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農文協トップ主張 2004年7月号

「食育」かくあるべし
――〈食〉〈農〉〈教育〉をむらからおこす

目次
◆「食育基本法」の新しさ
◆「コンビニ」化する家族の食事
◆地域と食を結びつける
◆小学校をもう一度「むらの学校」に
◆学校給食は「地域の食卓」
◆農家の力で「食育基本計画」をむらからつくる

「食育基本法」の新しさ

 栄養の偏り、不規則な食事による生活習慣病の増加、肥満や過度のヤセ願望、さらには食品の安全性に対する信頼の低下など、食をめぐるさまざま問題が指摘されているなか、国会に「食育基本法」案が議員立法で提出された。

 「食育」を「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置付け、「様々な経験を通じて『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる」ことを、「家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として」推進しようというのである(法案前文)。反対の声はなく今国会あるいは次国会で成立する見込みで、成立・施行されれば、内閣府に「食育推進会議」がおかれ、「食育推進基本計画」が作成されるとともに、都道府県、市町村単位でも「食育推進会議」が設置され、地域ごとにその地の個性を生かした「食育推進計画」が作成されることになる。

 国民の食生活への国の働きかけはいまに始まった話ではない。しかし、戦後の栄養改善運動、栄養不足から過剰に転じてからの減塩や「一日30食品」のすすめ、さらには「日本型食生活」にもとづく「食生活指針」など、連綿と続いてきた食生活にかかわる運動は、いずれも一定の科学的・栄養学的基準のもとに国民を啓蒙する運動であった。これに対し、今回の「食育基本法」は一線を画している。「地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の『食』が失われる」(法案前文)という危機感を表明し、“地域に根ざした食”という視点を強く打ち出しているのである。

 めざすものも「健全な食生活の実現」だけでなく、「都市と農山漁村の共生・対流」や「消費者と生産者との信頼関係の構築」、「地域社会の活性化」、「豊かな食文化の継承及び発展」、「環境と調和のとれた食料の生産及び消費の推進」、「食料自給率の向上」と幅広い。

 つまり「食育基本法」は地域の食・農・暮らしを一体のものとして、国ではなく地域の側から食をとらえようとしている。その見方は、農業を産業の一部門としてではなく、「暮らしをつくる産業」として見直し、地域活性化や食料自給率の向上も経済の原理からではなく、暮らしの原理からとらえることにつながる。「食育基本法」の新しさはそこにある。

「コンビニ」化する家族の食事

 「食」を「食」だけでとらえていては、食をめぐる不安は解消されない。現代の食のありようは、そのことをますます鮮明にさせている。

 子どもの朝食の欠食、偏食による肥満、個食(孤食)といった問題は以前から指摘されてきたが、最近、問題にされているのは、同じ家のなかにいてもバラバラな時間に食事をとったり、同じ食卓を囲んでもバラバラなものを食べる「バラバラ食」が増えていることである。ひところ個食が問題にされたときは、共働きや子どもの塾通いなどが増えて家族そろって食事ができなくなったと言われていたが、いまは、家族そろって食べることができる日でもバラバラ食になってしまう。自分が好きなものを好きなときに食べるのだから当然偏食、欠食になりがちである。ところが親はバラバラ食も欠食も偏食も直そうとはしない。そのようなことをすると「家族の団欒」がこわされると考えるからだ。家庭は食事をしつける場ではなくなっているのである(注1)

 その結果、いま家庭の食事はコンビニエンスストアのようになってきた。コンビニには、出来合いのさまざまな惣菜や冷凍食品が並んでいて、お客はそこから好きなものを選んで電子レンジで温めてもらって食べる。家庭の食事も出来合いの惣菜や半調理品・冷凍食品への依存度が高まってきたうえに、家族で同じものをとることも少なくなってきている。家庭の冷蔵庫が「コンビニ化」しているのである。

 コンビニ化とともにめだつのはサプリメントや栄養補助食品の大流行である。いまの親世代ではビタミンや微量栄養素を錠剤で補給することが普通に行なわれ、忙しいときは固形やチューブ入りの簡便な栄養補助食品で食事をすますことをためらわない。

 「コンビニ化」しようと「サプリメント依存」であろうと、簡便に栄養が満たされるならそれでいいではないか、という考え方もあるだろう。しかし、そのような食生活が当たり前になれば「地域の多様性と豊かな味覚や文化」は失われ、食と農は完全に切り離されていく。食が農から離れることが、今日の食の乱れの根本原因なのである。

地域と食を結びつける

 農文協は、「医(身体)、食、農、想(教育)」という暮らしの四分野を、経済合理・効率性のみから発想するとゆがむ分野としてとらえてきた。高度経済成長期以降の日本は、これらを切り離してそれぞれに効率を追究してきた。その結果がそれぞれの分野のゆがみとなって現れているのである。四分野はたがいにかかわりあっているから、それぞれを対症療法的に直そうとしてもうまくいかない。からだ、こころ、農を一体のものとしてただしていく視点が必要だ。

