうちこんだのである。各地の名物料理でなく、春・夏・秋・冬、朝・昼・晩、ハレの日・ケの日に、農家でつくられ、食べられ続けてきた食事を食の専門家に聞き書きしてもらい、各県の中で食事の異なるいくつかのブロックに分けて編集した。

 販売にあたっては、農文協の全国各地を足であるいている「直販組織」を動員し、全国の書店での販売と合わせて、各県別に徹底的に普及し、今日の「地産地消」、「安全・安心」の食事を広める運動を展開したのである。

 本をつくり売っただけではない。全集の執筆者と協力者を組織して各県に「食文化研究会」を組織し、郷土食についての文化運動を推進した。20年前に刊行された『日本の食生活全集』は今日でも、全国の書店店頭に並んでいる。

 近年、「郷土の再発見」、「地域史の時代」などといわれ、各地に歴史館、民俗館、資料館等、名称こそ違え、郷土の歴史と文化の伝承を合言葉に続々と文化財保管施設の設置がなされている。今日では、「故郷に残したい食材一〇〇選」調査普及事業というような事業まで農水省によって行なわれている。いまや「食材を守る段階」から生産者と消費者を結ぶ「地域食文化継承活動」、「地域に根ざした食育コンクール」など、「食育基本法」をベースに、国民の「食意識」を変革する活動が、国・県・市町村、各段階で全国的に展開される時代に入ったのである。

 30年前に、有機農研が拓いた「食意識の変革」の流れは、脈々と全国を覆う段階に入った。

全国民へ働きかける農文協へ

 もともと農文協は農民に働きかける組織であった。そして、自然と人間の敵対矛盾関係を克服するのは、自然と人間の調和によって暮らしを創ってきた農民であると考えるに到った。階級矛盾を克服するのは労働者階級であったろうが、自然と人間を調和させる担い手としての能力はない。

 階級闘争の歴史は終わって、自然と人間の敵対矛盾関係を基本とする時代に入った。この矛盾の克服は、農村空間による都市空間の領導によって実現される。そして「農村空間」はいうまでもなく農民によって担われている。次の時代は「農村空間」の担い手である農家の全国民への働きかけによって実現される。

 そう考えて、「農民に働きかける農文協」は「全国民に働きかける農文協」に発展しなければならないと考えた。全国民に働きかける書籍として、1977年から『人間選書』の刊行を開始した。「人間選書発刊のことば」には、次のように述べられている。

 「中央より先に地方があり、科学技術より先に労働があり、産業経済より先に暮らしがあり、政治より先に人間がある」。

 問題を考える立場は、地方の立場=地域の立場=農村の立場であり、科学技術の立場ではなく、直接自然に働きかける農耕労働の立場であり、経済の立場ではなくそれぞれの地域を活かした日常的な暮らしの立場であり、本当に問題を解決するのは政治の改革ではなく、根本的な人間の暮らしの意識の改革である。個人個人の暮らしの意識を変革することによってのみ、自然と人間の調和した豊かな暮らし、個性的な暮らしが生まれる。『人間選書』は、こうした立場から編集されると宣言しているのである。

 今日まで「人間選書」は約260点を発行しているが、テーマは哲学・思想・自然・環境エコロジー・食文化・医療・民俗・歴史・社会・地域づくり・エッセイ・文学・芸術と多方面に及んでいる。すべて一般国民向けの編集内容で、「発刊のことば」を根底に置いて編集企画されている。

全小中学校に対する働きかけ

 農村空間が都市空間に対して働きかける運動は、1970年代後半からこつこつと広がり、やがて「産直」「地産地消」運動として大きく広がり、一方、地域的には「ふるさとを見直す運動」が始まった。飯田市中央農協(現JAみなみ信州)は、地域の古農と協力して家庭と地域と学校を結ぶ「食農教育」の絵本として、『ふるさとを見直す絵本』を刊行していた。農文協の直販組織は農家だけでなく農協も訪問するので、普及組織がこの絵本と出合い、農協に協力してその普及をお手伝いした。そして1990年、このシリーズが10点になったのを記念してセット組みし、『ふるさとを見直す絵本・全10巻』として農文協から刊行した。農文協の絵本の第1号であった。長野県だけでなく、全国を対象に書店販売と直販の二本立てで普及した。

 農文協は、当時小学校の小学1、2年に新設された「生活科」に着目し、その教材としての絵本の発行を企画していたので、『ふるさとを見直す絵本』をその第1号として発行したのである。つづいて、生活科の教師、中嶋博和氏の構成する『自然とあそぼう植物編』全10巻、同『動物編』全10巻と毎年絵本を刊行し、小中学校巡回販売組織として「NCL(子どもと自然の図書館)」を組織し、自社に限らず各児童出版社の発行する「NCL」にふさわしい絵本を一緒に販売した。

 「NCL」は、今日では学校巡回販売組織の代表的な組織の一つとして大きく成長している。

 さらに、絵本だけでなく、小中学校に国語・算数並みの時間数をもつ教科として新設された「総合的な学習の時間」の教育雑誌として隔月刊の『食農教育』誌を発行し、食と農の教育で「地域教育」を推進している。

小学生と大学生がともに読む絵本

 こうした教育運動の中で発行された『そだててあそぼう』(既刊60巻)は、日本で初めて刊行された「農業絵本」である。多くの小学校の学校図書として購入され、色々な教科に利用されている。