 いま、巷にはビタミンEが体にいいとか、やれDHAだ、イソフラボンだ、といった栄養知識はふんだんにあふれている。いまの親たちは自分が小中学生だったときから、家庭科や保健の授業などをとおして、三大栄養素などの栄養知識を教え込まれてきており、それが裏目にでたのが今日の食生活なのだといえないこともない。だから、いま必要なのは、栄養についての知識の伝達でも、イベント的な体験でもない。日々の食卓を通して、味覚などの五感を働かせながら、「地域の食の作法」を体で覚えていくことだ。その役割を家庭の食卓が担えなくなっているとしたら、「地域の食卓」で食育をすすめるしかない

 ここで「地域の食の作法」というのはテーブルマナーのようなことを言っているのではない。地域に伝わる季節の食材とのつきあい方であり、その根底にある人間と自然のかかわり方の原理のことである。それをもっともよく知っているのは、農山漁家のおばあちゃんたちにほかならない。 

宮城県北上町で「食育の里づくり」をすすめている民俗研究家の結城登美雄さんは、農山漁家のおばあちゃんたちから、四季折々、山、田畑、川、海で収穫・採集する食材のリストを聞き取った。その結果「何にもない」と言われていた北上町が、じつは300種類もの食材を生み出す豊かな町であることがわかってきた。さらに、こうした地域の食材の豊かさとそれを生かすおばあちゃんたちの食の技を子どもたちに伝えたいと考え、小学生と精進料理を食べる会を開いた。子どもたちは地域に伝わる精進料理を箱膳でいただき、町の人が持ち寄った食材の実物にふれ、おばあちゃんたちのダイコンの切り方の実演を見守った(注2)。「地域の食卓」である。

 精進料理というのは地域でとれる野菜や山菜、海藻などをベースにしながら、豆腐やコンニャクなどをあわせたハレの食事である。地域の季節素材をベースにしながらも、よその土地のものや手をかけた加工品を加えて味に変化をつけようとしている。そこに「地域の食の作法」が見事に表現されている。

 北上町のおかあさんたちが食材というとき、それはスーパーマーケットやデパートの地下に華やかに並んでいて、いつでも買える食材を意味しているわけではない。田んぼや畑で育てたり、山や川、海で採ったりして、どの季節にどのようにして食べたらうまいかわかって使うのが食材なのである。かつての自給的な食とは、台所と食卓つまり消費だけで完結するものではなく、生産・採集、保存、調理・加工も含めて食だった。「地域の食の作法」とはたんなる消費の知恵ではなく、生産と消費が一体となった、その地で生きていくための暮らしの形であり、こうした自給の世界のなかで、「食育」はごく自然に、「たくらまない教育」として行なわれてきたのである。

小学校をもう一度「むらの学校」に

 子どもたちに地域で生きる作法を伝えるのは、学校ではなくて、いえとむらの役割だった。たとえば、遊び。学校から帰るとむらの子どもたちは年齢を超えた集団をつくって山や川、野原で遊んだものである。その遊びを通して、年上の子どもから、実のなる木や魚がよくとれる淵や、危険な深みを教えられた。そこには、川の岸から岸までを泳ぎきれたら一人前として認めるといった、「通過儀礼」もあった。むらのなかで生きていくために必要なことは、こうして「歩いて回れる範囲」で、知らず知らずのうちに伝授されたのである。

 しかし、高度経済成長期以降、いえやむらの教育力が弱まり、学校の役割が重たくなっていった。知識を教えこむだけではすまなくなってきたのである。「生きる力を育む」ために、生活科や「総合的な学習の時間」が生まれ、環境教育が学校でさかんに行なわれるようになった。そしていままた、「食育」が学校の重要な課題に掲げられているのである。

 だが、学校にまかせればいいわけではなし、食育が農や地域の食文化を学ぶことであるなら、学校だけでできることではない。とすれば、学校をいかして、いえやむらにあった食育を地域で蘇生する以外に道はない。その力を農村は潜在的に持っているし、新しい条件もつくってきた。

 今、農村では家々での自給にかわって、直売所や産直、地場産給食といった、地産地消の動きが大きく広がっている。「自給の社会化」である。地産地消とは、さまざまな交流や体験をとおして、地元の人や都会に暮らす人に、食材を生かす術を伝え、生産と消費を統合した〈生活者〉を育て、「地域の食卓」を形づくることである。そんな農家・農村と学校がいっしょになって、現代の食育は可能になる。食育は、学校をもう一度「むらの学校」にするチャンスでもあるのだ。

 もともと、小学校はむらの学校だった。むらの小学校はむらが土地や資金を提供してできたものだ。戦前の在野の哲学者である江渡狄嶺は、いえ、むらと一体化した学校を「単校」と呼び、それを教育の「ありどころ」(存在根拠)であると同時に「あるべきところ」(存在価値)として位置づけた。すでに明治後期以降、制度としての教育は立身出世の手段と化し、いえとむらのにおいを消し去る方向に展開していたが、狄嶺は、外を向くのではなく、一人ひとりがおのれの立っている現実(地域の中の私)を直視し、そこにみずからの存在根拠を見出し、みずからの存在価値を確信することが教育の根本課題となる、と考えたのである(注3)

 食にあてはめて考えてみよう。地域には微気象も含めて個性的な自然があり、食もまた個性的である。食が「どのようにあるか」ということと、「どうあらねばならないか」ということは、地域を離れてはありえない。食や農、川や山といった自然を自分の立っている場から見直すとき、小学校はいえやむらがかつて担っていた役割を担うようになる。

 食育を通して、小学校が「むらの学校」(単校)になるのである。

学校給食は「地域の食卓」

 地域による食育の手始めは、学校給食を変えることにある。栄養学と輸入品を含む大量生産・大量流通にもとづく全国一律の学校給食を、地域の食材を生かす給食に変えていく。「自給の社会化」によって、給食を「地域の食卓」にするのである。

 それにはまず、農家・農村と学校栄養士が手を結ぶことである。栄養士は給食の献立を決定し、食材を決める権限をもっている。「地産地消」をめざして、積極的に地域の食材を取り入れようとしている栄養士も少なくない。たとえば、埼玉県新座市立石神小学校の栄養士・楠瀬里美さんは地域食材を生かした食育を進めるにはまず栄養士自身が食材のことを知らないといけないと考え、地元の農家に何度も足を運んだ。そこで、たとえば、「ヤングコーン」はトウモロコシの一番穂を大きくするために摘果した二番穂、三番穂であること、手間がかかるので出荷していないが、歯ごたえがあっておいしいことを知る。猪瀬さんはこの農家に頼みこんで皮をむかないままのヤングコーンを出荷してもらい、子どもたちに皮むきを体験させ、サラダにして食べた。子どもたちはトウモロコシがどのようにして生産され収穫されるのか、食べられる部分がいかに少ないか(皮が12キロに対して、実はわずか2キロしかとれなかった)を知ることができた。出荷の省力と体験学習の一石二鳥である。ここでは、地域の食材が給食に取り入れられただけでなく、子どもたちがトウモロコシという作物や農作業の意味を、体験を通して理解する食育が実現している(注4)

 折りしも、学校教育法の一部改正案が国会で成立し、平成17年度から各学校に栄養教諭を配置できることになった。栄養教諭は従来の栄養士としての学校給食の管理の仕事に加えて、学校の授業やさまざまな教育活動での食の指導や子どもたちの個別指導にもたずさわることになる(注5)。農家の働きかけで、猪瀬さんのような栄養士におおいに活躍してもらい、学校給食を「地域の食卓」にしようではないか。

農家の力で「食育基本計画」をむらからつくる

 地域の農家と学校の栄養士や教員がいっしょになって、学校給食を含めた「食育推進計画」を立案していく。そこでは食と農の体験とあわせて、学校給食を完全米飯給食にする(米粉パンでもいい)とか、地場野菜を利用するといったアイデアを出し合い、三年計画とか五年計画で数値目標を定める。子どもたちやその親たちに地域の食の作法を伝えることと、地域の自給率を高めることが同時に進んでいく。校区内の家族だけではない。小学校の卒業生は都会にも住んでいる。小学校の食育の動きを同窓生にも伝えたい。都会に住む同窓生が仲立ちとなって、農村と都市の学校や地域の体験交流が生まれた例は数多い。校区をそこまで広げた「校区コミュニティ」としてとらえなおしたい。

 「食育基本法」によって、国、県、市町村に「食育推進会議」がおかれることになるが、食育の単位として一番ふさわしいのは「校区」である。小学校区で豊かな「食育推進計画」をつくっていく。それは子どもの教育の計画にとどまらず、むらをどうしていくかという基本計画にもつながっていくはずである。

 「地域の食卓」が「食育」を励まし、地域の「食育」が豊かで個性的な「地域の食卓」を育む。「食育」は農家によってこそ担われなくてはならない。 (農文協論説委員会)

(参考文献)

(注1)岩村暢子「『家庭の日常の食卓』を変える教育とは」『食農教育』2004年4月増刊号

(注2)結城登美雄「地域を宝の山にする食のリストづくり」『食農教育』2004年4月増刊号

(注3)岩崎正弥「江渡狄嶺の『場の教育論』に学ぶ」『農村文化運動』162号

(注4)猪瀬里美「地場野菜を生かした献立で、子どもたちの体験の幅を広げる」『食農教育』2004年4月増刊号

(注5)中央教育審議会の答申「食に関する指導体制の整備について」には、栄養教諭は「その専門性を生かして、食に関する教育のコーディネーターとしての役割を果たしていくことが期待される」とある。また食の指導と給食の管理を結びつけた具体例として「体験学習等で栽培した食材を学校給食で用いることで、生産活動と日々の食事のつながりを実感させ」るといった例もあげられている。

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