 この農業絵本は、もちろん小学生向けの絵本として編集された。しかし、ベテランの農業書の編集者が担当したので、子どもの絵本だからとやさしさを求めるのではなく、栽培に必要な知識はどんなに苦心しても省略しないで子どもにわかるように編集した。

 その結果がなんと東京農大をはじめ、各農業大学の図書館で購入されるという結果を生んだ。不思議に思って、知り合いの農大の先生に電話で問い合わせたところ、「この頃の農大生は、イネにさわったこともない学生がたくさんいる。イネの生理や栽培を勉強する前に、ザアーッとイネの一生についてわかってもらいたい。その学習にこの『そだててあそぼう』は最適なんだ」と教えてくれた。

 この頃では、食べ物についての勉強が、農についての勉強にまで及ぶことが多くなっている。こうして、家政系の女子大の図書館も『そだててあそぼう』を購入するようになり、さらに一般的に農業に対しての関心が高まっている折から、一般大学図書館でも購入するところが増えている。

 もっと驚いたこともあった。直販で農家のおじいさんに、農業書を普及したついでに「東京のお孫さんに農業の絵本を送ってあげてはいかがですか」とすすめると、「よし買おう」ということで、購入していただいた。1セット(10冊)1万8900円である。しばらくして、この方から電話があり、とても面白いので、自分の分と孫の分とでもう1セット購入するという電話をいただいた。絵本専門出版社では考えられない内容の絵本を、農文協は作ったのである。出版不況の中で農文協の売上は毎年上がっている。

ほんもの体験フォーラム

 昨年(2004年)の2月27日から29日の3日間にわたって飯田市で「全国ほんもの体験フォーラムin南信州」がひらかれた。農業体験旅行が「観光旅行」として全国に広がっているのである。その全国大会である。

 飯田市ではこの体験型観光振興を平成7年からスタートさせ、平成14年には、首都圏、関東圏を中心に107校の修学旅行と、自然教室の一般団体旅行をあわせて200団体の「ほんもの体験」旅行があった。通過型の観光地である南信州を滞在型・拠点型の観光地に脱皮させ、交流人口を拡大し、観光事業の増加によって地域産業の振興をはかる戦略が成功したのである。3日間のフォーラムを通じての大会参加者は約1800人に及び、地域外からも400人が参加した。遠く北海道から長崎県に及ぶ全国的な「ほんもの体験旅行」の経験交流、研究課題討論の会となった。

 「ほんもの体験」の受け入れは地元の農家によって行なわれている。訪問者は実際に農家の生活や生産現場の体験をし、農家が指導助言するのである。ただ見るだけの観光ではなく、旅を通して精神文化を高めていく、体験が感動をもたらす。

 飯田市は「ほんもの体験」参加者に「ワーキングホリデー」の登録をすすめている。「ワーキングホリデー」は、農業や農村に関心を持ち、真剣に農業をやりたい、就農を考えているが手探りで何もわからないという都市民と、繁忙期の手助けや後継者のほしい農家を結び、都市民と農村住民双方がお互いの足りないところを補い合うパートナーシップ事業である。

 年齢構成を見ると、男性は30代が中心で40代、20代を合わせると全体の60%近くに及ぶ。この人たちは、新規就農予備軍といってよい。女性は20代だけで50%を上回っていて、その半数が農家に嫁いでもよいという。

 フォーラムの報告の中で感じたのは、何よりも、参加者に説明し、質問に答える受け入れ農家が、参加者との交流の中で自信をもち、未来を感じていることである。

 「ほんもの体験」は、農家による都市民への直接の働きかけである。都市民の農業へ対する意識を変革し、農村のもつ今日的意味を感じさせる。と同時に、働きかけた農民が自ずから自信をもつという、自己変革につながる。農民が自信をもつことによって、地域は変わることができる。

 フォーラムのパネルデスカッションで明らかにされ、確認されたことは、地域が本気で一丸となって取り組めば、日本全国どのような地域でもグリーンツーリズムは展開でき、地域づくりのための有能なツールになりうることである。

団塊の世代の帰農サポートを

 2004年2月8日付朝日新聞によると、2010年に向かって、団塊の世代が大量に定年退職し、その大半が、たとえ家庭菜園でもいいから農業にかかわりたいという人が6割を占めている、という。退職者の第二の人生を定年帰農に求めているのである。

 農村空間が都市空間をリードする時代が、すでに始まっている。あなたの小学校の同窓生に帰農をすすめる。男性だけでなく、女性に対しても、夫を連れて帰農をすすめる。実家の一隅に別室を建てる。土地がただなら誰にも別室ぐらいは建てられる。定年までは休日農業を続け、定年になったら農村に住む。東京の住居は子供に譲り、一室だけは上京時の自分の部屋として確保しておく。この一室を利用し、上京して、スポーツ観戦・芝居・音楽会・美術館まわり等々、都市での楽しみを楽しむ。農都両棲の新しい人生スタイルこそ21世紀に実現する新しい豊かさである。農都の距離が近く、交通の便のよい日本で、新しい豊かさを実現することは可能だ。

 農村で育てた青年を都市に奪われ、農村は「過疎化」した。都市に送り出した青年は定年を迎え、退職金と年金を携えて農村に帰る。農村はこれで「もと」をとりかえして、豊かな「農村空間」を創る。「農村空間」が「都市空間」をリードするのである。かくして、自然と人間が調和した社会が実現される。

(農文協論説委員会)

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